Webライターサラリーマンの論説

Webライターの40代男の雑感等。論説委員風に書きます。

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都々逸

2019-12-29 | Weblog


三千世界の烏を殺し
主と朝寝が
してみたい


長州藩の幕末の志士、
高杉晋作の作とされる。

次のように解釈するのが一般的だそうだ。

・遊郭で遊女と一夜を共にしているのに、
・朝が来たらうるさい烏の鳴き声で
 目がさめてしまう。
・烏なんぞは殺してしまって
 お前と一緒に過ごしていたい。

なんとも人間味のある言葉の連なりだ。




「令」に決まった、
今年を表す漢字一字。

どこか、趣に欠けると思うのは
気のせいだろうか。

一字に集約しようとすると
かえって窮屈になってしまっている、
そんな印象がある。

では、四字熟語ならどうか。

年末年始なら、
「心機一転」、「一期一会」、「勇猛邁進」
あたりに人気が集まりそうだ。

ただこれも、
ほんとうに自分の思いを表現出来ているか、
少しばかりの「表現の不自由」を
感じなくもない。




ならば、日本人らしく
「今年を表す俳句や短歌」を
考えてみてもいい。

また、冒頭の高杉晋作の歌は、
俳句の5・7・5でも、
短歌の5・7・5・7・7
でもなく、7・7・7・5の音を紡ぐ
都々逸(どどいつ)と言われるジャンルだ。

俳句も短歌も、すぐには浮かばない。

ましてや、都々逸ならさらに難しい。

もしこれらの公募があるならば、
「令和」だから「令」などといった
安易な応募は減るだろう。




年の瀬を迎えている。

せっかくならば、
新年に向けて都々逸に
挑戦してみるのはどうだろう。

精神的にこたえる出来事が
多く起きた2019年の私。

同時に2020年は、
反動でいい方向に激動の1年に
なるかもしれない、とも思う。

今年の苦境から来年の発展を望み、
大いに恥を忍んで、
都々逸の世界へ飛び込んでみる。



暗と陰とが
折り重なるも
蓄えたるは
希望かな

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差は大きい

2019-12-08 | Weblog


かつて、『連想ゲーム』という
テレビ番組があった。

何らかのキーワードから連想される
物事を答える。

その答えに対しては、概ね異論がない。

当時、NHKといえば、『紅白歌合戦』か
もしくは『連想ゲーム』を連想する
人も少なくなかったのではないか。




「中東」で、「日本人」が、
何らかの「活動」をする。

筆者は、この3つが揃えば
とっさに「自己責任」という言葉を
連想する。

フリージャーナリストやカメラマンが、
多くは中東の地で世界の現状を伝える。

その道中、武装勢力などに
人質として捉えられ、その映像が
我が国にも届けられる。

これを目にして、国内には「自己責任」
という言葉が広まる。

ここぞの場面で、
切り札的に使えてしまう言葉だ。




医師の中村哲さん。

アフガニスタンで農業用用水路建設で
多大な貢献を果たした。

その功績は、ガニ大統領自らが
中村さんの棺を担ぐ姿にも見てとれる。

中村さんもまた、中東での日本人による
活動だ。

ただ、「自己責任」とは言われない。

現在の上皇・上皇后様から
皇居や御所に招かれるほどの方だ。

自己責任で片付けられる立場とは
実績も信頼感もまるで違う。

そこが、決定的な差なのだろう。

あるいは、世の中の「ニーズ」に
的確に答えているかどうかも
差となっているだろう。

もちろん紆余曲折も
あったに違いないが、
中村さんはアフガニスタンの要望を汲み、
見事にこたえた。




自己責任を被せられる人々に
実績や信頼感がない
というのではない。

ただやはり、「責任」という
独特な世界を踏み外さないことも大切だ。

世界の現実をギリギリまででも
伝えることがジャーナリズムの責任。

そういうものだろう。

しかし、一方的になっていないだろうか。

無責任になっていないだろうか。

自らを危険にさらして
広く情報を集め
全てを伝えてくれることを
世間は本当に求めているだろうか。





生まれではない遠国で活動する中で、
非業の死を遂げたミュージシャンに
思いを馳せる。

自己責任を問う向きはあるだろうか。

もしあるとすれば、その理由は何だろうか。

少なくとも筆者には浮かばない。

そうした凄みが、ジョン・レノンにはある。

今日12月8日(現地時間)は
彼の命日である。
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