週五日記

ボチボチがんばります

危険社会&子供へのまなざし

2011-07-09 13:29:25 | Weblog

環境をかえると

 

なんだろう、五感がとぎすまされるというか、

集中して読書が出来た。

 

危険社会、なんとか読了。

『危険』は、その昔、『外部』からやってきたが、

現在では、産業社会に内在化してしまっている。

原子力の問題も、政治が統括しているというよりも、

営利組織に投げっぱなしにしている側面があり、

そうした『投げっぱなし』の問題も、政治が認識していない。

さらに、電力会社等が、実質的に『サブ政治』として機能しており、

サブ政治として機能していることすら、電力会社のトップ以外は、

知らない。電力会社をとりまく、よくわからない組織が、実質的に

機能しているかどうかすら、もう誰も知らない状態だったのだと思う。

 

あとは、産業社会を下支えする『科学』は、『大量生産・大量販売』

を支えることに比重が大きくなりすぎたかも?という『自己内省』的な

態度を持つべきであると『誰』jかが考えて、かなりの覚悟で

戦うことがなかったのだろう、、と思った。

 

『子供へのまなざし』も読了間近。

吉本隆明さんの考えと似ている気がする。どちらが、どうなんだろう?

『思いやりのある子に育てたい』ならば、親が、その『思いやった』ふるまいを

子供に見せてあげないといけないわな。はて、自分は出来ているだろうか?

ちょっとは、最近、ヨメを思いやってるつもりなのだが、それ以上に『思いやって』

もらっているかもしれない。まあ、高級プリンでごまかそう。

 

あと、自己を確立するためには、『他者』が必要で、『他者(友達)』を参照しながら

自己を確立していくとのこと。

 

友達さえ出来れば、あとは子育ては、どうでもいいかもしれないな。

その『友達』が出来ない子供が増えており、

友達と触れ合うことができないけれども、友達の近くにいたいという

『困った子供』が増えているとのこと。まずいな。

 

あと、『喜び』と『悲しみ』の感情は、表と裏みたいな関係で、

それらを『共有』することが重要だろう。当たり前の話であるが、

その二つの感情をもてなくなった場合、どうなるか?

『怒り』の感情が充満してしまうらしい。

そういうヒトがけっこういるとのこと。うーーーーーーーーーーーーーーーーーん。

 

なんとなく、やりたい事があれば、出し惜しみせず思いっきり

早めにやるべきだと思う。そんなに人生長くないし、

けっこう『物理的』にも『人間関係』的にも

困難が多い。

 

自分が『幸福』につつまれてないと、『困っているヒト』を助けることは

出来ない。と思う。

コメント
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