蕎麦の散歩道

美味しい蕎麦と、楽しい食の道を歩む。

きょうや 国立  鴨鍋に、投じ蕎麦

2007-02-27 10:45:19 | 近郊・神奈川・千葉・埼玉・茨城・長野他
鴨鍋を食べるために国立に集まった。
昨年も同じ頃に4人で初めて訪れ、この鍋に一同感動して、また来ようとなっていた。
昨年から人数も増えて6人、新参加はしおんさん小マメさんエルムさん、そして昨年のメンバーで酔流亭花まきさん、夢ハでありました。
エルムさんは僕は初めてお会いしましたが、作品展を開催されるほどの写真が趣味の好青年です。花まきさんとミクシーでのお知り合いと聞いていました。


(下仁田葱を丁寧に焼いてあります。とろりとして美味しい)

鴨鍋の期待は大きいのですが、まずは蕎麦前に肴を色々皆さんで選びました。
豆腐の味噌漬け、自家製のお豆腐、若筍の煮物、これらでまずは日本酒を傾けました。


(自家製のお豆腐。豆乳がよいのでしょうか、甘みがありました)

酒は、獺祭、黒龍など銘柄は5種類くらい飲んだ様な気がした。肴も群馬の下仁田葱がトロリとした食感でこれはよい酒の当てになりましたし、自家製のお豆腐は甘みがあって、塩も何もつけないでも食べられました。


(鴨は脂身部を炙り、包丁目を入れてありました)

さて、鴨鍋です。野菜もたっぷりあります。これはまず鴨のつみれ肉を竹べらで丸めて最初に落として行きます。そこに野菜を入れて、鴨肉をレアくらいにしゃぶしゃぶふうにして食べるのです。


(Tシャツ姿はエルムさん。鴨がたっぷり入っています)

このつみれ肉は昨年も美味しいなと思ったのですが、自家製のブレンドで薬味の配分がよく脂身のバランスが程よいのです。肉身は脂身に包丁を入れてあって、炙ってあります。
よい仕事がしてあるから美味しい鍋になるんですね。汁はやや辛めでこの辛めが鴨の味に負けないから良いぐあいになります。
我々の気持ちも、きりりと引き絞った弓のごとく、ピンと放たれた矢が鍋の中の具に突き刺さります。一気に食べました。
「長野に投じ蕎麦というのがありますね」スープだけになった鍋を見て、僕が向かいに座ったしおんさんに水を向けた。
「そりゃ、いいや」もう言わずもがなに分かるのです。
投じ蕎麦温蕎麦の系譜③参照)は具が沢山入ったところに手笊で蕎麦を投げ入れて温めて食べます。


(もりそばを投げ入れました。鴨出汁が出て旨みが蕎麦に絡みます)

「この美味しいスープに蕎麦を入れない手は無いでしょう」早速皆さんに提案して、蕎麦をいくつか注文、なかなか普段食べられないものを食べました。


(半分はそのまま頂き、残りは鴨鍋に入れました)

蕎麦はもり蕎麦と田舎蕎麦を両方入れたのですが、予想に反して田舎蕎麦がよい味わいになりました。
こんな食べ方をして行儀の悪い客だと思われたかもしれませんが、きょうやさんも嫌な顔もされずありがたかったです。
久々に寒気のある日でしたが、国立駅まで10分くらいの歩きが気にならないほど鴨鍋の効力は確かでした。
この時期が終わると桜です。季節はよい蕎麦屋酒を運んできてくれます。
きょうや 東京都国立市富士見台 1-12-14
             TEL / FAX:042-573-9755
             11:30-14:30 17:30-21:00( L.O20:30 )
             定休日:水曜日
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お餅の入った、辛いランチ

2007-02-26 08:27:55 | ランチ
草思庵の5食目のランチ。名前は残念ながら難しくて憶えられませんでした。
素材などから直訳すると
「大辛牛モツ韓国スライス餅入り野菜との煮込み」ちょっと長いですがこうなりました。


(相変わらず辛くて美味い。右のほうにお餅が見える)

やはり辛くてご飯にのせながら食べる事になります。韓国のお餅がスライスで入っていて、これは日本の餅と違って溶けないでしっかりした歯応えです。
モツはコトコトに込んであるのですが食感はコリコリしていてこれも歯応えがあります。
草思庵のランチは、これが最終回です。
チョット訳がありましてオフィスが4月から田町と浜松町の2ヶ所になり、六本木には、来れなくなります。
3月末までは残りはなるべく麻布近辺のお蕎麦屋さんと和食屋さんで食べようと思います。
田町も大きく開けてきていて多分楽しいものになると期待しています。
どなたか、田町近辺のお食事処、和食、蕎麦屋、居酒屋、焼き鳥さんなど、教えてください。22日・火曜

李朝懐石・草思庵 港区西麻布3-24-5 03-3478-2206
             定休・日曜
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蕎麦屋裏稼業⑥  布屋太兵の正体

2007-02-24 22:38:34 | 小説・布屋太兵衛 蕎麦屋裏家業
芝増上寺は歴代の将軍の慰霊を祭る菩提寺である。
しかし、二代将軍秀忠とその子三代将軍家光との確執は菩提寺の増上寺まで持ち込まれている。
増上寺には三代家光、その子の四代家綱、兄弟の五代綱吉の墓が無い。家光は遺言により徳川の増上寺にはいることを拒んだ。
家光の家系がそっくり抜けている。
死してなお親への反抗が強かったのだから、生前には凄まじい闘争があったと想像できる。
その家光の闘争の片棒を担いだのは、秀忠の愛人の子正之軍団であった。保科正之も家光に劣らない秀忠への復讐心があった。 (写真は芝増上寺正門/ウィキペディア)



『前回までのあらすじ・・布屋太兵は会津藩の庇護を受けて麻布永坂に蕎麦屋を開店。 
これまでにない白い更級(更科)蕎麦と緑色の蕎麦を出して評判になった。 日本橋の暴れん坊の料理人磯吉、元吉原の花魁で花番の高尾なども客の興味を引いた。 
余りの評判に順番とりで喧嘩騒ぎになり、太兵がその仲裁に入った。喧嘩相手は火消しの頭と目明しの親分。
この二人と後に不思議な縁を結ぶ始まりとなる。 開店に当たり、江戸の風流人大田蜀山人の応援もうけていたが、その蜀山人が寛政の改革を進める松平定信に近くなり、やがて反対の道を歩む事 になる』  


