座間コミニティー

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◆どうか私のたましいを罪人とともに……

2016年09月21日 15時34分53秒 | 聖書
取り集めないでください。(詩篇二六・九)
 
恐怖のため、ダビデはこのように祈った。何者かが彼に「おそらく、ついにはおまえは悪人とともに取り集められるのだ」とささやいたからだ。その恐れは不信仰に脅かされたものではあるが、主として過去の罪を思い出したことによる聖なる心遣いから生じた。
罪赦された人でも、「もし最後の時に私の罪が記憶されていて、私の名が救われた者の名簿から落とされたらどうしよう」と言う。彼は、現在実を結んでいない状態を思い、前途をながめて、自分の弱さと前に横たわる多くの誘惑のために、倒れて敵の食にされてしまうのではないかと恐れる。罪と現在の悪を自覚し、自己の腐敗を覚えて恐れおののきながら、彼は「どうか私のたましいを罪人とともに……取り集めないでください」と祈らないわけにはいかなかった。
友よ。あなたがこの祈りをささげたことがあるならば、あなたの品性がこの詩篇に記されているようなものであるならば、罪人とともに取り集められることを恐れる必要はない。あなたはダビデのもっていた二つの徳――外で誠実な歩みをし、内において主に信頼する徳――をもっているか。またキリストの犠牲に頼り、へりくだった望みをもって神の祭壇を囲むことができるか。もしそうなら、心を安んじてよい。あなたは決して罪人とともに取り集められることはない。なぜなら、そのようなわざわいは起こり得ないからである。
さばきの時の収穫は種類別である。もしあなたが神の民のようであれば、神の民とともになるのであり、罪人とともに取り集められることはあり得ない。あなたは高価な価をもって買われたからである。キリストの血によって贖われたあなたは、永遠の主のものである。そして主のおられる所に、その民もいなければならない。あなたはこの上なく主に愛されており、堕落した者とともに捨てられることはない。キリストが愛された者が滅びるのか。否、それは不可能である。天国があなたを必要としている。それなら、あなたの保証人である主に信頼して恐れるな!
 
 
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「あなたの子孫はこのようになる。彼は主を信じた。

2016年09月21日 15時34分00秒 | 聖書


主はそれを彼の義と認められた」(創世記15:6)

アブラハムはどんな状況の中で、神を信じたのだろうか。
75歳で導きに従い、カナンに移り住んだ。
原住民との闘いの日々だった。

子どもができず、しもべエリエゼルを相続人にとさえ考えていた。
そんな時に、神はアブラハムに、満天の星を見せ、子孫はこのようになると約束された。

その時、彼は神の約束を信じた。
現に子供はおらず、まだ全く見ていない事であり、常識では受け入れ難い事だった。

しかし、アブラハムは神ご自身を信じた。状況でなく、神ご自身を見て信頼した。
「彼は望みえないときに望みを抱いて信じた」。

望み得ないときに望みを抱くからこそ、信仰だ。
目に見えないから信仰であって、目に見えたなら、もう信仰は必要ない。

それは全く目に見えない。
人間的な実感などない。
状況を頼り、状況を幾ら見ても信仰など湧かない。

状況からの結論は「不可能、絶対にあり得ない」だ。
どこから信仰が来るのか。
望み得ない状況から、いかに望みが湧き上がるのか。

それは約束の御言葉だ。
神が語られた約束の御言葉を、そのまま受け取り、受け入れる時、「彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」とアブラハムと同じ祝福を受ける。

彼が100歳の時に約束の御言葉が成就した。
神は必ず約束を成就される。状況でなく、御言葉を見続けていよう。
-------------------
私達は状況しか見えないのではない。
約束のみ言葉があり、御霊の導きを悟る事ができる。
状況の中におられる神様を見つめて勝利しよう。


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今日の聖人の記念日

2016年09月21日 07時04分08秒 | キリスト教

聖マタイ使徒福音記者

1世紀

 マタイは、カファルナウムの町で、ユダヤの徴税人として働いていた。当時の徴税人は、ローマの手先となって同胞からお金を取る者として、罪人とみなされ人びとから疎まれていた。ある日、収税所の前を通られたイエスから「わたしに従いなさい」と声をかけられてイエスに従い、12使徒の一人となった。

