撮り鉄ブログ

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鉄道ジャーナル最終号

上下2段、前後2列になっている私の鉄道ジャーナル書架

もうこの右側に同誌が並ぶことは無い

 

鉄道ジャーナル2025年6月号、小さく最終号と書かれた雑誌を買ってきました。

この記事でご紹介した鉄道ジャーナルの休刊ですが、いよいよ最終号を手にする日となりました。寂しいなあ・・・ 私が読者になって57年、鉄道趣味人生の大半はこの雑誌と共にあったということですね。長い間ありがとうございました。

巻末に数ページ惜別のメッセージがありましたが、その他はいつもの鉄道ジャーナル。最後の号も「社会派」の雑誌らしい紙面を楽しませてくれそうです。

撮り鉄ブログ はてな版 グランドオープン

大阪関西万博に向けて投入された、地下鉄中央線400系

 

すでにひとつ前の「ブログ引越し」記事で書いたように、2日程前から新規の投稿はこちらの「はてなブログ」で行うようにしているのですが、細かな体裁とか、自分のメールの署名などに入れたリンクアドレスの変更も一段落したので、今日をはてな版の撮り鉄ブログのグランドオープンとしたいと思います。

既に以前のGooブログの方にはリダイレクト設定もしているので、古いブログにアクセスして下さった方で、ちょっと見てくれが変わったので「あれっ」と思われた方もいらっしゃるかも知れませんね。

使ってみるとはてなブログの方が例えば全体の体裁など、調整可能な範囲も多くて今のところ満足しています。尚、引越し記事に書いたように一つ一つ手動で?修正しないといけないリンクなどについては、Gooブログがアクセスできなくなる前に基本新しいものから順に対策していく予定です。

ま、いずれにせよ過去の駄文もゴミ箱入りにならず、これからも駄文を書き続ける場所も見つかってやれやれです。これからもよろしくお願いいたします。

ブログ引越し

今まで使っていたGoo Blogが2025年11月で廃止になるというアナウンスがあり、「ブログの引越し」という案内に紹介されていた「はてなブログ」に引越すことにしました。

例によってこのような作業はめったに経験しない(したくもない。。。)ものなので、「こんな感じ」というのを記録しておくことにします。

 

Step1

まず、Goo Blogで引越しデータを作成します。これはボタンを押すだけで、数分でダウンロードできるようになりました。

中身は今までの全ての投稿の作者、タイトル、日付、カテゴリーなどに本文のhtmlがついたtext形式のファイルで、私の場合、約700程の投稿でデータサイズは3Mb程でした。(実際には約1/3に圧縮されたZIP形式で提供)

尚、画像に関して言うと、引越しデータにはimgタグによる参照のみで、jpgなどの画像データは一切含まれていませんでした。

 

Step2

次に新しくアカウントを取ったHatena Blog側で引越しデータをインポートします。

具体的には先ず引越しデータをアップロードします。アップロード終了はメッセージも何も無いので分かり難いですが、データも小さいのでこれは直ぐに終わるようで、その後この引越しデータをHatena BlogのBlogテキストに展開するのに1日近く掛かりました。最初はなかなか終わらないので問題でもあったのか・・・と焦りましたが、結果的にはこの作業はHatena Blogのサーバー内で黙々?と行われていたようで、私自身は一晩中起きている訳にもいかず、画面を閉じてPCをシャットダウンしてしまったのですが全く問題なく翌朝には終了していました。

 

Step3

ところで、Step2で寝てしまう前ですが、ある程度(この辺はちょっといい加減ですが・・・)作業が進むと、Hatena Blog上でインポートされた投稿が閲覧できるようになります。

この時点でHatena Blogのhtmlを確認すると、未だ画像の参照元Goo Blogの画像フォルダのままで、要するに画像データはこの時点ではHatena Blogにコピーされていなかったということですね。

 

Step4

Blogテキストへの展開が完全に終わると、インポート画面に「画像の移行」ボタンが表示されるようになるのでそれに従います。

具体的にはBlogテキストのimgタグにあるGoo Blogの画像データを、順次Hatena Blogの画像フォルダにコピーします。私の場合、2300枚ほどの画像ファイルがあり、このコピーには丸2日程掛かりました。もちろん、これもHatena Blogのサーバーが黙々と夜も寝ないでやってくれるので、私は果報は寝て待つ?だけです。

