Webライターサラリーマンの論説

Webライターの40代男の雑感等。論説委員風に書きます。

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本音を奏でよう

2019-06-22 | Weblog


老後の資産は2,000万円必要。

お金の話が、直接自分に関わってくるとつい本音が出る。

人々が一斉に騒ぎ立てる。

過剰反応しすぎじゃないの?と、私は思います。

で、盛り上がりそうになったら今度は言い出しっぺが
急に店じまい。

国民も、盛り上がるに盛り上がり切れないもどかしさ。

本音で騒げるはずが、騒げない。



「ハーフの子を産みたい方に」

呉服店のポスターに使われたこの言葉。

ここへ来て炎上騒ぎ。

「ハーフの大変さをわかってるのか」
「子供に見た目の良さを求めたいのか」

あれこれと、本音らしき反応が飛び交う。

なんでだろう。

「ハーフ」という言葉の字面とか世間のイメージに、
私たちは慣れていない。

その分つい過剰反応している感じなのかな。

少なくとも日本国内は、多様性を尊重する世の中。

であれば、このポスターの中の、
「ハーフ」に対しても寛容に接しようとなっても
おかしくないのにね。

本音は、時と場合によって出方がいろいろだし、
生かし方も難しいのかなと思います。



「もうここに来ることはないんだろうなあ」。

先日私は、長年仕事場にしてきた会社のビルを見上げました。

「ありがとう〇〇(私の会社の名前)」。

人には聞き取れない程度の大きさで、
無意識に口をついて出ました。

「あれ?俺ちゃんとこんな風に思えてたんだな。」

長年病気もしてものすごく苦しかったけど、
いろんな仕事をさせてもらえた。

その思いは強いです。

その思いから出てきた言葉。

表面的には飾れても、奥底で流れるものは
やっぱりごまかせない。

ごまかす必要もないし、むしろごまかしちゃいけない。



幸い、自分が置かれた人生の転機において
私は本音というものの良さや美しさを感じています。

人それぞれに、心の奥底に本音をちゃんと持っていること、
それを時々であっても表現できること。

向かう先がどこであれ、私たちは本音の大切さを
もっと身近に感じた方がいいのかもしれない。



本当の「音」と書いて「本音」。

その音を、いかに奏でられるか。

そんな風に、「音」を味わいたいものですね。
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自衛しよう

2019-06-09 | Weblog

時々利用するサイトに、『コトバンク』がある。
https://kotobank.jp/

用語の意味を調べることが出来る。

その中で、「疲れ」について面白い表記がある。
(以下、①~④は同サイトからの引用)



『精選版 日本国語大辞典の解説』に、
「疲れ」とか「疲」という言葉の意味についてこう書かれている。


① 疲れること。くたびれること。疲労。

② 弱ること。困窮すること。疲弊すること。また、飢えること。

これは、一般的な意味として納得できる。

面白いのは次の表記だ。

③掛物に多数の小じわが生じていること。

④ 固体材料に弾性限界より小さな力を加えても、
 それが繰り返し行なわれると、ついには破壊する現象。
 力の一部により結晶内部の分子や原子の配列が乱れ、
 その乱れが蓄積されることによって起こる。疲労。
 〔電気工学ポケットブック(1928)〕




この土日、疲れが強く睡眠時間が増えた。

疲れ切って、憂鬱になり、被害妄想気味になり、
何事も諦めたり投げ出したくなった。

それでも、睡眠のありがたいのは
こうした状態から人を逃がしてくれることだろう。

おかげで回復し、今こうしてブログを書けている。

こうした物騒な感情に苛まれてしまうのは、
自分に「多数の小じわ」が生じている証だろう。

同時に、「ついには破壊する」、「配列が乱れ」た
ことの表れとも言える。

疲れは疲れとして、日々誰しもが味わうものだ。

ただ、その度合いの大小を意識する必要がある。

強すぎる疲れで自分で疲れを招かないように心がけたい。

それが難しければ、睡眠や休養でカバーする。



今年も早速雨が続き、気温も下がっている。

「梅雨明け」と聞くと、折角気分も晴れそうな感覚があるのに
今度は猛暑にやられる。

四季を通じて、心身ともに最も疲れを感じる季節かもしれない。

まずは、「小じわ」が出始めたことに気づけるか。

その兆候を早めに感じ取り、早めに対処する。

それが出来ないと、ひどい場合は鬱状態に陥ってしまう。

そうなると、苦しい。

簡単には抜け出せなくなる。

ブログという場を借りつつ、自分自身に言い聞かせたい。
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境地についての雑感

