蕎麦の散歩道

美味しい蕎麦と、楽しい食の道を歩む。

打心蕎庵 下北沢   蕎麦はいいほうに走っていた

2011-06-30 18:10:35 | 世田谷・杉並・練馬・北・荒川・豊島



3年前に2度行って、それ以来だった。
下北沢から10分ほど歩き、住宅街に大きな門構えの店が見える。
暖簾をくぐると、庭もこの数年で落ち着いたものになっていた。
前菜はお造りと穴子の煮こごり、二皿目には自家製豆腐、茄子焼きなどの
野菜ものが盛られていた。
                                        お造りと煮こごり
 
トマトなどのカクテル、自家製の豆腐、焼き茄子、日本酒のあてによかった

3年前にきた印象とは随分違っていて、やはり蕎麦屋は進化しているから、
ご無沙汰のところにもこなくてはいけないな、と思った。
店主の姿を時々見たが、まだ随分若い気がした。


    鴨肉と椎茸の蕎麦掻揚げ
            季節野菜摺り流し
                鴨つみれすまし汁
梅雨穴子の天ぷら

返しで作る卵とじは玉子に甘みと辛味をよい具合に味付けしていた。
変わったところでは蕎麦がき揚げ、鴨と椎茸が包まれていてた。工夫のある一品だった。
季節野菜野菜の摺り流しは目に映える。

せいろ

〆の蕎麦はせいろ、少し日によってつなぎを入れるそうだが、
香りが高く、腰がしっかりしたものだった。3年前に頂いた蕎麦とは
かなり変化していて、蕎麦に深みが増したようだった。
蕎麦屋がいいほうに走っていると、ここまで来たかいがあるというものです。
打心、というのはある目標になっていて、いい言葉を見つけたものです。


世田谷区代沢3-7-14  03-5431-0141
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紫仙庵 下目黒   もう一枚蕎麦を!の声を飲み込む

2011-06-23 15:25:37 | 根津・大塚・文京・品川・目黒・渋谷・中野



三年ほど前に何回か、タクシーで店の前を通り過ぎて気になっていた。
「紫仙庵」から少し先に行きつけの寿司屋があって、そこに行く通り道にあり、寿司の前に
蕎麦を手繰るわけには行かなかった。
だが、一度だけ寿司の前にせいろを一枚手繰ったことがあった。二年前ほどかな。
せいろの印象が強くあって、今回はこの店を目標に目黒からタクシーにのった。

湯葉さし

当日に電話したが、コースは前日予約のみだということでアラカルトにした。
実家の古民家を蕎麦屋に改造されたそうですが、下目黒の立地で
このような建造物がまだあったのかと思う。



テーブル席が二卓、お座敷に座卓がひとつと贅沢な配置になっている。
最初のようなものだから蕎麦掻といくつかの肴を頼んだ。
お座敷にはすぐに予約客と隣にはフリー客が1人入って、それで満席。

さつま揚げ


僕は肴でメニューあると必ずオーダーしてしまうのがさつま揚げ、特に自家製とあると
弱い。よく知る連れだとそれは見透かされているようだ。
玉ねぎの爆弾のようなさつま揚げはこれは食べ応えがあった。

「蕎麦は何枚お食べになりますか?」途中で蕎麦の枚数を聞かれた。
予約が入っているから確認してくれたのでしょう。
「3枚食べます」というと、隣の席から、おっと声がもれた。食べすぎかな(汗)
随分料理をオーダーしていたのでビックリされたのかも。
それにも負けず、僕は鴨汁せいろ、連れはせいろ、気になっていたはんぺん蕎麦を
オーダーした。

鴨汁蕎麦、
蕎麦だけで全部危なく食べそうになった。つゆもいらないかもしれない


最初に僕は蕎麦だけを手繰る。これが一番嬉しい時間だ。一筋、そして三筋、4筋
そのたびごとに豊かな蕎麦の匂いが立つのを楽しむ。
予想以上に香りも強く、ややカツンとした蕎麦で連れの好みの蕎麦で、鼻を鳴らす
のがわかった。僕はもっと大きな音を立てていたかもしれない。

椀一杯にはんぺんが

はんぺんは東京ドームのようにお椀を占拠していた。
はんぺんはおでんで少しつゆに浮かべたほうが全体が蒸されたようで
甘みが増すと、かつておでんやで習った。
そのとおり温めたくらいになっていて、ふっくらしていた。

もう一枚、蕎麦を、と喉のそこまで声が出掛かっていた。
3枚といった手前もう一枚は次回の楽しみにした。

目黒区下目黒6-6-3 03-3712-8555
11:45~蕎麦終了まで 17:30~20:30  定休・月曜、火曜


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布屋 太兵衛・外伝-25  捨てられた男が行く道

2011-06-20 09:10:32 | 小説・布屋太兵衛 蕎麦屋裏家業

佐野はこのところ気持ちが萎えていた。女のことであった。
旗本500石ながら、外に色女がいて、その女は美形で評判の小唄の師匠で、これまでの人生で最高の時を味わっていたはずだった。

わかさとは幸運な出会いで、小唄を習いにいってお互いに一目惚れした、と彼はいまでも思っていた。
わかさは小唄を教え始めていた頃は米問屋の旦那がいたが、1年ほどして

その男が臓器の病で急死してしまった。

わかさは家を買ってもらってはいたが、なにせ小唄は金がかかる。
三味線はいいものになると、
50両はしたし、猫皮の張替えにも10両は用意しなくてはならない。
師匠ともなると着物も一月に一振りは欲しい。弟子たちの上達のためには舞台を半年に1回は作らなければならず、これが意外と物入りなのだ。

料亭の広間を借り切って、弟子たちの縁者を集めて、いわゆる上達のお披露目なの
だが、師匠は借り賃の半額もたなくてはいけなかった。
まだ新参者のわかさにはぽんと負担してくれる、そんなに有力な贔屓筋がいなかった。もっと名前が上がるまでの辛抱なのだ。

