澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

二二八紀念館で蕭錦文氏と会う

2009年06月03日 09時06分04秒 | 台湾

5月26日朝、台湾総統府の向かい側にある「二二八紀念公園」に行く。公園内にある「二二八紀念館」を訪れると、私を日本人だと気づいた女性館員が、一人のご老人を紹介してくれた。

  (「二二八記念館」 日本統治時代は台北放送局)

その方は、蕭錦文(しょう きんぶん)氏。今年84歳。17歳で志願兵となり、ビルマ戦線に配属されたという、旧・日本軍兵士だ。戦後は、新聞記者となり、二二八事件にも遭遇した。1947年2月28日、国民党の暴虐に激怒した民衆に対して、陳儀政権(国民党)は何ら法的根拠もなく、全国で三万人ともいわれる台湾知識人を虐殺した。これが二二八事件と言われる。

  (「二二八記念館」で解説員を勤める蕭錦文氏)

記念館には「二二八の検証」として、次のように記されている。

二二八事件のために、数多くの家庭が愛する人を失ってしまって、暖かい家庭が一瞬のうちに壊されてしまった。それに続く38年間もの白色テロで、受難者とその家族は無実を訴える術を奪われ、しかも長期に渡る軍隊、警察、特務の監視下に置かれ、親戚や友人を含めた台湾社会からの差別を受けてきた。1987年になって二二八抗議平和運動が展開されてから、やっと長い苦しみから脱却することが出来るようになったと言えよう。殺された者は、想像を絶する苦しみを受けた。生き残った者は、家族を失った悲しみを生きる勇気に変えた。夫を失った妻たちは、厳しい他人の目に耐えて独力で家計を支え、子女を立派に育て上げていった。
1947年以来、尽きることのない悲哀と苦しみの逆境の中、忍耐を重ねてきた人々の存在は、正に台湾人の強靱な精神力そのものである。
二二八事件は傷痕、悲哀、仇み、そして恐怖の体験を残した。しかし、いずれにしろ、それは台湾人民が共有すべき歴史的遺産であることには変わりはない。二二八事件を深く理解することは台湾人の未来への展望の出発点でもあるからだ。』

蕭錦文さんは、1時間半も私のためにお話ししてくださったが、次の言葉が最も印象に残る。
「文化程度の低い少数の人たちが、文化の高い多数派を支配し続けることは無理だった。それ故、二二八のような事件は、不可避だった。」

文化程度の低い少数派とは、国共内戦に敗れて、台湾に逃亡してきた国民党政権(外省人)を指す。文化の高い多数派とは、50年間の日本統治を受け入れて、日本人として育った台湾人(本省人)のことだ。簫さんはこう続けた。
「日本統治時代、確かに台湾人と日本人の間に差別はあった。だが、教育・保健衛生の普及、産業の振興など、日本は台湾のためにさまざまなことをした。シンガポールに従軍したとき、現地の華僑に聞いて驚いたのは、英国が教育の普及に極めて不熱心だったことだった。日本がやったことはきちんと評価しなければならない。」

 「白色テロ記念碑」の表示板 二二八記念公園の近くにある。)


台湾映画として史上空前の大ヒットになった「海角七号」(2008年)には、敗戦後台湾を去る日本人教師が「…見捨てたのではない、泣く泣く手放したのだ」とつぶやく場面がある。これは、教え子である台湾人生徒「小島友子」(この名前にも同じ島国同士の友人という想いが込められている)に対する言葉であるとともに、日本人の台湾に対する想いを表していると理解できる。3月25日、東京・市ヶ谷でこの映画の試写会が行われたが、簫さんは金美齢さんとともに、その会場にいたそうだ。日本と台湾の”絆”は、今なお深い…。

 (映画「海角七号」)

二二八事件のすさまじさは、次の写真をみればよく分かる。これは実際に蕭錦文さんが基隆で取材したケースだという。「共産党」として摘発された市民が、手足に穴をあけられ、針金でつながれている。国民党兵士が一人一人の頭を銃で撃ち、全員が河に流されていく。こうやって三万人もの人が裁判さえ受けずに殺されたのだった。実際の兵士の服装は、絵のように立派なものではなく、ボロボロだったそうだ。この絵に描かれた被害者の一人は、偶然にも生き延びて、悲惨な事件の証言者となった。
生きた人間の手足に穴を開け、針金で数珠繋ぎにするこの光景は、文化大革命当時も行われたのではないか。私は似たような記録を見た記憶がある。中国国民党と中国共産党~この二つの政党は、「中国はひとつ」「大中華」という幻想にとらわれて、名もない人々に暴虐の限りを尽くした「異母兄弟」であることに間違いはない。
    (「二二八記念館」展示より)

蕭さんは、総統府を参観したらいいと勧めてくださった。翌日の朝、総統府裏に並ぶと、日本語ボランティアである呉さん(女性)が内部を案内してくれた。かつて大日本帝国の象徴だった建物は、もちろん今も現役。中庭から見上げた三階には、馬総統が執務する部屋が見えた。日本の首相官邸に、こうやって簡単に一外国人が入れるだろうか? 民主化された台湾の美点と危うさを同時に実感した。
 
(総統府の参観は、月ー金曜日午前9時~11時半まで。パスポートが必要。)


台湾人の「親日」感情は、どこに由来するのか? その疑問を解くカギがよく理解できた2日間だった。


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2 コメント

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今日、簫錦文さんに会いました (タツロー)
2012-01-06 04:44:32
私も今日、簫錦文さんに会ってきました。
一言で言うと「今の平和な時代が、どれだけ多くの犠牲の上にたっているものかを、知ってください」というメッセージに聞こえた。
時代の狭間で苦しまれた簫錦文さんの話を直接聞くことは今台湾で生きている私の使命ではないかと思いました。
コメントありがとうございました (torumonty)
2012-01-06 07:05:15
蕭錦文さん、お元気でしたか? 9月末に二二八紀年館に行ったら、お会いできませんでした。週一回くらいしか勤務していないと聴きました。ちょうどお会いできたのでしたら、まさに幸運でしたね。
蕭錦文さんが出ている映画「台湾人生」はご覧になりましたか?もし、まだでしたら、お送りします。ご連絡ください。

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