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高齢者恋愛を改めて想う

2018-12-31 11:50:14 | 日記
  少し前、話のついでにその問題を少しだけ述べた。そうしたら、投稿先の一つのフェイスブックの福祉関係コミニティで鋭い反応が多くあり、僕も驚いたほどです。その理由などを改めて考えています。


  一つには、死の問題があると。自分が死ぬ事を実感すれば、自分が愛しくなり、その延長で他人も愛しくなるからです。結果的に恋愛も。現代社会は死人を余り見掛けないため、高齢になるまで、自分の死も実感できない人が多くなっているわけですね。

  更に突き詰めれば、以上で感受性が強まるわけですが、人間の恋愛の本質も感受性だからです。他人、特に異性の心を、当人も気が付かない内に受け止めてしまう。多くの小説にもその様子は描かれています。その感受性も同じ人物でも、強まったり、弱まったりもする。島崎藤村の自伝的小説である「春」には、自分の道選択の悩みなどで感受性が強まった後、恋愛した経験が描かれているわけです。親友(=作家の青木透谷)の自死の後も同様でしたし。その他にも、夏目漱石の「心」とか。実際の人物でも、結核で死を意識したショパンの例とか。僕も感受性が高まった時に恋愛した事が昔にありましたし。逆に、感受性が鈍くなった時はいくら異性と出会っても、恋愛は生れない。生存本能主体の動物の恋愛とは違うわけです。従って、高齢者たちも感受性が強まれば、恋愛するのも当然でしょう。

  今は性的な事など、何かの魅力が恋愛の根だと思う人が多いようですが、それは違うようです。感受性の事が注目されていない状況が社会にあれば、今の日本の非恋化も当然でしょう。感受性の判らない人たちが高齢者福祉関係の何らかの仕事に就き、高齢者の恋愛の場を見ても、まともな対応ができるのか。問題です。更には、恋愛できるだけ、感受性が強まっている高齢者ならば、何かの理由で好き合った人同士を引き離すような事があれば、当人はウツにもなりかねないわけで、それも心配な事です。

  因みに、結婚については、この文ではあえて述べません。財産とか、ご家族など、別な要素も入るから、別の機会に述べる必要があるわけです。

  難しい事かもしれませんが、高齢者以外の人たちも何らかの理由で感受性が強まれば、恋愛も多くなり、非恋社会は変わると思います。そうしたら、日本も活気が生まれます。よく「性的な事など、恋愛は魅力で生まれる」と聞きますが、そうでしょうか。今の僕には疑問に思います。何かの魅力で結婚した人たちに離婚が非常に多いからです。何だと。魅力の有無を越えたものが愛だし、別の見方をすれば、人間は心があるから皆魅力的だとも言えるわけです。魅力的でない人は麻原やヒットラーくらいで。

  それから、昔、僕は多磨全生園という国立ハンセン氏病療養所に行きましたが、その多くのサポーターから「恋愛もできないような人たちは、療養所には来るな」という話を聞きました。今思うと、元患者相手の交友にも、「感受性」は欠かせないからだと思います。関係あると思います。確かに、感受性が鈍ければ、人の痛みも判らないから、無意識的に人を差別もしますよ。

  もう一つ。感受性は政治にも絡む事は言うまでもありません。感受性の鈍い政治家は、民の声も聞けず、ろくな事をしないからです。歴史には例が多くありますね。

  以上です。「感受性」の問題も改めて書く必要があるかと思います。
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