 

Step5

文字通り待っていただけですが、全部の画像コピーが終わると、いつのまにかimgタグのリンク先も自動的にHatena Blogの画像フォルダに書き換えてくれたようで、Hatena Blogですべてが完結するようになっていました。全く手間いらずですね。

という訳で案ずるより産むが易し。非常に時間が掛かるプロセス中は「ひょっとしてどこかでハングアップしちゃったのかな・・・と時々不安になりましたが、いつもの神様のご加護で割とスムーズに移行は完了しました・・・と言いたかったのですが、唯一手動で修正しないといけないのは自分の書いた他の投稿を参照している部分。(「この記事で書いたように」などと自分の過去の駄文を参照しているところ) これだけはリンクをクリックするとGoo Blogの投稿を参照してしまうので、まあボチボチ(11月までに・・・)手直しすることにします。

 

南海汐見橋線 木津川駅

今はもちろん無人でトイレも閉鎖されているが、立派な駅舎のある木津川駅
 
4月6日、この記事で「下見」に行ったツアーの本番に行ってきました。
万博のテストランで夢洲駅の改札から出られなかったといったアクシデントを除けば概ね下見通りの行程だったのですが、汐見橋線の乗車駅についてはストリートビューで見た駅舎に惹かれて津守駅から木津川駅に変更してもらい、「都会の秘境駅」などと言われる同駅を見てきました。
 
この汐見橋線は今でこそ岸里玉出で本線系統とは分断された都会のローカル線ですが、出自は高野山に向かう高野鉄道の一部で、岸里玉出汐見橋は1900年に開業しています。(当時の汐見橋駅は道頓堀という駅名)木津川駅もその時同時に開業しているので、125年の歴史のある駅ということになります。
 
木津川駅は島式ホーム 写真の電車は岸里玉出行き
冒頭写真の駅舎は画面左端の植え込みの陰 駅舎から構内踏切を渡ってホームに上がる
下見の際は2200系が最後の活躍をしていたが、今回は2000系に代わっていた
 
ホームを支える古レールにはCARNEGIE 1910の文字 開業時のものではなさそうだが。。。
ちなみにCARNEGIEアメリカの鉄鋼王の名前で、のちのUSスチール
 
ところでこの木津川駅には既に本線とは物理的に繋がっていないものの、貨物引き込み線の跡が残っています。1961年に国土地理院が撮影した航空写真を見ると、駅のすぐ傍に木津川に繋がる船溜りがあり、大正区内には貯木場も確認できます。
高野線沿線の木材を貨物列車でここまで運び、船で引いて(?)貯木場に運んだ・・・そんな時代は輸入木材の増加や貨物輸送のトラック移転で終わりを告げ、貨物輸送が1971年に廃止されて半世紀以上経過した・・・そんな、時が止まったような駅の雰囲気を味わうことができました。
 
現在も残る貨物用引き込み線と手動ポイント切り替えレバー(岸里玉出側を向いて撮影)
左側の2線が現在の本線で、この引き込み線は本線には繋がっていない
 
国土地理院地図・空中写真閲覧サービス 1961年撮影のKK614YZの一部に加工

中北部九州ローカル線欲張りツアー その3

基山駅に進入する甘木鉄道列車
 
2日目、3日目と好天に恵まれた反動というか、4日目以降は生憎の雨模様の天気となりました。4日目もお天気さえ良ければ甘木鉄道西鉄大牟田線の撮影を目論んでいたのですが、午前中から雨の予報。とはいえ、列車に乗るという点では全く問題ないので、先ずは鹿児島本線基山駅から甘木鉄道に乗車することにします。
 
甘木鉄道も他の多くの第三セクター鉄道同様に旧国鉄甘木線で、1981年に第一次特定地方交通線として廃止が承認されますが、1986年に甘木鉄道として引き継がれることが決まります。同鉄道はその後の経営努力によって現在でも黒字とまでは言わないものの比較的良好な収支状態の様で、平日ダイヤの基山方面行も42本が確保されています。
 
