Webライターサラリーマンの論説

Webライターの40代男の雑感等。論説委員風に書きます。

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この際、流れに乗ってみよう

2014-08-31 | Weblog


先週の記事で、異動云々と書きました。

先週、関係部署の部長さんと面談した感じでは、
異動ありきではないとのことでした。

まあ、すぐではないせよ、遠くない未来に何らかの環境の変化が
あるのは確かだろうと思います。




正直、気持ちの動揺やら落胆やらはありました。

先週は、仕事中はそれを表に出すまいとこらえている面もありました。

この土日も、動揺はあまり収まらず。

寝るか、何かするかでごまかしていました。

今日などは、バッティングセンターに行っていました。

規則正しいリズムで飛んでくるボールを、何も考えずに打ち返す。

その世界に、短い時間ではあれ埋没するというのも
悪くないなと感じました。




思うに、自分は何かに抗うことが多いように思っています。

抗って、意地あるいは依怙地になって反発する。

反発しようとするから、ある種の妙なエネルギーを出し、
そして使う。

そのことで、却って自分を疲れさせていることに
もしかしたら気づいていないのかもしれません。





以前も書いたことがあるかもしれませんが、
吉本ばななさんの著作に、『なんくるない』といいうものがあります。

その一節。

「流れ流れて行き着いた場所。そこがいちいち私の居場所なのだ」

読書の妙味というのは、やはりしんどい時期に思い出すフレーズなんかが
あったりすることだと思います。

いや、むしろしんどい時にこそ読書の効能がある。

そう思っています。




異動なら異動でもいいじゃない。

ある一面では納得がいかないものでも、もしかしたらそこにこそ
何かのきっかけがあるかもしれない。

今よりも閑職かもしれないけど、だからどうだというのか。

出来た時間で、やりたいことがよりたくさん出来るかもしれないし。

人との出会いもあるかもしれないし、また新たな趣味も出来るかもしれない。




いずれにしても、自分が確実に動きや波の中にあるのは確か。

休職してたり、家に籠っていたらまずないこと。

その動きや波の中で、さて自分がどう流れていくか。

自己啓発本なんかだと、「泳がされるのではなく自ら泳ぐのだ」
というようなトーンになるのでしょうが、
泳ぐ・泳がされるのいずれかがいい悪いではないと思います。

この場面では自ら泳いでみよう、ここでは流れに任せてみよう、
そういう使い分けをすることなのだと思います。




今の自分は、泳ぐより泳がされてみよう。

流れ流れて行き着いた場所。

それが私の居場所になるのでしょう、きっと。

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ここだよな、ここ

2014-08-24 | Weblog


先週末、やや落ち込みました。

せっかく慣れてきた職場・仕事・同僚。

それらと離れることになりそうです。




とはいえ、まだ異動の正式な内示があったわけではないので
何とも言えませんが、異動になるのは確かなようです。

先週の金曜に、上司と話をしました。

5月に今の部署に異動してきて約4カ月。

「もう異動かよ・・・」

内心、「出される」のだという思いが自分を支配しました。

放出、戦力外通告。

マイナスな言葉を浮かべればきりがないですが、
正直そう思いました。

また、「健康に不安のある奴はいらないんだな」とも思いました。




ただ、悪い方に考えれば際限がなく、そこに自分の得意な裏読みが
加わらないようにしたいものです。

裏読み、深読みしてますます自己嫌悪に陥る。

自己嫌悪する自分にも苛まれて、さらに沈む。

それは、致し方ないこととはいえ、いいことではない。




金曜から土曜と、気持ちの整理がつきませんでした。

そんな自分から逃避したかったのか、やたら寝ました。

今日も、美術館に行ったり植物の世話をしたり、あれこれやって
どうにか揺らぐ自分の気分をごまかそうと躍起になっていました。




実態はどうあれ、ショッキングな出来事。

私のような病気の場合、状態が安定していると言っても
何かのちょっとした出来事から、ズルズルと下降していくということが
あったりします。

人から非難・叱責されたり、一緒に仕事をしていた同僚が急に退職したり。

予想もしていないことが起こると、それがそのまま調子を崩す原因になります。

上記のいずれも、私が経験したことです。





一度大きく崩れれなかなか立ち直れずに急降下し、
そのまま落ちたままというのが厄介。

今回もまた、「大きく崩れ」る原因となりうる出来事があった。

ただ、ここなんだよな、ここ。

やばいと思って、動揺して、動揺に負けてもがき、
もがくからさらに沈んでいく悪循環にはまらないように
ささやかな抵抗を示したのが、昨日・今日の自分だったのではないか。

急な異動イコール放出イコール自分はだめなんだ、みたいな思い込み。

いや、それも間違いではないかもしれないけど、
それが正解だと誰が言ったのかという、自分なりのツッコミも大事。




ここだな、ここ。

ここで崩れるとまずいよ。

少々崩れても、まあ人間だからしょうがない。

でも、大崩れしないことだろうな。

今回の、ささやかな抵抗みたいなのは大事。




今の心境は、”STAND UP ,JOE”ではないなあ。

”KEEP CALM, ME”

ん?でいいのかな?

