ワールドミュージック的門外漢

音楽やオーディオの門外漢が、そこはかとなしに綴る、
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ノスタルジーの魔力 (その2)

2019-02-10 22:42:35 | ワールドミュージック
くしてノスタルジーの罠にはまって、いよいよ我が家に20世紀の遺物とも言えるスピーカーKappa 8.1Iが舞い来たる時が訪れましたが、幸いなことにかみさん昼寝で爆睡中のことでもあり、一人マイルームに閉じこもってそそくさと荷解きを始める私でありました。
それにしても現行スピーカーAurum cantusと並べてみるとKappaはかなりの大きさがあります。高さで+15㎝ほど、奥行きこそ短かめながらさすがに30㎝ウーファーを抱いた横幅はAurumの倍近くにもなり、その存在感は並々ならぬものがあります。心配していたスピーカーの状態も20数年前の製品という割には経年劣化を感じさせることもなく、ポリドームもひび割れのないしっかりしたものでした。
取り敢えずは音出しということでいつものポップスを聴いてみるに、う~ん、緩い!インパクトまったくありませ~ん、確かに細かい音までちゃんと出てはいるもののポップスに不可欠な躍動感がないなあ、音色というには色数が少ないよなあなどと心の内でぼやきつつもさらに聴き続けてみると耳が慣れてきたのか、まあこれはこれで悪くはないか、フェードアウトの余韻も長くて気持ちよく聴こえるし、身体の包み込み感も十分、スケール感もいままでの比じゃないんだよなあ、と今回の購入がいささか無謀だったかと悔いながらも最終的には肯定的帰結へとたどりつくことを祈りつつ、しかしこんな壮大な感じでポップス聴くのも大袈裟だわなあ、やっぱダメか。
と、ここで諦めることも出来ず、ポップスがダメならクラシックがあるさ、ということでかつてはCDで嫌というほど繰り返し聴いていたショルティのブルックナー9番第一楽章を聴いてみることにしました。ショルティの演奏で面白いなあと思うのは、冗長な部分は実にあっさりと素っ気ないほど足早に通り過ぎてしまい、次の盛り上がりで点数を稼ごうとするような、この人、達観してるんじゃねと感じるところでしょうか。それを神経を細部まで研ぎ澄まして丹念に作り込む式の演奏と比べると、こんな重厚長大な曲なのに重くなりすぎず、かえってスポーティーにさえ聴こえるところがまことにもって痛快です。
そんな曲をKappa 8.1Iで聴いてみると、う~ん、これは懐かしい、昔聴いていたのは確かにこの音だった、弦も柔らかく細くて綺麗だわ、これをReboxのCDプレイヤーはもっと艶やかに鳴らしていたような気がする、とたちどころにかつての感慨が蘇ってきました。そして終盤前の天にも昇り詰めるようなクライマックスはやっぱこうでなくちゃ、と思わせる見事な盛り上がりを聴かせてくれ、私が欲しかったのはやっぱこの音だったんだなあと気付かせてくれることとなりました。
その後いくつかのクラシック作品をかなり満足のいく音で聴いたのち、いつものAurumでポップスが聴いてみたくなりケーブルをつなぎ直してみたところ、ここでまた不思議な現象と出会うこととなりました。何だろうこれは、と耳を疑うようなスカッスカな音で鳴っている感じがするのです。どうも密度が薄いというような音です。今度はAurumの方が部屋の広さに相応していないような余りにもこじんまりとした大きさ、いや小ささにすら感じてしまう音の出方です。その密度の差が何によってもたらされるのか、Kappaの30㎝ウーファーによるものなのか、それとも前面バスレフの影響なのかよく分かりませんが、このスカッスカ音が耳に馴染む前にケーブルは再びKappaの方につながれることとなりました。
それにしても何よりの収穫は弦楽器が美しく、より高い音で響いているかのように聴こえるということで、スペック上の周波数特性などというものがいかに無意味なものであるかということが分かります。スピーカーの音づくりというのは数値だけでは割り切れない、それこそ技術者の感性によるところが大きいということなのかも知れません。
なにぶんにも20年以上も昔のスピーカーなのでKappaは打ち込み系の音楽を十分に鳴らすことは出来ませんし、曲によってはまったく鳴らないものもありましたが、アコースティック系なら安心して身を任せられる器量を持っているので、私も昔聴いていたポーランドの名歌手Edyta Geppertなどを引っ張りだしては存分に楽しんでみたというような次第です。なんとも色気のある声ですなあ。

https://www.youtube.com/watch?v=_7aBCdAvcwU


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