蕎麦の散歩道

美味しい蕎麦と、楽しい食の道を歩む。

布屋 太兵衛・外伝-29  田沼意次への包囲網ー④ 最終回

2012-03-18 22:00:52 | 小説・布屋太兵衛 蕎麦屋裏家業

太兵は忙しかった。一生のうちでこんなに働いたことはない。
後年、麻布に更科「布屋」を興した太兵は、夜伽話によくこのときの様子を何度も語ったという。

佐野が意知を襲撃した後に、すぐに守田座に走った。
この時代、娯楽の中心は浅草だった。浅草、猿若町には中村座、市村座、守田座があり、人形浄瑠璃二座が人気を競い合った。
軒には芝居茶屋が並び湯茶やお弁当を食べることができた。

芝居は明け六つ(午前6時頃)から始まる。天井の明かり取りを照明にしていたから日没近くが終幕になる。
数寄者は暗いうちから支度して出かける。1日2回の興行があり、
夕方の芝居がはねたら、贔屓の役者と芝居茶屋で宴会が始まる騒ぎだから、芝居見物は1日掛りだった。

京の「和事」、江戸の「荒事」というくらい江戸っ子は出し物に正義感の強い芝居を好んだ。
仇討ちや悲運な世界観を描いた「曽我兄弟」、「義経と弁慶」、「赤穂浪士」などは、どの芝居小屋でも満員になった。

そんな江戸っ子の耳に親の七光りだけで若年寄になった田沼の倅が、城中で討ち取られたと聞こえたから大騒ぎになった。
守田座の昼の演目の真っ最中だった。

田沼意知の御内儀が二階席から転がり落ちるように帰り、
それを見た桟敷席の連中が異常に気づいてざわついた。
そのときに、太兵たちが声を上げて、意知への天誅を伝えた。

太兵たちは城中の様子を仔細に客たちに伝えまわった。

「田沼様、背を向けて逃げて候や、佐野殿、御太刀存分に切り下げ、
背に袈裟切り、胴に一太刀、田沼様、卑怯にもうつ伏せに倒れこみ、
その時、佐野殿、余りの無様な田沼様の様子に、最後の一太刀思いとどまれたよし」

太兵たちの言上で、新番士、佐野善左衛門はさながら歌舞伎役者の立ち役(主役)のように光芒を放って現れた。

“こりゃ、芝居よりも面白い”見物客は我先にと走り出してその事件を見てきたように広め回った。
江戸城を中心にして、浅草から神田、日本橋、深川の筋に江戸の町民の8割くらいが住居していた。
当時、江戸は侍が50万人、町民が50万人が住居していて、侍と町民の住居区割りがはっきり分かれている。
江戸の土地の8割は侍の土地で占められていた。

たった、2割の土地に町民が住んでいたが、このような事件があるとあっという間に広がる。

太兵たちの仕事には好都合だったわけだ。

守田座から太兵たちは舟を10艘仕立て、大川(墨田川)を基点にして、
浅草の川筋から日本橋にかけて、早舟で意知天誅の噂をばら撒いた。
そのうち辻々の物見やぐらに登り、半鐘を打ち鳴らす者まで現れた。
江戸は花火が打ちあがったように湧きかえった。

江戸は家康が区割りし、二代の秀忠が江戸の防衛線を完成させた。
尾張、紀伊、水戸の御三家の上屋敷、中屋敷、下屋敷が江戸城の外堀を包囲するように外様からの攻撃に備えた。
たった一つの例外は前田本家加賀藩上屋敷(現在の東大敷地)だ。約12万坪の土地を与えて、
隣接するその2倍のある敷地の寛永寺と共に東北の雄、伊達藩に備えさせた。

徳川の二代将軍は家康の遺言を厳守した。伊達政宗の影に怯えていた。
今回の事件はその地の利が幸した。
意知襲撃があった昼の時刻、加賀藩は神田川から舟を仕立て、
外堀を本郷から四ツ谷、赤坂、溜池、虎ノ門を周回して、
その模様をくまなく各大名たちの屋敷に触れ回った。

この事件は町民ばかりか各大名、旗本までいっぺんに知れ渡った。
田沼意次の凋落の日が切られた。
太兵の仕事はそれでは終わらなかった。
山東京伝が脚本を書いて、守田座で今回の事件を題材にした芝居を翌日に開演する。

平将門を意知になぞった物語を上演するのだが、その芝居があることを江戸市中に流した。
芝居は2日間の臨時開演だった、役人の手が入る前に打ちきらなくてはいけなかった。

太兵はそれが終わると乞食連中や浪人、暇なとび職をかき集めた。とにかく人海作戦が必要だった。

佐野が田沼意知を襲った日から、徐々に米の値段が下がり始め、切腹の日には高騰時の半分に下落した。

“佐野大明神”太兵たちが火付け役に走った。江戸の町民は佐野を神仏の生まれ変わりと本気で思ったのだ。

佐野が葬られる西浅草の徳本寺の辻々に太兵たちは炊き出しをして、予め集めた乞食たちを寄せて握り飯を配った。
噂があっという間に広がり、鳶職人や子供たちが集まり、そのありがた握りにあやかろうとした。
佐野大明神の米粒を食べると霊験あらたなものがあると行列が寺まで続いた。


翌日から徳本寺の境内に甘酒屋や茶屋までが出店し、佐野の墓には佛花で埋まり、線香の煙が境内一面に覆った。

2日後の田沼の葬式に同じように乞食たちは炊き出しに預かろうとした。
だが、田沼は合理主義者の権化のような人間だったから、全くそのような気配が無かった。

誰かがその乞食たちを扇動して、石を投げ始めた。物見遊山に来ていた町人たちもつられて、石を投げ始めた。
黙々と田沼家の葬式の列は石つぶての中を行進した。

中段の列にいた田沼意次の額に石が当たり、鮮血が走った。
家来が近寄って、手当てとの声を、意次は叱責した。
「ひるむではない。これからが戦争じゃ」意次の声があたりに響いて石はやんだ。

乞食たちの群れの後方に太兵と軍太郎の影があった。

「太兵見たか。老いてなおあの気概だ。松平定信様は果たしてあの意次を越えられるか」軍太郎が呻いた。
「百姓を大事にしてくれるお方だと聞いております」
「だがな、徳川の御金蔵も空っぽ。名だたる大名の蔵には借用書ばかり。
見ろ、土地を捨ててきた百姓たちを。おいらは本当に田沼を潰す手伝いをしてよかったのかな」

「とんだことに軍太郎様を巻き込んでしまいました」
「ま、いいってことよ」
「これからだな、会津も、太兵どんもこの後始末をしなきゃいけねえからな」
松平定信が政権を取って、その2年後に太兵たちとの暗闘が始まることになる。( 終り )


連載第18回は二子玉川「宇奈根山中」
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著作・鎌 富志治(かま としはる)・夢ハ

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布屋 太兵衛・外伝-29  田沼意次への包囲網ー②

2012-01-06 13:48:20 | 小説・布屋太兵衛 蕎麦屋裏家業

「意知様の背にもう一太刀落とせば、打ち取れたと聞いておりますが、
とどめを刺さなかったのはどんな理由でござろうか。
それに最初の一太刀で命を申し受けられたのではなかろうか」

大屋は佐野の腕前は十分知っていた。新陰流の免許皆伝で師範代を務めていた。
三太刀を打って、すべて急所をはずしていた。

「さて、腕がなまくらになったのござろう。とどめは戦国ならざれば、武士の情けでござる」

大屋はこの言葉は嘘だと思っていた。もし、即死だったら、意知に同情が集まっていたかもしれない。
それを恐れたのではないか。刀に追われ、意知の無様な格好を見せたかったに違いなかった。

意知は傷口が化膿して、生死の境をさ迷っていると噂で聞いていた。だが、田沼家では意知の傷は浅く、回復は早いと触れ回っていた。

誰かが傷口に細工したのだと目付けたちの何人かは疑っていたが、
会津藩からは当番医は罰無しの裁定があり、それ以上の調べはならなかった。

この殺傷事件はすべてが仕組まれていると大野は察知した。
一橋家と会津藩が何かの理由で絡んでいるのではないか、
このところの御三家の動きも不審なものがあると大目付の間では訝っていた。
将軍拝謁の間に松平定信を推挙したのは、一橋だという噂は本当なのかもしれない。田沼意次は孤立した、と彼は思った。

もうこれは大屋などの格下の及ぶことではなかった。閥閣の主導権争いが始まっていたのだ。

「山東京伝なるものが、佐野殿の今回の仕置きを真似て、芝居をかけておるようで、手回しがよいと評判でござる。一晩でこのような芝居ができるものかと思うが、佐野殿は京伝とは存知よりでござろうか」
「手前は芝居はとんと疎い。それだけ、世は何かを待っていたのではなかろうか。
それにしても大屋殿は大目付に登用されただけあって、切れ者でござるな」

佐野は大屋の眼力にただならぬものを感じて押し黙った。
もう数年前の大屋ではなかった。これ以上の問答は不利益と思った。

「あとひとつよろしかろうか・・・、」大屋が息を詰めた。
「佐野殿は何か得たものはござるのか」
大屋は佐野の目の奥を見ようとしていた。

かつて、そば屋で激論を交わした時の友の目になっていた。
「死んでいく者に得るものはござらん。もし、得るものがあるとすれば、大意でござろうか」

佐野は自分の死が無駄に終わらないことを願っていた。

「大意でござるか、その大意とは民百姓のものでござるか」大屋は取り調べ役であることを逸脱していた。
この頃の旗本の意見としては画期的な思想であった。
平賀源内からの民万能思想の影響ではあったが、大屋もこの頃、
幕府体制そのものに不満を感じていた。


「そうなればよい、だが、そうならぬかも知れぬ。
世は腐りきった者たちが上におる限り、その場しのぎの手当てにしかならぬ。
拙者は無為なる駒で終わるかもしれぬ」

「大変な覚悟でござるな」
大屋が溜息をついた。長い沈黙が部屋を支配した。


「どうか、捨石として扱っていただきたい。乱心者とお書きいただいて結構でござる」佐野が平伏した。

「ご苦労でござった」暫くして大家が声を絞って呟いた。
目付の二人はこの場から逃げ出したいと思っていた。
幕藩への批判がこの場で出てくるとは思ってはいなかった。大目付の大屋と同類に見られたら懲罰の因になる。

大屋はこの始末をどうするのか、それを彼らは見守るだけだった。
大屋はその大意がどのあたりからきているのか、ぼんやりは想像できたが、口に出すことはできなかった。

ここは佐野の調べを打ち切らなければならなかった。これ以上は自分の身が危ないと思ったのだ。

「このたびの仕業は佐野殿の乱心である」大屋は目付たちに、そう結論付けた。

大屋は夜半、書斎で書面を前に悩んでいた。この結末をどうするか、大屋次第では事が大きく動いてしまうだろう。
庭先に人が動く気配がした。物盗りではない。わざと足音を立てたようだ。
「そのまま襖を開けずにお聞きくださいませ」太兵だった。
「名のれと言っても無駄なことなのだろう」
「いえ、あっしめは布屋太兵と申します。軍太郎様の使いの者でございます」
「保科の分家の軍太郎殿か」
軍太郎の名は旗本の間ではだれ知らぬものはいなかった。
若い頃からの小気味のいい喧嘩三昧で、その気骨が知れ渡っていた。やはり会津が絡んでいたのか。

「なるほど、布屋といえば会津御用立の布問屋、そこに軍太郎殿が一枚噛んでいるとなると、
今回の一件も大方のことが読めてきたが、はてこの夜更けに何の用かな」

「明朝、老中の松平康福様から大家様に、今回居合わせられた
大目付、町奉行、勘定奉行、目付の皆様方の責任を取り決めさせようとさせている、との伝言です」

「この大屋に、ただの大目付ふぜいにか」
「筋違いだと、軍太郎様が」太兵がすぐに返す。

松平康福の娘は意知の妻、光である。意知は娘婿になる。
意知が佐野に襲われた時間に、光が芝居見物に行っていたことは江戸の市民は誰もが知っていた。

「自分が采配して、名誉挽回をはかろうというのか」大屋が冷笑した。
「特に、大目付の方々に詰め腹を切らせる所存かと」
「で、軍太郎殿からは、どうされよと」

「まずは老中の松平康福様へ、事件当時、意知様とご一緒にだった
若年寄の太田資愛様、同じく若年寄の酒井忠休様の責任を老中の方々で
お決めくだされと申しあげられよ、と」

「なるほで、意次が築いた大名閥の若年寄を処断できぬといわけか」
「この処罰はそうなれば、一橋様、御三家様のお預かりになろうかとの事でありました」
「なるほど、そこに会津殿も加わって、処罰など無きようにするというわけか」

「後は大屋様が佐野様の聞き取りの中身をどうされるのかで」
「そうか、話はそこまで煮詰まっているか」大屋が溜息をつく。もう詰め将棋のようにすべての駒が並べられていた。
「もうひとつ、今朝、意知様が亡くなられましてございます。
田沼家では当分このことは秘すとのことであります」
そのことを告げると、太兵の気配が無くなった。

翌朝、同行した目付の山川貞幹と日野仁座を呼び寄せた。
二人にこと細かく書面に指示させた。そこには佐野が心の病を得て、
誰構わず、死を与えたいという錯乱状態に陥ったと明記された。

