東野としひろ活動NEWS

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『岡本健一郎さんお別れの会』

2018-10-23 05:36:47 | プライベート
 10月21(日)の午後、『岡本健一郎さんお別れの会』が神戸市の私学会館で行われ、私も案内をいただき参列しました。



 岡本さんは、1950年に明石市で生まれました。高校2年生の時、映画『若者たち』に出会い、明石映画サークルを結成されます。『沖縄』や『橋のない川』の上映活動を通じ、神戸大学文学部卒業後、兵庫県映画センターに就職されます。



 全国の映画センター、映画会賞団体と連携・協力され、良質な映画の上映活動の推進に生涯を捧げられました。今年9月30日、67歳で逝去されました。
 私は、黒田庄中学校教師の時、3年生を送る会の映画会を企画した時に、岡本さんに初めて出会いました。また、西脇多可で映画『チョッちゃん物語』の上映運動を行った時に、大変お世話になりました。また、黒田庄町長の時、山田洋次監督の講演会や映画『学校』の上映では大変お世話になりました。岡本さんが、映画の持つ魅力について、熱く語られたことをよく覚えています。山田監督の映画のロケ地に黒田庄町になればと山田監督にも働き掛けてくださいました。その後も、市民グループ「さらだぼうる」の映画会でも、お世話になりました。



 お別れ会には、各界から200名を超える方々が参列されていました。山田監督や宮崎駿監督、小栗康平監督、松井久子監督、李相白監督等が心のこもったメッセージと献花を寄せられていました。岡本さんの交友関係の広さ、深さを知りました。
 弔辞は、神戸新聞社の太田貞夫姫路支社長と池谷薫映画監督が述べられました。お別れのメッセージも多くの方が述べられました。
 そして、岡本さんが亡くなられる9日前の9月21日に池谷映画監督が撮られた「岡本さんの最後のメッセージ」が上映されました。肺がんを患い、治療が無理なため、かんわケア病院に入院をされていました。
 岡本さんは、池谷映画監督の質問に答える形で病床から自分の想いをとうとうと語られていました。岡本さんは、「映画は人と人を繋ぐ架け橋であること」、「映画は人の心を動かすものでなければならない」と語られていました。



 神戸新聞明石版に書かれた『余命―ある映画人の生と死―』の中の分を紹介します。「人はつながっている。つながっていかないといけない。誰だってそうだが、人は前があり、後ろがある。ひと一人ができることなんて、たかがしれているでしょ。こんな大勢の人が、ここに来てくれて、映画の後輩たち、これからまだ生きていく人たちに会えた。何かを受け取ってくれたらいい。次につないでくれると確信している。」
 私は、岡本さんと同じように、高校1年生の時、映画『若者たち』を見て感動し、映画『橋のない川』の上映運動に関わりました。岡本さんに負けないように、次の世代につなぐ「架け橋」の役割をしっかりと果したいと思いました。
 岡本健一郎さん、安らかにお眠りください。ありがとうございました。
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