Webライターサラリーマンの論説

Webライターの40代男の雑感等。論説委員風に書きます。

新天地へ。

2020-01-08 | Weblog
2020年、スタートしていますね。

当方、正月ボケする余裕はなく、
既にエンジンはかかっています。


今年からAmebaブログに「転職」いたしました。

もしよろしければ引続きお供願います。


https://ameblo.jp/tyronsetsu
WEBライターサラリーマンの論説



長きにわたりお付き合いいただき感謝いたします。
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都々逸

2019-12-29 | Weblog


三千世界の烏を殺し
主と朝寝が
してみたい


長州藩の幕末の志士、
高杉晋作の作とされる。

次のように解釈するのが一般的だそうだ。

・遊郭で遊女と一夜を共にしているのに、
・朝が来たらうるさい烏の鳴き声で
 目がさめてしまう。
・烏なんぞは殺してしまって
 お前と一緒に過ごしていたい。

なんとも人間味のある言葉の連なりだ。




「令」に決まった、
今年を表す漢字一字。

どこか、趣に欠けると思うのは
気のせいだろうか。

一字に集約しようとすると
かえって窮屈になってしまっている、
そんな印象がある。

では、四字熟語ならどうか。

年末年始なら、
「心機一転」、「一期一会」、「勇猛邁進」
あたりに人気が集まりそうだ。

ただこれも、
ほんとうに自分の思いを表現出来ているか、
少しばかりの「表現の不自由」を
感じなくもない。




ならば、日本人らしく
「今年を表す俳句や短歌」を
考えてみてもいい。

また、冒頭の高杉晋作の歌は、
俳句の5・7・5でも、
短歌の5・7・5・7・7
でもなく、7・7・7・5の音を紡ぐ
都々逸(どどいつ)と言われるジャンルだ。

俳句も短歌も、すぐには浮かばない。

ましてや、都々逸ならさらに難しい。

もしこれらの公募があるならば、
「令和」だから「令」などといった
安易な応募は減るだろう。




年の瀬を迎えている。

せっかくならば、
新年に向けて都々逸に
挑戦してみるのはどうだろう。

精神的にこたえる出来事が
多く起きた2019年の私。

同時に2020年は、
反動でいい方向に激動の1年に
なるかもしれない、とも思う。

今年の苦境から来年の発展を望み、
大いに恥を忍んで、
都々逸の世界へ飛び込んでみる。



暗と陰とが
折り重なるも
蓄えたるは
希望かな

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差は大きい

2019-12-08 | Weblog


かつて、『連想ゲーム』という
テレビ番組があった。

何らかのキーワードから連想される
物事を答える。

その答えに対しては、概ね異論がない。

当時、NHKといえば、『紅白歌合戦』か
もしくは『連想ゲーム』を連想する
人も少なくなかったのではないか。




「中東」で、「日本人」が、
何らかの「活動」をする。

筆者は、この3つが揃えば
とっさに「自己責任」という言葉を
連想する。

フリージャーナリストやカメラマンが、
多くは中東の地で世界の現状を伝える。

その道中、武装勢力などに
人質として捉えられ、その映像が
我が国にも届けられる。

これを目にして、国内には「自己責任」
という言葉が広まる。

ここぞの場面で、
切り札的に使えてしまう言葉だ。




医師の中村哲さん。

アフガニスタンで農業用用水路建設で
多大な貢献を果たした。

その功績は、ガニ大統領自らが
中村さんの棺を担ぐ姿にも見てとれる。

中村さんもまた、中東での日本人による
活動だ。

ただ、「自己責任」とは言われない。

現在の上皇・上皇后様から
皇居や御所に招かれるほどの方だ。

自己責任で片付けられる立場とは
実績も信頼感もまるで違う。

そこが、決定的な差なのだろう。

あるいは、世の中の「ニーズ」に
的確に答えているかどうかも
差となっているだろう。

もちろん紆余曲折も
あったに違いないが、
中村さんはアフガニスタンの要望を汲み、
見事にこたえた。




自己責任を被せられる人々に
実績や信頼感がない
というのではない。

ただやはり、「責任」という
独特な世界を踏み外さないことも大切だ。

世界の現実をギリギリまででも
伝えることがジャーナリズムの責任。

そういうものだろう。

しかし、一方的になっていないだろうか。

無責任になっていないだろうか。

自らを危険にさらして
広く情報を集め
全てを伝えてくれることを
世間は本当に求めているだろうか。





生まれではない遠国で活動する中で、
非業の死を遂げたミュージシャンに
思いを馳せる。

自己責任を問う向きはあるだろうか。

もしあるとすれば、その理由は何だろうか。

少なくとも筆者には浮かばない。

そうした凄みが、ジョン・レノンにはある。

今日12月8日(現地時間)は
彼の命日である。
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仕入れと販売