書面では佐野は当日の行動を全く記憶していなかったとされ、
闇雲に意知に襲い掛かり、居合わせた者も手の打ちようがなかったと書かれた。


一刻ほどして、軍太郎の予告通り、老中の松平康福の屋敷に呼ばれた。

松平はこの事件の時、芙蓉の間に居合わせた大目付たちが今回このことをどう考えて、
どう責任を取るのかを申し上げろと、大屋に命令した。

「では、この事件のとき、意知様と同道された若年寄の方々が
どう考えておられるのかを老中様よりお聞きください」そう言うと、松平が沈黙した。


後日、御三家、会津、加賀、一橋が寄り合っての沙汰があり、彼らへの懲罰は江戸城登城の当分の差し控えなどの軽いものとなった。

一番重いもので目の前に意知がいて防御できなかった目付2名が解任されたが、彼らも2ヶ月後に復帰している。
唯一、70歳でありながら、佐野を羽交い絞めした、大目付の松平忠郷が200石の加増となった。
佐野は4月3日、乱心の汚名を背負って切腹。早すぎる処罰だったが、切腹はむしろ名誉あるもので、この時には佐野を勇気ある侍として送るという空気が強かったのだ。最終章へ



連載第13回は根津「よし房 凛」
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日本人ですね、蕎麦に集まろう」夢の食卓第1回掲載
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布屋 太兵衛・外伝-29  田沼意次への包囲網ー①

2012-01-06 13:46:40 | 小説・布屋太兵衛 蕎麦屋裏家業

佐野は計画通り、田沼意知の体に三太刀存分に入れた。
その後、佐野は小伝馬町の揚屋に入れられ、翌日、大目付の大屋昌富らの取調べを受けた。
「大屋殿が来られるとは思わなかった」佐野が腰掛に座った上座の大屋を仰ぎ見た。

「皮肉なものでござるな」大屋の目が少し微笑んだ。
供の目付二人には分からぬ会話だった。
「佐野殿は若年寄を討とうとしたときに、何か叫ばれたそうだが、遺恨があられたか」
大屋は居合わせた目付の聞き取りを終えていた。その言葉は罪人を問うにしては丁寧だった。
「特別なことは何も」佐野が静かにいう。

「覚えがあろうといわれたとか」
目付が側から口を挟んだ。目付の山川貞幹は佐野が、おぼえがあろう、おぼえたか、
その言葉のどちらかを叫んだかを執拗に訊ねた。
個人的な恨みがあったのではないかと目付けたちは考えた。

「さて、私憤などありもせぬゆえ、おぼえたかと言ったまででござる」
「出世を阻まれたとの噂でござるが、それに違いないか」目付がさらに問う。
佐野が意次の屋敷に盆暮れの挨拶に行っていたことを上げた。

「出世などとうに諦めてござる。田沼閥にあらねば出世など望もうか。それにここにおられる方々も田沼詣では年中行事でござろう」佐野が冷たく言う。
「黙れ!では、何の遺恨があった」山川が問い詰めた。
したりと、佐野が笑った。
「ひとつには、親の七光りで若年寄になったこと。
ふたつには、親子共々、農家を疲弊させ、農民を離散させたこと。
しかるに、商人ばかりに悪銭を稼がせたことでござる」

「なるほど」と暫く黙って聞いていた大屋が頷く。
「では、田沼殿を政治的に成敗されたということでござろうか」大屋が水を向ける。
目付たちの私憤論に対して、大屋はこれは政治的な狙いがあったはずだと感じていた。
「天誅にござる。大屋殿もこのまま田沼一派を捨て置いてよかろうと思われてはおるまい」
佐野は大屋の痛いところを突いてきた。

大屋は大目付の5人中の1人であったが、田沼閥が濃いというほどではなかった。むしろ、批判勢力に近い。

大目付は代々、3千石以上の旗本から選出されてきたが,大屋の家系は2千石の家系だった。
大目付への抜擢はたまたま平賀源内塾で頭角を現し、それが意次に伝わったからだと聞いていた。

意次は大屋に千石を加増し、大目付に昇格させた。異例ではあったが、
他の大目付は田沼閥で、均衡をとるために大屋を抜擢したとの伝聞もあった。
この頃はすべての人事が異例で、それは田沼の意向と目利きだけが基準であった。

そんな意味では大屋は田沼には感謝していた。
が、その行き過ぎた商業主義には反感があったことは事実で、塾長の平賀源内とは一歩距離を置いていた。

当時、佐野も源内塾に通っていて、5歳上の大屋とは妙に馬があって
そば屋で酒をよく酌み交わしたものだ。
互いに徳川吉宗将軍の信奉者で、彼の農政や閥閣組織研究をして、
意見を戦わせた。時代は吉宗の思想とは逆に向かい、
佐野は源内の商業主義に反発して塾を離れた。大屋とはそれ以来の再会だった。

源内を見出した田沼は不思議な目利きがあって、特殊な才能や特別な感覚を持つ人間を周りに集め、
手品のように彼らと一緒に金銭を生み出した男だった。
徹底した能力主義者で、家系は二の次だったから、保守派と対立した。

保守派の星で白河藩に追いやった松平定信とは水と油だった。

幕府の幹部もそれに対しての理解のある者たちだけで構成されるようになっていた。
閥閣も若返りしていて、御三家などの保守派からは猛烈な反感が渦巻いていた。
大屋もその保守派が巻き返しに動いているのではないかと感じていた。

「では、なぜ意次様ではなく、意知様を手に掛けられた」大屋が話を変えた。
佐野の性格を知る大屋は、彼1人で今回の殺傷事件は計画できない。誰かが糸をひいていると睨んでいた。

「これはしたり、意次様はすでに68歳の高齢なれば、意知様無きあとは朽ち果てることになれば、それに、意次様を手に掛けても・・・言わずがもなことを」と佐野が黙る。
「この大屋はちと頭が働かぬので、その言わずがもなを教えてもらえぬか」と訊ねた。

大屋はふっと、先ほどの大事を思い出して愕然とした。これより一刻前に、一橋家に呼ばれていたのだ。

それまで一橋家などは大屋には無縁なもので、その意を計りかねて、側用人から趣を伺った。
「殿は佐野殿が乱心されたと思われておられる。大屋殿の取調べも同じようにものになるのではないかと漏らされておる」
側用人はそれだけ言うと、すぐに引き下がった。

小姓より参上料として百両と懐紙一束を大屋は受け取った。
参上料を受け取った経験は何度もあったが、多いところで一両で相場は二分銀だった。
百両が何を意味するか、大屋は考えあぐねていた。

今、佐野の顔をまじまじと大屋は見た。
すでに一橋家は意次を見限ったと大屋は直感した。
これまで、意次と一橋家の蜜月は天下周知の事実で、今何か別な力が動いていると感じたのだ。
一橋家は今回の田沼意知事件では政治的に加担しているのではないか。

大屋の佐野取調べの起用は一橋が決めたに違いが無い。その意図を彼は理解した。

この2日間、江戸幕府に空白が生まれていた。田沼意次という司令塔が機能しなくなっていたからだ。
流石の意次も最愛の息子が生死の境をさ迷い、暗澹とした思いに駆られていた。
2年後に意知に家督を譲り、老中に据え、院政を敷くつもりだった。現実にそう動いてきた。
どう動けばよいのか迷っている時に、万事裁量を一任されよと一橋家から使いが
きた。

意次はその助け舟に乗った。一橋とはこの20年、幕政の支配を手を携えてやって来ていた。

盆暮れには大枚の金子を献上していて、安心して任せられると思っていた。

だが、大屋の佐野取調べも一橋が打った手だった。
田沼閨閥とは縁が遠い大目付を起用した。

「よいか、これは書き取りならぬ。これまでのものも破れ」
大屋は目付二人に命じた。記録は残してはならぬと感じていた。目付がその迫力に押され、書き取りしたものを破り捨てた。

いかが、と佐野を促す。
「意次を討てば、意知に同情が集まる。意次閥が意知を盛りたてるだろう。
それに、意次は高齢なればやがて朽ち果てる。もう、世は意次の策に厭きておれば」佐野が言う。

これは佐野1人の策ではないと大屋は確信を得た。
今起きている江戸の騒ぎも何か大きな裏の力で引き起こされているに違いないのだ。

「佐野殿が帯刀された業物は、なかなか我々などが入手など及ばぬものでござれば、
ご無礼ながら、どこで、いかほどで入手されたのでござろう」
大屋は核心に迫ろうとした。

「さて、あの拝刀の出所などは詮索されないほうがよろしかろう。大目付といえども」
「なるほど、我らの首も飛ぶか」大屋は佐野が拝刀と言った意味を考えていた。

目付二人が生唾を飲む。彼らも拝刀と聞き、金縛りにあったように体が硬直していた。
大目付の大屋の様子にただならぬものを彼らは感じていた。
これは外に漏らしたら自分らの身が危ないと思った。
自分らが佐野取調べの名誉ある大役を言い渡されたことを今では後悔していた。

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布屋 太兵衛・外伝-28 佐野大明神が田沼を討つ

2011-12-03 10:06:31 | 小説・布屋太兵衛 蕎麦屋裏家業

会津藩の江戸上屋敷に太兵がいた。
「意知は用心深い。家来が二重、三重に固めているそうだな」
城代家老の田中玄宰が呟いた。彼はこの日は江戸屋敷にいた。
緊急な事態が無ければ会津からわざわざ出てくるようなことはないだろう。

田沼意次は次の将軍の時代には自身は引退し、息子の意知を老中筆頭に
据えようとしていた。本来は引退後に家督を譲って若年寄りに推挙されるのが普通だが、
部屋住みの身分のまま若年寄になったのは徳川政権では前代未聞のことではあった。

意知は宝物のように扱われていた。
徳川の将軍後継争いは暗殺の暗黒史といってもいいくらいで、将軍候補やその関係者の何人もが闇に葬られていた。田沼もそれを恐れ、
意知を厳重な警護に置いていた。

「佐野さんの様子はどうなんだい」軍太郎はその問いに答えず、太兵に目を向けた。
3人が対座していた。さながら上下の区別がないような配置だ。
「へい、もうすっかり落ち着かれたようで、剣術道場に通っておられます」
「そりゃ、上々だな。なんとしても佐野さんに意知を討たせたいからな」と軍太郎は田中のほうを向く。
「田中様、いっそのこと江戸場内で意知をやろうかと」と軍太郎が声を潜めていう。
「江戸城内で、刃にかける・・そんなことができるか」田中が驚く。

「あそこはいくらなんでも家来が付き添うわけにいきません。それに佐野さんは納戸係りで、意知は下城するときには佐野さんの目の前を通ることがわかりました」
「なるほど、そりゃ、騒ぎが大きくなるな」田中が煙管を叩く。
「太兵にだいたいの裏を取らせてまして」軍太郎がそういって太兵を促す。

「へい、意知さまが下城なさるとき、丁度佐野様の新番所の間を過ぎる時には、新番所のお納戸方には佐野様を含めて4人おられます。
ただ、桔梗の間には大目付、目付け、奉行の方が16名おられて、
意知様を入れて、若年寄3人をお見送りすることになっております」

「よく調べ上げたな、太兵。問題はその16人か」と田中が思いをめぐらす。
「へい、その方々が意知様の厚い壁になったら不首尾と相成ります」太兵が相槌を打つ。
「そこで、田中様にはこの方々の大方の名前を書きとめてありますので、
騒ぎが起きたときに動かぬよう手を回していただきたい。
旗本の保科筋に4名目付けがいてもうお金をはたいてあります。
もっとも、金も要らないというのも二人いて、それほど田沼たちには
我慢がならないという空気でしたが」軍太郎が勢いづく。

「そうか、あと4,5人抑えれば十分かもしれぬな」
「8人か、そんなもので大丈夫ですか」軍太郎が不安を示す。
「烏合の衆というのはな、なかなか動かぬ。だが、1人が動くと油断が
できぬ。半数こちら側だと、そんな大事には微動だにできぬものじゃ」
田中が自信を持って言う。

「そんなものですか」軍太郎が人間の心理の不可思議さに気付く。

「わが殿と加賀様に動いていただこう。大目付をとにかく引き込めば、
あとは目上の顔色だけを窺って、やつらは動けぬ」
田中のその言葉に軍太郎も太兵も納得した。

「茶坊主と御番医師にも手は打ってあります」軍太郎たちは医者にも手を打ってあった。
傷を負った場合には必ず手当てが必要になる。医薬品は常備されてはいたが、
この太平の世に万一の場合の想定はあるが、それが失念していたとしてもお咎めも軽微なものだろう。

「奥医師は若年寄りの差配ですが、御番医師は小普請組の差配で、
そこから手を回してありますが、お咎めのないように会津様より手を
打っていただきたい」軍太郎が念を押す。

「すべてが揃ったか」田中が煙草を吐く。
「太兵忙しくなるな。あとの首尾はどうだい」軍太郎が意味ありげに言う。

「どうも、意知様のご内儀様の件だけは気が引けます」
「京田さんも偉い筋書きを考えたもんだ。芝居小屋に火をつけて、江戸中を火事にしようというんだから」
「おいおい」田中が笑う。
「いえ、これはものの例えで、ところで米は順調に値上がりしてますようで」

会津、加賀、紀州が米を今買い漁さっていた。
各地に米騒動が持ち上がり、そろそろ江戸にもそれが押し寄せる間際だった。

この三藩が組んで何をしようとしているのか、それが江戸城内の刃傷沙汰でようやく分かることになる。
田中が一振りの大刀を田中に差し出した。

「これを佐野殿に、殿からの献上である」
「これですか、粟田口一竿子忠綱作の業物は」と軍太郎が、口に懐紙を加えて改める。
一竿子忠綱は二代目の号で、元禄の頃に名刀鍛冶の名をほしいままにし、
この一振りは当時将軍綱吉から加賀に下されたものだ。

「その名刀ですべてが成すか、成さざるか。我々も命がけじゃ」
田中が静かに二人を見た。


天明4年3月24日、意知の妻は女中を伴って猿若町(現・浅草6丁目)の守田座に芝居見物に来ていた。
夫の意知はこの日も江戸城に上がった。
妻の光は夫を送り出して入念に女中に化粧を施させた。
芝居が終わった後に、座長の守田勘弥の養子で坂東三津五郎と料亭で
密会をする。
夫の意知はこの日は妾の処に行って帰らない事は分かっていた。

