レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

ナゴヤ南街ひとり日誌(18-1)- 二十二年ぶりの名古屋

2018-04-22 03:00:00 | 日記
札幌から少し南へ下り、名古屋へやってきました。新千歳から中部国際空港へ直接行くことは可能ですが、そうすると大きな旅行トランクをずっと引いて歩くことになります。だったら、トランクは東京駅へ置いて身軽に行ったほうがいい、と思い、羽田、東京駅を経由して行くことにしました。それに、二十年以上も新幹線にご無沙汰だったので、新幹線に乗るのも楽しみだったのです。

なぜ名古屋へ行ったかと言うと、私はアイスランドへ移る直前の四年間のうち、三年近くを名古屋で過ごしていたからなんです。

牧師になるための教育を授けるために「神学校」と言う学校があります。その神学校の必須科目?に実習教育があり、神学生は七ヶ月ほどを指定された教会へ出向いて、指導牧師の下で実習教育を受けるわけです。

今では変わったかもしれませんが、私が実習教育を受けた頃は、学生は全国各地の教会へ派遣されましたので、実習期間は当該教会のある場所でアパートを借りての「単身赴任」となるのが普通でした。

それで私が送られたのが名古屋の南区にある恵教会でした。そこの「博識、雄弁、落語好き、酒好き、バイク好き」の愉快な牧師先生のもとで訓練を受けたのです。

実習生を迎える教会というのは、ある程度しっかりした教会でなければならなのですが、この恵教会もしっかりとしたメンバーが揃っている教会で、実習生活は楽しく、かつ実りのあるものになりました。

この実習期間中に「昭和」から「平成」に時代が変わりました。ということは、もう三十年も前のことになるわけです。必然的に、またまた老人の昔話し的要素は強くなりますがご容赦!




今は新会堂となっている名古屋めぐみ教会


恵教会での実習を、なりたて平成元年の春に終えた私は、一年後に同じ名古屋の南区にある柴田教会に新米牧師として赴任しました。恵教会の隣りの小さな教会です。

この教会のあるところは、決して綺麗な街ではありませんでしたが、下町気質というか、住んでいる人たちはとても親切で人なつこい雰囲気でした。教会のそばの交差点のはす向かいに、「ユニー」という大きなスーパーがありました。地下が食品フロアーで、そこの肉屋さん(関脇のような息子と小さなお母さんで切り盛りしていました)で、よくレバー(マトン?)とニンニクの芽の味付きの「焼けば即食べられる」ものを買いました。すると200グラム買えば250、300買えば350と、いつもおまけしてくれるんですよ。薄給の牧師さんとしてはありがたい限りでした。

町中そんな感じで、新米牧師としての生活は、いろいろ学ぶ毎日であると共に楽しいものだったと思います。

ですが家庭の事情で、二年後にはそこを辞して、アイスランドへと移ることになったわけです。

アイスランドへ移ってからは、そこでの新生活を確立することに奔走する毎日となり、それほど日本の方々と連絡を密にすることはできなってしまいました。正直言って、時間がなかったというよりは、日本のことを振り返っている余裕がなかった、と言った方が正解です。

アイスランドへ移ってから四年後、一度だけ柴田教会を訪問する機会がありましたが、それ以後二十二年間、名古屋へはご無沙汰してしまったのでした。

その間も実習を受けた恵教会の女性会(普通は「婦人会」というのですが、恵教会ではなぜか「女性会」といいます)の皆さんからは、クリスマスカードの寄せ書き等を毎年いただいてきました。

こちらから出したのは「一二回あるかなあ...?」という程度で、まことに怠慢かつ失礼な限りです。

ちょっとだけ言い訳しますと、十年ほど前に、両親が八王子から札幌へ引っ越したため、私も帰省の際には東京をスキップして札幌へ行くようになりました。そうしますとね、なかなか遠いのです、名古屋は。

東京なら、まだ「寄って行こう」が可能ですが、名古屋は相当の目的がない限り「遠い」のでした。

ですが、今回の帰省を計画していた時に、突如、林修先生のような「天の声」が降ってきて「名古屋、今行かなきゃ、行く時ないでしょ?」と言うのです。そうですよね、今時、名古屋は東京からわずか1時間40分の距離ですからね。

正直言うとそれだけではなく、「ヒルナンデス」で東海道五十三次を自転車で辿る、という企画をやっていて、その中で名古屋も当然出てきたのです。それも住んでいた近場の笠寺観音とか。それを見て、名古屋を懐かしく思ってしまったわけです。

名古屋では楽しくのんびり過ごしていたので、気に入っていた土地でしたし、こうなるとノスタルジ〜!です。

というわけで、今回一路東京から名古屋へ。新幹線に乗り込むのはなんと二十二年ぶり、前回柴田教会を訪問して以来のことになります。




なんと、新幹線も二十二年ぶり!


別に新幹線自体には驚くような変化はなかったのですが、自分で簡単に指定座席まで自動切符売り場で買えるとは便利ですね。席も自分で簡単に選べるし。

ただ改めて?驚いたのは新幹線の本数の多さです。山手線並にひっきりなしに出てますね、新幹線。一体、いっときに何本の新幹線が走行しているのでしょうか?あっぱれJR。

さて名古屋に着いたのは夕方でしたが、名古屋駅で早速迷いました。もともと名古屋にいた頃も、名古屋駅周辺にはあまり縁がなく、駅に着くとすぐに名鉄へ走って行ったものなので、あまり記憶がございません。

さらに、二十年以上の間の発展がありますので、いったいどこがどこやら。で、普段はあまりしないことをしました。駅前のセブンイレブンでお買い物をし、ついでに店員さんにホテルの地図を見せて「スミマセン。ココニ、イクニハ、ドウシタライイデスカ?」

するとわざわざ店長さんがお出ましになって、店の前まで出てきてくれて丁寧に教えてくれました。名古屋駅太閤口正面のセブンイレブンの店長さん、ありがとうございました。都会での親切をとりわけ嬉しく思いましたよ。

早速その晩は、恵教会で三十年前にお世話になった方々三人と現在の牧師さんにと共に、「しんちゃん」という庶民の焼き鳥屋さんへ行き一献傾けました。

恵教会の三人の方々は、それぞれに三十年分老けていましたが(当然私も)、それ以外には特に変化なし。現牧師のH先生は、実は同じ頃に神学校にいた旧知の後輩であり、友人でもあります。大阪出身の非常に愉快な男です。

頭はだいぶ風通しが良くなったようですが、持っている雰囲気は昔のままで安心しました。笑いと暖かさがあります。

というわけで、三十年ぶりの再会は、とても気楽で遠慮のない時間で始まりました。続きは次回です。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« サッポロ北街ひとり日誌 (18-... | トップ | ナゴヤ南街ひとり日誌(18-2)-... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事