先輩の師匠連中の付き合いもばかにならなかった。それらを賄うお手当てが男の急死で飛んでしまった。

そこへわかさ好みの旗本が現れたからちょうどいい具合だった。
だが、佐野も面倒を見てるうちにわかさの言うがままに金を工面していて手持ちの資金がこころもとなくなってきた。
佐野も考えるところがあって、半年前から田沼邸に一月に一度は菓子折りと1両を包んでは訪問していた。
納戸方から目付に昇格してもらうためであった。

現在は石高以外に組頭の300俵の役職手当をもらっていたが、それではわかさの手当てには不足であった。

田沼家は出身が下野(栃木)の佐野家由来で、佐野本家は3500石の旗本では大身であった。
彼は佐野本家からは相当な支流筋だったが、親戚には違いがなかった。
本家筋は田沼からの引き合いで目付けに起用されたものが数名いたからそれに期待したのだ。
目付けになれば石高は一躍1000石になり、妾の1人は楽に手当てできた。

これまでそんな昇進運動には無関心だったが、わかさとねんごろになって俄然出世欲に目覚めた格好で、その棒給が目当てだった。
そんな折、突然わかさが手を切りたいと言い出し、突然柳町の家に移った。
黒塀に囲まれ、庭に
黒松が4,5本ある、これまでとは比較にならないものだった。

「ずいぶん豪気な旦那がついたものだ・・」佐野は時々遠くからその家をみては溜息をついた。
未練がましくわかさを問い詰めるのは惨めだった。彼の自尊心が許さなかった。
それにわかさの要求する金の工面ができていなかった。
だが、佐野はわかさに惚れていた。
閨のわかさの濡れた体を佐野の身体が憶えていた。気慰みに吉原で女を買い求めても、
わかさほどの
艶めかしい声をあげて、彼の身体に吸い付くような姿態の女はいなかった。女を想って眠れないことがあるのだと初めて知った。

急がねば、と今日も田沼邸に足を運んだ。まだ目付け昇進の望みを佐野は捨ててはいなかった。
約束だけでも田沼からもらえれば、わかさを取り戻せると思った。
金はその棒給を証文に借りればいいと思った。

意次への伝奏は用人の三浦庄司がすべてを仕切っていた。
だが、その三浦に会えるのも限られた
者だけだった。
田沼邸では門前払いする者、玄関で挨拶させる者、廊下で口上させる者、
客間に上げる者、
奥座敷で拝謁できる者と分けていた。三浦に会えるのは客間に上げてもらってからとなる。

この日は意次が留守で意知が奥座敷で配下の者といた。
そこへ、三浦が書状を持って意知に面会人たちの名を示した。佐野善左衛門の名があった。
三浦は廊下での挨拶で帰そうと思っていて、佐野が旗本であったため、意知に名前だけは知らそうとしていたのである。

「さて、これは新番士の佐野殿か」意知がそれを読みとめた。
「ご存知でありましょうか」
意知はわかさの相手が佐野だったと知っていて、興味が湧いたのだ。
「どんな御用向きで来られたのか」
「新番から目付けの昇進をお望みと書面をいただいております。金子はこれまで5両ほど、ただの挨拶くらいのものですが」

「佐野といえば、わが祖先の在所の名家と聞く」
「佐野本家とは血筋も遠く、目付けに推薦するには身分も低く、これといった目立つものもありませぬ」
と三浦は早々と席を立とうとした。

「いや、5回も挨拶があって、毎回お断りするには失礼である」
意知は三浦の反対を押し切って、奥座敷で彼と会うと三浦に半ば高圧的に命令した。

佐野が廊下で拝礼をしていると、三浦が足音を立ててやってきた。まさか、三浦が自ら迎えに来るとは思わず、廊下に頭をこすらんばかりになった。
「老中様がお会いになる。参られよ」と声を荒げるように先導した。
佐野は腰の刀を投げるように廊下に置き捨てて三浦の後に続いた。

「何か、意知さまと関わりがござったか?」横に並んで三浦が囁く。
「いや・・、ご老中様とは初の・・・」と佐野も首を傾げた。
「意知さまも物好きなお方じゃ」三浦が乱暴に言い放った。
「はぁ・・」それは何を意味するか、何となく佐野も理解した。まさか、自分が老中と面会を許されるとは夢にも考えていなかったからだ。

佐野は彼が知りゆるすべての礼儀作法で、老中に拝謁した。自分でも冷静な態度が
不思議だった。
「佐野殿、さ、膝を崩されよ。固い挨拶も抜きにしてくだされ」
意知はゆっくりと佐野を観察した。体格がよく、物腰がゆったりして、鼻筋が通った歌舞伎役者のような男だった。配下の者たちの報告にあったとおりだった。

「佐野殿はわたしのひとつ上でござったか」

「左様でござる。が、老中様とは違って、この年でありながらまだ迷いごとばかりで」
佐野は彼が自分の年齢を知っていたのは驚きだったが、おおかた用人の三浦が身元を調べて、報告をしたのではないかといいほうに解釈した。

意知は佐野が元服前に通った塾や剣道の道場のことなども口にした。
「いや、なかなか浮世にも政治向きにも練達されているとお聞きしました」
意知は少し言い過ぎたと後悔した。浮世などという言葉も、わかさのことを婉曲に言ったのだが、
彼に対する興味が先にたって、止まらなくなっていた。

「これは恐れ入ります。政治向きといわれても、新番士の身ではなかなか献策の機会もなく日々悶々とすることが多く」
佐野はこれはひょっとして自分を試そうとしているのではないか。
目付けの道がすでに開いている
のではないかと、持論を展開しそうになった。
「例えば、米の問屋制については」
「いや、それらのことはまた何かの機会に」
佐野が何を狙いにして弁舌を振るおうとしているのか分かって、
意知の気持ちが急に冷めた。佐野を呼んで後悔していた。陰から顔を見るくらいで
よかったのかもしれない。
彼は三浦を呼ぶと、そくさくと奥座敷から消えた。