2019-06-06 | Weblog

テレビの中では、ブサイクだとかキモいだとか
美女と野獣とか、言われ放題の山里亮太さん。

芸人さんである山里さんが、女優さんである蒼井優さんを
懸命に支えていく感じかと思いきや、
ちゃんと逆もやっていますね。

中でも、TOKIOの国分さんとのやり取りで蒼井さんが
送ったというメッセージ。

「山里優になりました」

これ、実は結構な傑作だと思っています。

自分の幸せをPRしているようで、実は相手を立てている。

世間の関心が、自分に主に向くであろうことも
ある程度計算した上で、「主役は山里ですよ」
という意味を込めた言葉のように、私には聞こえます。



「魔性なんかじゃないですよ。そうじゃない面も知っています」

山里さんが蒼井さんについて語った言葉。

これも、すごく核心を突いていると感じます。

世間が気になっていることに敢えて触れつつ、
相手をフォローしている。

奥深いところで支えあえている関係なのかな。

きっと、お二人とも頭もいいんじゃないかな。

ともに、公私ともに恐らくはここまで紆余曲折もあったでしょう。

ある程度歳を重ねたからこそ生まれる、深い支え合い。

これからはこれからで、また新たな関係が
出来ていくんだろうと思います。



40代半ばとなり、今、結構大きな転機にある私。

時々つい、「俺は仕事にも健康にも女性にも縁がねえよな」

そんな風に思ってしまいます。

「人生ここまで、マイナスの方がでかいよな」

そうも思います。

でも、少なからず強がりも込めて言うならば、
今の自分でしか築けない人との関係が、きっとある。

今でしか出来ない挑戦も、目の前にある。

今の時期いかんで、今後の人生が大きく変わってくる。

そうも思います。



今ある自分は、これまでの自分が行き着いた境地。

これからの自分は、これからの自分が向かう未来の境地。

いずれにせよ楽なわけがないだけに、
歩み甲斐とか進み甲斐があるのかな、きっと。



はあ。。。

ほんとはもっと楽な道を歩きたかったなあ。

というのが本音です。

それもまた、今だからわかる境地でしょうかね。
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幸せの制限について

2019-06-02 | Weblog

予備校時代、講師たちからいろんなメッセージを
受取ったのを思い出す。

「一浪はひとなみ(人並み)とも読むんだよ」

「人は成長する前に一回縮むんだよ」

「箱に入れておいたノミが、何度もジャンプして
 何度も失敗するけども、いずれ飛び越えるんだよ」

挫折感のあった19歳の自分には、
響くものがあったと思う。

その中で、一番印象に残っている話がある。

「成績優秀で現役でT大に入って有名企業に入ったけど、
 どういうわけか弟を殺しちゃった知り合いがいてね」

少なからずショッキングな内容だった。



「成績優秀」で、「T大」に入って、「有名企業」。

字面的や表面的には、こうした人生も幸せの1つの形と言える。

「幸せ」の定義については、ここで触れることは本題ではない。

でも、何がどう変容したのか、
「弟を殺す」という事態にまで発展した。

そういう人生の形が、実際にこの世にはある。

人生の序盤における幸せは、もろくも崩れ去った。



元農水省事務次官が、実の息子を殺すという事件。

この次官も、T大を経て官僚の世界へ飛び込んだ。

実力も運も大いに味方した結果であろう、
事務方のトップにまで上り詰めた。

これもまた、世間の目からすれば幸せの1つ。

それが、我々第三者には見えないところで歯車が狂った。

狂った結果、最悪の結果を招いてしまった。



人には、それぞれの持つエネルギーの総量が
ある程度決まっているそうだ。

何かに力を注ぐと当然心身の疲れとなって跳ね返る。

それが、別の方面へのエネルギーを制限する。

そうして、その総量がほぼ一定に保たれる
ということなのだろう。



幸せにも総量があるのだとしたら、
何となくわからないでもない。

ある程度決められた幸せの量を
大きく超えての幸せはありえない。

どこかで制限がかかる。

しかもその制限は、自らの姿をいつどんな形で表現してくるか、
皆目見当がつかない。



ならばどうするか。

自分の人生には幸せの総量があらかじめ決められているのであれば、
冷静に、自分を俯瞰してやれるようでありたい。

その俯瞰という行為と、それを元にした
自身で行う制限が出来るかどうか。

そこにこそ、幸せへのヒントが隠されているのかもしれない。
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向かう/向かわない

2019-06-01 | Weblog

久々に書きます。

ブログのタイトルも、はい、変えました。

いうことで。


↓以下、本編
**********************

東京ヤクルトスワローズ、16連敗。(6月1日時点)

プロ野球記録が1998年のロッテの18連敗だそう。

何があったんだろう。

選手間の不仲、首脳陣との軋轢、球団への不信感。

こういうのは、当事者にしかわからない。

チームは、今どこに向かっているのか。

暗中模索どころか茫然自失の状態、なのだろうか。



川崎の殺傷事件。

あんなことが実際に起こるのか、という衝撃もある。

私には、どういうわけか犯人やケガ人も含め
巻き込まれてしまった人たちが、
結構な主張のある一個人として映る。

事件の凶悪性や大きさがそうさせる面もあろう。

でもそれ以上に、人間という存在が持つ何かが
際立って表出しているように感じられるからではないだろうか。



犯人は、自ら死を選んだ。

「拡大自殺」などというもっともらしい説明もあるけれど、
その背景にある深い闇はまた、犯人自身にしかわからない。

犠牲となった方々は、思いもよらぬ運命に翻弄されてしまった。

そこは、絶対に向かいたくない場所だったろう。

犯人にとってはどうか。

彼が向かうあるいは向かいたかった先は、どこだったのか。

向かいたかった場所が、今回晴れて実現したのだろうか。

向かいたくなかった先に、向かってしまったのではないか。



「向かう」、「向かわない」に何らかの意思を込めると、
それぞれ「向かいたい」、「向かいたくない」となる。

その意思が、犠牲となった方々にも犯人からも、
強く感じられてしまうのだ。

誰の、どんな意思が、どこへ向かうことが
最善の道なのか。。

この事件に限らず、自分自身も含め、
世の中の物事を眺めるうえで
こうしたことを頭に入れておきたい。

私の令和は、そんなことを思いながら幕を開けている。
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