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かつての日本の受験競争とその後遺症だと思われる事

2019-01-10 14:04:06 | 日記
  今年も一次試験入試が近付いてきた。でも、新聞やテレビも受験の問題は今は余り報道していないように見えます。日本国民の関心も低くなっています。でも、1960、70年代は「受験戦争」という言葉も現れたほど、社会問題化しました。まず、中学の勉強の目的は高校受験。高校の勉強の目的は大学受験になっていたわけです。その高校や大学にもランク付けがあり、ランクの少しでも高い高校や大学に入ろうと、中学生・高校生たちの多くはしのぎを削りました。


  高校や大学の入試は今は論文式が増えていますが、昔はそのようなものはなく、〇×式や、簡単に「○○だから、そうである」という短絡的な書き方が多かったわけです。僕は身障の関係で受験経験はないですが、そのような人たちでも受験問題はよく知り、僕の行っていた光明養護学校でも、先生や生徒が「あのようなものは回答とも言えないし、受験勉強も勉強ではない」と批判もしていました。

  その後、同世代や近世代の受験を経験した人たちと付き合いましたが、個人差はありますが、中には脈絡のない話し方ばかりしたり、他人と付き合えなかったり、まるで受験勉強のように、ボランティア活動を「しなければならない」という感覚でしたりする人をたくさん目にしました。例えば、たびたび話しているS園の職員たちも「園児たちに関わりたい」という気持ちが根にあるし、そのような気持ちがなければ福祉関係も続かないのに、「行かなければならない」という気持ちで行った。当然、力みも入り、続きませんね。それ故に中途半端に止めてしまい、後は落ち込むだけ。そのような例もかなり見てきましたし、ある友人からは「そのような例が多く、深刻だった」とも聞きました。同様な感覚で会社勤めもして、ムリして病気になった例とか、僕の縁者ではないですが、それで30歳くらいで亡くなられた人もいたそうです。僕の見た所では女性が多かったですが、男性にも見られ、僕ともある所でトラブルも起こしています。

  今の僕が推察するに、受験後遺症で情緒障碍や解離性障碍を持つに至ったと。そう考えると理にかないます。但し、40年くらい前は情緒障碍の事は知られていなかったし、解離性障碍についてはその名前さえも現れていなかったわけだから、以上の例も「変人だから」で済まされたのかもしれません。40年前は東京では、ボランティアと身障者のケンカも多発しましたが、その理由の一つも以上だったかもしれないと今の僕は気が付いています。社会人になっても、他人とうまく付き合えない、男女交際もできず、結婚どころではない人たちもいるなど、後遺症はずっと続いています。

  以上、事実経過は書きました。しかし、受験競争の原因については僕が書けるような問題ではないから、書きません。ある教師は「資本主義のせい」とか言っていましたが、確かに関係はあるかもしれませんが、他の資本主義国ではそのような事はないし、説明にはなりませんね。理由は沢山あるはずです。まだ我々の知らない事も理由の一つにあるかもしれないし。

  大事な事は、「忘れない」事ですね。オウム真理教や第二次世界大戦の事は今も人々も、マスコミも話題にしますが、どうも以上の事は忘れられた感があると思います。ゆとり教育で、問題が解決したわけでもないでしょうに。

  入試の時期でもあり、又、僕も以上だと思われる複数の人達ともトラブルを起こしたため、書いたわけです。
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