 マタイは、福音書を当時のユダヤ社会で使われていたアラマイ語で著わし、旧約の預言がキリストにおいて実現されたことを主張し、キリストが真の救い主、神であることを強調した。特にイエスの言葉を「山上の説教」として系統だててまとめている。その後、マタイがどのような足跡をたどったかは明らかでないが、エチオピアで殉教したとされている。

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◆友  を  選  べ

2016年09月21日 07時03分01秒 | 聖書

大酒飲みや、肉をむさぼり食う者と交わるな。
大酒飲みとむさぼり食う者とは貧しくなり、
惰眠をむさぼる者は、
ぼろをまとうようになるからだ。(箴言二三20―21)
 
人は、交わる友に似ていくのではないでしょうか。「朱に交われば赤くなる」と昔からいわれています。親として、自分の子どもが、よい友と交わってほしいと願うのと同じ思いで、神は、「肉欲をむさぼる者と友となってはいけない」とおっしゃるのです。
クリスチャンの先輩としてパウロも、子どものように愛している弟子のテモテにこう言いました。「あなたは、若い時の情欲を避け、きよい心で主を呼び求める人たちとともに、義と信仰と愛と平和を追い求めなさい」(Ⅱテモテ二22)。若いとはいえ、人々のリーダーである青年牧師のテモテにすら、パウロは「友を選べ」とすすめたのです。
牧師には、おぼれる者を引っ張りあげて助け、罪に押し流される者のそばに飛びこんで助ける務めがあります。キリストが天の高みから罪の泥沼の中に飛びこんでこられたように、自分もすべきです。しかしパウロは、なおも弟子のテモテに、「情欲におぼれ、肉欲をむさぼる者の友となるな。きよい心で、神を求める人と友となれ。いっしょに、義・信仰・愛・平和を追求できる人と友となれ」と言ったのです。
人間は弱いものです。「ミイラとりがミイラになる」のです。だから、友を選ばなければなりません。あなたは、ほんとうに「友」と呼べる人がいるでしょうか。ほんとうの友とは、きよい心で神を求める人、喜んで義と信仰と愛と平和を追求できる人なのです。そして、イエス・キリストこそ、あなたの友となろうと来てくださった方なのです。
キリストはこう言われました。「……あなたがたはわたしの友です。……わたしはあなたがたを友と呼びました」(ヨハネ一五14―15)。
 
 
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◆わたしは彼らを幸福にして、

2016年09月21日 07時02分19秒 | 聖書
彼らをわたしの喜びとし……。(エレミヤ三二・四一)
 
神が聖徒を喜ばれ、愛してくださるとは、信者にとってなんという慰めであろう。主はなぜ私たちを愛されるのか。その理由を私たちは自分の中に見いだすことはできない。私たちは自分自身を喜ぶことはできないのである。しばしば重荷にあえぎ、自分の罪深さを意識し、自分の不誠実を嘆かなければならないからである。さらに私たちは、神の民が私たちを喜ばないのではないかと恐れる。彼らは私たちの多くの不完全さと愚かさを見て、私たちの徳を賞賛するよりも、むしろ欠点を嘆くに違いないからである。しかし私たちは、次のすばらしい真理、輝かしい奥義を考えることを喜ぶ。それは、あたかも花婿が花嫁を喜ぶように、主が私たちを喜んでくださるということである。
天使すら神をお喜ばせするとは記されていない。また神が、ケルビム、セラフィムについて「あなたは『わたしの喜びは、彼女にある。』と呼ばれ……主の喜びがあなたにあり……」と言われるとも記されていない。しかし神は、それらのことばを、私たちのようにあわれな堕落した被造物、罪により下劣な者となり腐敗した者となったのに、恵みにより救われ、高められて栄光を与えられた者にお語りになる。なんと強いことばをもって、神はその民に対する喜びを表しておられることか。永遠の存在者である方が感極まって歌われたのだと、だれが考えることができたであろう。しかし、「主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる」と記されている。神はご自身の造られた世界を見て、「非常によかった」と言われた。しかし神が、イエスの御血によって贖われた者たちを見、ご自身の選ばれた者たちを見られた時、その無限の心を抑えることができず、歓喜の叫びをあげられたように思われる。
このような驚くべき神の愛の宣告に対して、私たちは感謝の応答をなし、「私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう」と歌うべきではないか。
 