前述の様にとても鉄道写真撮影という天気ではないので、ここは潔く?観光モードにスイッチして、甘木から秋月までバスで足を延ばし、黒田氏五万石の旧城下町を観光することにします。天気が悪いから観光・・・というのもちょっと変ではありますが。
 
甘木鉄道甘木駅 結構立派な駅で観光案内所なども併設されている
 
秋月の杉の馬場 三分咲き程度だったが桜並木が美しかった
 
秋月城の裏手門だった長屋門 苔むしていい雰囲気
 
秋月藩上級武士の屋敷、久野邸 雨も結構降っていたので中を見学 300円也
 
長崎の中島川に架かる石橋を範として1810年に架けられたという眼鏡橋
 
2時間半ほどの観光散策のあと、再びバスで甘木に戻り、西鉄甘木線で久留米(接続駅は宮の陣)、大牟田線で大牟田と南下し、次の目的地である熊本に向かいます。因みに西鉄は3日目に貝塚線にも乗ったので、これで西鉄完乗となりました。
 
帰路は西鉄甘木駅から久留米方面に向かう 有人駅だが甘木鉄道に比較するとずっと小振り
 
甘木駅停車中の7050形2両編成(3扉車、但し中央扉は締め切り扱いだった)
 
大牟田から熊本までは普通電車で50分程で意外と早い
 
★   ★   ★
 
最終日も相変わらずの今にも雨の降りそうな曇り空だったのですが、朝起きたら取り敢えず雨は降っていなかったので、往生際悪く「撮り鉄」目的で熊本電鉄藤崎宮前と黒髪町の間にある併用軌道区間に行ってみました。折り返しの一列車だけは何とか撮影出来たのですが、流石と言うか天気予報通り程なく雨が降ってきたので撮影は切り上げ、「乗り鉄」モードにスイッチして藤崎宮駅から御代志行きの熊本電鉄電車に乗車することにします。
 
熊本電鉄上熊本御代志の菊池線、藤崎宮前北熊本の2路線からなる地方私鉄ですが、実際の列車としては藤崎宮前から北熊本を経由して御代志までの列車と、北熊本上熊本の間を折り返す列車として運転されています。
ご多分に漏れず経営は苦しいようで、最近の話題としては、経費の掛かる全国共通の交通系ICカードを廃止して、独自のくまモンICカードを導入したことがあります。このカード、ちょっと可愛いのでデポジットぐらいはお土産代・・・と目をつぶって購入しておきました。また、撮影したのは元静岡鉄道の1000形でしたが、乗車したのは車内もくまモンのフルラッピングの03系と01系で、01系など外国人客で溢れていましたから、まあ運が良かったということだと思います。
 
くまモンICカード 今後使用する機会はないかもしれないがお土産に買ってきた
 
本館掲載の列車が藤崎宮前から折り返してきたところ 桜がきれい
 
御代志行はくまモンラッピングの03形 元は東京メトロ日比谷線の車両
 
終点御代志駅 1986年に菊池までの路線廃止時に、バスとの接続改善目的に大改装された
 
北熊本上熊本も01形のくまモンラッピング電車だった こちらは元東京メトロ銀座線の車両
 
御代志からは車庫のある北熊本まで折り返し、さらに乗り換えて北熊本から上熊本まで乗車して熊本電鉄を完乗しても相変わらず雨。仕方ないので乗り鉄モードを継続して熊本市電を完乗することにして、上熊本から終点の健軍町に向かいます。ただ、熊本まで来て電車に乗って帰るだけ・・・というのも勿体ないので、観光モードも入れることにし、途中で時間的に許容範囲である水前寺成趣園を散策します。熊本でベタな観光地と言えば熊本城と水前寺成趣園なので当然と言えば当然ですが、ここも外国人が一杯でした。
ところで、私の場合「水前寺」っていうと庭園よりなにより「一日一歩、三日で三歩、三歩進んで二歩下がる。人生はワンツーパンチ♪」という歌が思い浮かびます。別にファンじゃなかったけどすごいなあ。
 