光は三津五郎の手練手管にのぼせ上がっていて、普段から逢瀬のことだけしか頭になかった。
元々、政略結婚だったから、夫と肌を合わせるのは年に数回で、
子供を授かるための営みだと痛い体を我慢するだけのことだった。

光の父は松平康福で5万石の大名である。老中の首座まで登りつめ、
当時側用人だった田沼意次と姻戚関係を結んで、退官後には加増も得た。
だが、その父の思惑など光は理解が及ばず、足軽上がりの田沼家を見下していた。
舅の意次はそれこそ腫れ物に触るように光を丁寧に扱ったから、光は増長するばかりで、若い夫婦に隙間風が吹くばかりだった。

意知も大名の娘を拝領し、その遠慮から側室は持たず、妾を外に3人囲っていた。

そんな折、1月前に付き腰元の福が今流行りの柄物を扱っているという反物屋を連れてきた。
会津藩ご用達の布屋の若主人という太兵はなるほどというほどの新柄物を持参して、光はすぐに二振りの着物を注文した。


後日、太兵の使いの者が来て、着物あわせに光は八百善に招待された。

「殿方はいつもこのような膳を召されておるのか」光は噂には聞いていたが、
天下一という料理屋の懐石料理を初めて食べて、天竺に来た様に思った。

大名の娘とはいえ、こんな贅沢な料理の膳前に座ったこともなかった。
腰元の福などは卒倒しそうなくらいの喜びようだった。
この日は趣向が二つあると聞いていて、そのひとつが太兵のそば切りだった。
料理が運ばれている間に、その場で太兵のそば切り技が披露された。
光は蕎麦を2度ほど食べたことがあったが、蕎麦ができる有様までは知らず、声を上げるほど喜んだ。
太兵の延し棒が踊るたびに、座敷は蕎麦の香りが充満した。

打ちあがったそばは綺麗な緑色で、こんな美しい蕎麦を光たちは初めて見た。
八百膳の漬け汁は鰹の出し汁に野田醤油を混ぜ込んであって、光は饂飩とは違う、その淡い香りと食感に思わずお代わりを所望したくらいだった。


「太兵さん方はいつもこのような美味しい蕎麦を食べられるのか」
「とんでもありません。この蕎麦は特別なもので、米の脱穀のように皮を剥いて、
丁稚たち総掛かりで色艶のよい蕎麦粒を選ばせたのです」
太兵はこの蕎麦の粉取りに5人もの丁稚が徹夜仕事をしたというのだ。


「そんな手をかけていただいたものか・・」光は感激に声が震えた。5年前に嫁して以来、このような幸せな気持ちは久しぶりだった。
普段は盃にほんの少し口をつけるだけだったが、この日はするすると盃の酒が空になった。頭がぼんやりして耳朶まで朱に染まった。

「飛ぶ鳥落とす勢いの田沼様の奥方さまに私共のようなものが
出入りさせていただくのですから当たり前のことです。
それに今回の蕎麦の漬け汁は八百膳に言いまして、特別に作らせました」

光は感激で声も出なくなって、料理に箸を伸ばした。
「奥方さま、これよりは若衆踊りをご覧くださいませ」
その時、奥の襖が開け放たれ、一人の若者が黄金色の伊達姿になって控えていた。
「いま評判の守田座の坂東三津五郎にございます」
その声にあわせて、三味と太鼓が鳴った。ふたつ目の趣向が始まった。
踊る若衆は美しかった。薄く白化粧を塗り、目張りを赤く染め、唇には紅が入っていた。
三津五郎が見得を切って、光を流し目で見るたびに、心臓が飛び出るくらいに高鳴った。

この日のことは光は余り覚えてはいなかった。踊りが終わって挨拶がてら酌をされて、
光の背が雷に打たれたようになって、舞い上がっていた。
後日に芝居を見るとの約束をしたことだけは記憶にあった。

三日後、芝居を見た日に、料亭で三津五郎に会った時には、光は布団の上を這わされた。

男の体は光をすっぽりと包んだ。息ができない。胸が詰まって
このまま死ぬのではないかと思った瞬間に、腰は宙に浮いて三津五郎の
腰を足で抱いた。浅ましい真似をしている自分が恥ずかしいと感じたが止まらなかった。
自分の体ではなかった。布団の上を何度も転がっては男の体を滑りあがった。

体が宙に浮いては、深海にも沈んだ。全身を三津五郎の体が貫いては、どこか遠くに放り投げられていた。
男の体がこんなに愛しいものとは光は知らなかった。女は奈落の底に落ちた。
三津五郎に三日も会わずにいるともう心がつぶれそうになり、腰元の福をすぐに太兵の店に走らせた。
そのたびに芝居小屋に光が現れ、あれが意知様のご内儀と見物客から評判になっていた。

今日は昼の演目が終われば、光はすぐに茶屋で三津五郎と会う手はずになって、芝居の終わりが待ち遠しいかった。
もう、そろそろ終演というころ、急に芝居小屋の外が騒がしくなった。
2階見物席の意知の妻の席に侍が転がり上がるように駆け上がったのが、
桟敷席からも見えた。一行はすぐに芝居小屋から消えたが、そのとき外から大きな声がした。

「田沼意知さま!江戸城内にて刃傷あり、天誅にてそうろう~」
よく通る大声上が、何度も上がった。太兵の手の者が発した声だった。
芝居は中断、一挙に蜘蛛の子を散らすように見物客が我先にと走った。
田沼さまに天誅、天罰が下ったと四方、八方に散ってこの大事件が瞬時に江戸市中に知れ渡ることになる。

結果的に光の芝居見物は江戸市中に田沼殺傷の大喧伝をしたことになった。
夫の殺傷がある頃にのんびりと芝居見物をしていたと、後に光は外出もできないくらいに笑いものになった。


この時刻から一刻(2時間)ほど前、勤めを終わった若年寄の意知は
同じ若年寄太田備後守、酒井石見守と3人で新番所の前を通り、
大目付、勘定奉行、作事奉行、目付け他の主要役人16名に見送られて、
36畳敷きの桔梗の間を通り退出しようとした。

その時、新番所の10畳敷きの間に控えていた佐野善左衛門が何かを叫んで切りかかった。
その声は“おぼえたか”それとも“おぼえがあろう”とも聞こえたと
後に言われたが、覚悟の殺傷であったことは現場の誰もが感じた。


佐野から意知のところまでは10数歩あったから、彼の抜刀した姿は意知にも分かった。

意知は殿中であることを思い出し、脇差を鞘ごと抜いて、鞘で佐野の刀を受けようと考えたが、
生来剣術嫌いの性格が災いして恐怖が走り、逃げようと思った。

周りに沢山の人間がいるのに誰も止めようとしないこともその恐怖に輪をかけた。

場内の見回り番の目付けが数人いるのに全く、この動きに傍観の態度で、
間に入ろうとはしていなかった。
意知は彼らが味方ではないと判断して、人がいない広間に走った。

意知は佐野に背を向けた。右肩に熱いものが走った。肩を切られたと思った。全身が凍りついたようになった。少しそのまま走った。
意知のこの行為が最後まで仇となった。敵に背を向ける。
これは太平の世といえ、侍としてあるまじき行為として嫌われていた。
死を与えられるような恥とまでされていて、戦国の気風はまだ生きていた。

元禄の頃、あの老人の吉良でさえ浅野の刃を額に受けた。

意知の右肩と胴にそれぞれ一太刀、右足に一太刀、佐野の業物、
粟田口
一竿子忠綱作の大刀が存分に意知の体に走った。
それに反して貞宗の名刀を持つ意知が最後まで刀を抜こうとしなかった。


後に佐野のような軽い身分のものがなぜ、二代目忠綱のような業物を持っていたのか不可解とされた。
当時、
一竿子忠綱の刀は人気があって大名でもめったに手に入らないもので、
これを帯刀していた佐野は気概ある武士として称えられることになる。

三太刀を浴びるまで、随分間があった。その間、誰も動こうとはしなかった。

意知はうつぶせに倒れたが、佐野はとどめを背中から刺そうとはしなかった。
ここでようやく傍観していた者の中から、一番後ろにいた大目付の
松平忠郷が前の者を押しのけて、背後から佐野を羽交い絞めにした。

忠郷は70歳の老人だったが、必死に佐野を押さえた。
その後に意知と同じ若年寄太田資愛が駆け寄って刀を奪い取った。

佐野は背中を串刺しにしなかった。
老人の太田を腕力で打ち負かそうとはせず、大人しく捕縛されたままになった。

この時の佐野の行為も賞賛されたほどだったから、いかに周囲の者が田沼一族に反感を抱いていたかがわかる。

意知は下部屋に連れて行かれ、当番の二名の医師たちの手当てを受けた。
が、外科の御番医師峰岸春庵と天野良順たちの医薬品が当日に限って不明となり大慌てとなっていた。

外科医師は本来糸と針で傷口を縫えたのだが、それもこの日は何故か消失していたと後に報告された。後の彼らは叱責を受けたが罰は無かった。

応急手当てとして、玉子を傷口に塗ったと噂された。この手当てが後日、意知の急死になった。
半刻ほどして、すでに下城していた意次が神田橋の屋敷から駆けつけ、
すぐに連れ帰った。

2日後、最初の手当てが悪く、傷口が膿みだし、2日後の26日夜半、意知はあっけなく死亡した。だが、この死は意次が4月2日まで伏せた。意知の死が今後にどんな悪影響があるか意次自身が知っていて、御三家や徳川親藩の動きを探ろうとしていた。

佐野の切腹は25日に行われた。軽い身分の殿中での乱心となれば本来、
斬首だったところ、何故か空気は佐野に味方し、切腹と名誉の刑となった。


佐野が死を賜ってから、その日からなぜか米が一気に市場に溢れ米相場が下がった。

江戸市民が佐野の田沼討ちが天を動かしたと噂した。それと共に田沼の農政批判が一気に噴出した。
ついに彼は“佐野大明神”といわれ、墓参客が寺に溢れ、献花で墓を埋め尽くした。

最終回に続く

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布屋 太兵衛・外伝-27  佐野大明神が世直しに行く

2011-10-10 11:26:01 | 小説・布屋太兵衛 蕎麦屋裏家業

佐野は軍太郎から大枚100両を無心した。どうしても最後にわかさに会って、
金で転んだ女にその金を叩きつけたかったのだ。負けた男の未練がましいあがきだと佐野も重々思っていた。

わかさの妾宅は深川にある。わかさは近頃では小唄をやめて、田沼の世話になるだけの女になっていた。
男衆にわかさが小唄を教えることに田沼が嫉妬したのかもしれない。一生の見習いと決めていた、
小唄を辞めたことも彼は憤慨していた。

佐野はわかさの小唄に懸けた情熱を知っていた。
だから、しがない旗本侍でもわかさの役に立ちたいと金銭をなんとか用立てした。
わかさの処に通って色男になって、払った金はすべて実家から用立ててもらった金だった。

先祖伝来の掛け軸も売り、実家の家宝というべき家系図までも渡した。家系図はこの頃、旗本株を買った者が欲しがるものの一つで、自分の家系に古い家系図を継ぎ足す。

佐野の先祖は田原(俵)藤太秀郷の流れを汲む名家の佐野家で由緒のある家系だった。
今は全くその本家筋とは疎遠だが、それが家系図に残っていて価値はあった。
噂では同じ在郷の田沼意次が買って、佐野本家の家系だとしている噂が入っていた。
田沼はすべての栄誉を手に入れたが、先代が足軽で系譜の編纂に着手していた。

捏造系譜の編纂は初代の徳川家康が源氏の末裔だとしたくらいだから、
先祖を偽ることは悪とはされない風習もあった。
江戸時代は位が高くなると平気で古い家系図を買って継ぎ足したり、
場合によっては金子で名前を借りたりした。
特別実力が左右されない時代だから、筋のよい家系と上役への気遣いと賄賂が昇進の決め手になった。


そんなことから、田沼邸にそれとなく通えば、同じ本家筋だから目付昇格は芽があるのではないかと考えてもいた。
だが、それも無為になってしまった。それどころか、自分の色女を奪われてしまっていた。
あまつさえ、田沼は自分とわかさの事を知って、自分の品定めをした。侍として恥辱にまみれていた。

田沼邸からの帰り道で太兵に呼び止められ、道すがらに太兵からわかさを妾にしたのは意知と知らされ、
脱力感に襲われたが、いまは復讐心に燃えていた。

あの頃、朝に佐野がわかさの家で布団に入ってうとうとしていると、
三味線の音とわかさの澄んだ声が稽古部屋から聞こえてきたものだ。
佐野が目覚めないよう遠慮がちに弦を弾くのが分かっていて、愛おしさに胸が膨らんだ。
佐野が寝床から呼ぶと、いつものことのようにわかさがすぐに帯を解いて横に滑り込んできた。
そんなことが走馬灯のように、ぐるぐる脳裏を駆け巡った。

深川の堀を越えると急に賑やかになって、すぐに花街の入り口だ。
自分の懐と相談して、気に入った女を物色して部屋に上がれる。
周りを囲むように料理屋もあり、そこに上がってしまえば芸者も呼べる。

この2日ほどわかさの家の周りをうろついていたが、佐野の決心がつかない。
また、惨めになるだけではないかと玄関をくぐる勇気がなかった。会って何を言う、
うらみつらみか、この金をどうしようというのか。頭の中を堂々巡りして、足がすくんだ。