痛快な開店騒動が沈んだ空気の江戸の市中を走り抜けた。
松平定信の倹約令も何のそのである。
保科家もこれには大いに喜んだ。正之から数えて五代目の松平容頌(かたのぶ)は手拍子を叩いて飛び上がったという。
布屋の役に立つものなら、屋敷内にあるものは何でも持ち出してもよいとの下知があった。まるで喧嘩を奨励するような褒めぶりだ。保科から松平に代わっているが、この松平の姓は元々は家康の直系の孫に与えられた名前だが、初代会津藩主保科正之は異母兄の将軍家光の再三の要請にもこれを辞退して名乗らなかった。

家光は自分の不遇な幼少時代と正之の不幸な育ち方を重ね合わせていたようで、この聡明な義弟に深い信頼を寄せていた。
将軍継承の埒外にあって真っ直ぐな正義感を持つ義弟を自分の懐刀にしようと考えていた。
乳母のお福の尽力で将軍の座に就いたが、周囲は凡庸な才と見て直ぐにでも将軍の座から引きずり下ろせると考えていたようだ。
家光の将軍宣下は複雑な事情があった。父の秀忠そのものが反対で家康の裁定で後継が決められたから、何かあれば弟の忠長に移そうと考えていた。

5歳下の忠長の名前から、秀「忠」の「長」男と周りは推量し、家光派は元々極めて少なかった。
将軍になっても依然として秀忠は大御所として権力を保とうとして譜代ばかりか、東北の伊達政宗、九州の黒田家と連携しながら家光の上に君臨しようとしていた。
しかし、家光は上に立つ器を密かに隠していたようだ。正之の登用や以後の配下の顔ぶれを見ても家光には非凡な将としての大きさがあったようだ。


(江戸中期に蕎麦が入る会石料理が定着。大島銀杏・柚子きり)

正之には信州高遠藩3万石から次々に領地を加増して終いには会津23万石を与えてしまう。
正之は治世の才があったのだろう、その領地を米、雑穀、野菜を豊富に収穫する地に変革し、生まれ育った信州武田から主要な文治文化をも移植した。
特に蕎麦、紬反物、陶器は江戸では会津物として重宝がられた産地物にまでにし、実質石高は徳川紀州、尾張に匹敵するといわれた。

家光は巧みに正之を紀州、尾張、水戸への対抗勢力にしてしまった。会津軍法はかって徳川家康を破った武田軍法を参考にして大量の大砲、鉄砲を揃え、親藩でも突出した軍事力を蓄えた。
反物商に力を注いだのは、その商い行動で発生する情報収集団の構成だった。信州の強国武田の礎を築いた間者組織を完全な形で模倣し完成させたのだ。
徳川政権初期には同じく家康が全国間者網を武田信玄から見よう見真似で作り上げたが、家光の代になるとそれが必ずしも正しく機能してはいなかった。


(穴子と鴨が蕎麦屋の定番になる。銀座流石・穴子の煮こごり)

家光は正之の持つネットワーク網に着目したわけである。徳川の忍者組織がすでに武家一門に吸収されていてその組織が目詰まりを起こしてしまっていたのだ。しかもその組織は、大御所秀忠に直結していた。会津藩には正之の代から密かに間者組織が形成され、正之を通してその精査された情報が家光の元に届いていた。
家光が将軍の間も正之は参謀役として、外様大名の動きを的確に把握してそれを幕政に還流させていた立役者だった。
家光が将軍の頃はまだ伊達政宗が築いた仙台藩100万石が東北に控えており、その財力と軍事力を抑えるためにも関東への入り口福島を正之に守らせた意味がある。


(蕎麦屋の田楽も人気商品だった。大島銀杏・茄子でんがく)

関東の入り口に強大な軍事力を持つ会津藩が東北に一本楔を打ち込んだ格好になった。大御所秀忠の勢力図が次第に縮小し、うかつに家光引退の幕引きを行えなくなってきた。
秀忠から冷遇された正之を瞬く間に大大名にし、全国に監視機能を作り上げた家光に親藩、外様大名も忠誠の誓紙を秀忠に隠れて秘密裏に差し出すようになった。
大御所秀忠が死ぬと直ぐに正之の進言で家光は、外様の勇、加藤清正が作り上げた肥後熊本藩を改易し秀忠に近かった外様大名を震え上がらせた。

以後武断派と言われる家光の背後を守り、譜代の御三卿、御三家の生臭い動向を押さえ、幼い後継将軍の委譲に大きな貢献をした。
それだけに家光は正之に兄弟の印の松平姓を名のらせたかったようであった。だが、正之は自分を育ててくれた保科家への配慮と父の秀忠への反抗から最後まで受けなかった。
この辺りの気骨が江戸っ子に愛された所以で、正之の声望から江戸ではこの初代の保科家の名前の方が通りがよい。

50歳を前に死去した家光の頼みで副将軍役を受け、11歳で家光の後を継いだ家綱を補佐した。その家綱の安定政権が以後29年も続いたのはその叔父の正之の支えとさえ言われている。
徳川幕府での副将軍はこの正之しか歴史上存在していない。
正之が死して三代目で松平姓を受けたが、五代目の松平容頌が一番正之の血を引く名君であるとも言われていた。


(信州から山形へ、山形から福島へ保科家が移る。新橋山形蕎麦・美良)

「蕎麦が白いそうじゃないか、わしも一度は食べてみたいが」
「道堂様なら、いつなりとも」会津藩江戸屋敷に太兵がいた。
「田中様からの文である」江戸家老の道堂から太兵はこよりを渡された。
「田中様がこちらに来られるのですか?」その内容を暫く見る。その文には、松平定信の動向を探れ、とだけ書いてあった。
「その文は燃やせとのことだわい」
その文の内容にも触れず、対座している横の火鉢の中に道堂が無造作にそれを投げ入れた。
田中玄宰は容頌から藩の筆頭家老に抜擢された人物である。
「さて難儀なことではある。田中様もようやく会津の仕置きも片付けて、今度は江戸じゃ」
「田中様に裏から回って反対していた代官たちもこちらのほうでたいがい始末しました」
「太兵衛殿の裏人もよう働く」市井では太兵だが会津藩内では太兵衛と呼ばれている。
この頃は東北の藩は財政が破綻していた。江戸四大飢饉といわれる天明飢饉が豊かな財政を誇った会津藩さえも危うくしていた。
先年に田沼意次が商業偏重政策を採っていたから農村から農民が抜け出して江戸や上方などの商業地区に奔った。


(ぶっかけ蕎麦は今で言うファーストフード。六本木竹やぶ・冷い野菜そば)

米の生産が減っているところに青森岩木山の火山爆発、追うように長野の浅間山が爆発。さらに天候異変が重なって大旱魃が到来した。
徳川政権は悪政がある年代には不思議に天地異変が重なって経済が不安定になる。特にこの時代は米作が政治の基本だからそれが揺れると庶民が干上がってしまう。
現代のように政治がマイナスを犯していても、民間がそれをある程度補うことができるが当時はそうはいかない。
江戸後期になると庶民は侍を養っているのは自分らであると思っていたのは事実でもあるから、不満がいつもくすぶっていた。

