蕎麦の散歩道

美味しい蕎麦と、楽しい食の道を歩む。

こだわり蕎麦屋の始め方・あとがき④ビジネスモデルの創造

2007-11-25 10:26:35 | こだわり蕎麦屋の始め方・蕎麦本発刊

客層の分析はビジネスでは基本中の基本です。
客層を想定し、その客層の趣向・所得をある程度のデーターを基に組み立てます。特にいわゆる遊興費などの可処分所得といわれるものから、売上の概算を組み立てます。
これが飲食業のビジネスモデルの基本になるものです。
老舗の料理屋などでは客筋といいました。客筋がいいとか悪いとか、その客筋の中にはその客層の概念もおぼろげに含まれていました。

その客筋を想定することは特に手打ち蕎麦屋では不可欠な事です。この概念がそっくり落ちていると継続的な商いを求めるのは無謀なことになります。
商いが10年ほど継続するには客筋の良さが欠かせません。
手打ち蕎麦屋になんとなく「勘」としてはあってもまだこの客筋の概念がないのは歴史が浅いせいです。
手打ち蕎麦屋は歴史が浅いと言うと違和感があると思われるでしょうが、そうではありません。

それは江戸時代後期から明治に掛けては手打ち蕎麦屋全盛で、昭和はほぼ機械打ちに転向したのですから、この間ビジネスモデルが消失してしまいました。
江戸時代には現代に至る典型的な手打ち蕎麦屋のビジネスモデルは存在したのです。

初代の布屋太兵です。蕎麦の芯で作る白い更科蕎麦を開発し、「更科」という屋号のブランディングに成功し、フランチャイジーの概念を初めて導入しました。
太兵は、江戸時代初期に副将軍といわれた保科家の名を使うことを考えました。
この頃は江戸も後期に入っていて、保科家は名前を変えて松平家という徳川親藩の名で存続していました。

彼は名跡「保科」の名と反物屋の沙羅の等級の「更」を取って屋号にして開祖しました。これが後世にまで「更科」の名を高める事に成功しました。
初代保科正之は家康の傍流の孫で家光とは従兄弟同士、聡明な大名で家光から副将軍役を任命されたほどの人物でした。

正之は、軍神武田の軍事を信奉し、彼が武田領から会津領に移籍したときに信州の蕎麦を含めた文化事業を移植し、大いに藩政を潤し、その財力で江戸の河川事業などの市民生活に貢献しました。
家康の薄幸の孫として判官びいきもあり、江戸初期の町民から愛された人でした。
江戸の後期信州と会津といえば蕎麦の二大文化圏で、布屋太兵はその二つを旗印にしてイメージ戦略にも成功したわけです。

会津藩は会津藩で蕎麦や器の地産振興が布屋が広めてくれたのですから神君の保科の名を使ってもそれは当然割に合ったわけです。
だいぶ余談が入りましたが、江戸時代の全盛の手打ち蕎麦屋のマーケットが復活するのは、平成に入ってからだと考えた方がいいでしょう。

以後手打ち蕎麦屋のビジネスモデルを確立したのは、老舗を除けば、柏の「竹やぶ」と高橋さんの個人的な翁、「本陣房」と新しいところでは「大川や」「松玄」の五店くらいだと考えています。
この5店には予め戦略や戦術の概念を見ることが出来ます。 ここにはそれぞれの客筋の概念があって、もちろんその客筋を掘り起こすのは、お店の設計の工夫、蕎麦の探求、メニューの定番化が無くてはありえません。

僕がここで言う客筋とは、元々存在していたものではないというのが前提です。ビジネスモデルというのは新しく客層を生産するのですから、これは大変な苦しい創造性を伴うのです。一般に客がすでに存在するという商いほど楽なものはありません。
ひとつのカテゴリーが成熟すれば、必ずそこにはそこに存在する客の取り合いが生まれるのは簡単な論理です。

成熟→活性化→成熟→・・・とマーケットが広がるのが理想的な展開なのですが、これがうまく行かない例が多いのです。
前回のあとがき③で書きましたパイの行き詰まりの打開には、マインド的にはアマチェアイズムの回帰が必要になる、それと同じ意味です。
布屋太兵が江戸時代に行ったのは極めて現代的なビジネスモデル戦略です。ひとつには新商品で差別化をはかり、もうひとつにはブランドを上げるためのイメージ戦略でした。