佐野は何かやるせない気持ちになって
三浦に聞いた。
「老中様は私めの生い立ちや父のこともご存知でござったが、三浦様がおとりなしされたのでしょうか」
佐野は目付け昇進の言質を三浦から取りたかった。

「はぁ、なんのことでござろうか?」
「老中様に何かを進言していただいたとか」
「佐野殿、今日は老中様の気まぐれかと、さあ、早々にお帰りくださいませ」

三浦の言葉が空しく、帰路の足を重くしていた。
武家屋敷が終わりに近い頃、後ろから誰かがつけてきていた。佐野にはその者が
わざと分かるような追い方をしているように感じた。
「佐野様、佐野様・・」二度後ろから声をかける者がいた。
「反物屋の太兵と申します」
後ろを振り返ると、若い男が深々と礼をしていた。



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日曜庵  柴又  粗挽きに酔って、柴又の町に酔いたい

2011-06-18 10:17:12 | 江戸川・江東・葛飾・新宿・大田区・足立区



金、土、日の週三日営業でこの日は土曜だから混雑かな、と思ったけど、
弱い雨模様のぐずついたお昼で並ぶこともなく入れた。
蕎麦屋は雨の日に限る、というわけでお昼に頼みにくい玉子焼きをオーダーした。

美しい出し巻き

芸術的なほど美しい出し巻きで、食べるのが惜しい。
飾っておくわけにもいかないのでゆっくりと食べたが、味のほうもどこか他の店とは違う。



女将に美味しいと声をかけると、
出し巻きはこれまでとは変えたと返事があった。
この三つ葉はどうやって乗せるのだろうか?連れといろいろ考えたがわからない。
「自分で作ってみるか」
といってみたが、多少のヒントがないと難しいかも知れない

なごり雪という豆腐
          鰊煮

僕は粗挽きをオーダした。
粗挽の食感に舌がはじけてしまう。一本の麺に複雑な食感を感じさせる
仕掛けがあるようで、食べていて引き込まれてしまう。

水蕎麦付き粗挽き

香りも熟成した重さのある、よい匂いがあった。そうだ、こちらはビンテージ物だと思い出した。
帰り、亭主に聞くと、2008年物だという。
新物を蕎麦を真空パックし、何年か置いて出すことが美味い蕎麦になる
とここ数年でたどり着いた結果だという。

   
                

客が立てこむとすぐに自分で配膳して客の前に立つ。それも
日曜庵の客をみる力になっているのかもしれない。
どんな客が来ていて、何回来ている客か、商いの習慣として身体が覚えたのか、
それとも、前職で身についたものなのか。



浅草ほど人が出ないが、柴又も良い町で、蕎麦を手繰った後、駅の近場の酒場あたりに
腰を掛けて日本酒を熱燗で呑みたい、と思う。
それほど、ほろ酔いで帰りたい町だ。


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葛飾区柴又7-13-2 03-5668-0084
営業日 金・土・日・祝 11:30~18:00(品切れにて閉店


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布屋 太兵衛・外伝-24  意次の老いと不安

2011-06-17 12:19:40 | 小説・布屋太兵衛 蕎麦屋裏家業

田沼意次は漠然とした不安を覚えていた。
その不安はどこから来るのか自分でも分からなかった。すべてが順調に来ていた。これまで将軍家の安泰を図るために様々な献策をして実行してきた自負があった。
歴代の大老で自分の右に出るものはないと思っていた。
将軍だけでなく大奥からも信頼があるはずだった。この時勢でも奥向きの費用は
一切減らさず、
むしろ、増やしたくらいだった。これも、自分が通商の差益を生んできたからだ。

この天明に入って、蝦夷地の開墾に手を入れて、日本の国土を増やし、幕府の天領を増やす、
誰もが考え付かないことも発令した。天明2年には印旛沼干拓工事を決定した。
これが軌道にのれば、米作主張者たちを押さえ込めるだろう。
蝦夷を領地として拡大し、やがてロシアと通商条約を結べば、自分の名は歴史に刻まれることは確実だった。


幕政の要の幹部も田沼一族で固め、部屋住みの意知を老中までにし、
時期将軍の時には
その息子を大老に添え、自らは院政を敷く準備をしていた。
だが、この天明4年は国中に災害が降りかかった。旱魃がほぼ日本国中を襲い、
特に東北・奥州が
疲弊していた。

悪いときにはさらに悪いことが重なり、浅間山が噴火して、降灰が治まらない。

“これはわしのせいではない”そうおもっても市中では意次が悪いと戯れ唄が流行った。
このところの江戸城内の静けさも、意次には不気味に思えた。
徳川親族が将軍に拝謁するための大廊下の間に、このところ御三家の顔が見えない。
自分の采配に時々注文をつける、紀州がいないことも不思議だった。敵愾心を抱く会津もこのところ所用があるといって来ない。

ところが、溜間には白河藩の松平定信が熱心に詰めていた。どんな理由か分からぬが、水戸藩や紀州藩が推薦してきて、それをあの一橋が推挙したというから面白くなかった。
一橋からは家老が使者になって、その推挙の理由を意次に断ってきた。
御三家がこのところの白河藩の見事な財政建て直しを理由に溜間に置けと言って
きて、御三卿筆頭の
一橋もそれに賛意せざるを得なかったという。

どうもなにか胡散臭い気がしたが、長年、一橋とは裏で組んできたし、一橋から将軍を出すことに協力してきた。離反することはないと確信していた。
この強固な田沼派閥をたかがあの定信が1人で崩せるわけがないと意次には自信があった。
定信は潔癖性が強くて近寄りがたい、物言いが倣岸だから人気がない。御三家あたりの一時的な気まぐれだろうと意次は読んでいた。