会津藩も財政の建て直しに田中玄宰を起用したが、その政策の反対にあって半年も費やしてしまった。裏で太兵が動いて決着をつけたのだ。
それにしても江戸家老と身分が違う太兵が対座しているのも尋常ではない。普通なら庭に下座して対面するはずであるが。
「これは、口頭で伝えとのことだで」道堂が太兵の耳に何かを囁やいた。
「松平様をですか?失脚させよ、と!」太兵が一瞬体を引いた。
「これ、声が高いだわ、太兵衛殿」今度は同等に対する殿を付けて呼んだ。
布屋太兵衛は会津藩主直轄の間者組織の総元締めである。
裏ではほぼ江戸家老職と対等な地位とされている。会津藩は紬反物商人を全国に回遊させ大坂と江戸に拠点を作り情報を集約させていた。
道堂から老中の松平定信の名前が出た。失脚という言葉が告げられた。
蕎麦屋裏稼業⑥

*この物語は史実を元に作者が創作したフィクションです。 団 体・組織についても架空の場合があります。 なお、資料は数が多く回毎に提示できませんので、 最終回に掲載させて頂きます。 


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辻そば 新橋  剣客に一本、取られる。

2007-02-24 10:46:54 | 銀座・新橋・芝・築地・港区・中央区・墨田
彼のオフィスから歩いて5分。
途中、山形の山菜を出してくれる美良が途中にあって、そこの道筋も案内して、辻そばにたどり着く。
厨房に入っている「ひろ樹」さんが随分立派なひげを蓄えていた。
「朝、目が覚めたら、こうなっていたんですよ」その髭のことを聞いたら、そう答えた。そんなとぼけ方が彼のキャラクターである。


(手前が菜の花のおひたし、上が地鶏大根)

この日は3人で予約してあった。前回、彼が辻そばの肴でイカの沖漬けなどが気にいって、もう一度行きたいからと先週あたりから行く予定にしていた。
肴はイカの沖漬け、酒盗、菜の花のおひたし、卵焼き、大根と地鶏の煮物などを最初に頼む。3人だと色々なものをオーダーできるので楽しくなる。
もう1人は僕の娘くらいの女性でデザイナーです。この業界ですから酒がやはり大好きですね。沖漬けが来た時には皆が一致してぬる燗になる。女性がいるので五人娘と言う銘柄にした。

すぐに2合が無くなり、それから穏、季風などと順番に2合ずつぬる燗にしていく。肴も次々に注文して、キツネのいしるやきなどという珍しいものも頼んだ。


(きつねのいしる焼き。これは塩辛いが酒に合う肴でした)

いしるは石川県の輪島特産の魚醤でイカとか、鰯が原料で、秋田の魚醤のしょっつる、タイのナンプラーなどと同じだというと分かりやすい。鴨は焼いてもらって葱が好きだという彼女に差し上げる。


(鴨脂で丁寧に野菜を焼いてある)

鴨脂で丁寧に焼いた葱の美味しさを味わうと、これは蕎麦屋の常連になる入り口に差しかかることになります。僕は彼から若手のクリエイターの教育係を仰せつかっているのだが、これではどうやら蕎麦屋の楽しみ方のインストラクターになっている。

〆の蕎麦は皆バラバラで、僕は「剣客そば」にした。この蕎麦は辻そばでは皆さん一様に美味しいといわれるが、僕はこれまで食べていなかった。これがなかなかの手強い蕎麦で、太打ちで噛み応えがあって味わいが強い。冷たいだし汁もこの蕎麦に合っていて久しぶりに竹刀で面を1本取られたようでした。


(剣客そば。太打ちの噛み応えのある蕎麦に薬味がたっぷり)

彼が頼んだ蕎麦も相当美味しいようで、僕に一口と勧めてくれたが、次回のお楽しみとすることにした。しっかり、看板まで飲んでしまいました。
新橋の繁華街はまだまだお楽しみ中で、いつもなら美良の向かいのバーに寄るのですが、
日本酒が効いたので今日はこの楽しさを家に持って帰ることにしました。
23日・金
辻そば 
港区新橋5-33-3 03-5401-1851
11:30~14:00/17:30~22:00(L.O.21:30)/土曜は昼のみ 
定休日:日曜・祝日
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更里 浅草橋  蕎麦屋も客を育てる

2007-02-23 17:23:27 | 神田・浅草・神保町・猿楽町周辺・新宿区

かなりのご無沙汰でした。
淺川の開店前に、彼と花まきさんと3人で来て以来である。夕方早い時間、先客が1人、なんとか顔は憶えていてくれたようだ。
御膳蕎麦の蕎麦掻の揚げだし、ごぼうの天ぷら、これまで食べたものとは違うものをオーダーした。
御膳蕎麦の掻揚げ自体が珍しいし、これまで食べた事がない。御膳蕎麦とは更科そばのことです。変わり蕎麦の元になるものです。
蕎麦の粒は3層からなっていて、最初に蕎麦粒を石臼で挽くと一番やわらかい中心の部分にデンプン質があってそれが砕けて粉になります。
これは白い粉で香りは微弱ですが、蕎麦にすると真っ白な更科そばといわれるものになります。


(牡蠣の醤油煮。裏メニューでお願いする)

粉にならなかったものを再度、再々度挽くとその2層、3層の部分がまた粉になり、それが2番粉、3番粉といわれるものになります。これらの粉のブレンドの仕方で色や香りが違ってくるのです。同じような蕎麦でも各お店によって味も色も違うのは、各産地の品種でも違いがあり、そのうえブレンドで変わってきますから、我々はその違いを色々楽しめるというわけです。


(蕗の薹の味噌漬け。これはなかなか酒のよいあてになりました)

また、切り方やそばの厚み、つゆの違いで印象も変わってきますから、蕎麦屋の数だけ違う蕎麦があることになります。
こんなにも楽しみが多い蕎麦とはなんと素晴らしいものではありませんか。


(ごぼうの掻揚げ。桜えびも乗せてあり、サクサクしていました)

ごぼうの天ぷらがサクサクと掻揚げで揚がってきました。奈良の冷酒を頂きながら多少ご亭主とお話をしました。
BBSなのかブログなのかわかりませんが、かなりひどい書き込みがあったそうです。ご亭主はパソコンをやらないそうでお客さんから教えられたそうです。
プロの批評は匿名ではなく本人の責任の居所が判明し、彼の基準もありますから耐えられるのですが、匿名のアマチェアは責任の所在が曖昧ですから、ただ傷を付けるだけに終わってしまいます。
「お客さんならどうします?」
ご亭主は僕がブログをやっているのは知らないので聞いてきました。「僕なら、もし不味いとか、口に合わない場合は書かないし、それで2度と行かない。それで終わりです。書くくらいなら、本人に言うかな」
確かにブログの影響力は大きいと認識しておかないといけないのでしょう。ブログにはプラス面ばかりでなく、マイナス面もまたあると思います。
いいことばかりではないことは、これまでの自分のことでもありましたし、他のブロガーの方からも聞いたことがありました。