多分半分以上は外国からの観光客だった水前寺成趣園
 
水前寺成趣園を出る頃にはようやく雨もあがったので、市電全線乗車のプランはそのままに、またまた「撮り鉄」モードを挿入して通町筋と花畠町での市電撮影もすることにしました。我ながらなかなか頑張りますね。
 
健軍町電停
 
こちらは田崎橋 熊本駅前から田崎橋までは熊本駅前のアクセス改善にあわせて付け替えられた
 
今回は1日目の雷雨、2日目、3日目の黄砂、4日、5日の雨と多少天候には悩まされたものの、いつもの神様のご加護で雷に打たれて意識不明にもならず、落雷の影響で遅延していた西鉄大牟田線も追突事故で一時運休や区間運転をしていた熊本市電についても旅程には影響せず、客観的な出来不出来は別にして写真も撮影し、おまけに石炭産業遺構と秋月や水前寺成趣園の観光もできたという、Fruitfulな旅行となりました。
今回乗車した錦川鉄道平成筑豊鉄道はなかなか経営も厳しいようですが、頑張って走り続けて欲しいものです。

中北部九州ローカル線欲張りツアー その2

この日の行橋の日の出は6:14 始発列車は暗い中を5:56に発車する
 
2日目は晴れ、この日はこの時期を選んだ最大の理由である田川線列車+菜の花の写真を撮るべく、5時起きして行橋5:56発の平成筑豊鉄道始発列車に乗車します。普段怠惰な?生活を送っていてもこういうときは目が覚めるもんですね。。。
 
平成筑豊鉄道は旧国鉄田川線(行橋~田川伊田)、伊田線(直方~田川伊田)、糸田線(金田~田川後藤寺)を引き継いで1989年に設立された第三セクター鉄道で、「へいちく」の愛称があります。
この日は先ずは本館にも掲載した崎山付近で菜の花+列車の撮影をし、勾金(まがりかね)付近で内田三連橋梁+香春岳+列車の撮影をしました。黄砂に注意といわれていたのですが、全く影響なかったとは言えないものの、とりあえず遠景も確認できる写真が撮れて良かったです。
 
平成筑豊鉄道の一日乗車券 今回は使用できなかったが沿線の日帰り温泉にも入浴できる
 
撮影のため下車した崎山駅 古色蒼然というか・・・ 特に外にあるトイレもすごかった
 
下の写真を撮影している道路橋には国鉄田川線のプレートが・・・
 
菜の花は盛りだったが線路向かって右側の桜はまだ 黄砂の影響はあったが遠景もまあOk
車両は500形の「くろぎん」号
 
勾金駅にあった煉瓦製の倉庫 三連橋同様、開業時からあるのだろうか?
 
撮影後は乗り鉄モードにスイッチして田川線伊田線を直通する列車で田川伊田を経由して同線の検車区もある金田(かなだ)へ、そこで乗り換えて糸田線の列車で田川後藤寺に向かいます。
 
今のへいちく線にはどう考えても過剰設備だが、田川伊田~直方の伊田線は複線
左端の線路は糸田線でここは3本の線路が並ぶ
 
伊田線糸田線が接続する金田駅 同鉄道の本社や車両基地もこの金田にある
 
JRと共同使用の田川後藤寺駅 駅前には商店も並ぶが商店街は寂れていた
 
田川後藤寺からはJR日田彦山線に乗車して再び田川伊田に戻り、今度は社会見学モードにスイッチして駅近くの田川石炭記念公園で、かつては日本の近代化を支えた最大の石炭産地の産業遺構を見ておきます。
 
筑豊最大規模の三井田川鉱業所の竪坑櫓(たてこうやぐら)
 
井田川鉱業所の伊田竪坑の二本煙突
ボイラで作った蒸気が竪坑ケージ(エレベーター)の動力になっていた
 
「月が出た出た月が出た~ 三井炭鉱の上に出た~♪」 の炭坑節発祥の碑
上写真の二本の煙突がまさに「あんまり煙突が高いので~」の煙突だ
 
石炭記念公園の見学後、折角の好天なので産業遺構の見学については田川石炭・歴史博物館はパスして直方へ移動、再び撮り鉄モードに切り替えて筑豊電鉄を遠賀川橋梁で撮影し、その後社会見学モードで直方市石炭記念館を訪問することにしました。
 