「父上、お呼びでございましょうか」
その時、意知が障子の陰から声をかけた。
「意知殿、そなたの意見も伺おうと思ってな」
意次は自分の息子にさえ丁寧な口を聞く。“意次の慇懃無礼”といわれたように、彼は生来、人に対して言葉にはひどく気を遣った。
父親が徒歩出身で旗本の株を買い、成り上がってきたことに対しての防衛心のひとつだった。
それに反して意知はあまりにも世間知らずに育てて後悔はしていたが、いまさら遅いかもしれない。

「松平定信様のことでござりますか」
「いかにも、あの御仁をどう見られるか」
「このところ、溜間で拝見していますが、物の見方が堅実で聡明な藩主であらせられます」
小さな時から、意知には他人をそのままで見よ、身分の上下で見てはならぬと教育してきた。
意次自身がそうであった。自分が一介の小姓から将軍に見出された。
自分も才器のある人間を見出して、政策に生かしてきた。

鉱山開拓の平賀源内がそうであり、
印旛沼開拓の宮村孫左衛門、朝鮮人参の国産化
に成功した田村藍水などは市井にくすぶっていた者たちだった。

そんな育て方をしてきたから、意知は人を見る目は素直に出来ていた。

「これから、言うことは父の言葉ではないと思え」・・・と意次は身構えた。

「幕政を差配してきた大老の言葉ではある・・・。定信殿を奥州に追いやったのはわしじゃ」
「・・・噂では聞いたことがありましたが」意知は息を継ぐ。
意次はこれまでのいきさつをすべて彼に語った。意知には衝撃的な事のはずであった。

「まつりごととはそんなものである」
「父上がそれほどまで苦労されて、わたしがあるかと思うと」
意外とすんなりと受け入れたことを意次は評価した。
ひょっとして配下のものがすでに耳に
入れていて、あれこれと知恵を授けている
かもしれない。が、それはまた当たり前のことなの
かも知れなかった。
それだけの人材を揃えてきた子に頼もしさを覚えた。

「このところ、定信様はわれら老中を掴まえては倹約を説き、田畑の開墾をしきりにいわれております」
「老中の方々はどう思うてじゃ」

「なにやら、父上批判を言われている、と相手にされておりませぬ」

「あの方は若い頃から倹約一点張りじゃ。そんなことで今の徳川が持つものか。
これまでも幕政に関与したいと、わしのところまでいくばくかの金子をよこして、
あの溜間に入ろうとしていた」

「御三家や御三卿の後押しがあったとお聞きしておりますが、お気になさらずとも」

「取るに足らぬとおもうが、後は何を申されておる」

「側用人廃止をいわれております」
「それはそっくりこの田沼家の批判ではないか」
意次は老中と側用人を兼務して今の大老の地位に昇り詰めてきていた。
あまりにも愚直な批判で思わず意次は苦笑してしまった。そんなことを言ってしまえばこの意次に聞こえてしまうではないか。
だが、それを計算づくでやって怒らせようとしているのか、とかれは不安を感じた。
もしかして、定信を中心として何かか動いているのかもしれないと勘のような
ものが働いた。

「意知や、針の穴からの例えがある」意次は急に気持ちを変えた。定信を押さえきってしまおうと考えたのだ。自分の寿命が気になっていた。
「溜間に出仕できぬようにせねばならん」
「・・・それは、亡き者にせよと」意知は思い切って聞いた。
「我らではこのことは無理ゆえ、一橋様にお願いする」
意知はむしろこの一橋の名がでたことに驚愕をした。政治の黒い闇の一旦に自分が関わりを持つことに痺れるようなものが身体を支配していた。

「このことは意知殿は知らぬことでよい。他言もなされぬよう」
田沼は身代が徒歩組から成り上がって来ていたから、大名が持っている諜報組織や暗殺集団などに手が及んでいなかった。大老にもなれば、将軍のお庭番を使えたのだが、意次はそのことには無関心で、手を汚すのは一橋に任せてきた。
もっとも、徳川も中期になってくると、諜報機関を編成できていたのは御三家、
御三卿、親藩では会津、外様では加賀藩くらいだった。

だが、この暗殺依頼は田沼を幕政の中心部から追い落とす引き金にもなった。
意次の老いがいつもの冷静な判断を狂わせてしまった。
一橋はこの企みを自分のよいように利用した。



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おお西  信州   発芽蕎麦と明鏡止水のある風景

2011-06-16 21:34:15 | 北陸・信州・房総の旅


昨年は静岡の志太泉の酒蔵で主に杜氏の作業について勉強した。
今年は信州の明鏡止水。
なにしろ35人、この人数を収容する蕎麦屋は「おお西」さんしかなかった。
この35人もかなり無理をお願いしてしまった。東京→信州→東京の
日帰りのバスで蕎麦も酒もというわけで、「おお西」での昼食が40分しかなかった。


おお西の二階は大広間、ここは各種イベントなどが行われるという

僕は35人の蕎麦屋のコーディネーションは初めてで勝手が違いました

「おお西」のお弟子さんで西麻布「祈念 手打茶寮」の亭主と2回打ち合わせし、35人の
コースで、蕎麦を3種出してくださいとこれも無茶なことをお願いし、
なんとかこなせるということでスタートした。

酒も持ち込みにしていただいた。黒龍大吟醸
愛山、年二回蔵出しの限定酒、これを36本バスに持ち込む

朝8時に東京をスタート、黒龍の大吟醸4合ビンが36本とその他一升ビンが
12本。しかも途中、銀座「洋酒博物館」の館長がバスの中でカクテルを振舞ってくれた。
シェーカーをバスの中で振る、本格的なカクテルでした。


こしあぶらの天ぷら、鴨サラダ、川魚などを前菜で


十割の田舎そば、野菜煮と一緒に食べる。蕎麦は予め味付けされている信州
らしい素朴なもの。びっくりするほどの細打ち


左は発芽蕎麦、右は更科十割。発芽蕎麦も十割で、これも想像以上の細打ち。細打ちだが
香りがしっかりあって、皆さんの声が同じように伝わってきた。

発芽蕎麦
           十割更科

「おお西」の更科蕎麦は十割で水こねが本当だが、この日の35人分は水こねが無理
だということで湯こね。
それだけ水こねは大変だということで、この水こねで十割はおお西系列ほか二店
あるかどうか。
更科は香りが立ち、また水切りもこの人数でしっかり。さすがだと思い。感謝でした。