時々、田沼の配下と思える者がわかさの屋敷を巡回しているのがわかった。今この玄関を入れば危険なこともわかった。

いっそ会わずに消えてしまおうか、と足が勝手に逆の方向に動いた。
わかさの家から引き返すと、佐野は虚しさに料理屋に入って、芸者も呼ばず一人酒を呑んだ。
2度目となると、そこのおかみが何かあっては困ると、見張りのような仲居に酌をさせた。それだけ、佐野から悲壮感が漂っていたのだろう。

この日、佐野は日本橋の料理屋に足を運んだ。軍太郎から呼び出しが掛かっていた。
玄関までは太兵が一緒だったが、太兵は佐野を案内するとそのまま消えた。
いつもは3人で密談をしていたから、今日の待ち合わせは別件なのかといぶかって部屋に入った。

ここは男と女が密会に使う料亭だから、そのあたりも佐野は不思議だったが、何か重大なことがあって特にここを選んだのかもしれない。

「京田さんが大きな話を作ってくれました」軍太郎はこのところ戯作家の山東京田と会って最後の詰めをしていた。
「加賀宰相様からも百万両の金が出るそうです。ま、それも米を売って買い戻しますから損は無いことですが」
と軍太郎がいう。今巷では米の相場が猛烈な勢いで急騰していた。

加賀藩と会津藩、それに紀州藩までが米を秘密裏に買い占めていた。
各地で米問屋の打ちこわしが始まり、田沼意次への批判が集まっていた。

「京田さんも面白い芝居をかけて意次への怒りを煽ってます。後は佐野大明神を造れば万々歳の物語になります」
だが、佐野は上の空で軍太郎の話を聞くだけで手酌の酒をやっている。
「佐野殿に何かあっても類がご実家に及ばないよう、会津様がご手配をされております」
佐野は3年前に妻と死別して実家に引退した父親がいるだけで、その近くに叔父夫婦が住んでいた。

「なるほど、あとは拙者の行動次第と言うわけだな」
その行動を阻んでいるのはわかさだけで、それも軍太郎たちは十分に知っているのだ。当然、このところの深川でのことも調べはすんでいるはずだと佐野は感ずいていた。

「ところで、佐野殿、太兵がわかささんと田沼のいきさつを調べ上げました」
「いまさら、それが何になる」佐野の声が大きくなった。

「ま、お聞きください。田沼は佐野殿と手を切るように、随分なことをして脅かしたようです。
そうしなければ納戸役程度の旗本ふぜいなどひねり潰すと言って、無役にするお咎め状まで書いたそうです。
それにわかささんの在は野田で親は醤油樽のかつぎ人をされてたようです。
田沼はそこまで手を伸ばして醤油仲買の鑑札まで与えたようです。なにせ飛ぶ鳥落とす勢いの田沼に睨まれたら
わかささんもどうにもならなくて、泣く泣く佐野殿の前から姿を消したようです。
がんじがらめにして自分の女にしたようです。
あいつは妾宅だけも他にいくつもあって、あれじゃ、一生飼い殺しのような暮らしになりますよ」

「軍太郎殿、それは本当か・・・」田沼ならやりかねないことだと佐野は思った。
自分は勝手に裏切られたと思いこんでいた。太兵たちの情報収集力を信頼していたから、その話を信じた。
体が熱くなって、喉元から咆哮が出そうになって必死に我慢した。

軍太郎が手を鳴らした。それとともに廊下から足音がした。襖の前でその足音が止まった。
「拙者はこれで消える」

軍太郎がその襖に手をかけて開くとわかさがそこにいた。

「う、、」佐野は目を疑った。
「さ、入られよ」と軍太郎がわかさを促した。
「佐野殿、太兵が今日一日、田沼の手の者を目くらましにかけて、わかささんが戻らずに済むように仕掛けをしてある」
そういうと、軍太郎は足早に廊下に消えた。

うつむいたわかさの肩が小刻みに揺れていた。畳にぽたぽたと涙がこぼれた。
涙とはこれほどに大きな音を立てるものだとは佐野は知らず、なす術もなくしばらく見ていた。

「さぞや、、、お恨みでございましょう・・・」嗚咽の中からようやく搾り出すように声を発したようだった。
「何も言うな、わかさ。拙者はこれで、やっと大明神になれる気がしてきたよ」
わかさが佐野の言った意味を図りかねながら佐野の腕の中に倒れこんだ。


連載第6回は西麻布「祈年・手打茶寮」
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布屋 太兵衛・外伝-26  暗殺者集団が生まれる

2011-09-25 08:54:37 | 小説・布屋太兵衛 蕎麦屋裏家業

「これは、保科殿ではござらんか」
佐野は太兵にそば屋の2階に案内されて、そこにどうして保科がいるのか怪訝な顔をする。
田沼邸から失意のまま歩いてきて太兵に声をかけられ、何故か断れぬまま連れ立ってきた。
自分の意志が空っぽになっていたのか、それとも太兵という男に逆らえない圧力のようなものがあったのか、
定かではなかった。

「軍太郎と呼んでください。ま、一献」保科が人懐っこく、佐野に杯をすすめた。
「ここは、おいらの存知よりのそば屋で、呼ばなきゃ誰も上がっちゃきません。
何をしゃべろうが筒抜けになるもんじゃありません」軍太郎が箸を取るようにいう。
座卓にはすでに肴が大皿に盛り合わせになって用意されていた。必ず佐野が来ると事を予期していたようで、佐野は苦笑してしまった。

「こんなところでどのような用向きでござろうか」佐野が杯を置く。

保科軍太郎といえば、必ずしも評判がいい訳ではない。若い頃は奴どもと遊び歩いていて、
女癖も悪いと評判を取っていた。喧嘩沙汰も二度、三度は聞いたことがあった。

旗本のくせに奴言葉を使うのも、潔癖症の佐野の神経をいらつかせた。
この3年ほどどこかに消えていたはずだったが、いつ舞い戻ってきたのか。

佐野は軍太郎がこの奴を使って、このところの自分の行状を調べていたのではないかと疑った。
もしかして、小唄のわかさのことを知って、金の
二,三両でも脅しとろうとしているのではないかと考えていた。

「佐野さんのような憂国の士が今の身分じゃもったいない」突然、軍太郎がいう。佐野は戸惑っていた。
「ここにいるのは太兵といって、会津藩献上物を扱う布問屋の倅でござる」
「なるほど・・」
佐野は彼らの意図を測りかねていた。会津藩の元々の祖は保科正之だ。
その会津とは遠縁とはいえ、いまだに、多少の繋がりがあるのだろうか。

このところ、閥閣の間で会津と加賀が組んで、田沼を追い落とす、
そんな噂が密かに流れていたが、佐野のような下級武士には雲の上の話だった。

田沼といえば、先ほどの件を思い出して、佐野は急にむかっ腹がたってきた。
自分の女を金の力で奪い取った、あの馬鹿息子にもてあそばれたのだ。

だが、疑念が湧いていた。もしかして、わかさの前の男は自分だと知って、
それで自分を見てみたかったのではないか・・・。が、考えすぎかもしれないとも思った。

あの対応では、この半年、毎月1両を包んでいったのがすべて無に帰した。

「大変ご無礼とは思ったが、このところの忠勤ぶりを、それなる太兵に調べさせていただいた」急に保科の言葉が改まった。
「うん・・・、拙者のようなものを調べてどうなさるおつもりか」佐野が軍太郎の真意を確かめようとする。
「先年、佐野殿が目付けに上げられた建白書が見事なものだったと」すぐに軍太郎が答える。
「それはどこからお聞きなされた」佐野が意外な言葉に驚く。

3年ほど前は佐野は野望に燃えていた。田沼専横の商業主義に対して、
農政の必要を書きしたため、田沼閥外の目付けに建白書を渡した。
押し黙ったままの沈滞した江戸城の空気を壊したかった。
上司は普段改革派と言われた男だった。その建白書は日の目を見ることは無かった。

「それは、わが殿が入手されたと聞いております」後ろに控えた太兵が答える。
「何、会津様が・・・、」意外な言葉を聞いて佐野が杯を持つ。
「あのような方をなぜ田沼は要職に迎えないかと、会津様が言われたと」軍太郎が佐野の目を見ていう。
沈黙があった。佐野の息づかいが部屋に響いた。
何か巨大なものが佐野の知らないところで動いていたのだ。

「だが、保科殿、もはやあの頃の拙者はいない」しばらく、間があって佐野が答える。
「佐野殿、志を同じくする者たちはおります。目付けの方々にも田沼に異を唱えるものは少なからずと思われますが」
「その田沼に取り入って、拙者は目付けになろうとしたこと、もうご存知であろう」
佐野はこのところの自分の動きを軍太郎たちは調べていると感じていた。

「いたし方ないのでは、人事は田沼1人が握っているのだから。
政はどこかまったく我々の手の届かぬところで動いている。
それ故、佐野殿も建白書を出されたのであろうから」

「軍太郎殿、田沼は我々旗本の希望でござった。足軽の子が旗本になって、一気に
大老にまで上り詰めた。
だが、結果的には百姓を犠牲にして、商人だけを太らせてしまった。
しかも、山師のような連中ばかりを登用して、旗本が国の政に参画できるどころか、
旗本をないがしろにしてしまっている。

徳川開闢依頼、我ら旗本が単なる飾り物であったものを、田沼なら改革できると思ったが、
自分の懐を肥やすだけの政策のみを遂行しただけだ」

佐野の声が大きくなった。激昂しやすい男で、それが彼の出世を妨げてきた遠因でもあった。

山師とは鉱山と薬草の振興をしてきた平賀源内や一介の町医者で朝鮮人参の国産化を
推進した田村藍水らを指す。佐野はその振興策はよいとするが、その運上金がすべて
大奥や一部の商人、そして田沼の閨閥の懐に消えてしまう。
それが幕政の運用に生かされていないという。

「平賀さんも田沼を見限りました。むしろ反対派に回ったようです」
軍太郎が平賀源内のことを話すと佐野の顔が平常に戻った。
あの平賀が田沼から離れたのは世の中が少し変わってきていると思った。

「なにやら大きな力が動いてるようですね。拙者のことはいつからお調べか。
小唄の
わかさに舞い上がっていたのもご存知のようだな」大きな溜息を佐野が吐く。
「意知は拙者とわかさのことは知っていたのだろうか」佐野が太兵のほうを向く。
抱いていた疑念を彼らに聞いた。会津藩や加賀藩までが動いているのだから、すべては調査済みのはずだ。

「へい、意知様の配下の方が、佐野様の動きを探っておられました」
太兵が軍太郎に代わって静かに答えた。

「そうか・・・」佐野の顔が高潮した。
「わかって、意知は拙者からわかさを奪って、それに今日は拙者を呼んで見世物にしたのか」
佐野は余りの恥辱に体から力が失せた。自分の存在が虚しいものに感じていた。
が、激しい怒りが内奥に渦巻いていた。

「会津様は田沼を追い落とせましょうか」佐野が軍太郎の目を見て、問う。
「できるか、できないかは我ら旗本の力かと。それに田沼1人を隠居させても
あの倅の
意知がいます。意次は早い時期に意知を大老にしようと画策するでしょうな。
それに老中はすべて親族、その系列には10名あまりの大目付、目付けがおります」
軍太郎は苦しげにいう。意次はすでに大派閥を形成していて、
意次1人を引退させても解決しないところまで来ていた。すべてをひっくるめて大掃除をしなくてはならなかった。

老中の後釜候補に松平定信を擁して、種蒔きまでは済んでいたのだが、決定的なものがまだ足りなかったのだ。
「加賀様も会津さまもそこが頭のいたいところでしょうか。何か手はありますか」

「ないこともないのですが」軍太郎が意味ありげに呟く。
「そんなことを納戸方ふぜいに打ち明けられてもいいのでしょうか」
佐野がこの空気から退こうとした。

「いや、佐野殿だから申し上げたい。」軍太郎が追い打ちをかける。
「どのようなことなのか分かりませぬが、拙者には荷が重過ぎます」佐野が本当のところをいう。
「旗本の巨悪は旗本で崩さねば意味がないと我々は考えています」軍太路の目が据わっていた。
佐野は何か重大な役割が自分のほうに回ってくるのを恐れていた。
軍太郎が佐野のほうに回りこんできていた。
佐野は自分がその大きな力の渦の中に
落ちていくのを自覚していた。

(
次回は最終編2回で終了です。もう少しお付き合いください)
これは史実にヒントを得たフィクションです。


新シリーズ 第4回は芝「案山子」

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布屋 太兵衛・外伝-25  捨てられた男が行く道

2011-06-20 09:10:32 | 小説・布屋太兵衛 蕎麦屋裏家業

佐野はこのところ気持ちが萎えていた。女のことであった。
旗本500石ながら、外に色女がいて、その女は美形で評判の小唄の師匠で、これまでの人生で最高の時を味わっていたはずだった。

わかさとは幸運な出会いで、小唄を習いにいってお互いに一目惚れした、と彼はいまでも思っていた。
わかさは小唄を教え始めていた頃は米問屋の旦那がいたが、1年ほどして

その男が臓器の病で急死してしまった。

わかさは家を買ってもらってはいたが、なにせ小唄は金がかかる。
三味線はいいものになると、
50両はしたし、猫皮の張替えにも10両は用意しなくてはならない。
師匠ともなると着物も一月に一振りは欲しい。弟子たちの上達のためには舞台を半年に1回は作らなければならず、これが意外と物入りなのだ。

料亭の広間を借り切って、弟子たちの縁者を集めて、いわゆる上達のお披露目なの
だが、師匠は借り賃の半額もたなくてはいけなかった。
まだ新参者のわかさにはぽんと負担してくれる、そんなに有力な贔屓筋がいなかった。もっと名前が上がるまでの辛抱なのだ。