もしかしたら、自分にとってより良い環境へと導かれているのかもしれないし。

「だいじょうぶ だいじょうぶ」

絵本でも読んで落ち着かせるかな。


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じうじつ

2014-08-17 | Weblog

お盆休みが終わります。

飲み会2回、美術館2回、勉強、
そして、なんら気兼ねない昼寝。

全てを、意欲的に臨めた感じです。

前回の長期休暇は5月の連休でした。

春先の不調の後遺症があったその当時に比べ、ここまでの状態になっていることも、うれしかったりします。


元気があればなんでも出来る。

某有名人の言葉。

まさにそのとおり。

当たり前のことに、やっと気づけました。


次の長期休暇は正月。

今回のお盆休み以上に、
有意義な時間を過ごしたいものです。


初めてブログアプリから投稿してみました。
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送別

2014-08-10 | Weblog


先日、前職の同期から、名古屋への転勤が決まったと連絡がありました。

元々東京の同じ部署で社会人生活をスタートした間柄。

いつしか彼は名古屋に転勤。

東京と名古屋で離れていても、年賀状だけはやり取りしていました。




そんな彼が再び東京に戻ってきてから、何度も何度も高尾山に
登りに行きました。

30代前半から半ば。

ちょうど私が、休職と復帰を繰り返してしまっていた時期です。

山歩きしてあれこれの思いを忘れ、
山頂で軽く飲み、下山して都心に戻ってまた飲む。

飲みながら、語りながら、当時の苦しい胸の内も明かしていたと思います。




私が復帰して勤怠が安定してからは、高尾山に行くことは
ほぼなくなってしまいましたが、それでも時折飲んではいました。

その彼も、ともすればうつ病的な発想の持ち主だったりします。

ただそれを、酒でごまかして凌いでいけるタイプ。




東京から名古屋に行って、また東京に戻って、また名古屋へ。

名古屋に縁が深いんでしょうね。

かたや私。

確かに今年の春先は調子を崩しました。

でも、今はそれが嘘の様に回復しています。

会社が違うのにたびたび会っていた友人が名古屋に行ってしまうのと、
私の回復のタイミングが合致しているというのは、なんとなく面白いなと感じます。

私が苦しい時に、救いの手を差し伸べるかのように東京に来てくれて、
役目が終わったかのようにまた名古屋に戻る。

では、私は彼に何か出来たのかと考えると、
ちょっと自信がなかったりします。

そんなものなのかな。




「しんどい時期も終わるし、次のステージに行っていいんだよ」

「彼も名古屋でまた次のステップを踏み出す時期だよ」

今、私はそんなメッセージを受け取っているのかなと思ってみたり。




今までなかった経験やら見聞に出会い、部署も異動し、
今までとは違う環境で新しい仕事をする日々。

強い自覚があるわけでもなんでもないけど、
自分を取り巻くなにごとかがじわじわと変わり、動き出しているのかな。

もっといえば、今年はそういう年なのかな。




ちはみに、名古屋へ行ってしまう彼とは、来週会う約束をしています。

彼を送別するとともに、私自身の中に蓄積された「澱」(おり)をも、
送別する場になるのかもしれません。
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持ち駒とか新境地とか