そこから1時間ほどで明鏡止水の蔵へ。杜氏の方から明鏡止水の酒造りの
講義を受ける。だが、心は試飲に走っていた。

明鏡止水蔵
12銘柄を
試飲する。5種類くらいで僕はほとんど差がわからなくなった。


夜の8時東京着、10時間は呑み続けてましたが、バスにはラウンジがあり、
とある寿司屋のツアーなので肴が出続けます。日本酒の合間には今回カクテル
があってさわやかだった。

手打百芸 おお西 長野県上田市中央4-9-8 0268-24-5381
11:00~19:00 無休


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たじま  西麻布  舌鼓の音が本当に鳴った。

2011-06-14 10:50:00 | 麻布・六本木・赤坂・白金周辺・千代田区

3日前にもランチを食べに来ていた。僕の近所の手打ち蕎麦屋の若女将と一緒で
そのときはプリフィクスの野菜コースだった。
この日の夜のお任せはどんなものがでるのだろうか。
そのときのランチとは重複しないように亭主が考えてくれた。



ぴさんから夜のたじまに行きたいと大分前に頼まれていてようやく実現した。
つき出しの岩海苔から随分感激されていた。
磯の香りもよかったが、味付けが良い。これはやはり「返し」の威力だろうか。


胡麻豆腐、つる紫おひたし、水茄子、インゲン胡麻和え

「返しは万能の調味」そんなことを聞いたのは恵比寿「翁」の料理長からだった。
だから、それを知った職人は「返し」に可能な限りの時間や労力を注ぎ込む。
返しと出汁の融合と比率で料理の味わいを様々に引き出す。
たじまの野菜料理もその技術がベースにあるのだろう。

インゲン胡麻和え
     今が旬の水茄子辛し酢味噌

インゲンの胡麻和えはダイナミックな味付け、水茄子は繊細そのもの、つるむらさきは
野菜の柔らかさを強調している。
それぞれの食材の良さをいかして変化があり、バランスが楽しくなる。

旬魚の伊佐木  鰹

                        蕎麦屋の定番鴨抜きはたじまでは珍しい


たじまで初めてたべる「鴨ぬき」、葱は必要以上に焼き上げないで、亭主の
デリケートな持ち味が椀のなかで表現してあった。このところの
勉強の後がわかる一品だった。


野菜の炙り、ヤングコーン、真竹、しいたけ、ししとうなど。炙りは野菜の
甘みがますようだ。下味に甘味噌を絡めてある


料理の数々に、久しぶりに舌鼓を打つ女性を見ながら
僕はワインを頂いていた。

せいろ
かけ

〆は茨城の境町産のせいろとかけ。この蕎麦も料理の後に良いそばになった。


港区西麻布3-8-6 03-3445-6617   
11:30~14:30 17:30~21:30(祝20:30) 定休・日、月の最終月曜日
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どんなもんだ,と鯖が光っていた

2011-06-11 15:38:18 | 今週のひと品

久しぶりの今週の一品。
蕎麦友が情報を仕入れてきて一緒に行ってみた。
柳橋「玉椿」,浅草橋から歩いて3,4分。食べログや他のものにも居酒屋登録に
なっているが蕎麦屋だった。ネットでは居酒屋で引っかかってくるそうだ。
すでに開店して9年は経っているらしい。
もしかして,手打ちではないかもしれないが,肴が人気があって
賑わってるということだった。
5時15分くらいに入ったが,もう先客が何組かいて,しばらくすると
客がどんどん入りだす。
週の真ん中で,この入りようだから,週末にしなくて良かった。

1階と2階があって,かなりのキャパの店だ。
料理も沢山あって,魚の鮮度もよく,刺身の種類が揃っていた。
石鯛,さわら,生だこ,平ら貝,しま鯵,ひらめなどを盛り合わせにしてもらった
が,レベルが揃っていた。盛り合わせにすると,大概2,3の刺身が品質が落ちるが
そんな事がなくて期待できると思った。予めその情報にあったとおりの
人気の鯖のスモークが感動的に旨い。

鯖のスモーク

鯖の脂がしっかり乗っていながら,青身魚特有のこもった苦味がなく,
甘みを上手く引き出していた。これは鯖の脂が身全体に回っているせいかもしれない。
身に水分が残っていて,繊維の乾いたような固さがなくて,舌に旨みだけが残った。
オーナーかもしれないが,その鯖を運んできたときに自信がみなぎっていた。



時々,居酒屋にぽつりと入ることがあるが,滅多にこんな肴に当たらない。
もっとも,良い居酒屋は満席が多くて,一人で入るのは気が引けるから
経験の数が少ないのかもしれない。
近所でも新小岩「魚三」も一人で入る勇気がない。
リンクの佐平次さんも人形町「笹新」に最近行かれたようだけど,ここの
ねぎま豆腐はまだ美味いんだろうか。



こちらは機械打ちだそうだけれど,石臼挽きで,特別な粉をオーダーしている
と聞いた。チェーン店の蕎麦屋の麺と比べるとかなり腰がしっかりしていた。

台東区柳橋1-6-1 定休・日、祝

 

[月~土]
昼 11:30~15:00(L.O14:00)
夜 17:00~23:00(L.O22:00>


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布屋 太兵衛・外伝-23  大きな仕掛け花火が上がりそうだ

2011-06-10 09:45:11 | 小説・布屋太兵衛 蕎麦屋裏家業

「小唄のわかさの旦那になってるのが、旗本に間違いがねえんだな」
話が少し遡って、軍太郎が太兵に田沼意知が通い詰めているという小唄のわかさを
見張らせて
いたときの頃だ。
「こりゃ、面白くなってきたぜ、で、その男は」軍太郎が勢い込んで太兵に聞く。
「へえ、新番士の佐野様という方でございます」
「なんだ納戸方の佐野善左衛門か」
「ご存知でしたか」
軍太郎が少し何かを考えていた。

