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伊藤まつさんとの縁は、「死の絆」であった

2018-12-25 15:15:18 | 日記
  1977年夏の全生園。訪問して、元患者のご高齢の伊藤まつさんに初めて会った。向こうも言語障碍や身体緊張を伴う脳性まひを持つ僕には驚いたが、この僕もまつさんの姿を見て、得体が知れない感慨が湧いた。まず、その場面を少しだけ再現しよう。


  ご高齢・小学生並みの体格・非常な虚弱体質。これがまつさんの持っていた身体であった。当時の僕もその姿に「死」を痛感したわけである。体の弱い人たちとはそれまでも出会ってきたが、それとも明らかに違うものである。身長も130センチ以下。後で聞いたが、体重は25キロくらい。小柄な僕でさえ40キロはあるのに。そのまつさんから人伝手に「来てね」と言われた。僕は理屈抜きで、「いつ死んでもおかしくないな」と思い、後日、ひらがな電動タイプライターで葉書に「僕を本当の孫だと思って下さい。僕も本当のおばあちゃんだと思うから」と書いてしまった。まるで吸引機に引き込まれるように。


  詳しい途中経過はここでは省くが、別に仕事ではないからいつやめても構わない所だったが、「死ねば会えなくなる」という意識が僕をずっと行かせた。又、まつさんもそのように強く思い、「死ぬまで来てね」といつも言っていた。本当にそのお葬式まで、学生などのボランティアの人に送迎介護を頼み、行っていた。でも、僕はそれでも自分は死ぬ身である事を意識できなかったから、僕自身の死は当時は意識できなかった。

  最近、知人の訃報を目にした。まだ若い方である。僕よりも先に天国に行った事がショックに想い、更には、僕も死に行く身である事を訃報から悟らされ、死をこれまでになく強く意識した。そうしたら、以上の通りの伊藤まつさんとの出会いからお葬式までのフルセットを鮮やかに思い出し、書けるまでになった。更には、表題通りのものが行き続けた理由だった事も悟った。人間は誰も死に行く弱い存在。若き日の僕はまつさんのその弱さの他、はっきりとは気が付かなかったが、自分も同じ弱さを持っている事を無意識的にはすでに悟っていたのかもしれない。でも、死が遠い世の現代だから、はっきりとは意識できなかっただけで。因みに、まつさんの事を思い出せたのは、その訃報の効果の一部に過ぎない。死を意識すれば、他人の声にも鋭敏に傾けられるようになったわけであるが、それを話せば切りがないので、省略する。

  また、以上からも日本本来の「生死一如」の文化は素晴らしいものである事も判るわけである。

  尚、僕が出会った他の元患者たちはそのような事はなかった。力持ちの元患者も二人見ているし。僕をネコみたいに軽々担ぎ上げた中年元患者もいた。ある友人は、まつさんの写真を見て、別の難病も持っていたと指摘してくれた。医者の友人たちには報告するが、僕は医者ではないし、無責任にもなってはいけないので、公には書かないわけである。慣れない事はしない方が良い。

  まつさんの事はこれからは随筆形式で時々書いていきたい。まつさんの事は、小説ではなく、随筆の方がうまく書ける気がするからだ。シマハタとは根が違う問題であるわけだし。但し、まるっきり違うわけでもない。シマハタの人たちも、「死を見つめる事」が足りなかったようだ。明治以降の日本人の悲しい特徴。死を消すと、結ぶものはなくなり、悲しくなるのかもしれない。とにかく、死を見つめる事から愛は始まるわけだから...。
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