伊丹十三「ヨーロッパ退屈日記」読了
本書は新潮文庫より平成17年に発刊されたものです。初出は昭和41年といいますから今から50年も前(!)に書かれたものです。
ブックオフで見かけて迷わず買ってしまいました。多分一度は読んだことがあるはずで、書棚のどこかにあるんだろうと思うんですが、いいんです。伊丹十三ですから。
他の著書の「女たちよ!」と同じような内容なんですが、伊丹十三の考える見識とは?また、粋とは?どんなところでどんなことをすると(どんな服装をすると)場違いなのか、といったことが縷々述べられています。
しかしキザですねぇ。でもそのキザが嫌味でないところがまた伊丹十三なんですね。
銀座の町中をマフラーを切ってやたら排気音のうるさいスポーツカーに乗って飛ばしていく若者、ホテルのレストランに平気でノーネクタイで入ろうとする男、書物や記事に「なんとかひとりある記」とか「食べある記」とかいうタイトルをつけるセンス、足許(あしもと)しか写らない鏡しか置いてない靴屋、トイレからハンカチで手をふきながら出てくる男、人前でズボンをずり上げる男、等々。こういうものを伊丹氏は嫌うわけです。それは野暮でセンスがなくて貧乏臭いと。
自分も伊丹氏にならって嫌いなもの、見てて恥ずかしいものをちょっとあげてみます。
夏の暑い日にTシャツの袖を肩のあたりまでねじってまくり上げている男、いかにも田舎のヤンキーみたいで恥ずかしい。また、ズボンをひざまでまくり上げている人。だったら最初っからハーフパンツはけよ、と言いたい。車を運転していて信号待ちのとき、反対側の歩行者信号が点滅し始めるあたりから、少しずつじりじりと前に出ていく車。非常に見苦しい。なんだか貧乏臭いです。貧乏臭いといえば、讃岐うどんなんかの店で、無料の刻みねぎや揚げ玉を丼からこぼれ落ちんばかりに山盛りに乗せている人。あまりに貧乏臭くて目をそむけたくなります。また、食べ物関係でいうと、食べ放題の店で何を食べるとかそんなこと全く関係なく、いかに元を取るか、ということしか考えてない人。またそれを武勇伝みたいに人に自慢げに語って聞かせる人。馬鹿じゃねーのと思わず口に出かかります。
自分も知らず知らずのうちに似たようなことをしてしまっているかも知れません。もって他山の石と致します。
また、本書が自分の敬愛する山口瞳氏によって世に送り出されたことも一言申し添えておきます。