(御前蕎麦の蕎麦掻の揚げ出し。すいとんのような食感です)

電話予約があり、その話題は終わりましたが、蕎麦屋のご主人も大変です。店は客で育つというが、できるならそんな客になりたいものです。
考えてみると蕎麦を好きになり出した頃、蕎麦屋のご亭主に馬鹿な質問を一杯していたような気がする。

でも、丁寧に答えていてくれたご亭主がほとんどだった。それはきっと蕎麦屋は客を育てようとしてくれたのだろう。
いい蕎麦屋と出会ってきたのかもしれない。



中細の蕎麦です。蕎麦のしめ洗いは氷を控えめにして、つゆは常温。酒を飲んだ口の中には丁度良い心地のそばでした。
開店から3年目だそうです。築地の布恒も気になっておられたようです。ご亭主の修業先は大森の布常本店です。
手打ち蕎麦屋3年と一昔は言われました。丁度よい力の出る頃になる、と言う意味なのでしょう。22日・木曜

更里 台東区浅草橋1-11-3 03-3863-6288       
         定休・日曜    
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銀杏 大島 駆け足の、牡蠣蒸篭

2007-02-20 21:06:20 | 江戸川・江東・葛飾・新宿・大田区・足立区
先週来たばっかりなのに、
牡蠣の時期が終わりになってしまうので気が急いていたかもしれない。少し時間があったので、お昼に駆け足で寄った。


(ほどのよいこし、品のある柚子の香り。色だしも鮮やかです)

この日は飲めないので、蕎麦だけです。柚子きりと牡蠣蒸篭を頂く。柚子きりはコース料理で昨年食べた気がする。
ということは昨年の今頃も牡蠣は食べているのではないかと思って、念のため調べてみた。 2月4日にやはり来ていた。
その時は牡蠣は天ぷらを食べたと書いてある。今年のように牡蠣のステーキとか、牡蠣のおじやなど牡蠣尽くしにはなっていなかったではないか。毎年、工夫があっていいですね。
柚子きりも香りが強く出ていて、つゆに漬けるのはもったいないです。品のある変わり蕎麦です。


(牡蠣南蕎麦ではなく、つけ蒸篭にしました)

今日のお目当ての牡蠣蒸篭です。広田湾の大粒の牡蠣が4,5粒入っています。葱も良く焼けていて汁に旨みがありました。
お代わり蒸篭を頂きたいところでしたが、ぐっと我慢しました。あとでお腹が苦しくなるのがわかっていますから。
あっという間に食べて、ほんの一言声を掛けてご主人も女将さんもあきれるくらい足早に仕事に戻りました。

銀杏  東京都江東区大島2-15 03-3681-9962          
         11:30~14:30(ラストオーダー)17:30~21:00(ラストオーダー)                     
          定休日 毎週月・毎月第四火
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蕎麦屋裏稼業⑤ 不思議な逆回転

2007-02-17 10:17:19 | 小説・布屋太兵衛 蕎麦屋裏家業

永坂の坂下に三田稲荷という稲荷があったそうだ。
高い石段を登って行くと、鬱蒼とした森を背に社祠があった。高台にあって見晴らしがよかったので、高稲荷と呼ばれ江戸っ子に愛された。
「高遠布屋」は三田稲荷の下にあった。蕎麦は開店直ぐに評判で、あの大田蜀山人も食べに行ったことがあるという。
 その時、詠んだ狂歌というのが伝わっている。
更科のソバもよけれど高いなり(高稲荷)  モリを眺めて二度とこんこん(来ん来ん)・・やや高い蕎麦だったのかもしれない。
(写真は布屋の始まりとされる更科堀井・八代目)


前回までのあらすじ・・布屋太兵は会津藩の庇護を受けて麻布永坂に蕎麦屋を開店。これまでにない白い更級(更科)蕎麦と緑色の蕎麦を出して評判になった。
日本橋の暴れん坊の料理人磯吉、元吉原の花魁で花番の高尾なども客の興味を引いた。余りの評判に順番とりで喧嘩騒ぎになり、太兵がその仲裁に入った。喧嘩相手は火消しの頭と目明しの親分。この二人と後に不思議な縁を結ぶ始まりとなる』

江戸は気風の良さが受ける。
太兵の喧嘩仲裁に入った大音声は麻布永坂から品川宿まで聞こえたという大袈裟な噂が飛んだ。
布屋の「大鐘突き」、江戸中に声が響くとの渾名である。当時はこんな話が江戸の町でしょっちゅうあって、話を大きくしたがるのは江戸っ子の特性でもあるから驚くにあたらない。
これはひとつには、太兵が江戸っ子に認められた証拠でもあった。この話が大きくなったのは火消しと目明しの喧嘩のせいでもあった。

この時火消しは江戸市中に48組あって、単純に1組平均200人の鳶職がいると計算して、その火消しと喧嘩すると極端な話が1万人の鳶を敵に回す事になるから大変である。
火消しの組にはそれぞれ纏があって、その纏を立てたところで火を消すとの線引きだから、それを守るのは命がけのことで、町火消しといえば命知らずが通り相場である。
その命知らずと喧嘩した勇ましい男が目明しだったのも話に火をつけた。
この男も若い頃は喧嘩上手と噂のあった地回り。江戸っ子がすぐに飛びついた。これが評判を呼んで翌日も客が押し寄せた。
やんややんやは江戸の持ち味で、評判の店の並び好きは今も東京人の性向の中に生きている。

 
(蕎麦寿司は巻物と稲荷の2種類。江戸時代の文献には蕎麦寿司も人気の品だったという。更科堀井)

翌日の布屋はもっとすごい事になっていた。店の前に長椅子を並べて、5人は入ろうかという金襴の大名傘を2台差したから、これには流石の江戸っ子も度肝を抜かれた。
この大名傘の紋所は保科家のものだから、その肩入れがわかろうというものである。
このあたりは太兵の演出というよりは花番の高尾の差し金である。高尾は向かいの軒を借り受け、即席で茶店のように設えて、そば茶を待ち人に振舞った。
これで待たされる不満が減ったわけである。そば茶を注ぐ女は新吉原の若い新造花魁を二人借り受けて清水の茶摘姿の格好をさせたから、この一画が大いに華やいだ。

