東野としひろ活動NEWS

東野としひろの活動報告やメッセージをお届けします。

芹生先生の予算特別委員会傍聴

2009-03-09 18:14:57 | 県議会
 予算特別委員会が、再開されました。今週も毎日県庁に通うことになります。今日は、産業労働部と公安委員会の質疑でした。私は、産業労働常任委員会に所属していて、産業労働部関係の質疑はいつでもできるので、公安委員会のみの質疑を行いました。
 内容は、「産業廃棄物の不法投棄の取り締まり」についてでした。北播磨地域は、都市部とも近く、谷間も深く山林に囲まれた地域であるため、これまでから産業廃棄物の不法投棄が問題となってきました。来年度、県は衛星写真を使った取り組みを行うことにしており、県警においてもヘリコプターを利用したスカイパトロールをしていますので、その連携を尋ねました。
 また、今日は、私の恩師の芹生公男先生ご夫妻が県庁に来られ、予算特別委員会の傍聴をされました。芹生先生には、西脇高校時代3年間持ち上がっていただき、そのご縁で仲人も引き受けていただきました。芹生先生は、西脇高校校長時代に制服を播州織のブレザー形式に変更されました。
 校長退任後、ライフワークの「古語辞典」の製作に励まれていたところ、大変ご無理を言って、黒田庄町教育長をお願いしました。解放学級をめぐって大変困難な時期に教育長をお願いしたのですが、持ち前のおおらかさで解決に導いてくださいました。ただ、大変な心労をお掛けしたため、心筋梗塞で倒れられました。大変なご迷惑をお掛けしたのですが、今は体調も回復され、「古語辞典」の完成に向け頑張られています。そして、いつも自分の子どものように私のことを気遣ってくださっています。本当に、ありがたいなと感じています。


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故田中豊元議員

2009-03-09 09:51:32 | プライベート
 今日、田中豊元黒田庄町議会議員のお通夜が、やすらぎ苑で営まれました。田中豊さんの微笑んでいる遺影を見ていると、これまでのことが走馬燈のように思い返されました。
 田中さんは、私と同年齢の54歳です。山南町から移転されてきましたので、一緒に学んだことはありません。田中さんとの最初の出会いは、黒田庄中学校のPTA役員として学校に来られた時でした。当時、私はPTA担当として田中さんに出会ったのですが、気さくな方ですぐに打ち解けて話すようになりました。
 その後、私が黒田庄町長に就任すると、町政のよき理解者として、協力してくれていました。町議会を変えようと言う住民運動の中で、田中さんも立候補を決意され、手作りの選挙活動を元気に行われていた姿を思い出します。独特な視点から町政に注文を良く付けてくれました。これからは、インターネットの時代だと、自分のホームページもいち早く立ち上げられました。
 私の2期目の町長選挙では、率先して町内を走り回っていただき、当選させていただきました。西脇市との合併がほぼ決まった頃、難病に冒され、尼崎の病院に入院されました。それでも、本会議は病院から駆けつけてくれ、議員として最低限の仕事をしようとの決意でした。
 その後、私が自宅を訪ねると、元気に対応してくれ、病気が良くなっているものだとばかり思っていました。今にして思えば、人に弱音を見せない田中さんの姿だったと思います。
 54歳とは、まだまだ早すぎる死です。ご家族を残して、さぞ無念だったと思います。田中さんに支えていただいた自分です。田中さんの分まで頑張りたいと誓いを新たにしました。
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