個がマス(衆)を作り上げるにはそれ以外手がありません。「こだわり」自体は有効ですがマスを創出するには、付加価値の戦術展開が必要になります。
先日来、大阪と京都の蕎麦屋さんを3店訪問してきました。おそらく関西にはこれから2年で相当数の手打ち蕎麦屋が誕生する事でしょう。
蕎麦の探求や美味しさはもう東京を超える可能性があるかもしれません。

それは意識的でないにしろ、客筋の掘り起しが今面白いように成功しつつあり、客にも熱気があるからだと思います。
その中でも僕は京都あたりに新しいビジネスモデルを持った蕎麦屋が生まれてくるのではないかと期待しています。

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小さくてビジネスモデルを持たなくてはいけない。
客がその店を好きになるのはそれがあるからです。
著作・鎌 富志治(かま としはる)・夢ハ・

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『こだわり蕎麦屋の始め方』あとがき③モダンの崩壊

2007-08-05 08:05:34 | こだわり蕎麦屋の始め方・蕎麦本発刊
前回、名店の条件を書きました。①蕎麦が美味いこと②客が入ること③名前が知れ渡っていること④マスコミにのっていること⑤客に影響を与える店であること。
かなり抽象的ですが、大枠のほうが捉えられやすいと考えました。そこで、今回は現代手打ちの遭遇する課題を整理しなければいけないと思います。

手打ち蕎麦屋のボリュームがこの10年で、特にこの5年で数倍に膨らんできました。この10年で蕎麦屋環境がまったく変わり、蕎麦屋ビジネスも同時に発達してきました。
つまりプロ化へのマニュアルと実技指導、研修、それと、トータル開業コンサルティングが確立して、蕎麦屋開業がしやすくなったのです。
したがって、色んな人たちがこの10年で蕎麦屋に参戦しました。しかし、数倍に膨み、蕎麦屋が乱立したことで、今後の方向感を見えにくくしていると思っています。急激に擬似プロ化した集団と一部のプロが混在し大草原に拡散したのです。

元々、ひとつの道には最初からプロなどは存在しないわけで、細かな支道を探索しながら極めていって、他者からプロであるとの認識を得るだけです。それが、日本料理であれ、フランス料理であれそうです。
また、プロであるかないかは客にとって、それは関心外で客はその料理と趣向によって評価を下すだけです。それは、客が楽しむ過程と結果にしかすぎないのです。

かって、剣の修行をするように名店といわれるものを作り上げた人たちにとって、今の目立つ衣服を着た蕎麦屋はほとんどが素人同然に見えるかも入れません。俗な言い方をすると格好ばかりつけて見せかけのものを売っている、と映るのでしょう。だが、どんなに即席な蕎麦屋であれ、プロ仕様の蕎麦屋として誕生していきます。もちろん、その中で先ほどの⑤条件をクリアしたお店も一定数存在しています。

一方、プロ化が発達すればするほどアマチェアイズムがその破壊を求めるようになります。それは、ひとつの自浄作業のようなものでマンネリが新しいものを生まなくなったときに現れてきます。前述した柏の竹やぶがその挑戦でした。
その力が圧倒的だったから、阿部さんの志向するものに気づいたのは一部の人たちでそれも平成10年に入ってからになるでしょう。

この10年は、阿部さんと翁の高橋さんの作り上げたものと、もうひとつは一茶庵が作り上げた教育システムがべースになって、蕎麦屋ビジネスが発達しました。以後の蕎麦屋ビジネスの周辺は、その3人の恩恵を多大に預かってきました。他の飲食業界のノウハウを模倣し、加工しながら、それを蕎麦屋ビジネスに応用してきました。
他の領域では陳腐なものであっても、古い領域では斬新なるのはこれは自明な論理です。
まさに平成10年の頃から蕎麦屋ビジネスは新しいといわれるものが正義だったのです。しかし、それは、言葉や概念としてのものが独り歩きしていただけでした。

阿部さんが手作りと直感で発見したものを細分化し、翁の高橋さんが積み上げたものを単純化し、マーケットを拡大してきました。それは応用技術だけが先行してきました。しかし、この5年でその財産をほぼ使い尽くしたといえます。
このところのやや名のある蕎麦屋さんの休業、閉店、移転などはその現象化の一つだと思います。 このことは何を意味するかというと、客自体を掘り起こす力が無くなったということです。
目新しいものを糸に吊るせば客は来る、そのことが通用しなくなってきました。その目新しさが目新しいものではないことに気がつかないことも大きな理由です。
先ほど上げたマンネリズム、自浄作業の繰り返しがうまく行かず、マーケットを広げられなくなってしまったわけです。天才たち二人の感性と技術で作り上げたパイを広げるどころか、食べつくしてしまったのです。