これにはすぐに瓦版が飛んできた。破天荒な女だがこんな時に好きにやらせる太兵も偉い。これでお昼過ぎの瓦版の早刷りで布屋の記事がのって店も大賑わいになるだろう。


(天ぷらは江戸の三大好物。蕎麦屋がいち早く取り入れた。更科堀井・掻揚げ)

「南畝先生が来てますよ」高尾が太兵に声を掛けた。
「やあ、繁盛だな」のっそりと南畝が厨房に入ってくる。
「先生、これちょっと後で味を見てください」
「いや、忙しいから、ここでつまむ」
太兵が作っていた鴨の料理を無造作に口に放り込む。
「美味いけど、やりすぎている」
「何でしょう?」
「気持ちがはやっている」
「また、それだ」南畝とはいつも禅問答だ。
「布さん、京都の鴨料理が美味いのは、葱が美味いからだよ」
「わかった!」
そばにいる磯吉などには何のことやらまるっきりわからない。
「布さんは勘がいい」
男の名は太田直次郎、南畝ともいい、蜀山人とも言われる御家人の風流人だ。
当代一といわれる秀才で、狂歌の名人と言われているが料理上手で評論家でもある。
特に蕎麦の味見は太兵が見るところ日本一だと思っていた。貧乏御家人でお目見え以下といわれる直参でなかなか出世もままならず、不遇をかこっていた。

元々高尾の知り合いだが、もちろん高尾の客になれるほどの身分ではない。高尾の上客の狂歌の先生でいわゆる旦那衆の取り巻きと言うわけである。以来、布屋を贔屓にしてくれて頼まれてもいないのに宣伝役をやってくれていた。
かって平賀源内に見出されたというから同じような性格があったのかもしれない。
ただ蜀山人といえば狂歌の世界では知らない者がいないほど名は売れていた。近頃では狂歌の出版本も出していて貧乏所帯の足しにしていた。
このところ松平定信近くに時々上っているとの噂もあった。


(季節の食材を練りこむ変わり蕎麦。風流と粋を好む。更科堀井・柿の葉きり)

「先生も最近は偉い人とお付き合いがあるそうで」太兵が聞く。
「なんだ、もう知ってるのか。拙も石高がほしいからな」そう言って高笑いをする。
「先生が偉くなると困りますから。蕎麦屋なんぞとお付き合いいただけないのではと」
「その心配は無いぞ。拙がえらくなったら毎日布屋を貸しきる」これも高笑い。
この調子だと多分偉くなれないだろうと、布屋も安心したが、何しろ松平定信と言う人も変わり者だという噂もあって、どう転ぶか分からない。
「先生、きんきん老中さん、ってどんな御仁ですかい?」側にいた磯吉が聞く。
きんきんとは、禁令ばかりを出す定信に江戸町民がつけた渾名である。
「磯吉さん、あの御仁はそのきんきんそのものじゃわい」
「魚のきんきんは美味いんですがね」磯吉がまぜっかえす。
「ありゃ喰えんぞ、人間が不味い」と蜀山人。
「先生そんなこというと・・」太兵。
「いや、人の上に立つ者はな、多少喰えんとこがないと駄目なようでな、拙のように大甘だと出世はせんわい」
「でもこれが最後の縁でしょう」遠くから高尾が聞いていたようで怒鳴る。
「かもな!」一同大笑いになる。
確かに大田直次郎もこの時43歳、出世するには最後の時かもしれなかった。太兵には定信がどのような男か想像もつかなかったが、この変わり者を幕政の中心で働かせてやりたいと思っていた。
後に松平定信を巡って布屋と蜀山人が反対の立場になるとは今はまだ想像もつかない。
世の中は時として、不思議な回転をしだしてしまう。
蕎麦屋裏稼業⑤

*この物語は史実を元に作者が創作したフィクションです。 団 体・組織についても架空の場合があります。 なお、資料は数が多く回毎に提示できませんので、 最終回に掲載させて頂きます。 


 

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銀杏 大島  さくさくの掻揚げランチ

2007-02-16 08:38:54 | 江戸川・江東・葛飾・新宿・大田区・足立区
銀杏のお昼は3回目だが、ランチを食べた事がない。
「今日はお腹に余裕がありましたら、ランチを是非」ご亭主が言う。
生を頼んで、ランチメニューを見て掻揚げ丼セットをオーダーした。これは面白い食べ方をする。やや薄めの常温の汁を掻揚げの上から掛ける。


(ランチの前のおしめり。小芋を丁寧に煎り胡麻でまぶしてある)

茶漬けほどのじゃぶじゃぶした感じにはならない。掻揚げがカリンカリンだから少しやわらかくなる。ご飯にその汁が少し浸みるようになって食べやすくなる。


(掻揚げ丼にスープを撒くように散らす。アイデアのある食べ方でした)

掻揚げは油落ちがよく油はあっさり目の配合をされている。もちろん僕は蕎麦を最初に食べたのだが蕎麦がますます美味しくなっています。
美味しい蕎麦、さくさくした掻揚げ丼、これにデザートが付いて1000円だからリーズナブルです。


ランチを食べながらしっかり夜のコース料理をチェック。広田湾の牡蠣があるときに来なくてはいけないと思います。14日・木
銀杏  
東京都江東区大島2-15 03-3681-9962          
11:30~14:30(ラストオーダー)17:30~21:00(ラストオーダー)                 定休日 毎週月・毎月第四火
銀杏の前回の記事  
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やざわ 江戸川区役所前  目で食べる肴

2007-02-14 14:13:44 | 江戸川・江東・葛飾・新宿・大田区・足立区
今年初めてだと、若女将に言われた。
この日は目当ての蕎麦屋が見つからなかった。この辺りではないかと地図を頼りに行ったのだが、散々探したが無駄足だった。
休みなのかもしれない。バスで一区間我が家をやり過ごすとやざわがある。

今年来ていないから一月以上はご無沙汰です。火曜だが休み明けだから釣り魚の上物があるだろう。
案の定、「ほうぼう」「あいなめ」「はた」がある。ここは量が多いのでどちらか一皿です。はたとはどんな魚かを念のため聞いてみる。
はたは煮付けのようなものでしか食べた事が無いからだ。はたはグロテスクな大きな顔をした魚である。
関西では「あこ」といい重宝がられる魚だ。兄弟で「くえ」と言う魚が今が旬で、高級魚でこれは刺身で食べるがそうはお目にかかれない。
はたとくえは、漁師も時々見間違えるくらいだから素人はよく騙される。


(はたの造り。きじはたではないかと思うが、ピンクの色合いがよい)