 
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ヨブ記6章21-30節

2016年09月21日 07時01分05秒 | 聖書


6:28 「今、思い切って私のほうを向いてくれ。あなたがたの顔に向かって、私は決してまやかしを言わない。
6:29 どうか、思い直してくれ。不正があってはならない。もう一度、思い返してくれ。私の正しい訴えを。」



 ヨブの友人は、ヨブにとっては真の友人ではないと言っています。

彼らは、ヨブが痛み苦しんでいるときに、ヨブの惨めな姿を見て、ヨブに同情を寄せるならば、自分たちもヨブと同じように悲惨な目に遭うのではないかと思って、恐れている。

そのような友だというのです。

 ですから、素直に自分たちの思いを語らないし、ヨブの心の言葉を受け取ってもくれない。

乾いた水たまりのようなものだというのです。

素直に自分の思いを語り、また素直に、相手の語ることに耳を傾けてくれる者こそ、真に苦しみと悩みの内にある者にとっての助けである、というのです。 

相手の心に飛び込まないで、その苦しみに自分たちは関わりたくないという思いを持って相手に接するならば、決してその人は、真の友ではあり得ない、とヨブは語っているのです。



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ガラテヤ書2章19~20節(イザヤ書39章)

2016年09月21日 06時58分32秒 | 聖書


★『しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。』(ガラテヤ2:19~20)


■O:今日のコラム
私たちは、毎日悔い改めを持って、自分を捨て、自分の十字架を置い、イエス様についていく者です。私たちはイエス様の十字架によって、十字架をまぬがれる者になったのではありません。そうでないと何のために自分の十字架を負って、イエス様について行っているのか?となってしまいます。むしろ喜んで十字架を受け入れ、その先にある栄光によみがえるという事を信じる者に変えられたのです。イエス様は、十字架を全うする事で、信仰の完成者となられました!私たちの信仰のレースのゴールも十字架を全うする事です。
  悔い改めは、日々十字架に古い自分の肉を打ち付け、キリストの血の力を宣言し、捧げていく事です。私たちは、少しずつ、『人をねたむ自分』『人に怒る自分』『人と比べる自分』などを十字架に打ち付け、血の力によって罪からの解放を受け取っています。ここでのパウロの告白は、素晴らしいです。『私は、少しづつ十字架につけられていっています』ではなく、『私は十字架につけられました』だからです。古い自分のすべてが十字架につけられる事を目指しましょう!それが花嫁が主の再臨を待ち望む『マラナタ』の心です。
    聖書を原語で見ると『マラナタ』は1箇所しか出てきません。

『パウロが、自分の手であいさつを書きます。主を愛さない者はだれでも、のろわれよ。主よ、来てください。』(1コリント16:21~22)

    この『主よ。来てください』がマラナタです。『呪われよ』とパウロは安易に口にする人物ではありません。『祝福するべきであって、呪うべきではない』、とはパウロが語ったのです。『呪われる』とは十字架につく事を意味します。

『キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。』(ガラテヤ3:13)

  古い自分が死ぬのは、神が生きるためです。言い方を変えれば神と一つになるためなのです。主と一つになる事を求めておられますか?毎日、熱心な悔い改めをもって、死と葬りと復活に預かる者、新しい創造のわざに預かる者となり、『私はキリストとともに十字架につきました』と大胆に告白する者となっていきましょう!


■A:考えてみよう
熱心な悔い改めを毎日持つ


■P:祈り



イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

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9月20日(火)のつぶやき

2016年09月21日 01時35分02秒 | キリスト教
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