澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

西部邁が愛唱した「蒙古放浪歌」

2018年02月11日 16時17分02秒 | 音楽・映画

 10年近く前、このブログで「蒙古放浪歌」について書いたことがある。今や忘れ去られた感のあるこの歌曲は、2年ほど前、西部邁が自身の番組で採りあげたので、改めて懐かしく聴いた。

 さきほど、西部の追悼番組を見ていたら、この歌は西部の十八番だったという。当該番組の最後には、西部自身がこの曲を唄う映像が収められていた。
 下記に貼付した「西部邁ゼミナール」(2015年11月放送)では、冒頭から14分後あたりの部分から、西部のリクエストに応じて青山恵子女史が唄うこの曲を聴くこともできる。

 先日、TVでバイキきんぐ・西村が極寒のモンゴルを貧乏旅行する番組(下記に貼付)が始まった。この中で遊牧民の生活が紹介されたが、今やゲルの中にも電気が通っていて、TV、冷蔵庫、洗濯機があった。子どもたちは手からスマホを離さない。ただ、遊牧民の純朴な気質はあまり変わっていないようにも見受けられた。
 
 満蒙に雄飛する夢、モンゴル高原を放浪する我が身…こういった若者の大言壮語的な夢想は、半世紀以上の空白を経て、皮肉にも「モンゴル貧乏旅行」となって結実した。「蒙古放浪歌」が忘れ去られるゆえんである。

 歴史的に見て、満蒙は支那ではない。それが戦前の日本人の認識だった。満蒙も支那も「差別語」であるから、言い換えろ、お前は右翼か?と非難されそうな現在とは全く逆なのだ。満洲、内蒙古、外蒙古(さらに西蔵=チベット、新彊=ウイグル)は漢民族が居住する「中国」ではなかった。今やそんな歴史的事実でさえ語られるのもはばかられるようになった。

 西部自身は「学生運動に忙しかったので、寮歌としてこの歌を歌ったことはない」と語っている。それでもこの歌が十八番だったのは、故郷である北海道と満蒙に「周縁性」という類似点を見出したからだろうか。

 

バイきんぐ西村、今度はモンゴルでインスタ旅「いいね!どころじゃない」

「寮歌」の歴史に尋ねる『青山恵子日本の歌教室』 2015年11月29日放送



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