新番士というのは、老中や大目付が出入りする江戸城の納戸の監視をする役目の者だった。

旗本の間では特別重要な役目ではないが、軽い役というものでもなかった。
佐野は仲間内では硬骨漢で通っていて、若い頃は政治向きの口喧嘩が多く、
付き合いにくい人物
との噂があった。

「あの男が妾をなぁ、で、小唄の師匠でいい女ときたら、奴は極楽者だな」
“弾きつ、語りつ、口移しで、小唄の師匠とねんごろになりたや”と流行唄になったように、
小唄習いは
町家の旦那衆の道楽や一種の流行病と言われたものだ。
軍太郎も思わず舌舐めずりをしてしまう。

「あ、軍太郎さん、羨ましそう。みつさんに言いつけますよ」
「ありゃ、悋気が強い。おいらが酌女の尻を見ただけで、二の腕に痣が二つできる」太兵が笑う。
軍太郎の言うとおり、それは本当のことだったから、彼は苦笑いになる。
軍太郎が江戸に上がってきてすぐに吉の姉のみつが追いかけるように軍太郎の部屋に住み着いた。
みつは年が一回り以上若いが、相性があったせいか、二人は甘ったるくて、
はたは見ていられないくらいで、妬けそうな暮らしぶりだった。
この日はみつを外出させていて、太兵は余計な気遣いをしなくてよい。

「で、意知とはどうなんでぇ」
「それが、行くところまでいったようで。着物や帯が飛び切りのものになってます」
「反物屋が言うんじゃ、本物だわな。相当貢いでるな」
「このところ、不忍の料理茶屋でしきりに逢瀬を。池を舟で渡って、紫の頭巾を
被った小唄の師匠の姿が三が日にいっぺんほど」

「なんでぇ、小唄のひとつも唄いたくなるような図じゃねぇか」
男と女の密会の場所は出合茶屋を選ぶ例が多かったが、意知のように顔が割れている
と、裏口からも
出入りできる料理茶屋を選らんだ。しかも、その茶屋は裏口へは
船頭が不忍の池を渡って密かに通してくれるという。

料理茶屋は料亭と寝間を兼ねたもので、二階建ての豪勢な
建造物のものだった。
上野から湯島にかけてこのような茶屋が並んでいた。

この時代、不義密通は重罪で、場合によっては打ち首だったが、それでも命がけで
男と女は忍んできていたのだ。

 「男と女の業だな」ぽろりと軍太郎が漏らす。
 「あたしにゃ、まだわかりませんが」
 「そんな年でわかったら、すぐに免許皆伝よ」
「家来も大変ですぜ、その間、部屋で待ってます。用心深いですぜ」
「暗殺でもされたら、田沼家もお仕舞いだからな」
「小唄の師匠は茶屋で何を教えてる」
「そりゃ、軍太郎さんがお好きなことでしょう」すこし話がずれてきた。
「わかさは意知に乗り換える気かい」
「さて、どうですかい」
「意知はわかさの面倒を見てるのは佐野だと知ってるのかい」
「へぇ、それが知ってますようで。家来がわかさの家にへばりついて佐野が
 出入りするのを調べたようです」

「そりゃ、ますます面白いことになった。佐野はな、吉宗公を崇めていて、
ありゃ、大の意次嫌いだわ」先ほど、軍太郎が初めて佐野の名を太兵から
聞いたとき、これは何かいい塩梅になったと思ったのだ。
吉宗は米将軍と言われたように、米作の振興で幕政の再興を図った男だったから、
佐野は農政を疲弊
させた意次に批判的だった。
意次の親は財力で旗本の身分を買い取った男で、その一族の懐を肥やし、旗本を
見捨てるようなところがあって感情的な反感があった。

「花火があがりそうですかい」
「それを山東先生に事細かにいれなきゃ。太兵どんご苦労だが、ここ数日は佐野が
どんな仲間と
会って、どんなことを言ってるか探ってくれるかい
 問題はいつ佐野の耳に意知とわかさの仲を入れるかだな」

それから暫くして、3人で軍太郎の長屋で会うことになったのである。

「左隣が太兵の住まいで右隣を空家にしてござる」軍太郎が山東京伝にいう。
「なるほど、密談も大丈夫というわけですかい。さすが保科様の分家で」
京伝はすでに源内から軍太郎の氏素性を詳しく聞いていた。
「この太兵にはまいった。蛇に見込まれたカエルじゃないが、ころりと騙されたわいな」
「先生を騙したなんて」太兵が恐れ入る格好をした。太兵は源内を介して京伝につないでもらったのだ。

「なにせ、毎日朝になるとおいらの枕元に立ってるんだから、最初は石川五右衛門
か鼠小僧
の生まれかわりとこちとら思ったくらいだわさ」
「こんな難しい話をまとめられるのは山東先生しかいないと」
「出鱈目ばっかり書いてるから、とんだところで見込まれちまったな」
「いえ、滅相も無い」
「まあ、いいやな、おいらこんなもの書いてきたぜ」

京伝が一枚の紙を広げた。大きさは半畳以上はあるだろうか、そこに浮世絵師らしく
物語り風の絵が
描かれていて、所々に筆文字で注釈が書かれていた。
暫く、3人の息づかいだけが聞こえた。
「これは、これは、なんと言っていいか」軍太郎が溜息をつく。
「先生は恐ろしいお方で」と太兵も膝に手をする。
「軍太郎さんが一番の要所ですな」京伝の声が楽しそうだ。
「加賀様も紀州様も関わりになられるとは」軍太郎がその書を目でなぞる。
「わが殿様も動かれるか」そこには会津藩の藩主の役割も書かれていた。
本来の仕掛け人は肥後守だから当然、その仕事は重い。

