座間コミニティー

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◆明け方、マグダラのマリヤ

2014年07月14日 15時55分31秒 | 聖書

……が墓を見に来た。(マタイ二八・一)

どのようにして主イエスとの交わりができるか、マグダラのマリヤから学ぼうではないか。どのようにして、彼女がそれを求めたかに注意せよ。
彼女は早朝に救い主を求めた。もしあなたがキリストを待つことができるならば、そして主と交わることのできる時を気長に待っているならば、あなたは決して主と交わることはできない。主と交わるのにふさわしい心は、飢え渇いた心だからである。
彼女はまた、非常な大胆さをもって主を求めた。他の弟子たちは墓から逃げた。驚き震えていた。しかし、マリヤは「墓のところにたたずんでいた」と記されている。もしキリストと共にありたいと望むならば、大胆に主を求めよ。何ものにも妨げられてはならない。
彼女はキリストを忠実に求めた。彼女は墓に立っていた。ある人々は生ける救い主のそばに立っていることすら困難である。しかし彼女は死せる救い主のそばに立っていた。私たちも、このようにキリストを求めよう。主に関係ある些細なものにも愛着を覚え、他のすべての者が主を捨てても、忠実に踏みとどまろう。
さらに、彼女が熱心にイエスを求めたことに注意せよ。彼女は「泣きながら」立っていたとある。その涙が救い主をとらえ、彼女の前に現れてくださったと見ることもできよう。もしあなたがイエスの臨在を願うならば、そのために泣け。主が来られて、「あなたはわたしの愛する者」と言われなければ満足できないと言うなら、あなたはただちに主の御声を聞くであろう。
最後に、彼女は救い主だけを求めた。キリストがあなたの唯一の愛の対象であるならば、あなたの心がキリスト以外のすべてのものを追い出したならば、あなたは遠からず、主のご臨在の慰めを受けるであろう。
マグダラのマリヤは非常に主を愛していたために、このように求めた。私たちもマリヤのような強い愛をもとう。私たちの心も、彼女のようにキリストに満たされ、私たちの愛も、彼女のようにキリスト以外の何ものをもっても満足することのないように。主よ。今夜あなた自身を私たちに現してください。

 

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「わたしがあなたに示す一つの山の上で、

2014年07月14日 15時54分35秒 | 聖書

全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい」(創世記22:2)

アブラハムにとって、イサクは命そのものであった。
すべての希望はイサクにかかっていた。
イサクにより、子孫が繁栄し、神の約束が実現して行くのだ。
イサクはアブラハムが持っていたすべてであった。
知らず知らず彼の愛はイサクを握りしめていたであろう。
神はイサクを献げるようにと言われた。
イサクが死んでしまったなら、神の契約はどうなるのか。
すべてがイサクにかかっている。神は絶対に約束を破られる事のないお方だ。
しかし、いけにえにと言われる。
アブラハムの心中はいかばかりであったろう。
イサクより神を愛するかのテストでもあった。
深く愛するものは容易に偶像となってしまう。
彼は決断した。イサクを実際に献げた。
まさに人生を、何もかもを「断ち切った」のだ。
将来や可能性、命そのものを手放した。実質的にイサクを献げた。
しかし、彼は勝利した。全き従順によって。
イサクを死者の中から取り戻した。
----------------
自分にとってイサクは、一番大切なものは何だろう?
それが容易に偶像になってしまう。
それが神を見えなくしてしまう。
自分のイサクを明け渡す時に、神を見い出しいのちを得る。
喜びを知る。

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今日の聖人の記念日

2014年07月14日 07時31分57秒 | キリスト教

聖カミロ(レリス)司祭

1550年-1614年

 カミロは、イタリアのナポリの貴族の家に生まれた。18歳のとき軍隊生活に入り、そこで、足に傷を受け、さらに賭博によって全財産を失った。足の傷は生涯彼を悩ますこととなる。25歳になって回心し、カプチン会の修道院に入ったが、傷がひどくなったので会をやめた。その後、ローマの病院に行き、病人を看護する決心をした。彼の回心に影響を与えたフィリポ・ネリのすすめを受け、神学を学び、司祭となって、2人の同志とともに「病人のしもべたち」という修道会を創立した。「病人のよいしもべは、病院で死ぬ」と彼がいっていたように、生涯を病人のためにささげた。彼の創立した会は、「聖カミロ修道会」として全世界に広まった。彼は病院・病人の保護者と呼ばれている。

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◆陰口を飲みこむな

2014年07月14日 07時30分30秒 | 聖書

陰口をたたく者のことばは
おいしい食べ物のようだ。
腹の奥に下っていく。        (箴言一八8)

陰口をたたいたり聞いたりすることに、人は興味をそそられます。主婦の井戸端会議もさることながら、サラリーマンも夜の一杯飲み屋などでの会話は、八〇%がこのゴシップや陰口だそうです。おいしいごちそうのように、人々は争ってこれを飲みこみます。そして、どうなるでしょうか。「彼の食べた物は、彼の腹の中で変わり、彼の中でコブラの毒となる」(ヨブ二〇14)。
日本では陰口といいますが、英語では「人の背中で話すこと」です。その当人に面と向かって言えないことを、いないところで言うな。――これは、一つの聖書的原則です。この原則を私たちの会話に適用すると、大分すっきりと交通整理されるでしょう。
もう一つ、聖書が教える原則は、「心と口を一つにすること」です。私たちは心にもないことを言います。心と口を一つにすることによっても、大分会話の交通整理ができます。
次にもう一つの原則は、人の徳を建てるように語ること、つまり「愛をもって真理を語る」(エペソ四15)ことといえます。聖書は、隣人に真実を語れ(エペソ四25照)、行いと真実をもって愛し合え(Ⅰヨハネ三18参照)と、私たちに語ります。
英語の会話(カンバセーション)ということばは、また、生活態度とも訳せます。私たちの会話には、私たちの心の姿勢がそのまま表れます。陰口をきかなくてよいほどに天からの愛で神に心を満たしていただき、真実が語れるほどに、キリストの愛に迫られたいと思います。
私たちの口に、愛と真実のことばを与えてくださいと、神に祈ります。