単にビジネス環境だけを追いかけてきた蕎麦屋ビジネスの曲がり角です。この10年蕎麦屋市場を席巻してきた、モダニズムが陳腐化してきたということです。
そして、柏の竹やぶの偉大なモダニズムの巨城がひとつ残ったという、結果になりました。
だが、マーケット的には、郊外がある。蕎麦過疎地がある、という人もいます。まだマーケット空白地域があるというわけです。だが、それは長い目で見れば一瞬でこれまでのような考え方では数年のうち都心部と同じように財産を失うでしょう。
現代手打ちの課題は実に蕎麦屋の隆盛がそのエネルギーを失いつつある原因となっていることです。

プロを量産した結果が本来プロが志向する、現状の破壊、アマチェアイズムへの回帰が失われてしまう、皮肉な結果になったわけです。僕が前述したあとがき②の名店の条件でさいごに加えた⑤客に影響を与える店と書きました。
これは目新しいことを与えることではありません。目新しさでやるには客が成長しすぎています。つまりこの5年ほどに形成された手打ち蕎麦屋の概念を作り変えないといけないでしょう。そうしなければマーケットが広がらないのです。

形だけのモダンの概念、石臼挽きの概念、定番化された蕎麦料理の概念、ここを総ざらいするような仕組みを蕎麦屋ビジネスに携わるものが研究しなくてはならないと考えています。
それが、蕎麦屋ビジネスにかかわる、僕も含めての大きな課題だと思います。

自宅を改造して夫婦二人の趣味として蕎麦屋をやるのなら良いでしょう。しかし、それをやるにしても蕎麦に対するある種の変革を持ってやらなければ意味がなくなりました。
でなければ、人の口に喜びを与えることはできないと思います。手打ちはまさに人の口へ喜びと高揚感を与えるために存在します。
平均化された食材供給、平均化された品質提案は、それは概念としてはもう後退していると同じなのです。

プロは継続が命です。お客という需要があってこそ継続が可能であり、その需要が自然発生的に生まれるのではないかという、曖昧なコンサルティングは否定されなくてはいけないのです。従って僕の本はそれが前提で書かれてあり、定量的な損益分岐点的経営手法ではなく、継続の戦術的手法が全体を占めています。
もっと、単純な言い方をすると成功しなければ意味がないということです。

しかし、現代蕎麦屋のコンセプトはコンサルタントが言葉で語るものではなく、ある閃きが落ちた亭主が世の中に問うものだと思います。


コンサルタントは、その土壌に水を撒き、その芽を開く助けをしてあげるもので、ビジネスの環境を整備してあげるだけです。

神田の「眠庵」や銀座の「湯津上屋」のように、亭主が自らの手で4ヶ月も掛けて作り上げた店内造作の空間がよい見本です。そのネオ・ロマンチシズムが存在を示してきました。亭主の中にある一種の心象風景としてのロマンチシズムが、多分この二店には共通してあるように思います。ストイックなものともうひとつの相反する商業的なものとの葛藤が客を魅了するのです。亭主がこうありたいという夢に客は近づいていくのです。

手作りこそが質の元であるという当たり前のところに戻らなくてはいけないのです。

そんな意味では、新しい芽が方々で開き、花が開き始めていて、現実に新しい方向を模索しているお店が散見できます。
僕はその花を開かせる、その閃きが亭主に落ちるかの、その手助けをしたいと思います。
『こだわり蕎麦屋の始め方』


継続のエネルギーこそが成功の素です。
そのエネルギーは確かな戦術がエンジンになります
ダイヤモンド社刊 1800円(本体価格)著作・鎌 富志治(かま としはる
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「こだわり蕎麦屋の始め方」 あとがき②現代名店の定義

2007-07-21 14:39:12 | こだわり蕎麦屋の始め方・蕎麦本発刊

ある日柏の竹やぶを始まりにして、蕎麦屋のモダニズムの原型がスタートしました。
蕎麦の持つ原初的なスタンダード性を軸にして、柏の地に手作りのモダニズムが生まれてきました。
翁の高橋氏が、徹底したスタンダード性を追及してきたのと対極にあります。およそ日本の現代の、特に平成の蕎麦屋の進化は、この二店の足跡そのものにあり、まだその偉大な進化から呪縛されているかと思います。

