
たまたまではあったけれど小生の誕生日前日の出来事で、これで誕生日にはバラ60本の花びらを外し贅沢な作業をすることになった。バラの芳香蒸留水などは作ってみたくても花一本や数本程度なら購入も出来るけれど、バケツ一杯の花束が欲しくてもそうはいかない。有難い限りである。
小生が大喜びしていたら「捨てるもので喜んでもらって良かった!」と言ってくれたものの、小生が作るバラの芳香蒸留水で更に上回る人数が喜ぶのだろう。縁とは大事だ。




結果として700gの花弁を二回に分け蒸留し600mlの芳香蒸留水を採った。水仙や菜花と同じく芳香よりも先に「青臭さ」がくる。「バラの芳香蒸留水」としてイメージが先行していたから少々落胆する。まあ、芳香性の品種ではないから仕方が無いといえばそうなのだ・・・。残した1/3は乾燥させて「ポプリ」風に作ってみる。駄目なら風呂に散らそう。お爺がバラ風呂に浸かるなんて「素敵!」で、とってもロマンチックな絵になるのだろうし、しなも作ってみたい・・・。まあ、湯マニュアル不尽、と言うべきであろう。いえいえ湯マニュアルお爺であった。
余談だが、新品同様の圧力鍋を譲ってくれた後輩の職場へ、この芳香蒸留水を届けた。元同僚の消息を話している中で「ジージはやっぱり新し物好きだと話がでた」とかで、これは少々意外だった。現役時代も小生は野暮の塊・田舎者そのものみたいなもので元同僚達の方がお洒落でハイカラなのにである。なんといっても20代ですでに「ジージ!」と呼ばれた小生なのだ。
さてくだんの台詞、印象付けた理由は「芳香蒸留水」などに手出しする姿勢にあるみたいだったけれど、木の玩具作りや野蛮料理と同じ「物づくり」の範疇であって妄想・試行・結果と、やってみるから面白いと言っても判っては貰えないだろうな。所詮、デジタル世代ではないのでディスプレィに時間をとっても成した気分にはなれない。
まあ「朝に朝星、夕夜星、昼は梅干し腹ひもじ」の育ちだったからしょうもない。待っていても牡丹餅は落ちてはこない、兎は切株でこけない日々だったから、つまりは貧乏のなせる業、いいえ技である。祖父からいつも言われていた諺「貧すれば鈍する、鈍すりゃ愚する、愚した先にはなんとかかんとか・・・」。とどのつまりはバラの花など無い、ということだったか。