 

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◆あなたが石の祭壇をわたしのために造るなら、

2014年07月14日 07時29分35秒 | 聖書

切り石でそれを築いてはならない。あなたが石に、のみを当てるなら、それを汚すことになる。(出エジプト二〇・二五)

神の祭壇は、人の技巧や努力が見られない、切られていない石で造られなければならなかった。人の知恵は十字架の教えをひねくりまわして人工的なものとし、人間の堕落した性質に適したものとする。肉の知恵は福音を改善するどころか、むしろそれを汚し、全く異なる福音にし、神の真理とはおよそ似つかぬものとする。主ご自身のみことばを添削することはすべて、それを汚す結果となる。
人間の高慢な心は、たましいが神の御前に義とされるために、ひとかどの助けをしたいと気をもむ。キリストのために何か準備することを夢見、謙遜や悔い改めを鼻にかけ、あるいは善行を誇り、あるいは生来の能力を誇示する。そして、なんとかして人間の道具を神の祭壇の上にふるおうとする。
罪人の肉に属する確信は、救い主のみわざを完成するどころか、それを汚し、辱しめるものであることをよく記憶したい。贖いのみわざにおいては、主のみが高められなければならない。人間ののみやハンマーの跡は、ただの一つも印されてはならないのである。キリスト・イエスが、その死の瞬間において「完了した」と宣言されたものに、何かを加えようとし、主なる神が完全な満足をもってご覧になっているものを改善しようとするのは、人間固有の

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第2サムエル記3章26-30節

2014年07月14日 07時28分10秒 | 聖書

3:28 あとになって、ダビデはそのことを聞いて言った。「私にも私の王国にも、ネルの子アブネルの血については、主の前にとこしえまでも罪はない。
3:29 それは、ヨアブの頭と彼の父の全家にふりかかるように。またヨアブの家に、漏出を病む者、ツァラアトに冒された者、糸巻きをつかむ者、剣で倒れる者、食に飢える者が絶えないように。」




 ヨアブはアブネルを捕まえるように人を送り、彼をヘブロンに連れてこさせました。

そして密かに、彼を殺害しました。

自分の兄弟の復讐をするためでした。

 後になってからこの事を聞いたダビデは、激しく怒りました。

アブネルと平和の契約を結んだのに、それを破るような形で、ヨアブが事を処したからです。

そこでダビデは、この件については自分に罪や責任はないと告げました。

これはヨアブが私的な恨みによってしたことであって、したがって、この契約を破ったことによってもたらされる神の怒りと呪いは、ヨアブとその家族の上にあるようにと語ったのです。

ダビデに取っては、真実に事を成すことが出来なかったのはつらいことでした


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コリント人への手紙 第二 3章18節(詩篇41章)

2014年07月14日 07時26分28秒 | 聖書

 ★  私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。

■O:今日のコラム

私たちは、主の似姿へと、栄光から栄光へと作り変えられていきます。これを別の言い方で言うなら成長です。

私たちは、どれだけ自分の足りないところを見つめても、世の中の問題を見つめても成長しません。

『人が主に向くなら』と16節にあります。
私たちの成長は、主に心が向き直って初めて起こるのです。(ギリシャ語では、向き直るという意味の言葉が使われています)

これは、バプテスマのヨハネが言っていた事と同じです。『悔い改めなさい。神の国が近づきました。』と彼が言いましたが、この悔い改めは、神の方へ方向転換することです。

その時に私たちのおおいは取りのけられるのです。
そして何のためにおおいが取りのけられるのでしょう?

それは主の素晴らしさを、もっとはっきり見るためです。
これが聖霊様の働きの中でも大切な一つの事です。
聖霊様は、その時に、主の栄光をもっとはっきり見せて下さるのです!(18節の別訳は、主の栄光を鏡に映すように見ながら、です)

主の栄光を見せられたものは、主の栄光を表すものとされます。
主の素晴らしさを知らないものが、どうして主の素晴らしさを表せるでしょうか?

聖霊様が見せたいと願っているように私たちも、主の栄光を見ることを切に求めましょう!

私たちは、主の素晴らしさをもっと知るとき、もっと主の素晴らしさを表す者へと成長していくのです。

イスラエルの結婚には、シャドハンという役割の人が存在します。シャドハン協会というのまであります。

シャドハンとは、『影響する』というような意味です。イスラエルの結婚は、二人が婚約してから一緒に住むまで一年間待ちます。

彼は、花嫁に対して花婿がどれほど素晴らしい人物かを教え、花嫁が花婿を慕うようにする働きをします。そしてこの結婚を必ず成功へ導くのです。これは、聖霊様の働きを表しています。

聖霊様にあって、主の素晴らしさを知るようになるなら、必ずこの結婚はうまくいくのです! 私たちはキリストの花嫁となれるのです!

■A:考えてみよう

祈りの中で、主の素晴らしさを知ることを切に求めましょう!

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

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7月13日(日)のつぶやき

2014年07月14日 01時44分31秒 | キリスト教
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