Webライターサラリーマンの論説

Webライターの40代男の雑感等。論説委員風に書きます。

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差は大きい

2019-12-08 | Weblog


かつて、『連想ゲーム』という
テレビ番組があった。

何らかのキーワードから連想される
物事を答える。

その答えに対しては、概ね異論がない。

当時、NHKといえば、『紅白歌合戦』か
もしくは『連想ゲーム』を連想する
人も少なくなかったのではないか。




「中東」で、「日本人」が、
何らかの「活動」をする。

筆者は、この3つが揃えば
とっさに「自己責任」という言葉を
連想する。

フリージャーナリストやカメラマンが、
多くは中東の地で世界の現状を伝える。

その道中、武装勢力などに
人質として捉えられ、その映像が
我が国にも届けられる。

これを目にして、国内には「自己責任」
という言葉が広まる。

ここぞの場面で、
切り札的に使えてしまう言葉だ。




医師の中村哲さん。

アフガニスタンで農業用用水路建設で
多大な貢献を果たした。

その功績は、ガニ大統領自らが
中村さんの棺を担ぐ姿にも見てとれる。

中村さんもまた、中東での日本人による
活動だ。

ただ、「自己責任」とは言われない。

現在の上皇・上皇后様から
皇居や御所に招かれるほどの方だ。

自己責任で片付けられる立場とは
実績も信頼感もまるで違う。

そこが、決定的な差なのだろう。

あるいは、世の中の「ニーズ」に
的確に答えているかどうかも
差となっているだろう。

もちろん紆余曲折も
あったに違いないが、
中村さんはアフガニスタンの要望を汲み、
見事にこたえた。




自己責任を被せられる人々に
実績や信頼感がない
というのではない。

ただやはり、「責任」という
独特な世界を踏み外さないことも大切だ。

世界の現実をギリギリまででも
伝えることがジャーナリズムの責任。

そういうものだろう。

しかし、一方的になっていないだろうか。

無責任になっていないだろうか。

自らを危険にさらして
広く情報を集め
全てを伝えてくれることを
世間は本当に求めているだろうか。





生まれではない遠国で活動する中で、
非業の死を遂げたミュージシャンに
思いを馳せる。

自己責任を問う向きはあるだろうか。

もしあるとすれば、その理由は何だろうか。

少なくとも筆者には浮かばない。

そうした凄みが、ジョン・レノンにはある。

今日12月8日(現地時間)は
彼の命日である。
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