先輩の師匠連中の付き合いもばかにならなかった。それらを賄うお手当てが男の急死で飛んでしまった。

そこへわかさ好みの旗本が現れたからちょうどいい具合だった。
だが、佐野も面倒を見てるうちにわかさの言うがままに金を工面していて手持ちの資金がこころもとなくなってきた。
佐野も考えるところがあって、半年前から田沼邸に一月に一度は菓子折りと1両を包んでは訪問していた。
納戸方から目付に昇格してもらうためであった。

現在は石高以外に組頭の300俵の役職手当をもらっていたが、それではわかさの手当てには不足であった。

田沼家は出身が下野(栃木)の佐野家由来で、佐野本家は3500石の旗本では大身であった。
彼は佐野本家からは相当な支流筋だったが、親戚には違いがなかった。
本家筋は田沼からの引き合いで目付けに起用されたものが数名いたからそれに期待したのだ。
目付けになれば石高は一躍1000石になり、妾の1人は楽に手当てできた。

これまでそんな昇進運動には無関心だったが、わかさとねんごろになって俄然出世欲に目覚めた格好で、その棒給が目当てだった。
そんな折、突然わかさが手を切りたいと言い出し、突然柳町の家に移った。
黒塀に囲まれ、庭に
黒松が4,5本ある、これまでとは比較にならないものだった。

「ずいぶん豪気な旦那がついたものだ・・」佐野は時々遠くからその家をみては溜息をついた。
未練がましくわかさを問い詰めるのは惨めだった。彼の自尊心が許さなかった。
それにわかさの要求する金の工面ができていなかった。
だが、佐野はわかさに惚れていた。
閨のわかさの濡れた体を佐野の身体が憶えていた。気慰みに吉原で女を買い求めても、
わかさほどの
艶めかしい声をあげて、彼の身体に吸い付くような姿態の女はいなかった。女を想って眠れないことがあるのだと初めて知った。

急がねば、と今日も田沼邸に足を運んだ。まだ目付け昇進の望みを佐野は捨ててはいなかった。
約束だけでも田沼からもらえれば、わかさを取り戻せると思った。
金はその棒給を証文に借りればいいと思った。

意次への伝奏は用人の三浦庄司がすべてを仕切っていた。
だが、その三浦に会えるのも限られた
者だけだった。
田沼邸では門前払いする者、玄関で挨拶させる者、廊下で口上させる者、
客間に上げる者、
奥座敷で拝謁できる者と分けていた。三浦に会えるのは客間に上げてもらってからとなる。

この日は意次が留守で意知が奥座敷で配下の者といた。
そこへ、三浦が書状を持って意知に面会人たちの名を示した。佐野善左衛門の名があった。
三浦は廊下での挨拶で帰そうと思っていて、佐野が旗本であったため、意知に名前だけは知らそうとしていたのである。

「さて、これは新番士の佐野殿か」意知がそれを読みとめた。
「ご存知でありましょうか」
意知はわかさの相手が佐野だったと知っていて、興味が湧いたのだ。
「どんな御用向きで来られたのか」
「新番から目付けの昇進をお望みと書面をいただいております。金子はこれまで5両ほど、ただの挨拶くらいのものですが」

「佐野といえば、わが祖先の在所の名家と聞く」
「佐野本家とは血筋も遠く、目付けに推薦するには身分も低く、これといった目立つものもありませぬ」
と三浦は早々と席を立とうとした。

「いや、5回も挨拶があって、毎回お断りするには失礼である」
意知は三浦の反対を押し切って、奥座敷で彼と会うと三浦に半ば高圧的に命令した。

佐野が廊下で拝礼をしていると、三浦が足音を立ててやってきた。まさか、三浦が自ら迎えに来るとは思わず、廊下に頭をこすらんばかりになった。
「老中様がお会いになる。参られよ」と声を荒げるように先導した。
佐野は腰の刀を投げるように廊下に置き捨てて三浦の後に続いた。

「何か、意知さまと関わりがござったか?」横に並んで三浦が囁く。
「いや・・、ご老中様とは初の・・・」と佐野も首を傾げた。
「意知さまも物好きなお方じゃ」三浦が乱暴に言い放った。
「はぁ・・」それは何を意味するか、何となく佐野も理解した。まさか、自分が老中と面会を許されるとは夢にも考えていなかったからだ。

佐野は彼が知りゆるすべての礼儀作法で、老中に拝謁した。自分でも冷静な態度が
不思議だった。
「佐野殿、さ、膝を崩されよ。固い挨拶も抜きにしてくだされ」
意知はゆっくりと佐野を観察した。体格がよく、物腰がゆったりして、鼻筋が通った歌舞伎役者のような男だった。配下の者たちの報告にあったとおりだった。

「佐野殿はわたしのひとつ上でござったか」

「左様でござる。が、老中様とは違って、この年でありながらまだ迷いごとばかりで」
佐野は彼が自分の年齢を知っていたのは驚きだったが、おおかた用人の三浦が身元を調べて、報告をしたのではないかといいほうに解釈した。

意知は佐野が元服前に通った塾や剣道の道場のことなども口にした。
「いや、なかなか浮世にも政治向きにも練達されているとお聞きしました」
意知は少し言い過ぎたと後悔した。浮世などという言葉も、わかさのことを婉曲に言ったのだが、
彼に対する興味が先にたって、止まらなくなっていた。

「これは恐れ入ります。政治向きといわれても、新番士の身ではなかなか献策の機会もなく日々悶々とすることが多く」
佐野はこれはひょっとして自分を試そうとしているのではないか。
目付けの道がすでに開いている
のではないかと、持論を展開しそうになった。
「例えば、米の問屋制については」
「いや、それらのことはまた何かの機会に」
佐野が何を狙いにして弁舌を振るおうとしているのか分かって、
意知の気持ちが急に冷めた。佐野を呼んで後悔していた。陰から顔を見るくらいで
よかったのかもしれない。
彼は三浦を呼ぶと、そくさくと奥座敷から消えた。

佐野は何かやるせない気持ちになって
三浦に聞いた。
「老中様は私めの生い立ちや父のこともご存知でござったが、三浦様がおとりなしされたのでしょうか」
佐野は目付け昇進の言質を三浦から取りたかった。

「はぁ、なんのことでござろうか?」
「老中様に何かを進言していただいたとか」
「佐野殿、今日は老中様の気まぐれかと、さあ、早々にお帰りくださいませ」

三浦の言葉が空しく、帰路の足を重くしていた。
武家屋敷が終わりに近い頃、後ろから誰かがつけてきていた。佐野にはその者が
わざと分かるような追い方をしているように感じた。
「佐野様、佐野様・・」二度後ろから声をかける者がいた。
「反物屋の太兵と申します」
後ろを振り返ると、若い男が深々と礼をしていた。



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布屋 太兵衛・外伝-24  意次の老いと不安

2011-06-17 12:19:40 | 小説・布屋太兵衛 蕎麦屋裏家業

田沼意次は漠然とした不安を覚えていた。
その不安はどこから来るのか自分でも分からなかった。すべてが順調に来ていた。これまで将軍家の安泰を図るために様々な献策をして実行してきた自負があった。
歴代の大老で自分の右に出るものはないと思っていた。
将軍だけでなく大奥からも信頼があるはずだった。この時勢でも奥向きの費用は
一切減らさず、
むしろ、増やしたくらいだった。これも、自分が通商の差益を生んできたからだ。

この天明に入って、蝦夷地の開墾に手を入れて、日本の国土を増やし、幕府の天領を増やす、
誰もが考え付かないことも発令した。天明2年には印旛沼干拓工事を決定した。
これが軌道にのれば、米作主張者たちを押さえ込めるだろう。
蝦夷を領地として拡大し、やがてロシアと通商条約を結べば、自分の名は歴史に刻まれることは確実だった。


幕政の要の幹部も田沼一族で固め、部屋住みの意知を老中までにし、
時期将軍の時には
その息子を大老に添え、自らは院政を敷く準備をしていた。
だが、この天明4年は国中に災害が降りかかった。旱魃がほぼ日本国中を襲い、
特に東北・奥州が
疲弊していた。

悪いときにはさらに悪いことが重なり、浅間山が噴火して、降灰が治まらない。

“これはわしのせいではない”そうおもっても市中では意次が悪いと戯れ唄が流行った。
このところの江戸城内の静けさも、意次には不気味に思えた。
徳川親族が将軍に拝謁するための大廊下の間に、このところ御三家の顔が見えない。
自分の采配に時々注文をつける、紀州がいないことも不思議だった。敵愾心を抱く会津もこのところ所用があるといって来ない。

ところが、溜間には白河藩の松平定信が熱心に詰めていた。どんな理由か分からぬが、水戸藩や紀州藩が推薦してきて、それをあの一橋が推挙したというから面白くなかった。
一橋からは家老が使者になって、その推挙の理由を意次に断ってきた。
御三家がこのところの白河藩の見事な財政建て直しを理由に溜間に置けと言って
きて、御三卿筆頭の
一橋もそれに賛意せざるを得なかったという。

どうもなにか胡散臭い気がしたが、長年、一橋とは裏で組んできたし、一橋から将軍を出すことに協力してきた。離反することはないと確信していた。
この強固な田沼派閥をたかがあの定信が1人で崩せるわけがないと意次には自信があった。
定信は潔癖性が強くて近寄りがたい、物言いが倣岸だから人気がない。御三家あたりの一時的な気まぐれだろうと意次は読んでいた。

「父上、お呼びでございましょうか」
その時、意知が障子の陰から声をかけた。
「意知殿、そなたの意見も伺おうと思ってな」
意次は自分の息子にさえ丁寧な口を聞く。“意次の慇懃無礼”といわれたように、彼は生来、人に対して言葉にはひどく気を遣った。
父親が徒歩出身で旗本の株を買い、成り上がってきたことに対しての防衛心のひとつだった。
それに反して意知はあまりにも世間知らずに育てて後悔はしていたが、いまさら遅いかもしれない。

「松平定信様のことでござりますか」
「いかにも、あの御仁をどう見られるか」
「このところ、溜間で拝見していますが、物の見方が堅実で聡明な藩主であらせられます」
小さな時から、意知には他人をそのままで見よ、身分の上下で見てはならぬと教育してきた。
意次自身がそうであった。自分が一介の小姓から将軍に見出された。
自分も才器のある人間を見出して、政策に生かしてきた。

鉱山開拓の平賀源内がそうであり、
印旛沼開拓の宮村孫左衛門、朝鮮人参の国産化
に成功した田村藍水などは市井にくすぶっていた者たちだった。

そんな育て方をしてきたから、意知は人を見る目は素直に出来ていた。

「これから、言うことは父の言葉ではないと思え」・・・と意次は身構えた。

「幕政を差配してきた大老の言葉ではある・・・。定信殿を奥州に追いやったのはわしじゃ」
「・・・噂では聞いたことがありましたが」意知は息を継ぐ。
意次はこれまでのいきさつをすべて彼に語った。意知には衝撃的な事のはずであった。

「まつりごととはそんなものである」
「父上がそれほどまで苦労されて、わたしがあるかと思うと」
意外とすんなりと受け入れたことを意次は評価した。
ひょっとして配下のものがすでに耳に
入れていて、あれこれと知恵を授けている
かもしれない。が、それはまた当たり前のことなの
かも知れなかった。
それだけの人材を揃えてきた子に頼もしさを覚えた。

「このところ、定信様はわれら老中を掴まえては倹約を説き、田畑の開墾をしきりにいわれております」
「老中の方々はどう思うてじゃ」

「なにやら、父上批判を言われている、と相手にされておりませぬ」

「あの方は若い頃から倹約一点張りじゃ。そんなことで今の徳川が持つものか。
これまでも幕政に関与したいと、わしのところまでいくばくかの金子をよこして、
あの溜間に入ろうとしていた」

「御三家や御三卿の後押しがあったとお聞きしておりますが、お気になさらずとも」

「取るに足らぬとおもうが、後は何を申されておる」

「側用人廃止をいわれております」
「それはそっくりこの田沼家の批判ではないか」
意次は老中と側用人を兼務して今の大老の地位に昇り詰めてきていた。
あまりにも愚直な批判で思わず意次は苦笑してしまった。そんなことを言ってしまえばこの意次に聞こえてしまうではないか。
だが、それを計算づくでやって怒らせようとしているのか、とかれは不安を感じた。
もしかして、定信を中心として何かか動いているのかもしれないと勘のような
ものが働いた。

「意知や、針の穴からの例えがある」意次は急に気持ちを変えた。定信を押さえきってしまおうと考えたのだ。自分の寿命が気になっていた。
「溜間に出仕できぬようにせねばならん」
「・・・それは、亡き者にせよと」意知は思い切って聞いた。
「我らではこのことは無理ゆえ、一橋様にお願いする」
意知はむしろこの一橋の名がでたことに驚愕をした。政治の黒い闇の一旦に自分が関わりを持つことに痺れるようなものが身体を支配していた。

「このことは意知殿は知らぬことでよい。他言もなされぬよう」
田沼は身代が徒歩組から成り上がって来ていたから、大名が持っている諜報組織や暗殺集団などに手が及んでいなかった。大老にもなれば、将軍のお庭番を使えたのだが、意次はそのことには無関心で、手を汚すのは一橋に任せてきた。
もっとも、徳川も中期になってくると、諜報機関を編成できていたのは御三家、
御三卿、親藩では会津、外様では加賀藩くらいだった。

だが、この暗殺依頼は田沼を幕政の中心部から追い落とす引き金にもなった。
意次の老いがいつもの冷静な判断を狂わせてしまった。
一橋はこの企みを自分のよいように利用した。



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布屋 太兵衛・外伝-23  大きな仕掛け花火が上がりそうだ