2014-08-03 | Weblog


早いもので8月に入りました。

夏にもなると、新年に何を思ったか、願ったか、誓ったか。

そういうものは忘れてしまっています。

でも、年始に思ったことがじわりと叶っていたりすると、
「ああ、思っておいて良かったなあ」などと思います。



「自分の持ち駒を増やしたい」というのが、
ここ数年心に抱いてきたことです。

「持ち駒」ってなんだろうという疑問も抱きつつ、
なんとなくそんな漠然とした思いを持っていました。

ざっくり言えば、「会社員とか会社での仕事だけの人間じゃつまんないから
ある時は○○の顔で、またあるときは△△の顔で過ごす」ですが、
それでもまだ漠然としているかもしれません。




春先、ひょんなことから生け花の展示会に行く機会をもらいました。

「まさか自分が生け花とは」

でも、これがまさに自分が望んでいたこと。

女性がやるもので、男は関心は抱かないであろう生け花。

そう決めつけると、自分の可能性を狭めてしまう。

それではあまりにももったいない。

あらためて、機会をくれた友人に感謝。

新境地です。




生け花の持つアート性に目覚め、今度は美術館・ギャラリーめぐりにはまりました。

学生時代も何度か行っていましたが、今年に入って7カ月で6回というペースは
さすがに「自己ベスト」です。

「まさかここまではまるとは」という驚き。

いや、感心。

お盆休みは、2か所は行こうと考えています。

これも、新境地。




美術館めぐりの中で、先日記事にした「あしたのジョーの時代展」から
影響を受けたのか、漫画の持つ影響力ということを思い知りました。

60年代の若者を魅了し、大げさに言えば日本をも動かした漫画があった
という事実。

私は、元々は漫画は好きではなかったです。

満員電車の中でいい年をしたスーツのおっさんが漫画を読んでいる姿。

決して格好いいものではありません。

でも、他人からどう見られても、頭の切り替えの手段の1つとして
十分成立しうると最近では思います。

また、小説と一緒で、時折心にぐっと来るようなセリフもあったりします。

そういう意味でも、漫画もバカにならないなと感じます。




5月から異動してきたわけですが、今まで見たことがないほど、
若い女子の多い部署です。

こんなに若い子が多い部署に自分が来ようとは。

今までは、ほとんどが年上かせいぜい同年代。

逆に、20代の子たちと何を話せばいいのやらわからなかったりもします。

でも、こういう状況でうまく楽しくやりこなせれば、
これまた新境地。




去年までは想像もしなかったようなことに関わっている自分。

これがまさに、以前から思い描いていた「持ち駒」のこと。

会社員としての顔、多肉植物愛好家としての顔。

以前なら自転車旅行家としての顔、旅行好きとしての顔。

それらに、一気に新しい駒が増えてきました。

駒が増えるということは、すなわち自分なりの新境地を見出すということ。




念ずれば通ずと言いますが、その通りなのかもしれません。

なりたい自分になるというと、何やら自己啓発みたいくなりますが、
あながちうそでもないのかもしれません。




今年も残り5ヶ月。

ひょんなことからになるでしょうが、最低1つでもいい、
さらに新境地を見出したいものです。

「こんなのやってみると面白いよ」

なんていうのがあれば是非教えて下さい。


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