いずれにしても暖かい海に生息する魚で今頃上がるのは珍しい。それだけ暖冬で季節がずれているのだろう。
はたは白身魚だというような曖昧な返答があった。ここは余り口数の多いお店ではない。若女将の愛嬌のある雰囲気でもっているようなところがある。
はたの身は品があって丁度カワハギの食感に近い。すずき科なので甘みはややすくなめです。もう一品は牡蠣蒸しと小鯛の頭の煮付け。これはお得感のある肴でした。


(大粒の牡蠣と小鯛の頭が二つ。これで860円)

牡蠣の蒸したものを薬味で食べさせるのもいいですね。
〆は初めての饂飩でけんちん汁です。ここの饂飩はややざらついた肌で縮れ麺ふうなのでけんちん汁に良く絡みます。


(具材が沢山入っていました。饂飩も汁に良く絡みます)

釜揚げや、つけ麺でも食べてみたい饂飩ですね。鴨川のさざえ、鮑、なまこも黒板に今日のメニューでのっている。
1人だとここらあたりの量で御終いになるから、目で食べることになる。こんなにもよいものが並んでいるのに、それにしても悔しい。
近所だからゆるりとお昼の遅い時間にやりたいが、結構その時間は厨房が戦争なのである。
だが、一度やってみようと思うが、この魚貝まではどうなのだろう。
断られるかもしれないが。13日・火曜

やざわ 江戸川区松島1-41-23 03-3651-5451
           日曜定休    
            やざわの前回の地図
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2007テーブルウェア・フェスティバル 写真でのご案内

2007-02-13 11:49:06 | その他

今年も期間内40万人近くの来場者があったといいます。昨日の最終日は5万人近く、通りすがりで入った人達も多くありました。



中に入ると球場のプレイする場所に様々なブースがあります。


一番手前のブースはロイヤルコペンハーゲン(デンマーク)



(今年もなんと言っても大倉陶園。志摩観光ホテルの高橋シェフとの食器が有名ですが、そのほかいろんな方とのコラボレーションはここの呼び物です。下は吉兆で実際に使われている食器展示です。この皿に盛られる食材は幸せでしょうね)




(今回一番人だかりが多かったのが、同じく大倉陶園ですが、華麗なる一族とのコラボレーション。テレビの食事シーンに使われるものと同じ物がすべて展示されていました)




(一族が集まっての食事のシーンの再現)


(コンテストで選ばれた器。ここはプロの展示)


(優秀作品)



タレント、著名人のデモンストレーションブースも有ります。石坂さん、黒柳さん、加藤タキさん、服部幸鷹さん他10名くらい。
これは石坂さん。


(これは黒柳徹子さん。それらしい感じですね)



(落合シェフのデモンストレーション料理実演です。スパゲッティでした。
食材をフライパンの上で魔法のように調理します。その魔法はどうやら食材同士の化学反応に有るようでした)



(僕が欲しいなと思った器を何点か。もちろん買えませんけど)






言うまでも無く、目の保養をしました。
このほか実売のコーナーが沢山あって、普段よりもかなり安く求める事ができます。ほとんどの窯が出店しているので見飽きる事がありません。

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焼き鳥屋のご飯ものと餃子

2007-02-12 22:22:46 | 今週のひと品

連休の日曜、草思庵の電話が通じない。
が、年中無休と書いてあるから夕方近く車を駐車場に入れて、けやき坂から西麻布交差点まで4人で歩く。
お昼は春のような暖かさだったが日が落ちると真冬に戻る。この高速の通りはビル風がひどくて体温が急に下がるようだ。
鶏繁本舗の角を曲がって路地に入るが、草思庵が暗い。お休みである。
この寒さでもう他に回る気がしなくなって、鶏繁にした。新橋の本店で名を上げて 各地に出店している。
麻布だけでも2店ある。何処の繁華街もそうだが、このあたりもすごい焼き鳥屋の数だ。
1階と2階に客席があるが予約で一杯なようだ。鶏繁の名前で沢山客を呼んでいる。
4人だから焼き鳥の7本コースのセットにした。僕は運転手なので今日は飲めない。それだけにいつに無く最後の〆のご飯ものに気を奪われておりました。


『生の胸肉を漬けにしてあります。半分は茶漬けにしたい気がした』

ご飯ものは、茶漬け、おにぎりなどめいめい別にオーダーし、僕は胸肉の漬け丼を頂いた。
これがすこぶるいい味で、半分食べた後で茶漬けにして食べたらよいと思うくらいだった。
その前に食べた餃子は鶏肉だからあっさりした具でよかったが、やや焼き過ぎが気になった。
焼き鳥屋にきてご飯ものと餃子が美味いといっているのも変だが
4人ともそういうのだからそうなのだろう。


『餃子はなかなかあっさりしてよい味でした』

焼き鳥は、新橋の鶏繁と比較してはいけないのでしょうが、塩の振り掛けのせいでしょうか、それとも炙りのタイミングでしょうか、鶏の脂が浮きすぎているような気がする。
ま、これも欲なのでしょうが。

鶏繁本舗
・西麻布
東京都港区西麻布3-24-24 03-5411-0289 定休・月

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湯津上屋 銀座  蕎麦屋で蕎麦屋話

2007-02-12 10:51:55 | 銀座・新橋・芝・築地・港区・中央区・墨田
ブログのコメントを入れていて、何かの拍子に湯津上屋に行こうとなった。まゆみさんにお付き合いいただくことになった。
神戸のmakotaさんを介してもう1年近く、まゆみさんとブログ上は会話しているが、当たり前だが面識が無い。

このあたりで何処か行く時は大概歌舞伎座で待ち合わせです。とても美人でありました。
考えてみると自分の娘と変わらないくらいだから親子で食事しに行くといったイメージになったでしょうか。

湯津上屋に行く道すがらコロッケの銚子屋、ラーメンの満福、居酒屋の秩父錦、奈津などをご案内しながらとなります。
土曜の5時、湯津上屋は我々の組だけです。ビールはエビス。まゆみさんはエビスビールだけしか飲まれないのだそうです。
定番ですが蕎麦豆腐、小かぶの醤油漬け、山葵芋と箱海苔をとって、まゆみさんが大好きだという鴨焼きを追加する。

蕎麦屋で話題は蕎麦屋の話になる。若い頃だというから、本当にお若い頃だと思うが松翁に相当行かれたそうだ。
先日僕がオフ会で初めて訪問した今の松翁ではなく、前の場所の松翁です。
両国の細川の前の吉川もよく通われたというから筋金入りだと思いました。僕などより蕎麦では先輩格ではないでしょうか。
僕が最近よく行っている成富、先日訪問した眠庵、松翁出身の蕎楽亭、このところ話題にしている群馬の淺川など蕎麦屋の話で花が咲きました。

