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身障者などの差別を滅する方法の一つ

2018-12-27 11:52:39 | 日記
  身障者も、健全者も、ハンセン氏病元患者も、自分も皆も死ぬ身である事を心の底から自覚し合う事である。確かに、火葬もされ、遺灰になれば、身体障碍者も、知的障碍者も、ハンセン氏病元患者も、力士も、健康な人も、金持ちもないからね。以上のその他の障碍者や、諸々の日本のマイノリティたちも同じである。死に神は平等に取りつく。時期が早いか遅いかだけの問題で。人間は皆朽ちていく弱い存在である。最近も横綱だった千代の富士が他界されたわけだし。かつては力強く相手を投げ飛ばした大横綱も、死ぬ身であった。


  「弱さ」を自覚し合えば、皆同じ弱い人間である事を悟り合い、そこから連帯意識も生まれ、気持ちの細やかな察し合いも行われ、共に生きるという発想にもなる。真の友人関係、真の恋愛や結婚は勿論、共に生き合う福祉社会にもなる。いわゆる「健全者は障碍やハンセン氏病後遺症を持つ人よりも強いから、助けてあげる」とか、そのようなものではなく。旧友のボランティアたちも「助けてあげる方式は差別的でおかしい」と気が付いたが、では、どのような発想が良いのかと考え付かず、悩んだ人たちも多かったわけである。接した身障者やハンセン氏病元患者たちも以上には気が付かなかった。それらの間の壁は高く、付き合いさえもできなかった。更には、身障者同士も同様で、独り言ばかりの言い合い、ある身障会ではケンカもあり、バラバラになっていった。僕も「死」絡みの伊藤まつさんの他の元患者とは付き合えなかった。彼らも死ぬ事を自覚していなかったから。それでハンセン氏病差別の事を話してきたわけだから、僕も訳が判らなくなり、付き合いを止めた例もあった。今思えば、「死ねば、元患者も、脳性まひ者もない」と言えば良かったわけだが。

   勿論、身障者関係で深刻化している身障者への恋愛・結婚差別解消にもつながると思う。大体、死ぬ身である事を自覚しなければ、自分が愛しいとも思えず、ましてや、異性が本当に愛しくなるね訳もないのである。せいぜい顔とか肉体に魅かれるくらいで。又は、寂しいから慰めを求めるエゴとか。それらは恋愛でも何でもないわけだ。そうではなく、死の自覚からの連帯意識がつなぎになれば、男女も簡単に恋愛ができるし、その中に障碍を持つ人たちも自然に入るわけである。それは理想論でも何でもない。むしろ、「死」という現実から出発する事。それを今の日本人は忘れている。現実主義的でもない訳である。真の福祉も「死」から始まるわけである。
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