トシコロのありのままの暮らし


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韓国歴史ドラマ「百済の王・クンチョンゴワン」を見て

2015-11-26 11:32:46 | 日記



  クンチョンゴワンは漢字で書けば「近肖古王」になります。名前をヨグ。生まれた年は不明だそうですが、4世紀の人です。百済(ペクチェ)第5王子として生まれましたが、若い時、戦で、父王から命令されないのに、敵国の高句麗の王のサユに矢を放ったため、父王が怒り、王室からいったん追放され、塩商人になり、中国大陸にも渡りますが、それで財力を蓄え、又、世間の中の駆け引きも学び、百済に戻り、王室に返り咲き、様々な抗争の後、第13代百済王になり、しっかり国を統治し、小国が乱立していた東隣の地も平定し、朝鮮半島南部を支配し、北方の高句麗と対峙するところで、崩御してドラマは終わっています。貴族との娘の恋物語も描かれていました。

  僕が注目したのは、倭(=日本の地)の中のヤマトという国との関係です。当時の日本は西部では、小国が乱立し、争っていました。東日本や北日本はまだ原始生活に近い状態だったようです。その西日本の中の一つの小国の「ヤマト」が王族の姫を百済に遣わして、交流を求める場面が出てきます。ヤマトという国は当時の先進国である百済の農業技術や剣、戦のやり方などを貪欲に学び、取り入れようとするわけですね。そのお陰で、ヤマトは次第に力を付けて西日本を次第に統一し、後の「日本」になったわけです。百済などがなければ、日本なる国もできていなかった事になる。百済という国はそれからかなり経て、唐と新羅に滅ぼされますが、日本に文明や文化を伝えた古代の先進国として、朝鮮や中国の文化を尊敬すべきだと思います。(「朝鮮」という名前ですが、歴史を書く時はその名を使うべきだと思います。韓国は20世紀にできた国であり、歴史を述べる時は使えないと思いますが)

  因みに、西洋を見ると、近代に栄えたヨーロッパ文明の素材はかなりがサラセン帝国=イスラム文明から入りました。イスラムなしには、ヨーロッパの近代の栄はありません。このように、戦争や植民地化という不幸な事はたくさんありますが、大昔から世界は共生してきた事を全ての国の人たちは忘れてはならないわけです。その文化交流の事も思い出し、これからヨーロッパと中東諸国が平和になってほしいと思います。