連休の始めでお客もまばらです。熱燗を二本それぞれ飲み、途中に蕎麦寿司を追加しました。
〆はまゆみさんは地獄蕎麦、僕は卵とじ蕎麦でした。 湯津上屋は土曜は7時がラストオーダーです。



帰りはやはり屋台バーとなります。最初に赤ワイン、2杯目が白ワイン。この時はどんなお話をしていたでしょうか。
今度は居酒屋だったでしょうか。
「くう」や「こなから」、「串駒」、が話題に出たような気がしました。
酒が深くなるとまた飲み屋と蕎麦屋の話が深くなります。
いい加減という加減ができる年齢になってもなかなか酒の加減ができない。
ここは、人気があるようでこの時間でほぼ満席です。
楽しい一日ではありました。

湯津上屋 電話 03-3567-0838
湯津上屋の前回の記事
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蕎麦屋裏稼業④ 役者が3人、喧嘩で揃う

2007-02-11 11:02:21 | 小説・布屋太兵衛 蕎麦屋裏家業


(麻布十番には布屋を祖とする蕎麦屋が三店ある。更科堀井、永坂更科、更科本店。江戸の後期には更科を号とする店は1000店はあったと思われる。それだけ布屋の名は高かった。写真は更科本店)


開店早々騒動が起きていた。火消しと目明しのいさかいである。
人だかりの輪の中に入っていくと、男2人が睨みあいの最中である。しかし、不思議なほど静かな立会いになっている。
太兵が見るところもう頭同士が出張ってきているようだった。火消しの人足の半纏を見ると「し組」と書いてある。し組みならこの辺りが縄張りである。

永坂麻布から麹町あたりに掛けては火消し5番組と名づけられた一団が仕切っている。総勢9組、その9組中のひとつ、し組みは人手150人ほどの集団である。
将軍吉宗の頃、大岡越前が「いろは48組」の町火消しを整備して以来、その勢力は江戸の火災の多さに比例して大きな根を張った。
め組の辰五郎と相撲取りの大喧嘩もその象徴のひとつでもある。
当時の火消しは火を消すというよりは延焼を防ぐ事で消し止める消防法をとっていた。燃え移るのを防ぐために周りの家を取り払うのである。
火災があってもなかなか潤沢には水を直ぐに放出するほどの整備はこの時代には無理なことであった。


(麻布地区には42の坂がある。そのうち麻布十番には20くらいの坂がある。永坂から更科の名が始まる。写真は七面坂)

町家を除いて庶民の長屋は直ぐにでも移動取り払いできるように作られてはいた。組み立て移動自由、考えてみると合理的にできていた。
従って火消しの構成員はとび職である。150人の火消しがいてもそのほとんどは日中は、大工仕事で出払っている。
子分のような男は番役で10人くらい組頭の家に世話になっていた。そのし組みの組頭が目明しと対峙していた。

この頃の喧嘩は最初は啖呵切りで始まる。威勢のよさで相手を罵り、いい加減なところで喧嘩買いの仲裁が入る。しかし、どうもそのような喧嘩になっていない。この2人の喧嘩の仲裁に入るほどの貫禄のある人間がこの場にはいないせいもある。
二人とも威風堂々としていて、周りも金縛りにあったように動けない。火消しのほうはどうやら2人の子分を従えているようだが、手出しをしないように後に回している。目明しのほうは長身の遊び人風に見える。これも子分を抑えている。
2人とも出方を窺っているようだが、子分達がはやりだしている。二人が間合いを見て自分の名前を名乗ろうとした。
しかし、この名乗りのやり取りが始まると、2人とも引っ込みが付かなくなると、太兵は直感した。

「布屋でござあ~ます!」その時大音声が飛んだ。
周りもいさかいの最中の2人も驚いた。太兵は細い体に似合わず声は生まれながらにして大きい。大きいだけではなく、声が美しい。
その声がこれからも強い武器になって生涯、布屋の「大鐘突き」と人は囃したが、この時の仲裁でこの渾名が出来上がった。
大晦日に突く寺の大鐘が江戸市中に響く事を揶揄したのである。


(おかめ蕎麦も江戸っ子に愛されたもののひとつ。写真は六本木・本むら庵)

アレが、布屋か、とさざ波のように名前が伝わった。保科家に可愛がれている男がいた。
「お客さんの揉め事、全てこの布屋のせいでござあ~す」
東北の会津訛りが取れない江戸弁が辺り一帯に響く。その訛りが可笑しいかったのか、並んでいる町衆も笑う。
だが本人は一生懸命な様子である。太兵の祖は信州だが保科家が会津に移されたときに同じように転出していた。
だが信州は源氏武田でその傍流は徳川の世でもそれなりの目で見られていて、布屋も源氏の出だから神々しく見える。

何せ徳川も天下を取りそうになった時に自分が源氏の末裔だと平気で嘘をついている。それは天下周知のことではあった。
豊臣秀吉などはもっとすごい事を言った。元の氏素性から源氏は無理だったので、日の出から生まれた天子の子と法螺を吹いたが、それに比べれば家康はまだ可愛いものだ。


(元麻布から十番にかけて沢山の寺がある。大名が多く江戸藩邸をこの地に建て寺院も建立した。写真は佐賀・鍋島藩歴代の菩提寺の賢宗寺。初代藩主永眠に殉死者30体ほどの墓石がある。 この殉死の悪習を保科正之が厳しく禁じた法令を将軍の名で出している)

江戸は中期くらいからどっと人が入ってきたから標準語などは元々無い。まして徳川も三河の出である。
極端な事を言えば当初江戸には20カ国くらいの言語が氾濫していた。そこで人々は救いを歌舞伎言葉に求めた。
胸のすくような当時の歌舞伎啖呵が江戸っ子の標準語にあっという間に定着した。東北人や北陸人が翌日からべらんめいでやるのである。
「てやんでい」「べらぼうめい」「てめいの鼻ん中に屋形船をぶち込んで」早口でまくし立てる。

裏を返せばその頃江戸の人々がいかに訛りのある言葉で喋っていて、その歌舞伎言葉の流暢さに憧れたことがわかる。
そんな歌舞伎言葉が江戸っ子の象徴になっていった。それから比較すると訛りのある地方言葉は遅くてまどろっこしいのである。
太兵も江戸に来た頃は歌舞伎を何回も見て台詞をなぞっては練習したものである。
その太兵が言う。こんなにお待たせしているのは全て自分の仕事が遅いせいである。きちんとお客様を座らせるものも用意しなかったのは自分の落ち度である。
そんな内容の事を会津訛りの割れんばかりの大きな声でとうとうと喋るものだから一同が笑いながらも和んでくる。太兵も意識的に田舎言葉を入れて喋った節がある。