2019-11-24 | Weblog


肖像画でしか知りえないが、
あまりにも有名なフランシスコ・ザビエル。

16世紀、日本に初めてキリスト教を伝えた。

有名だしすごいことをやったから
さぞかしすごい人なんだろう。

そんな刷り込みがある。

そんなザビエルは、
言葉としては有名であろう
「イエズス会」の結成者の1人だ。




来日中のローマ法王フランシスコは
イエズス会の出身でもあり、
いわば、ザビエルの「後輩」に当たる。

ならば、「先輩」ザビエルの存在や
生前の活動を全く意識せずに
来日しているとは考えにくい。

ザビエルは、ローマ法王の使節として
日本に関する情報収集や布教活動を行った。

日本で布教していくには
仏僧対策が欠かせない。

どうやら天皇や将軍など大したことはない
存在のようだ。

ザビエルによって日本を体系的に
紹介した書簡が各国語に翻訳され、
日本研究の大きな素材となったという。

大まかに言えばだが、
ザビエルは日本についての
情報を仕入れて、自分なりに咀嚼して、
ヨーロッパへ提供したのだ。




広島・長崎を訪れている。

「原爆の被害を受けた都市だ」。

「今なお被害に苦しむ人々がいる」。

「核は犯罪以外の何ものでもない」。

だから、「核廃絶を」。

確かにそうだ。

ただ、核廃絶の掛け声の前に
大事なことがある。

広島と長崎で、具体的に誰と話をし
それをどう噛み砕き、具体的にどのように
世界へ提供するのかということだ。

同時に、広島と長崎において
法王と接した人々は
具体的に何をどのように法王に伝えたか。




以下、『産経抄』(文春文庫)の文章を参考に
筆者なりの咀嚼を加えて。

********************

かつて、当の長崎市において市長が、
『広島よ、おごるなかれ』という名の
論文を発表した。

いわく。

・戦争を起こしたのは日本だ。

・広島にも責任がある。

・日本は謝罪を行わなければならない。

・原爆を投下されたのは当然のことだ。


これに対し、広島や長崎の被爆者の会の方
などは、特に昂然と批判するようなことも
なかったそうだ。

*******************


自虐史観の宣教師のような方なのだろう。

今なおこうした思想が
両都市の人々に残っていて、
それらを法王に伝え、
法王が世界に発信でもしたら・・・。

大丈夫だろうか。

今回の来日と法王のメッセージで、
・問題ない、
・大丈夫、
・世界は平和に向かう、
・偉い方ならわかるだろう、
・伝わっているだろう

そんな淡い期待を抱く向きもある。

ただ今回は、あくまでも布教を
主な目的としての来日
とするのが一般的だ。

宗教が生活に入り込んでいるとは
言えない日本人の一人としては、
あまり期待せず、今後の動向を冷静に
注視する姿勢があってもいいのではないか。
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視線

2019-11-17 | Weblog


沢尻エリカさん。

少なからずショッキングな
ニュース。

後厄なのかな、とか
ちょっと思ったりする。

自殺なんかしないだろうか
というのが、個人的な心配。




賛否両論ある女優さん。

世間が注目するのは、
それだけ何かしらの強い
魅力があるからこそ。

彼女が放つ強い何かがあるのに、
それが何かわからないという混沌。

かわいらしく、無難に、
大過なく生きているように
見える女優さんも多い中、
その対極にいる。




「別に」発言は、
本当に彼女の本心だったか。

強がって見せたり、意固地になったり
虚勢を張るのは、その裏側にある
自分の弱さやもろさを自覚しているから
ではないだろうか。

それらを、必死に隠そうとしてしまう。




MDMA不法所持を肯定するのではない。

加害者は、あるいは被害者は
だれだったのか。

ファンや、下手したら世界中を
落胆させたかもしれない。

また、業界関係者を大混乱に
陥れているとされるのも事実。

ただ、犯罪への非難と、沢尻さん自身への
批判を一緒くたにするのは、正解とは言えない。

案外、被害者は沢尻さんではないだろうか。




個性が強いから、そのように見えるから、
ついついそうふるまってしまうから、
メディアが好き勝手にたたく。

出る杭は徹底的に打て、というような。

それが我々の仕事だとでも
いわんばかりの開き直り。

国民は、メディアのそうした態度に
振り回され、メディアの言うことや
やることが正しいと信じこむ。

いつの間にか煽られている。

実はそこも問題だったりする。




会社員には想像もつかない、
浮き沈みの激しい世界。

「上に行くほど酸素が薄くなる」

そんな言い方をする芸能人もいる。

極度のストレスもあるだろう。

ただ、つぶれるわけにもいかないから、
虚勢を張る。

一旦世間が抱いたイメージを
自分で覆すのも難しい。

自縄自縛に苦しむ。

逃げ場が欲しい。

でも、その逃げ場がない。

こういうとき、
「もうどうなってもいいや」
というような自暴自棄に
苛まれていた可能性は十分ある。

極端な場合、それが犯罪に
手を染め、死を選ぶ引き金となる。




人間、そんなに強い生き物ではない。

経験や年齢を重ねれば、
ある程度は強くなれる。

しかし、それでも都度、
自らのもろさに直面する。

沢尻さんも、同じなのではないか。




時間の経過とともに、
今回の騒動も、きっと忘れられていく。

ならば、沢尻さんが
薬剤へと走ってしまった背景には
一体何があったのか。

そうしたことに目を向ける
気持ちも大切ではなかろうか。

一方的もしくは全面的な非難は、
それからでも遅くはないと思うが
どうだろう。
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