「太兵さん、あんたが一番働かなくてはのう」
京伝がしてやったりと二人を見回す。
この日から一月後、江戸中がひっくり返る大事件が起きた。

(これは史実にヒントを得たフィクションです)


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むとう  日本橋  都心の真ん中でゆったりと会食をする

2011-06-09 14:42:15 | 麻布・六本木・赤坂・白金周辺・千代田区



夜は予約で一杯のようだ。
先週も予約をしたが入れなくて、この日になった。
16席、間仕切りが下りる席もあって、接待とか会食に来ているような人が多い。
職人さんがこちらのペースを見計らいながら、料理を運んでくれる。

つき出し

前菜
      梅雨穴子
           焼き味噌
  浅利酒蒸し  
                 鰹サラダ

九段一茶庵から独立して7年目だそうだ。昨年、ミシュラン一つ星、もっと早く訪問
したいと考えていた。
蕎麦懐石というよりは小料理屋のコース料理といった風な料理がきた。
メインは牛蒡と牛肉のシャブ。
牛シャブを蕎麦屋でいただくとは僕は思いもかけなかった。

牛シャブ 
〆せいろ

蕎麦は十割、北海道産、比較的大人しい香りで腰がくきくきした蕎麦だった。
僕らが選んだ夜のコースは7000円、
都心の真ん中で、ゆったりと会食をするにはよいお蕎麦やさんかもしれない。
      

中央区日本橋室町1-13-1 03-3231--7188
                     11:30~14:00 17:30~21:30 (予約は4000円(昼)
             定休・日、祝 、第二、第4土曜       5000円、7000円(夜))


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流石 はなれ  新富町   生きているぞ、と蕎麦が自ら言う

2011-06-07 10:12:25 | 銀座・新橋・芝・築地・港区・中央区・墨田



二年前にある蕎麦屋で店主の矢守さんと会っていた。
そのときは二人でこの店を任されていたようだった。が、今は店主1人で対応している。



店主と客がゆったりと話をしながら、目の前で蕎麦を挽き、蕎麦を打ち、
もてなしをする、新しい、しかも、それが元々の蕎麦饗応の原点ではないか、
そんな試みで始まったと聞いている。
訪問してみた第一印象では、
むしろ、店主1人がこの店には相応しいのではないかと思えた。

つき出しが二品、下は白菜菜花
白菜がとうが立つと菜花が育ってくる。自家栽培などでお目にかかる楽しみなもの


前菜から蕎麦を挟みながらのコースは蕎麦懐石のスタンダードなスタイルに
戻ろうとするものだった。
こちらの会話を邪魔せず、料理の合間に、蕎麦の興味のある会話が、
亭主の言葉がきっかけになって生まれてくる。それが心地よいりズムとなって
料理の調味料になる。

とろろ蕎麦

すぐにとろろ蕎麦が来た。
「最初はとろろを混ぜないで、蕎麦だけを」と店主がすすめる。
玄蕎麦の田舎蕎麦は香りが強く立っていて、とろろの匂いに勝っていた。
水切れの様子や、シャープな切り口、蕎麦の表情のたち方が、僕の想像していた
ものとは違っていた。蕎麦が生き生きしていて、そのことを主張している。
蕎麦だけでもすべて食べられたが、亭主の言葉通りとろろも楽しんだ。

「手挽き臼を挽いてみますか?」
我々の蕎麦がきを作るのだ。僕はすぐに立ち上がって、手挽き臼を挽かせてもらう。
久しぶりだった。手挽きを挽くのは。酒もあって、顔が上気していたのがわかった。
僕が回すたびに、蕎麦の実を横で落とし口(供給口)に入れてくれる。
京都「いしたに」さんが作ったという手挽き臼は滑らかで、力がほとんど要らない。
これまで経験した事のない使い良さがあり、手に伝わるものが心地よい。

見た目にもふんわりふっくら
かいたことがわかる。粉を大事にして、蕎麦の実そのものを味わう、蕎麦がき

今挽いた蕎麦粉で作ってくれた蕎麦がきは、美味かった。
自分が挽いた粉のせいでそう感じたのではなく、蕎麦の実そのものが
蕎麦掻になっていたせいだった。

手挽きの臼のふくよかな粉

丸抜きの実をかじった時の旨み、苦味、渋みが、粉になると、
生まれ変わったものは、旨みと香りが何倍にもふくらみ、苦味、渋みがほのかな
心地よいもになっていた。

前菜が5品、下は桜海老と
青物のおから、出汁味がきいていて旨みが舌に広がる


前菜が4品ほどきて、蕎麦前を楽しむ時間になる。日本酒ばかりでなく、
ワインも10銘柄以上用意してあった。
この日はまずは店主に選んでもらった日本酒にした。



〆の蕎麦を我々のためにこれから目の前で打った。
「打っているからといって、遠慮なく話しかけてください」
そういうから、この時とばかり質問攻めにする。普段、打っている側から
職人には聞けないこともあって、そのことを僕は聞いた。
蕎麦をこね、粉が繋がってって行くときの指の感触、まとめて行くときの
力の入れ具合、特に僕は粉をどうしたら傷めないで練っていくのかに
このところ興味があった。
店主の蕎麦打ちを見ながらの楽しいひと時があった。
蕎麦はここから3種きた。花巻、サラダ蕎麦、そして口直しをはさんでせいろ。

花巻蕎麦
               サラダ蕎麦

もずく酢で口直し

せいろ蕎麦は品のある香りで、しかも強い。普通は匂いが強いと
言うところだが、そうではなく、これは香りが広がるといったほうがよいかもしれない。
蕎麦独特のむせ返る匂いが柔らかなものにソフィストケーションされていた。

     せいろ

蕎麦を茹でて、水切りの行程がカウンターから見えていた。
水切りは昔ながらの手間を二行程踏んで笊に盛られた。そのことも細かく質問した。
「少し間をおきながら食べてください。香りが変わって行きます」
堂々と、乾き気味な蕎麦にして食べてくださいという職人はこれで3人目だ。