2011-06-10 09:45:11 | 小説・布屋太兵衛 蕎麦屋裏家業

「小唄のわかさの旦那になってるのが、旗本に間違いがねえんだな」
話が少し遡って、軍太郎が太兵に田沼意知が通い詰めているという小唄のわかさを
見張らせて
いたときの頃だ。
「こりゃ、面白くなってきたぜ、で、その男は」軍太郎が勢い込んで太兵に聞く。
「へえ、新番士の佐野様という方でございます」
「なんだ納戸方の佐野善左衛門か」
「ご存知でしたか」
軍太郎が少し何かを考えていた。

新番士というのは、老中や大目付が出入りする江戸城の納戸の監視をする役目の者だった。

旗本の間では特別重要な役目ではないが、軽い役というものでもなかった。
佐野は仲間内では硬骨漢で通っていて、若い頃は政治向きの口喧嘩が多く、
付き合いにくい人物
との噂があった。

「あの男が妾をなぁ、で、小唄の師匠でいい女ときたら、奴は極楽者だな」
“弾きつ、語りつ、口移しで、小唄の師匠とねんごろになりたや”と流行唄になったように、
小唄習いは
町家の旦那衆の道楽や一種の流行病と言われたものだ。
軍太郎も思わず舌舐めずりをしてしまう。

「あ、軍太郎さん、羨ましそう。みつさんに言いつけますよ」
「ありゃ、悋気が強い。おいらが酌女の尻を見ただけで、二の腕に痣が二つできる」太兵が笑う。
軍太郎の言うとおり、それは本当のことだったから、彼は苦笑いになる。
軍太郎が江戸に上がってきてすぐに吉の姉のみつが追いかけるように軍太郎の部屋に住み着いた。
みつは年が一回り以上若いが、相性があったせいか、二人は甘ったるくて、
はたは見ていられないくらいで、妬けそうな暮らしぶりだった。
この日はみつを外出させていて、太兵は余計な気遣いをしなくてよい。

「で、意知とはどうなんでぇ」
「それが、行くところまでいったようで。着物や帯が飛び切りのものになってます」
「反物屋が言うんじゃ、本物だわな。相当貢いでるな」
「このところ、不忍の料理茶屋でしきりに逢瀬を。池を舟で渡って、紫の頭巾を
被った小唄の師匠の姿が三が日にいっぺんほど」

「なんでぇ、小唄のひとつも唄いたくなるような図じゃねぇか」
男と女の密会の場所は出合茶屋を選ぶ例が多かったが、意知のように顔が割れている
と、裏口からも
出入りできる料理茶屋を選らんだ。しかも、その茶屋は裏口へは
船頭が不忍の池を渡って密かに通してくれるという。

料理茶屋は料亭と寝間を兼ねたもので、二階建ての豪勢な
建造物のものだった。
上野から湯島にかけてこのような茶屋が並んでいた。

この時代、不義密通は重罪で、場合によっては打ち首だったが、それでも命がけで
男と女は忍んできていたのだ。

 「男と女の業だな」ぽろりと軍太郎が漏らす。
 「あたしにゃ、まだわかりませんが」
 「そんな年でわかったら、すぐに免許皆伝よ」
「家来も大変ですぜ、その間、部屋で待ってます。用心深いですぜ」
「暗殺でもされたら、田沼家もお仕舞いだからな」
「小唄の師匠は茶屋で何を教えてる」
「そりゃ、軍太郎さんがお好きなことでしょう」すこし話がずれてきた。
「わかさは意知に乗り換える気かい」
「さて、どうですかい」
「意知はわかさの面倒を見てるのは佐野だと知ってるのかい」
「へぇ、それが知ってますようで。家来がわかさの家にへばりついて佐野が
 出入りするのを調べたようです」

「そりゃ、ますます面白いことになった。佐野はな、吉宗公を崇めていて、
ありゃ、大の意次嫌いだわ」先ほど、軍太郎が初めて佐野の名を太兵から
聞いたとき、これは何かいい塩梅になったと思ったのだ。
吉宗は米将軍と言われたように、米作の振興で幕政の再興を図った男だったから、
佐野は農政を疲弊
させた意次に批判的だった。
意次の親は財力で旗本の身分を買い取った男で、その一族の懐を肥やし、旗本を
見捨てるようなところがあって感情的な反感があった。

「花火があがりそうですかい」
「それを山東先生に事細かにいれなきゃ。太兵どんご苦労だが、ここ数日は佐野が
どんな仲間と
会って、どんなことを言ってるか探ってくれるかい
 問題はいつ佐野の耳に意知とわかさの仲を入れるかだな」

それから暫くして、3人で軍太郎の長屋で会うことになったのである。

「左隣が太兵の住まいで右隣を空家にしてござる」軍太郎が山東京伝にいう。
「なるほど、密談も大丈夫というわけですかい。さすが保科様の分家で」
京伝はすでに源内から軍太郎の氏素性を詳しく聞いていた。
「この太兵にはまいった。蛇に見込まれたカエルじゃないが、ころりと騙されたわいな」
「先生を騙したなんて」太兵が恐れ入る格好をした。太兵は源内を介して京伝につないでもらったのだ。

「なにせ、毎日朝になるとおいらの枕元に立ってるんだから、最初は石川五右衛門
か鼠小僧
の生まれかわりとこちとら思ったくらいだわさ」
「こんな難しい話をまとめられるのは山東先生しかいないと」
「出鱈目ばっかり書いてるから、とんだところで見込まれちまったな」
「いえ、滅相も無い」
「まあ、いいやな、おいらこんなもの書いてきたぜ」

京伝が一枚の紙を広げた。大きさは半畳以上はあるだろうか、そこに浮世絵師らしく
物語り風の絵が
描かれていて、所々に筆文字で注釈が書かれていた。
暫く、3人の息づかいだけが聞こえた。
「これは、これは、なんと言っていいか」軍太郎が溜息をつく。
「先生は恐ろしいお方で」と太兵も膝に手をする。
「軍太郎さんが一番の要所ですな」京伝の声が楽しそうだ。
「加賀様も紀州様も関わりになられるとは」軍太郎がその書を目でなぞる。
「わが殿様も動かれるか」そこには会津藩の藩主の役割も書かれていた。
本来の仕掛け人は肥後守だから当然、その仕事は重い。

「太兵さん、あんたが一番働かなくてはのう」
京伝がしてやったりと二人を見回す。
この日から一月後、江戸中がひっくり返る大事件が起きた。

(これは史実にヒントを得たフィクションです)


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布屋 太兵衛・外伝-22  山東京伝が幕政転覆の脚本を書く

2011-06-02 17:52:26 | 小説・布屋太兵衛 蕎麦屋裏家業

太兵はこのところ忙しい。一生のうち、この半年が一番忙しい日々だったかもしれない。
藩主の描く、田沼追い落としの策は複雑で、難題が多かった。
それはある意味戦国時代の参謀と
密偵の頭領の仕事を両方任されたようなものだった。
だが、今は戦国時代ではなかった。単純な暗殺では江戸市中の空気を味方につけることはできない。それに、会津藩が首謀だと悟られてはいけなかった。

江戸に狂気じみた文化人がいた。山東京伝だ。彼は元々は浮世絵師だが、
人情物から滑稽本を
独特な時代風刺で書き飛ばす戯作本作家だ。江戸っ子から絶大な人気を得ていた。
特にこの天明4年の頃から出版しだした艶本は天賦の才があったようで、町家の後家や人妻の人気を独占していた。

天才万能人の平賀源内、風刺狂歌の蜀山人と並び、江戸の三大有名人といわれ、
町を歩けば物好き
なやっこたちがぞろぞろついて来たものだ。
天明の大飢饉を抱える幕政に諧謔的な作本を生産し続けていたから、
奉行所にいつ捕縛されても
おかしくなかった。

その京伝と太兵が連れ立って歩いていた。太兵はこの日軍太郎の長屋に彼を案内する
途中
なのだが、この日も暇なやっこが3人ほど後をついてきていた。
京伝は蜀山人と付き合うほどに蕎麦屋好きになって、昼から蕎麦を肴に酒をやる。
天明は饂飩屋が蕎麦屋に看板換えする店が増えていて、酒売りの一杯飲み屋も蕎麦を打ち出した。

「おい、こいつらにも出してやってくれ」
日本橋の「砂場」にさしかかると縄暖簾をあげて京伝が亭主に声をかける。
金魚の糞のように
ついてきた男たちにも気前よく馳走する。
「おいらの昼飯はもっぱら、これでな」と二人は別な席をとって京伝が枡酒をやりだす。
太兵は前髪を切って元服したのは12歳だったから、酒も相当強くなっていて、京伝の相手をする。

「侍なんざ、日に3回も飯を食らうらしいけど、江戸っ子はそんな半端なことはやりゃしないぜ、

米の飯ばっかり食ってるとお天道様に笑われる」
京伝の言うとおり、江戸市民の半分以上はとび職と職人だったから、習慣的に1日2食で、およそ昼飯も時間がまちまちだった。
昼前から通しで商いをしている蕎麦屋が彼らの常食屋になって
いて、
そこに酒があるのだから、朝に仕事が終わった連中は、朝飯し代わりにたらたらと呑んでいた。

「会津もんの打つ蕎麦もうめえらしいじゃないか、一度ごちになりてえな、太兵さん」

「先生だったらいつでも打ち棒持参でまいりやす」
「おっと、そうこなくちゃ、いけねえや」
京伝が皿に入ったネギ味噌をなめるようにして酒をやる。
毎日呑むから酔いがすぐ回る。軍太郎と会う前に酩酊するのではと、太兵はひやひや
している。

「おいら、答えを見つけたぜ」
京伝が少しくぐもっていう。悪戯小僧が九九を暗算で言えるように
なったときのように嬉しそうだ。
“田沼意次追い落としの絵が書けた”と京伝は暗に言っているのだ。
太兵はその言葉に僅かに反応して、納得顔で京伝に酒を注ぐ。

この二月ほど田沼一派の動きを内偵して、そのすべてを京伝に伝えた。
藩主からの指令の全体を捉えて、構図を描けるのは彼しかいないと考えて
いたのだ。それは平賀源内からも京伝しかいないと言われたからだ。
それほど京伝という人物は危なくて、とてつもない事を考えられる人物だった。

田沼の政治は放蕩者の京伝には割りと合っているのかもしれなかった。
が、この話に乗ったのはやはりもうこの空気に厭いていたのだろう。
田沼一族の1人勝ちに京伝も腹に据えかねていたのだ。
農民の米騒動があちこちで飛び火して、米蔵の打ち壊しが各地で勃発していた。
東北奥州の悲鳴のような疲弊の声が、江戸市民にも聞こえてきていた。

花番が蕎麦がきを運んできた。蕎麦がきは一口程度の大きさで丸くまとめられた
のが、
椀の中に6,7個入っていて、蕎麦湯がたっぷり入っていた。
そこに大根おろしと鰹削りを覆うようにかぶせる。後は味噌だれを回しかける。
京伝がくると亭主が特別にだす蕎麦がきだった。
「あのせがれは崩せるぜ」
京伝が太兵の顔を見て笑う。あのせがれとは田沼意次の長男、意知のことだ。
「一番いいのは、死んでもらうことだがね」
そう言って、蕎麦がきを美味そうに口に放り込んだ。


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布屋 太兵衛・外伝-21  福島会津が疲弊から抜け出す

2011-05-17 16:27:55 | 小説・布屋太兵衛 蕎麦屋裏家業

一橋での密談の帰りは二つの大名籠が加賀藩に向かっていた。
一橋別邸は江戸場内にあり、会津藩は和田倉門内、加賀藩は江戸城からは離れて本郷にあった。
現在の東京大学あたりで、敷地は10万余坪に及び、巨大すぎてどこが正門なのか、
訪ねる者は迷ったという。
今も残る赤門は
文政10年(1827年)加賀藩主前田斉泰に輿入れした
11代将軍
徳川家斉の
21番目の息女の溶姫のために建てられたものである。

加賀百万石の文化絢爛の礎は会津藩初代正之から庇護を受けた綱紀が築いた。
新田開発事業で
農業を振興し、正之が実施した年金制度(高齢者に扶持米を支給)を模して、
長寿者には扶持米を褒美に与え、手厚い保護政策をとった。

特に文化、文芸を振興するための多くの人材を金沢に招いた。
江戸の著名な学者を数人招き、百科事典を編纂し、藩の学問を大いに奨励した。

元禄2年(1689年)には綱吉から御三家に次ぐ待遇を認可された。
その時にあの萩生徂徠が加賀侯非人小屋(御小屋)を設けしを以て、
加賀に
乞食なし。真に仁政と云ふべし」と述べている
前田治脩もその伝承から今の加賀は会津の恩ありきと受け継いでいた。

加賀百万石、実質の内高は130万石を優に越えた。その象徴が江戸加賀上屋敷別邸であった。

この日は少数の供を連れて、大名籠が並んで、ゆっくりと進む。
藩邸には加賀料理と合わせるために、太兵を先乗りさせ、蕎麦打ちの披露を手配してあった。
籠の簾を開けて前田治脩が声を掛ける。

「少しは先祖の借りを返せましたかな」
「いや、十分でござりました」容頌が同じく簾をあげ、上気した声で返す。
「だが、あの御仁を騙すのも多少気がひけるが、あれでよかったのかな」宰相らしい人の良いところが出る。
「一橋様にはこれから働いてもらわねば」容頌は家基暗殺に一橋家が絡んでいたことは、前田治脩には話してはいなかった。
謀議を計るのは我ら会津だけだと覚悟していた。

「出来たら、もう少し借りを返したいと思うております」
「なんでござろうか」と怪訝な顔。
「加賀は今年、奥州東北と違って米が大豊作でござってな。
これから肥後殿には我が蔵屋敷の廻米を
見ていただき、それを半分ほど買っていただきたい。
もちろん、廻米であればどなたに譲ろうが
こちらの勝手でござれば」
そんなことさらりと言い放つ。

