Nasebanaru

アメリカで趣味と生活を綴る

中国脅威論

2006-03-09 04:10:53 | 政治
民主党の中堅議員で構成されるリベラルの会が前原代表の中国脅威論を批判する論文を発表したそうだ。
その会を構成する議員一人一人を見れば、人間的にも良い人ばかりなのだろうとは思うが、少し人が良すぎはしないか。

政治家の言動というのは一国の社会に劇的な変化をもたらしうる。それだけに将来の政策に対する見識を誤れば、それはその政治家を含めて全ての国民につけが回ってくる。

ガス田の問題に関係した中国側の主張、中国の不透明な軍事費の伸び、中国国内の言論統制、他国の教育に注文をつけても自国のそれには一方的な党見解のみで教育する、どれをとってみても戦前の日本と重なるものがあるではないか。これで危なくない、と言い切るほうがどうかしている。

私にも中国人の友人はいる。みんないい人たちだ。しかし国と国の付き合いとなれば、今の世の中まだまだ危機感を持って対応していかなければとてもまともな付き合いは成立しない。

人類みな兄弟、軍隊不要論など、確かにすばらしい考え方である。けれどもそれはそれを声高に叫ぶ人が、自分の全てを他に奪われても、それでも他を尊重できるだけの器量がなければ成立しない。戦後の日本は他国の人間を虐げてきたことを含めた敗戦の痛手から、理想論的な雰囲気で教育も政治も行ってきたようなところがある。いわば理想と現実の狭間で呻吟しているのが今の日本の現状ではないだろうか。「中国の人とは仲良くしたい、以前彼らの国に爆弾の雨を降らせた、少しくらいのわがままも聞いてやろう」こんな調子でやってきていま彼らが経済力、軍事力を身につけて彼らの主張がエスカレートしてきた時、日本の国民全体が戸惑っているようにも見える。

「国の政治はその国の国民以上のものはできない」というが、われわれも肝に銘じておかなければならない。政治家の口調が他国におもねるものであったり、遠慮するものであったりすると感じて、それを批判したいのならば、われわれ国民全体を見直してみる必要もあるかもしれない。。少なくとも民主主義の国であるならば。

言うべきことは言う。国際化の波の中でこれだけは忘れてはいけない。



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