この10年モダニズムの化粧をかぶって、都市部に散らばってきた竹やぶイズムと郊外に拡散した翁イズム。その面積上に手打ちの商業環境ビジネスが大変な恩恵を受けてきました。
蕎麦屋で名店といわれるワードがいつの日か定着し、その名店の定義がなんとなく曖昧なまま蕎麦好きの間に、あそこだここだといわれてきました。
蕎麦好きとして僕が名店と考えてきたのは次のような店でした。

①蕎麦が美味いこと②客が入ること③名前が知れ渡っていること④マスコミにのっていること。しかし、この一年この本を書き進めるたびにこの範囲ではもうはみ出している、よいお店が沢山あることに気づきました。
特に、2000年前後から誕生してきた蕎麦屋群です。それは、蕎麦屋が変わってきたのではなく客が変わってきて、その客を見て育ってきた蕎麦屋です。
蕎麦屋が他の飲食と競争してなお且つ、その飲食の客を奪うことを意識してきた人たち。また、手打ち蕎麦屋のカテゴリーから自由になった人たちです。

柏竹やぶの呪縛から解き離れた独自のモダニズムの旗手たちの姿があちこちに見え始めました。翁の高橋さんのスタンダード性に新しい解釈を加え始めた人たちも現れています。
僕が前職時代のマーケティングな意味で「ブランド」ということの定義は簡単にいうと、そのカテゴリーを象徴する代名詞になっていることです。
つまり、蕎麦屋=○○庵という地位を獲得したかどうかです。

一方、現代的なブランド構築には、ブランドには常に付加価値を足していかなくてはならないことも証明されてきました。
その付加価値は、新商品の創造と、新サービスの追加です。つまり、名前だけでは、いずれブランド価値は下がると現代的解釈がされてきました。
ビトンは特別なブランドですが、それでも毎年新しい商品を出します。お客の新しいサービスも追加しています。
ロレックスも、長い目でみても新商品やサービスを提供し続けています。

成熟化が始まる業種では、そのブランディングを意識した者が勝ち残ります。本の中では、このようなことは省いていて、蕎麦屋でも勝ち組と負け組の差が出てきたと簡単に書いてあります。
また、いくつか生き残る条件と、名店への足がかりになるようなことを書きました。おそらく、今後名店という曖昧な考え方でなく、ブランド店というような考え方がされてくると思います。
そこに至るまではあと5年ほど待たなければいけないと考えています。それは、まだ手打ち蕎麦屋の領域で空きスペースが存在していて、手打ち蕎麦屋の数がまだ少ないせいです。

では、手打ち蕎麦屋の数はどのくらいでピークかと言われると、統計学的にみると、饂飩・蕎麦屋全体が全国で約37000店ですから、その15%の5550店舗が限界だと思います。
これを日本で分布させると関東圏2500店、関西圏1000店、その他で2050店です。今後蕎麦生産量の多い、北海道、九州辺りも伸びてくるはずです。
現在の手打ち蕎麦屋のはっきりした実数字はありませんが、いまは限界数の20%の1110店あるかどうかです。

あるカテゴリーでブランド化がなされる条件はそのカテゴリーが無条件に認められ、そのカテゴリーのパイが大きくなることです。蕎麦マニアの中ではブランド化されても、大衆という大きな枠でそれがなされないといけないわけです。
今は、とりあえず名店と呼ばれる蕎麦屋を勝手連的に作りあげ、やがて大きなブランドまで育つようなお店を作るために、我々蕎麦好きは、せっせと蕎麦好きの輪を広げなくてはいけないでしょう。

本にも書きましたが、結果的に勝ち残る店には勝ち残る理由があり、残れない店には残れない理由があります。その勝ち残った店が、この10年で力を蓄え、さらに次の10年でブランド店の足がかりを掴みます。
名店といわれても客が来ないと意味がありません。客が来ても名店と呼ばれないとまた意味がありません。
蕎麦屋の商いは、そこが難しくて、やりがいのあるところです。
この本を書き終わって、先ほどの名店の④条件に、ひとつ新しい条件を加えます。
⑤客に影響を与える店・・今回本に登場した6店舗を見てそれを付け加えます。
「こだわり蕎麦屋の始め方」
ダイヤモンド社刊 1800円(本体価格) 著作・鎌 富志治(かま としはる)
詳しくは

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「こだわり蕎麦屋の始め方」 あとがき①こだわりの定義

2007-07-16 21:35:34 | こだわり蕎麦屋の始め方・蕎麦本発刊

蕎麦屋が流行る条件を、お店側から見るとなかなか見えにくいので、客の目から見るとどうなるのだろうか?
そんなことから、この本がスタートしました。
僕たちは理屈ではなく、なんと言っても感覚的なポイントで蕎麦屋を見ます。
『流行る店』=『いいなという店』にとりあえず定義してみます。(儲かる店は色々定義が複雑なので)

