敏翁のシルバー談義

敏翁の興味のスパンは広いのですが、最近は健康談義から大型TVを含むITと「カラオケ」「珈琲」にシフトしています。

クシシュトフ・キェシロフスキ

2010-06-16 19:29:53 | テレビ/メディア
ここのところ、クリント・イーストウッドとクエンティン・タランティーノについて
 触れてみました。
 さて、クシシュトフ・キェシロフスキと言っても、よほどの映画好きでない限り知らない人が多い
 のではないでしょうか。
 私も、金獅子賞のリストで始めて彼の名を知ったのです。

 『クシシュトフ・キェシロフスキ(Krzysztof Kie?lowski, 1941年6月27日 - 1996年3月13日)
はポーランドのワルシャワ出身の映画監督である。
ロマン・ポランスキー、アンジェイ・ワイダなどを輩出しているポーランドの名門ウッチ映画
大学を卒業。短編のドキュメンタリー映画の製作から始めた。
代表作は全10話からなるTVシリーズ「デカローグ」1988年-1989年と最終作となった
三部作「トリコロール」1993年-1994年である。』

「トリコロール」製作後、映画監督引退宣言。演劇学校で新人俳優の指導に当たるが、
1995年に映画監督復帰宣言。ダンテの「神曲」をモチーフにした「天国編」「地獄編」
「煉獄編」三部作の脚本に取り掛かっていた最中、心臓発作にて死去。

 なお2002年、三部作の脚本の完成部分「天国編」がトム・ティクヴァ監督により
「ヘヴン」として映画化された。2005年、「地獄編」がダニス・タノヴィッチによって
「美しき運命の傷痕」として映画化された。』(ウィキペデイア)


 彼は若死してしまいましたが、野心家だったと思います。
 「トリコロール」三部作で、世界三大映画祭の賞を狙ったのです。
 第一作の「トリコロール/青の愛」 (Trois Couleurs: Bleu) 1993年
で1993年9月の第50回ヴェネチア国際映画祭の、最高賞である金獅子賞のほか女優賞
(ジュリエット・ビノシュ)と撮影賞を受賞しました。

 また第二作の「トリコロール/白の愛」 (Trois couleurs: Blanc)1994年で
1994年2月の第44回ベルリン国際映画祭では監督賞を受賞しました。

 しかし第三作の「トリコロール/赤の愛」 (Trois Couleurs: Rouge) 1994年
は、1994年5月の第47回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門にて上映され
ましたが、カンヌ国際映画祭では無冠に終わったのです。
 多分あまりに意図的な狙いに反発が出たのではないかと想像しています。
 しかし総体的にはこの映画が一番評判が高いという事です。
 それは、本作は、第67回(1994年度)アカデミー賞で、監督・脚本・撮影の3部門
にノミネートされた事からも分かります。


 上記三作は全く別の話ですが、第三作のフィナーレ、ドーヴァー海峡のフェリーが
嵐で転覆し、1000名を超える乗客中生存者は10名程度だったのですが、
その生存者の殆どが、三作各々の主役だったという不思議な話になっている
事には賛否両論がある様です。
 私にもこの事により、監督が何を表現しようとしていたのか、良くわかりません。

 また彼の最後の企画が、ダンテの「神曲」をモチーフにした三部作と言うのも
野心家としての面目躍如たるものがありそうです。

 ところで、その「美しき運命の傷痕」(原題は単に「地獄」)の中に
「運命」と「偶然」に関する議論が出てきます。
 このあたりに「トリコロール」フィナーレの意味を解く鍵があるように
 思えてなりません。


 ウェブにある各タイトルのレビューは殆ど読んでいますが、ユニークで且つ長文
 のものを以下に集めてみました。
 (何時も利用しているウィキペディア、allcinema とかgoo映画は意識的に避けてあります)

 これらに一通り目を通せば、クシシュトフ・キェシロフスキ映画の全貌が、
 分かるのではないかと思います。

 ①「トリコロール/青の愛」

 ②「トリコロール/白の愛」

 ③
「トリコロール/赤の愛」


 ④「ヘヴン」

 ⑤「美しき運命の傷痕」