この天明の飢饉は押し並べて全国の大名が
苦しんでいた。余裕があるのは加賀藩と紀州藩くらいだと噂に上っていた。
「加賀殿・・」容頌には予想だにしなかったことだった。
廻米とは大名が市場に放出して利幅を取る米のことである。
加賀藩の廻米は仙台藩と並び、江戸でも人気があり、いまそれを譲ってもらえれば、
現在の会津の飢饉の半分は解消するはずだった。

「有り難いお言葉ながら・・」と声が詰まった。すでに会津藩の金蔵は借り証文のほうが多かった。
「肥後殿、これは拙の一存でござれば、証文なしのある時払いでござる」
「加賀殿、この恩は生涯・・」容頌の声が消えそうだ。
先日も国許の城代家老から催促が来ていた。
農民たちが干上がりそうだ。下級武士たちの扶持米が不足している・・・。

「正之様から受けた先祖のご恩に比べれば、これは塵のようなものでござる」
前田治脩は
容頌に負担をかけまいとしていた。

二人とも簾を下ろし、籠の揺れに身を任せて、江戸の町の夜陰を楽しんだ。
籠を降りたら、煌びやかな古九谷焼きの器が並ぶ膳と、太兵の蕎麦が待っているはずだった。

古九谷は前田藩の支藩がこれより130年程前に有田焼を学習して窯を開いた。
その技法が完成に近づく頃、支藩の財政が悪化し、加賀藩も援助を打ち切って閉窯してしまった。

九谷窯の閉窯に関しては加賀藩も口を閉ざしたままだ。
九谷に豊富な金鉱脈があったとされ、加賀藩が禁制された貨幣鋳造に関わっていて、
幕府の漏洩を恐れたのではとの伝聞が根強くあった。

古九谷の器は60年程度しか開窯していなかったから、製作数も限られていて貴重なものだった。本格的な復活は文化4年(1807年)からになる。
青が基調の磁気皿に太兵の打った白い肌の蕎麦を盛れば、美しさが映える。
それを太兵も楽しみにしていた。

福島会津は加賀廻米を手にして、天明の大飢饉から抜け出そうとしていた。




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布屋 太兵衛・外伝-20  田沼意次の支えを一本はずす

2011-05-15 09:58:37 | 小説・布屋太兵衛 蕎麦屋裏家業

御三卿の筆頭一橋、譜代の代表格会津、外様の雄加賀、この3藩が非公式に集まる
ことは無かったし、これからも無いだろう。
今、大国の加賀宰相が高僧の説教がごとく一橋を見据えていた。

「憚りながら、御三卿筆頭様に申し上げあげます。上様はご高齢で先日も少しばかり
御伏せに
なったよし、次期将軍の家斉様今だ幼少なれば、ここは御三卿が揃って
来たるべく治世をお守りするが必定だと考えまする」
前田治脩は暗に御三卿の田安家生まれの定信とも手を組むべきだと匂わせる。

溜間詰めに定信殿を一橋家が要請されたら、天下公認となり、
皆が望めば老中に配することも
容易になろうかと。
いまやそれが民の声と、この加賀には聞こえてきますが」

朗々と前田治脩に明るい声で述べられると、これが天下の正論だと思えてしまう。

「これは加賀宰相、流石でござる。田沼のこのところのなし様は目に余ると、
上様も、いや、これは
聞かなかったことにしてくれ」
治済が茶をすすり、暫く座に沈黙があった。

治済
としてはまたとない話であった。一橋家が溜間に定信を出入りさせることを後押しすれば、
定信に大きな貸しを作れ、養子に出した家斉が将軍に就いたときに、
田沼から御三卿出身の定信に
老中をすげ替えれば、それだけで自分の権勢が大きく
なるはずと算段した。

腐れ縁の田沼と手を切れるのも一橋家にとっては千載一遇の機会だった。
それを、譜代の代表格の会津と外様の大大名の加賀藩がわざわざ申し出てきてくれたのだ。断る手はなかった。
「だが、余りにも贔屓がすぎると、このわしは言われまいか」
治済
がか細い声でいう。

自分が追い出した定信と手を組むことも多少は後ろめたい。
御三卿派閥で幕政を固める批判があるかもしれない。
だが、家斉のことを考えると是が非でも彼らと組み、定信を復帰させるのが一番だとも考えた。

「口火は拙がきりましょう」静かに聞いていた
容頌が膝を進めた。

「疲弊しきった東北奥州にあって、このところ白河藩の財政建て直しは天下の衆目を集めており、
同じ奥州のわが会津藩も見習いたきものがあり、この知恵を溜間に生かすことが肝要かと。
また、この会津も溜間詰めにいる身ながら、なかなか上様のお役に立てないことが
口惜しいのでござる。このところ米問屋の打ちこわしが聞こえて参っております。
ここは定信様を迎えるになんの妨げが
あろうかと思うておりまする」
確かに、今の白河藩の財政建て直しは他藩の衆目を集めていた。
田沼に厭いた時代の空気に定信の堅実さが求められているかもしれない。
「なるほど、それが天の声か」すぐに感動しやすい人物ではあった。

「そちらがその旨を主だつ大名たちに諮ってくれ、あとの御三卿をわしが説いて見せよう。
あとは御三家だが、あれらは互いに意地があって、意見が一緒になろうかのう。そちらが難問じゃ」
「では、尾張様、水戸様、紀州様の御三家には拙と宰相殿が御諮りいたしましょう。
水戸様などはなんの異存もなかろうと思われますぞ」
すでに水戸と尾張には二人が手分けして賛意を得ていた。

「うーん・・」と治済が声にならない声を漏らし、目には涙を浮かべていた。
容頌より7歳上にしか
過ぎないが、もう老人のような風貌をしていた。
「だが、のう・・」
「まだ、ご心配事がおありか」容頌が諭すように言う。
「あの田沼がおらんようになっても、意知がいる。若年寄、大目付、勘定奉行があやつらの一派じゃ」
意次はこの
20年ほどで子供や孫を戦国時代のように戦術的に使い、譜代大名と有力旗本との間で多くの姻戚関係を持った。

老中は本人を含めて5人いたが、古参の松平康福の娘は意次の嫁、
新入閣の久世弘明の孫と意次の孫が
婚姻している。同じく水野忠友は意次の子を
養子にし、今年天明4年に老中になった牧野貞長の息子と
意次の娘が婚姻。
すべてが姻戚だった。若年寄にも二名、将軍の御用取次は腹心の稲葉正明だった。

このことを一橋が心配をしているのだ。

「家斉様が将軍になられたなら、一橋様は大御所のようなものでござろう」
容頌が静かに言う。

「大御所?」思いもかけない言葉が居間を支配した。
それは治済の頭の中に駆け巡った。
神君家康、二代将軍秀忠公以来、他には大御所の称号を受けた者などいない。
“われが大御所”とな・・。

この“大御所”の尊号が後に松平定信との間で確執を生むことになる。
それは後々のことで。

「田沼一派など、一橋様の一声でなんとでもなりましょう」容頌がとどめを刺した。
「そこまで、言うてくれるか」一橋治済は感動で打ち震えた。
“これでなった”と容頌は思った。あとは田沼一族のほころびだった。
後は太兵と軍太郎がうまくやってくれさえすれば・・・。

(これは史実にヒントを得たフィクションです)



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布屋 太兵衛・外伝-19  奥州の狼と北陸の虎がきた

2011-05-11 18:52:00 | 小説・布屋太兵衛 蕎麦屋裏家業

「これは、これは、肥後守ばかりでなく、加賀宰相までお揃いで、御用向きはなんでござろうか」
この日、会津藩主、松平容頌(かたのぶ)は加賀藩、前田治脩(はるなが)と同道して、
一橋治済
の江戸別邸を訪問していた。

表向きには一橋家の茶会催事だが、急遽、容頌から申し入れたものだった。
加賀藩は内高134万石で、御三家の尾張藩と紀州藩の二国以上の石高を優に越し、幕府に次ぐ大国である。
会津藩は内実50万石はあると言われたから、この二人が打ち揃ってくるのは一橋家でも脅威であったし、一橋の歴史の中でも初めての出来事だった。

外様の雄と譜代の雄がまさか手を携えて来訪するとは想像もつかなかった。
いきなり奥州の狼と方陸の虎が乗り込んできたのだ。

「一橋様には、お人払いまでしていただき、まずは御礼を」容頌が口上を述べる。
この日は、上座、下座の形を取らず、床の間を横にして敷布に
3人が座った。異例の対応である。
吉宗直系の系譜の御三卿だが、領地を持っているわけではなく、幕府の天領からの
あてがい扶持である。地位は高いが実質権力はないから、どう二人をもてなすか
分からずにいた。

「堅苦しい挨拶はよしになされてくだされ。何か要件がござったかのう」
にこやかに、同格さながらの言葉使いになった。
治済には何の目的があってか思い当たらない。


「松平定信殿のことでござれば」と
容頌が明朗な声を上げる。

治済は突然、その名を聞いて一瞬肩が震えた。定信を白河藩に追い出し、
冷や飯を食わせた張本人だから、その名を聞くのはいい気分ではなかった。

「定信殿をお助けになったら、いかがでしょうか」意外なことを、前田治脩が柔らかな声で訴える。
治脩は加賀藩主の10男として生まれ、幼い頃に越中に出家して僧になった。
だが、兄たちが次々と急死し、突然藩主を継ぐことになった。高僧となれる素養あり
と期待されたくらいだから、教養も人徳も優れていて、他藩の大名からも慕われていた。
容頌とひとつ違いで、口を開くとあたかも高僧が説教するかごとくの落ち着きがあった。

「助けてやれとは、どんなことでござろうか」治済教えを乞うようにへりくだる。
「定信殿がこの2年ほど上奏されておられることがありまする」
先日軍太郎が平賀源内から聞いた情報を容頌が分析し、かねてから親交のあった前田治脩に打ち明けたのである。

それを前田治脩が
容頌と示し合わせて一橋に説明しだした。

江戸城には大名や旗本が待機する広間があった。その広間に入るにはそれぞれ大名の地位と石高によって別れていた。
大名が詰める席には大廊下、大広間、溜間、帝鑑間、柳間、雁間、菊間広間の七つがあり
中でも徳川御三家など親族が詰める大広間、将軍に拝謁でき、老中にも意見を
上程できる溜間詰めが重要な間となっていた。

「定信殿は溜間詰めに入りたいと嘆願されております」
前田治脩はその溜間に定信の出入りを許したらどうか、と内々に治済の判断を仰ぎにきたのだと告げたのである。
源内の話ではこれは田沼意次が握り潰してきたことだから、表向きにはなっていなかった。

「ほほう・・」と一橋治済はそ知らぬふりをした。多少の風聞があったことは知っていたが、いつの間にか失念していた。
このところ定信は幕政に関与したいとあちらこちらから聞こえてきて、一橋家も気にはしていた。
あの定信が田沼に賄賂を贈り、若年寄の足掛かりを掴もうとしたことも聞いていた。
そんな定信の直情的で、我が一番という尊大な性格を、ある意味治済は嫌っていた。
だが、御三卿の血筋では出色な才覚を持っていることも認めていた。
自分の子の家斉を将軍候補にしたくて、定信の田沼批判を大袈裟に騒ぎたて、
田沼と結託して将軍候補から引き落としたくらいだから。

「そりゃ初耳だのう。そのようなことよくお調べになられたものじゃ。
それに宰相と肥後殿が
こんなにも近しいと思わなかった。いや、正之様の代ならそうであったろうが」
多少皮肉めいて治済は言ったが、外様と譜代の距離の置き方は江戸が後半に入っても変わらなかった。江戸初期の頃はそんなことが聞こえたら、謀反の疑いをかけられたものだった。

が、この藩同士は特別な関係が
築かれていた。そのことを一橋が、昔ならと断ったのだ。
江戸初期から加賀藩ほど危急存亡と石高減らしの危機に何度もさらされた藩はなかった。
最大の危機は利家の側室の子で二代目藩主利常の代であった。
秀忠が病気になったときに、謀反の嫌疑をかけられた。そのときは本人利常と跡継ぎの光高と二人で上京し、殺傷される覚悟で弁明し、藩取り潰しを免れた。

家光の代には利常引退後に、その後を譲った光高が急死、利常は急遽、孫の綱紀を藩主に押し立てた。
この時、綱紀3歳、自分の高齢を推し量り、藩の存亡を思い悩んだ。幕府とすれば
百万石を越える外様の必要性は無く、領地半減の絶好の機会だった。

これを救ったのは当時副将軍で家綱を補佐していた会津藩主、正之であった。
正之は自分の庶子だった悲哀を苦労人で実直な利常に重ねて見たのであろう。
利常が成人するまでは痴呆を装って、幕府に軽んじられるような芝居まで打ち、
誠心誠意徳川に私心なきよう努めてきたのを知っていた。

正之は御三家を説得して加賀藩の忠誠を論じ、自分の娘を綱紀に娶わせてまで加賀藩を擁護した。
利常が亡き後も、岳父として綱紀の藩政を様々な形で援助した。これは加賀藩の代々の口承伝記となっている。
その縁がこの時代になって静かに復活していた。

「だがのう、定信殿の白河藩は石高も小さく、いかに元御三卿の身分ではあるが、そんなことがなるかのう」
何かいい知恵はないのかと、治済そんな様で二人を眺める。
さて、どうするか、思案が3人のいる居間に渦巻いていた。


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布屋 太兵衛・外伝-18  天才平賀源内が田沼を見限る

2011-05-08 10:41:08 | 小説・布屋太兵衛 蕎麦屋裏家業

この日、太兵は軍太郎に連れられて平賀源内の屋敷に来ていた。
源内は3日ほど前に長崎から帰ったばかりで、軍太郎を迎え上機嫌だった。
「軍さん、今日はご馳走させてもらうよ。宝の山を見つけたから、せいぜい吐き出さないと
罰があたるからね」源内は二人を居間に上げた。