そこで「いいなという蕎麦屋」を要約してみると
①新鮮な驚きがあること②記憶に残ること③もう一度来たい・・この3点がとても大事になる気がします。僕たち蕎麦ホリックは無意識のうちに、よい蕎麦屋をこんな基準で選んでいます。
もちろん、お店自体やサービスや蕎麦、料理を体験しての事ですが、それをグロス(総合的)としての体感度の言葉にしています。

本でも書いたのですが、お店に対して「まあ、まあ」という感想ほど、怖い事はない、と書きました。味にしても、雰囲気にしても、「まあ、まあ」というのでは、心にひっかかりが無かったということです。
店に行ったことは、その場や、遅くとも2,3日で忘れてしまうという事です。なかには、店を出た途端、意識的に忘れたくなる様な店もあります。
この三点を突き詰めていくと、お店からある心に残る鋭いメーセージが僕たち蕎麦好きの心に残っていないと駄目だという事になります。

お店から見ると定量的な儲ける、数字的なものを形作るのは、実は客にとっては定性的なもの、つまり極めて感性的なものなのです。ここに、本来は商いの基盤を置かないといけないのです。今回、僕の本はハウツーものにありがちな定量的なものはほとんどありません。
つまり、蕎麦の原価などを算出した、損益分岐点ではじく経営手法です。その面から見ると物足りない人もおられるかもしれません。しかし、定量的なものは結果にしか過ぎないことが、自分で蕎麦屋をやってよくわかったからです。

ただ、蕎麦屋の有利性は「こだわり」という見え方が他の飲食と全く違い、その優位性をどう自分で咀嚼して客の前に出していくのかが勝負です。それをかなりなスペースで分析しました。
その「こだわり」こそが蕎麦屋の数字上の損益分岐点なのです。しかも、蕎麦ホリックを無意識的に自店のメディアにする唯一のものです。
「こだわり」を言葉だけでお客の前に出してはいけないということで、それは多分5年ほど前の手打ち蕎麦屋の潮流で終わってしまっています。
いまは「こだわり」こそが高い技術になっていなくてはいけない。そこに、僕たち蕎麦好きが感動するのです。そして、熱心なリピーターになって、その店の勝手連手先になります。
それは実に方法論的には簡単で、しかし、大変な努力が必要です。ただ、その方法論を意識する、しないでは、商いに大きな差が出ると思います。
もちろん、本は、こんな理屈っぽいことは書いてありません。さらさらと、平明に蕎麦を楽しく手繰るようにその手法を書いてあります。①「こだわり」の定義 次回は②新時代の「名店」の定義
「こだわり蕎麦屋の始め方」
ダイヤモンド社発刊 1800円(本体価格) 著作・鎌 富志治(かま としはる)
詳しくは

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ひとつの蕎麦屋には、ひとつの物語がありました。蕎麦本発刊

2007-06-28 08:20:10 | こだわり蕎麦屋の始め方・蕎麦本発刊

ダイヤモンド社から本日、
6月28日(木)発売になりました。
「こだわり蕎麦屋の始め方」

はじめに 蕎麦屋ほど素敵な商売はない
第一章 はじめてでも出来る繁盛店のつくり方
第二章 こだわり蕎麦屋には必要条件がある
第三章 成功のカギはあなたの中にある
第四章 蕎麦屋開店までの実践ノウハウ

はさみ取材・撮影・(こだわり蕎麦屋)を味わう
「淺川」群馬県前橋市
「蕎・馳走 岩舟」東京都豊島区南大塚
「眠庵」東京都千代田区神田 
「茶の間 美登里」東京都台東区浅草橋
「手打ち蕎麦 銀杏」東京都江東区大島
「蕎麦 たじま」東京都港区西麻
                          全200ページ・本体1800円
                          著作・鎌 富志治(かま としはる) 

今回、この本を書くにあたり
お蕎麦屋さん六店に取材、撮影に行きました。
一店にカラー8ページの撮影と取材をさせていただきました。お話は
だいたい1時間程度でしたが、そのインタビューが僕にとっては大変面白くて
感動したものになりました。
一店一店にそれぞれの喜びがあり、苦労があり、それぞれの物語がありました。
この本では書ききれなかった事を次回から書いていこうと
思います。

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