細いがエッジが立ち
舌を通るときの食感がいい、蕎麦の微妙な喉越しを味わった

笊に盛ったときに、水が麺体同士の間に存在していないから
そうはっきりいえるのだろう。
水を間に含んだ麺体の蕎麦は時間が立つと水が麺に悪戯して、伸びを早める。
ぬるま水に蕎麦をまだらに放置しておくようなものだから。

「1人でやっているのですが、それでもよかったら」
予約のときそんな断りがあったが、そのことが返って、「はなれ」らしいものに
なっていた。
挽きたて、打ちたて、湯で切り(茹でたてとは言いたくない)を
本当の意味で目の前で味わう、贅沢なもてなしだった。

蕎麦流石 はなれ
中央区港3-13-15 03-6228-3870 12:00~14:00 18:00~20:00
  定休・日、祝(予約で営業が可) 予約制 昼4000円~ 夜6000円~



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布屋 太兵衛・外伝-22  山東京伝が幕政転覆の脚本を書く

2011-06-02 17:52:26 | 小説・布屋太兵衛 蕎麦屋裏家業

太兵はこのところ忙しい。一生のうち、この半年が一番忙しい日々だったかもしれない。
藩主の描く、田沼追い落としの策は複雑で、難題が多かった。
それはある意味戦国時代の参謀と
密偵の頭領の仕事を両方任されたようなものだった。
だが、今は戦国時代ではなかった。単純な暗殺では江戸市中の空気を味方につけることはできない。それに、会津藩が首謀だと悟られてはいけなかった。

江戸に狂気じみた文化人がいた。山東京伝だ。彼は元々は浮世絵師だが、
人情物から滑稽本を
独特な時代風刺で書き飛ばす戯作本作家だ。江戸っ子から絶大な人気を得ていた。
特にこの天明4年の頃から出版しだした艶本は天賦の才があったようで、町家の後家や人妻の人気を独占していた。

天才万能人の平賀源内、風刺狂歌の蜀山人と並び、江戸の三大有名人といわれ、
町を歩けば物好き
なやっこたちがぞろぞろついて来たものだ。
天明の大飢饉を抱える幕政に諧謔的な作本を生産し続けていたから、
奉行所にいつ捕縛されても
おかしくなかった。

その京伝と太兵が連れ立って歩いていた。太兵はこの日軍太郎の長屋に彼を案内する
途中
なのだが、この日も暇なやっこが3人ほど後をついてきていた。
京伝は蜀山人と付き合うほどに蕎麦屋好きになって、昼から蕎麦を肴に酒をやる。
天明は饂飩屋が蕎麦屋に看板換えする店が増えていて、酒売りの一杯飲み屋も蕎麦を打ち出した。

「おい、こいつらにも出してやってくれ」
日本橋の「砂場」にさしかかると縄暖簾をあげて京伝が亭主に声をかける。
金魚の糞のように
ついてきた男たちにも気前よく馳走する。
「おいらの昼飯はもっぱら、これでな」と二人は別な席をとって京伝が枡酒をやりだす。
太兵は前髪を切って元服したのは12歳だったから、酒も相当強くなっていて、京伝の相手をする。

「侍なんざ、日に3回も飯を食らうらしいけど、江戸っ子はそんな半端なことはやりゃしないぜ、

米の飯ばっかり食ってるとお天道様に笑われる」
京伝の言うとおり、江戸市民の半分以上はとび職と職人だったから、習慣的に1日2食で、およそ昼飯も時間がまちまちだった。
昼前から通しで商いをしている蕎麦屋が彼らの常食屋になって
いて、
そこに酒があるのだから、朝に仕事が終わった連中は、朝飯し代わりにたらたらと呑んでいた。

「会津もんの打つ蕎麦もうめえらしいじゃないか、一度ごちになりてえな、太兵さん」

「先生だったらいつでも打ち棒持参でまいりやす」
「おっと、そうこなくちゃ、いけねえや」
京伝が皿に入ったネギ味噌をなめるようにして酒をやる。
毎日呑むから酔いがすぐ回る。軍太郎と会う前に酩酊するのではと、太兵はひやひや
している。

「おいら、答えを見つけたぜ」
京伝が少しくぐもっていう。悪戯小僧が九九を暗算で言えるように
なったときのように嬉しそうだ。
“田沼意次追い落としの絵が書けた”と京伝は暗に言っているのだ。
太兵はその言葉に僅かに反応して、納得顔で京伝に酒を注ぐ。

この二月ほど田沼一派の動きを内偵して、そのすべてを京伝に伝えた。
藩主からの指令の全体を捉えて、構図を描けるのは彼しかいないと考えて
いたのだ。それは平賀源内からも京伝しかいないと言われたからだ。
それほど京伝という人物は危なくて、とてつもない事を考えられる人物だった。

田沼の政治は放蕩者の京伝には割りと合っているのかもしれなかった。
が、この話に乗ったのはやはりもうこの空気に厭いていたのだろう。
田沼一族の1人勝ちに京伝も腹に据えかねていたのだ。
農民の米騒動があちこちで飛び火して、米蔵の打ち壊しが各地で勃発していた。
東北奥州の悲鳴のような疲弊の声が、江戸市民にも聞こえてきていた。

花番が蕎麦がきを運んできた。蕎麦がきは一口程度の大きさで丸くまとめられた
のが、
椀の中に6,7個入っていて、蕎麦湯がたっぷり入っていた。
そこに大根おろしと鰹削りを覆うようにかぶせる。後は味噌だれを回しかける。
京伝がくると亭主が特別にだす蕎麦がきだった。
「あのせがれは崩せるぜ」
京伝が太兵の顔を見て笑う。あのせがれとは田沼意次の長男、意知のことだ。
「一番いいのは、死んでもらうことだがね」
そう言って、蕎麦がきを美味そうに口に放り込んだ。


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