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アメリカ人の意識の変化と日本人

2018-10-03 10:27:42 | 日記
  19世紀はアメリカの捕鯨の全盛期であった。そのため、西部開拓の延長みたいに、太平洋を捕鯨船が西へと進み、ついには、我が日本にまで到達し、開国の要因になったほどだ。


   捕鯨目的も、機械類を動かす油を搾り取るため。クジラに対して愛情どころか、その肉も食べずに、海に捨てていた。日本人の感覚からすれば、「もったいない(mottainai)」に当たるし、クジラを単なる油を生み出す物質にしか見ていなかったわけだ。何もクジラに限らず、当時のアメリカ人たちは(犬や猫など以外の)全動物の命の尊さに気が付かなかったかもしれない。


   それから100年たった20世紀後半のアメリカ。石油文明が全盛になり、捕鯨の必要もなくなり、クジラは家族を作り、仲間内で話みたいな事もしている事が科学的に明らかになり、むしろ、捕鯨は禁止された。でも、牛や豚などは、相変らず食肉を生み出す存在としか見られなかったし、その食肉解体は黒人などの被差別民に押し付けられていた。高校1年の時、社会科の授業でもその事を僕も先生から教えられていたわけである。イヤな仕事は黒人に押し付けて、自分たちはグルメを求める多くのアメリカの白人は何なのかと、高校生だった当時の僕も変に感じたわけだ。でも、その代り、白人たちは肥満、高血圧症、糖尿病、痛風などのグルメからの病気や体の不調に襲われる例が多く、また、グルメの快楽も刹那的で、心は満たされない。それゆえ、かえって不幸になる例も非常に多いわけである。1970年代の日本はまだ「今のアメリカは明日の日本」と言われていた時期だから、高校生だった僕も「うまい物を食べて、楽しく過ごす」という世間の幸福の常識はウソではないかと思うようになった。後年知るに、僕の同世代では、そのような価値観への疑問や反発を持った人たちも多かったようである。

  そして、近年はアメリカで「ヴィーガン」という豆から人造肉を作り出し、少しずつ広まっているそうだ。広めたり、獣肉を止めて、それに切り替えた人たちの意見も様々である。健康上の理由からそうしている人たちもいれば、動物の命や意識を尊重し、殺しは悪いと思い、そうしている人たちもいるわけである。「健康上の理由」の人たちも、自分に限定されているものの、命尊重には違いなく、その尊重の気持ちは他の人や動物の意識尊重につながっていくものである。狭いと僕は思わない。

  やはり、仏教は人類の他、全生物の命を尊重し、菜食を勧めているが、ヴィーガン広めをしている人たちの発想はそれに通じるわけであり、高度な精神性も僕には見えるわけだ。19世紀は捕鯨、20世紀はグルメと肉食を極めた社会のアメリカという国から、仏教にも通じるものが出たのは興味深い。そう言えば、お釈迦様も王子として生まれ、子供の時は贅沢三昧の暮らしだったが、幸福ではなかったと言われている。それと似た現象が国レベルでアメリカで起きているのかもしれない。
  ならば、我が日本人は?と思ってしまう。明治以降、欧米から資本主義を導入し、強兵政策ももたらされた。後者は敗戦でその夢から覚めたようだが、戦後も相変わらず資本主義の夢を求め続け、年を追う度にグルメ追及にもなり、そのようなテレビ番組も増えていった。1989年のバブル崩壊で夢から覚めても良さそうだったが、相変らず、多くの人は覚めず、日本流ヴィーガン開発はまだ行われていない。東日本大震災の後の助け合いで社会は変わるかと思えたが、根本的には変わらなかったようである。そして、相模原の障碍者多数虐殺事件さえも起きている。それも犯人の他、物質主義で、命や意識を軽視する今の日本社会の発想に大きな根があるはずだし。日本社会は中世は親鸞上人などを生みだすなど、元々高い精神性を持っている社会である。いつかは目覚めると僕は思うが...。
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