トシコロのありのままの暮らし


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島田を訪問したお陰で、僕は聴障問題も知る事ができました

2019-10-25 15:03:47 | 日記
 聴障を持つK氏の島田への反応が他の人たちと大きく違っていたので、非常に時間を掛けて理由を考えていった結果、恐らくは聴障者たちも気が付いていないだろう、問題に気が付いたわけです。「視覚だけの認知」ならば、本当に物理的な理解しかできないという。昔の僕も思いがけない事でしたが、この面でも島田に行って良かったわけです。


  島田抜きならば、どうなっていたかね。例えば、ハイキングやキャンプなどの親睦会ならば。僕も気が付かなかったと思います。確かに、その時でも、K氏は僕に対して物理的な見方しかできなかったでしょうが、それだけならば、僕も単に身障差別としか思わなかったはずです。それで非常に早くに氏を忘れたと思います。

   島田以外の場では、K氏は聴障者の悲惨な状況ばかり言って、その理解ができない健聴者たちと関係も良くなかったそうです。何分、氏は人の話はよく聞かず、悲惨な話を一方的に話すだけだったと人から聞いています。怒った人もいたとか。でも、それも仕方ないと思います。氏も元々他人の話を聞く習慣はない上に、聴障者の悲惨な状況は彼の聴障者の多くの先輩たちからたくさん聞いて、知っているから。人間扱いされず、人権が無視されているという。


   ある人は「一緒にK氏と遊ぶ・親睦・仲よくすれば、問題は解決する」とか言っていた。そうしてもどうにもならなかったと。K氏は日本全国の聴障者の事を考えていたから。その中の数少ない大学生だから、尚更、強く考え、悲惨な状況を一生懸命訴えようとしたわけです。氏は遊びたいとか、仲良くしたいとは全然思わなかった。丁度、今のクルド難民たちが遊びや親睦どころではないように。日本人も第二次大戦後の食糧難の時期はそうでしたね。それだけ根が深い問題が聴障関係にはあり、K氏もその重荷を背負っていたわけです。

   K氏も一緒だった福祉会は、それから会員たちは友情志向が更に強まり、福祉やボランティアの看板を降ろしましたが、K氏は友情志向も全然持たず、そのまま早く止めました。「友人・友情とは何か」も非常に難しく、簡単には答えは出ませんが、聴障者問題も友人になるレベルでは解決はできない問題でしょう。もっとも、それは脳性まひやハンセン氏病などの他の問題にも言えますね。高齢者介護にも。更には、健全者同士も友人間で悩みを話し合ってもどうにもならない例が多い。付き合えば付き合うほど、エゴが激突し、激しいケンカにもなる例も多い。僕も子供の時からよく知っています。更には、別のテーマで書く事ですが、単なる友人間では付き合う事に余りエネルギーを出せないのに、恋愛感情を持つ相手には付き合いに強いエネルギーを傾ける人たちが多い。かなりの人たちが経験していますね。友人間のエネルギーは非常に弱いと思います。ならば、ただでさえK氏を会員にする事が難しかったのに、福祉の看板も降ろし、交友目的にした以上、更にK氏は居所がなく、会から出ていったわけですね。K氏の消息は僕にも判りません。

聴障を持つK氏の島田療育園訪問と、世間の非常に強い聴障差別

2019-10-25 10:53:38 | 日記
 一緒に島田に行った人の中に、先天性聴障を持つK氏がいた。彼は頭が良く、1977年当時は大学生。今でもそうかもしれないが、当時は聴障を持つ大学生は稀だった。手の障碍を持つ僕は手話ができないので、氏との直接の意志疎通は難しかったが、人伝手に聞いた所、島田療育園の園生たちや僕に対して、以下の事を述べ、ボランティア仲間から怒られたそうだ。


  「島田園生などは手足が動かず、かわいそう。オレは耳だけ不自由だから、恵まれている。だから、手足の動かない人たちには介護して、助けてあげるのだ」。


   「差別的だ」と怒った島田訪問者もいた。当然、僕含む、同行者仲間と話が合わず、氏は早く島田を止めた。...。

   後年の僕は気が付いたが、以上は氏が「聞こえないから」ではなかったか。同行者たちはそこに行き、職員や園生たちの話を徹底的に聞いたり、言葉にならない叫びも聞いて、細かく島田の事を聞いて知っていった。その中でも、特に僕は人一倍、「聞いた」。

   でも、本当に聞こえなければ、どうなるだろうか。誰でも簡単に察しが付くではないか。本当に「手足まひ」という物理的な様子しか判らないわけである。例えば、TV番組を音声を消して見ても、そうなるわけだし。それと同じである。以上の反応になるのも、耳の聞こえない方としては当然である。K氏は僕にも以上の見方をしたが、身障者差別には当たらないと僕は見ている。因みに、盲人が行った場合は、見えなくても、彼らの声を聞いて判るはずだ。「聞く」事に集中できるから、目が見える人たちよりもよく判ると僕は見ている。もし、僕が盲人ならば、島田小説も極めて早い時期に書けたと推察もしているわけだ。聴障と視覚障害は根本的に違うと思われる。

   「聞こえない」ゆえに、周囲の人々の微妙な状況や気持ちを察する・理解できず、物理的な見方しかできず、「冷たい奴だ」と思われ、嫌われたり、除け者にされる事は世間には極めて多いはずだ。耳が聞こえる人たちもそこまでは突っ込んで考える人は少ないわけだし、更に厄介な事は、先天性聴障者たちは聞える人になった事はないわけだから、自らもその件にも気が付かない。啓蒙運動もできないわけである。僕も聴障関係については、世間の差別的な話ばかりが聞こえてくるが、こんなメカニズムがあるようである。また、それ故に聴障児への教育は難しく、大学進学率も低いわけである。統合教育が進んだ今も、耳の聞こえない子供たちは聴覚支援校に行く例が非常に多いわけだし。TVでその様子も見た事がある。

  学校卒業後はいったんは世間に出ても、多くの人達の不理解で差別され、又、「手話」という特別な言語の結びもあるから、彼らは聴障者だけの世界を作っているようである。世間で差別されたトラウマを手話や筆談で話し合い、慰め合って。手塚治虫の鉄腕アトムの中に、世間で差別されたロボットたちが国を作る「ロボット王国」というものがあるが、TVでそのような人たちの姿を見ると、そのロボット王国を思い出し、僕も悲しくなるわけです。共生策はないものでしょうか。皆様もお考え下さい。