なにしろずーずー弁といわれる福島訛りである。愛嬌のある発音なのだ。これには、睨みあっていた二人もさすがに苦笑いが出た。
「布屋の旦那さん、この喧嘩の後始末、あんたに預けたよ。お相手さんもどうなさい やすか」
頃合いを見ていたのだろう。火消しの方は立ち居振る舞いも立派なものだ。
「あっしのほうも異存はありゃせん」
それに呼応して目明しも言う。最後まで十手など出さない男ぶりも見事なものだ。
当時の目明しは地回りが十手を預かるのが常道で、ありていに言えばやくざである。2人とも鉾を収めるという。
二人は流れるような江戸弁である。見物している方はまるで芝居を見てるようになる。

「ありがとうございあす」やっと布屋から江戸弁らしい大音声が鳴った。
「たかと~や!!」
高遠布屋に歌舞伎の合いの手が何処からか入る。どっと、囲んでいた人ごみが割れて一同手を打つ。
役者が3人揃ったのだ。太兵は喧嘩の張本人たちには、もり蕎麦をおまけに付ける。
待たせている人達には直ぐに蕎麦茶を振舞ったから、太兵の株がいっぺんに上がった。
火事と喧嘩は江戸の華と言うが、その喧嘩に乗って「高遠布屋」の名も上がった。 蕎麦屋裏稼業④

*この物語は史実を元に作者が創作したフィクションです。 団 体・組織についても架空の場合があります。 なお、資料は数が多く回毎に提示できませんので、 最終回に掲載させて頂きます。 

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散歩しながら帰るランチ

2007-02-10 13:38:13 | ランチ

冬らしい寒さになった日。近場でいい蕎麦屋を見つけたから行きましょう、とランチに、たじまへ。
連れの方は、根菜のおかずと混ぜご飯、温蕎麦のセット。僕は穴子の天ぷらと温蕎麦。前回頂いた掻揚げが美味しかったのでこれにしました。


小ぶりの穴子ですが身がしっかりしていて甘みがあります。揚げもカリンとして天ぷらの粉の散らし方も上手です。お蕎麦も僕には丁度いい量です。熱いお蕎麦でお腹を温めました。
ここはオフィスに近いので帰りはホテルでカフェオレを飲んで帰ります。
1月30日・火曜

たじま 港区西麻布3-8-6 03-3445-6617       
      11:30~14:30 17:30~21:30(祝20:30) 定休・日

麻布永坂 更科本店のランチです。このお店は初めてです。
布屋太兵衛を開祖にする蕎麦屋は、更科堀井、永坂更科、この更科本店の3店があります。
少し複雑なのですが、通説では、更科堀井が太兵衛を祖とする蕎麦屋とされ、その堀井が蕎麦屋継続が困難となり、「布屋太兵衛」と「更科本店」を別々に看板を譲ったとされています。
想像ですが全く無関係ではなく、姻戚関係か師弟関係にあったのではないでしょうか。
その後堀井が時を経て蕎麦屋業を復活させたわけです。

永坂更科・布屋太兵衛、麻布永坂・更科本店、総本家・更科堀井、この3つがその関係で多少わかりづらいですが近くにあります。


(穴子丼やおかずが沢山セットになっています。蕎麦はたっぷり)

蕎麦はたっぷりです。普通の蕎麦屋の大盛に近いでしょう。
酒のメニューは刺身、天ぷら、鍋物まで割烹に近い品揃えになっています。
ここまで来ると途中コーヒータイムを取って帰ることになります。6日火曜

麻布永坂・更科本店 港区麻布十番1-2-7 03-3584-9410
              定休・月

たき下の欲張りランチ。旬の寒ブリと蛸の刺身、寒さばの焼き物のセットです。連れの方は昨日は夜中まで飲み多少二日酔いということで黒むつ焼き定食。僕だけがビールの小生を頂きました。





この寒さばが抜群の脂の乗りで、連れの方が羨ましがる事。よい週末のランチでした。
たき下まではオフィスから歩いて行きは10分、帰りは13分。帰りは坂上の途中にある寺院を見学しながらの生還になります。8日・木曜

たき下 港区麻布十番2-1-11 03-5418-4702

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眠庵 神田  客が集まる心理の不思議

2007-02-09 16:11:20 | 神田・浅草・神保町・猿楽町周辺・新宿区
暮れから忙しい日が続いているという。
この日は5時半過ぎに入ったが、カウンターにすでに3人座っている。僕はいつものハートランドをお願いする。

肴は煮豆腐、バーボン煮をオーダーした。やや辛めに炊かれたおからを当てにビールを飲む。この日は蟹漬けという珍味を食べてみた。この珍味は蟹の甲羅を砕いて蟹味噌漬けにしてあって塩辛いが、甲羅の砕粉がザりザり歯に当たる食感が酒によい。


(左が煮豆腐、上はバーボン煮、右が蟹漬けという珍味)

開運をすぐにオーダーしてこの蟹漬けを箸に付けて舐める。予約客が入り始める。電話がなり始めて忙しくなる。
「たまには暇な日が欲しいでしょう?」と声を掛ける。
「そうですね、もう暇になるかなとは・・」忙しいときは暇がほしいと思う。
暇なときは忙しくしたいと思う。客がきて「てんぱって」いるほうが商売はいい。
しかも忙しい店に客は寄って来てしまう。客も暇な店は敬遠してしまうのだ。なんとも不思議な客の心理だろうか。
カウンターにいるとご亭主とはるちゃん(お手伝いの男性)の動きがわかって楽しい。
はるちゃんの動きがスムースでご主人の動きを先回りして呼吸が合ってきている。
「かけそばは今日はできますか?」
ご主人が冷蔵庫を覗いて、半人前くらいならありますと答えてくれる。かけそばはかけそば用の出汁がないとできないから、それが無ければ残念と言う事になる。
「適当にざるも入れて作りましょう」
神亀のにごり酒をちびりとやり、バーボン煮で蕎麦を待つ。最初にざるに福井産と宮城産の蕎麦を二つ盛りにしてくれる。


(左が福井産、右が宮城産。色も味も違う個性がある)

色の個性も味わいもそれぞれ違う。福井産が濃口なら宮城産は端麗と言う感じだろうか。〆に椀でかけそばが来た。汁は濃い目の辛口だがしっかりだしをとってある。


(椀に丁寧に蕎麦が盛られている。ご亭主の性格が出ている)

忙しそうだったが、かけそばをお願いしてよかったと思った。
今日の蕎麦は福井、茨城、栃木を打ってあるのだそうだ。なかなか大変な事をされている。
三産地の蕎麦を食べる楽しみは次回に残して、ほろ酔いで今日は帰ることにした。8日・木曜

眠庵
 東京都千代田区神田須田町1-16-4  03-3251-5300
眠庵の前回の記事
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