「先生が長く江戸を留守されたんで亡くなられたと噂でもちきりでしたな」
「ありゃ、あたしが流したんだ。戯作なみに牢死したなんてな」源内が大笑いする。
それはあながち
冗談じゃなく、源内ならやりそうなことだった。
「これは、おいらの弟分で会津の反物屋の太兵どんといって、奥州にいる間に
随分世話になった
男で、若いが蕎麦打ちの名人です」軍太郎が廊下に控えていた太兵を招き入れた。

「そうかい、あたしゃ堅物専門で、食道楽じゃないから、こんど太兵さんには寝惚先生に引き合わせしよう
源内はこのところは田沼意次の依頼で日本の各地の鉱山採掘で忙しい。
そのことを堅物専門と冗談で言ったのだ。採掘事業は銅で、その銅から銀を取り出す技術を源内は普及させていた。

寝惚先生というのは別名は蜀山人と呼ばれる、狂歌で有名な太田南畝のことで、
源内が彼の狂歌本に寄稿して売り出しに一役買っていた。
「ほう、太兵さんとやら、あんたはいい顔をしてる。その相は頭を取ると出てるな」
「先生は相まで見る人で、太兵どんもいずれは天下一となる相だと」
「ありがたいことで」太兵も江戸の人気者からそうまで言われると嬉しい。

「老中はますます懐が潤ってるようだね。この先の相を占うとどうでやんすか」
軍太郎が熱燗を飲みながら言う。

「お、きたね早速、軍さん、何か魂胆があるね。
あたしゃ、老中のおかげで生きてるようなもんだが、次の相は大殺界と出てる」

源内は元々、高松藩に所属する。妹に婿をとらせて家督を譲って自由な身なのだが、
田沼の依頼で
鉱山開発や薬草事業を始めたときにひと悶着あった。
田沼が彼を召抱えたいと申し出たが、高松藩が譲らず、しかし、田沼に高松藩も逆らうことも出来ず、
いまは田沼家の客分の扱いで、田沼の事業依頼を受ける玉虫色の解決となっていた。

「御益(ごえき)を上げれば、あたしの懐に歩合が入ってくるわな、ばしゃばしゃと」
「あやかりたいね、エレキ先生に」
軍太郎は源内の渾名で言う。源内は自分では苔脅かしだという、
エレキテルを発明
し、そちらの名のほうが江戸では通っていた。

源内がいう“御益”というのは田沼政治の象徴で、利益至上主義で幕政を動かしてきていた。
“世に合うものは 山師、運上”と狂歌でいわれたように、運上は営業の租税で、
これと冥加金といわれた営業の権利金とが流行病のように普及した。

吉宗時代に成功した改革は米の増産と節約であったが、すでに年貢には徳川中期の時代から限界がきていて、
商業や貿易で田沼は財政黒字化の活路を見出していた。
だが、この運上金や冥加金は曖昧に運用されることがあり、利権を巡っては田沼邸に、おびただしい山師連中が押し寄せる。これが田沼賄賂政治と後に批判を浴びることになる。

「老中はやり過ぎかもしれんわさ。あたし以上の山師でござる」と源内も自嘲気味の溜息をつく。
「やり過ぎて不都合はありますか?」と軍太郎が誘い水。
「あたしのようなものばかりが世にのさばるようじゃ、お仕舞いよ」
「いえ、先生のような方がおられるから、世も潤うと」太兵が燗を勧める。
「まっつぐの世は、あたしらはあだ花よ。あだ花ばかりが咲いてりゃ、散りとてちんよ」

源内は田沼政治は終焉に向かっているという。今は大商家が田沼を潰さぬように動いてはいるが、
現実には江戸が栄え、金が溢れている。が、日の本の国中をみたら米が無い。
食べるものがないのに
国が栄えるわけがないという。
「あたしにしちゃ、まともなことをいったわさ。軍さんがいけないよ」

「田沼様は先生宅に来られますか」軍太郎が田沼の動向を聞く。源内ほどの天才人は
古今東西珍しく、彼の屋敷は発明品や物産名品、珍品で溢れていて、
さながら博物館のごとくで、来賓で溢れる日もある。
「老中はこのところ来ないが、若年寄が熱心にくる」

若年寄りとは意知のことである。意次から家督相続もせぬまま、33歳で異例の若年寄に昇進したから、
七光り殿と世間では言われていた。

「幕閣はすべて田沼の親戚か、田沼の息がかかってるよ、軍さん」
源内がぽつりと漏らす。膳が奥から運ばれてきた。

「どうだい、いま江戸一番といわれる八百善だわな。とっくり見てから喰ってくれ」
源内に言われて太兵が膳を見た。確かに惚れ惚れとするような料理が並んでいた。
江戸料理の
本膳を本格的な懐石料理に仕立てた八百善の料理は、
華麗で美味しく、絶妙な包丁技術でこのところ大流行であった。

そこからの出前でこの日は彼らを接待したのだ。二人は江戸一番の饗応を受けていた。

「なんと深い味で・・」蓮根饅頭の深蒸しを口に含んで、太兵が箸を落としそうになる。
「太兵さんとやらはやはり口の探りがいいな」源内が自分を誉められたように喜ぶ。
「七光り殿はこの料理が目当てでよくくるわな」
若年寄に成り立てだから、公然と八百善に
通うのが憚れるから源内の屋敷で楽しむのだそうだ。

「食道楽なんでしょうか」太兵が聞く。
「ありゃ、病気でな。料理もそうだが、女好きで、それなら吉原あたりにしとけばいいんだが」
「それでは、お素人さんがお相手でしょうか」太兵が踏み込む。
「あんさんも若いのに好きだね。それが半くろうとが好きでな。今は小唄の旦那持ちに入れあげてな。
一盗二婢三妾なんとかの三妾で、囲い女ときてるから始末が悪いわさ」

「天下の若年寄が惚れるようなお顔を見てみたいものです」太兵がにこりと笑う。
「若いもんには目の毒だわさ、柳町で小唄のわかさと言えば大概のものは知ってるわさ」
「おいらも小唄を習いに様子見したいもんだ」
軍太郎の一言で大笑いになって、料理に戻る。

帰りの玄関で、源内が軍太郎に声をかける。
「肥後殿はなかなかの人物と聞いたが、一つ伝えて欲しい」肥後殿とは会津藩主のことだ。
軍太郎が会津にいたことを知っていて、源内は彼らの動きをこの雑談の空気で推量していたのだ。
軍太郎が会津の命で動いていることは彼の勘が働いたのだろうが、
それにしても源内は
並みの人間ではないと太兵は恐ろしくなった。

「田沼は68歳じゃ、次期将軍の家斉は11歳。となると、意知を老中に据えて
田沼意次が院政を敷いて思うがままにしたいところだわさ。
家斉の実父の一橋の狸は焦ってるじゃろうて」

「次の手は白河藩の松平定信様と思うておりますが。なにせ一橋様と定信様と手を組むのは難問」
と軍太郎が源内の答えを引き出そうとする。

「あの狸と定信殿の面子を潰さずに会える手が一つある」
そういって、源内が軍太郎の耳にだけ何かを囁いた。
帰り道、太兵はすぐにこれから柳町に回ると、軍太郎に告げる。
「わが手の者が探っていた通りのことが源内様から聞けました」
太兵は小唄のわかさの家に探りに行くつもりだった。


「源内さんはもう田沼を見限ったな。もしかして、江戸の空気がそんなふうに
傾いている
のかもしれないな。
こりゃ、おそれ入谷の鬼子母神だわな」軍太郎が太兵にいう。

「あの耳打ちはどんなことでしたか」太兵が小声で聞く。
「明日、肥後様の屋敷でな。ところで、太兵どんの八百善の話は本気かい?」
軍太郎が念を押す。太兵はこの一件が落ち着いたら、八百善に使い走りでいいから、
台所方に
入れてもらおうと考えていた。
先ほど源内に頼んだのだ。それは麻布「布屋」開業に八百善の腕が生きることに
なるはずだった。

この日から一月後、意知は暗殺されることになる。


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布屋 太兵衛・外伝-17  欲にはもっと大きな欲を投げつける

2011-05-04 10:12:15 | 小説・布屋太兵衛 蕎麦屋裏家業

天明4年(1784年)、軍太郎は太兵と江戸に舞い戻っていた。太兵17歳のときである。
太兵は反物を商いに保科家の紹介で大名屋敷や旗本屋敷に出入りしていた。
保科家飯野藩1万7千石は保科正之が会津藩に移封されたとき、正之はそれまでに
彼が養子で育ててくれた恩顧に報いいるために名跡保科姓を復活させたものだ。
正之から3代目で会津藩は徳川の系譜の松平姓を名のることになる。

従って、飯野藩は会津藩とは親戚筋であり、正之時代はその配下のごとく動いてきた。
代々、大阪城を警護する大阪定番と江戸城門番を歴任してきていて、
お庭番とは別な任務を与えられていた。

外様大名の動向、天領地・旗本領地の代官の監視など、
正之が統括する諜報組織を補佐する役回りを
していた。

飯野藩は千葉・南総にあり、保科弾正忠はいつの時代も麻布の江戸別邸を住まいにしていた。

太兵は会津藩に近い者としてより、保科家に近い者として動くほうが便利だった。
保科家の名は
特に旗本の間では名跡で通り、
直轄地の裏監査役として知らぬ者はいなかった。

この半年の間で容頌に命令された田沼意次につながる者たちの情報を残らずに調べ上げていた。

太兵は後に麻布の高台付近に更科「布屋」を開業することになるが、
この調査経験が商いに
生きることになる。
麻布にどんな人間が集まるのか、どの程度の商いの規模を想定したらよいのかを、
この時に掴んでいたのかもしれない。

もっとも、蕎麦屋になれと容頌に言われるのはもっと後のことになる。
その理由も容頌から聞いたときには驚くようなことだった。
が、それは別な物語になる。

保科藩は南総領地の陣屋のほうを仮住まいのような形にして、
主要な幹部侍は大阪定番もあり、
全国に散らばる監視網を張るためにも
江戸別邸の上屋敷を拠点としていた。

それは常時江戸詰めを申し付かる、譜代大名に近い特別な扱いを、家光の時代から許されていた。

上屋敷は現代の麻布一の橋付近に所在していて、
ここは徳川の寺社増上寺の芝大門からあがってくる場所にあり、
伊達仙台藩の仙台坂通りを押さえる場所になっている。

譜代大名の上屋敷はほとんどが江戸城を囲むようにあり、外様の上屋敷の防壁になっていた。

東北の入り口で会津藩が伊達仙台藩を押さえ、江戸では飯野藩がその仙台藩上屋敷を
監視していた。

むろん、天明の時代には仙台藩の牙は抜け落ち、外様大名を含めて各藩一様に
財政難に陥り、幕府や
大商家から借財をするばかりの体たらくになっていた。
赤字財政の建て直しはどこも急務で、このころから藩同士の経済戦争が起きてくる。

もちろん、幕府も財政難で国中が赤字財政という未曾有の有様だった。

その中で商人に金が集まり、実践学者の天才平賀源内を囲い込んでいた、
田沼意次の周囲がわが世の春を謳歌していたともいえる。

「ほころびを二つほど作る。意次はそれで転がり落ちる」
それが会津藩主
容頌の狙いだった。

“山師”と呼ばれた。このころは田沼の側近に色々な献策をし、
その儲けから上前をはねる
人間たちのことをそう言った。
平賀源内しかり、その親分の本草学の権威で朝鮮人参の国産化を田沼と進めた田沼藍水しかりである。

田村藍水などは単なる町医者だったが、すぐに幕府医官で
200石を与えて取り立てた。

さらには印旛沼新田開発を献策した宮村孫座衛門もそうだった。
印旛沼をそっくり埋め立てて3900町歩(3900ヘクタール)の当時としては
眉唾ものの開拓事業だった。

若年寄に自らの子、意知を昇格させ、幕府の財政を一手に握る勘定奉行も自分の配下に置いていた。
ロシアの貿易のために蝦夷地の開墾もぶち上げた。
田沼意次自体が山師の親玉だった。

「軍太郎殿、貴殿は田沼のせがれ、意知を転ばせてください」
容頌がいう。

軍太郎と太兵は会津藩上屋敷に来ていた。
この頃は上屋敷は和田倉門の脇に9000坪を
越える敷地を有していた。
「なるほど、それでこのところ太兵どんが意知の身辺を洗っていたのか」
「意知がほころびそうな事情はこれにしたためました」
太兵がこれまで調査したものを
書状に書き留めてあった。

「軍太郎殿、意次の弱点は世子の意知でござる。短慮で女好き、
これまでは意次がもみ消して
きたが、ちょっと火をつければ爆発するでしょう」
「面白そうだけど、面倒な策になりそうだな」軍太郎が少し首を傾けた。
「軍太郎殿は手を下してはいけませぬ、仕掛けだけをお願いしたい。
手を汚すのは太兵の仕事です。もう一月もすれば太助も上ってくるはず」
容頌の言葉に軍太郎が頷いた。

「もうひとつのほころびはいかがなされる」軍太郎は
容頌に聞き返す。

「一橋でござる。一橋治済をこちらの側に寝がえさせる」
「そんなことができますか」軍太郎が驚く。
これまでことごとく田沼と手を組んで謀議を
図ってきた男ではないか。
松平定信を東北に追いやり、将軍の世子を毒殺し、自分の子を将軍の
養子にした男だった。
その
治済を味方に引き込むことなどできるのか

「欲に目がくらんだ男はもっと大きい欲をぶら下げれば、すぐに転びます。
使えるものは
今は敵であっても、使うのが上策というもの」
容頌が自信をもって軍太郎の目を見た。
この会津藩主は改めて並みの殿様ではないと軍太郎は見直した。


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