直方駅前には立派な大関魁皇の像が・・・ 「かいおう」の名前の特急もある
 
遠賀川の堤防から筑豊電鉄を撮影 最初にやってきたのは復刻黄電塗装の3009だった
 
直方市石炭記念館にある旧筑豊石炭鉱業組合直方事務所
炭鉱経営者が石炭の生産制限や輸送、労働、保安などを協議したという
 
貝島炭鉱で使われていたドイツコッペル製蒸気機関車 直方市指定有形文化財となっている
 
石炭産業は国策として放棄され、今の筑豊には石炭産業の片鱗を残すものはほぼ記念施設だけですが、これらは「筑豊炭田遺跡群」として国指定史跡となっています。訪れる人は多くなさそうですが、長崎の端島などと同様に、かつての日本のエネルギーを支えた人たちのことを今に伝えていました。この日はいろいろ頑張っていささか疲れました。。。
 
★   ★   ★
 
翌3日目も晴れ。この日はもちろん筑豊電鉄西鉄貝塚線の乗車という「乗り鉄」目的もありますが、どちらかというと筑豊電鉄を筑豊香月付近で撮影し、その後西鉄貝塚線を名島橋梁で撮影する撮り鉄モードがメインです。
筑豊直方から乗車したのは3000形で、この電車は釣り掛け駆動。70kmぐらいで結構早いので、スマホで録音しながら筑豊香月まで乗車します。
 
筑豊直方駅 改札も無く、階段を上がると路面電車の駅があるような感じ
乗車するときは車内のICカード読み取り機にタッチする
 
筑豊香月駅付近で撮影 この3000形は釣り掛け駆動で音も楽しめた
 
筑豊香月から黒崎駅前までは少し待って新しい5000形低床車で移動。こちらも快適ですが、個人的には釣り掛け音の楽しめる3000形ですかねえ。
筑豊電鉄乗車の後は黒崎からJRで新宮中央へ移動、さらにIKEAなどもある新しい駅前からコミュニティバス(運賃100円!)で西鉄新宮に移動します。こんなローカルなコミュニティバスの時刻も調べられて便利な世の中になったものですね。
 
黒崎駅前はビルの一階にホームがある
 
マリンクス 相らんど線という新宮町のコミュニティバス
 
ローカルな雰囲気漂う西鉄新宮駅 西鉄貝塚線は全線単線なので駅で2列車が並ぶ
 
名島橋梁を渡る貝塚線100周年ラッピング電車
 
筑豊香月で撮った写真は黄砂の影響でなんとなく砂っぽい?ですが、名島橋梁の写真は時間的にも黄砂が少なくなったのかそれ程酷い影響を受けず、「撮り鉄」中心日としては概ね初期の撮影目的を達成することができました。この後は翌日の甘木鉄道乗車に備えて地下鉄で博多駅、博多からはJRで鳥栖に移動してこの日は終わります。
ところで、貝塚線は2024年の5月23日が開業100周年で、写真のラッピング電車は昨年5月23日から今年の3月31日までだったことを後で知りました。ラッピング電車はあまり好みではないですが、開業100年ともなると話は別。あらためて神様のご加護に感謝しています。
 
 

中北部九州ローカル線欲張りツアー その1

雷雨の中で撮影した錦川清流線 命がけ?の一枚
 
3月24日の週に中北部九州のローカル線乗車に行ってきました。今回は「国鉄・JR時代に乗れず、その後第三セクターになった鉄道」+地方私鉄に乗るというのが主目的だったのですが、計画を練っているうちにあれもこれも・・・と結構盛り沢山な旅行となりました。
 
先ずは文字通り行き掛けの駄賃として、2027年に引退と言われている①500系新幹線の「こだま」に乗車し、新岩国で乗り換えて②錦川鉄道に乗車することにします。
 
現在500系で運用されている「こだま」は下りの833*、841、849、851*、857*、861の6列車(*マークは岡山始発)で、今回は錦川鉄道に乗車することも考慮して、京都から「ひかり」で広島に向かい、最初に833列車で広島~新岩国錦川鉄道乗車後851列車で新岩国~小倉を移動することにしました。また、「こだま」で運用されている8連の500系のうち、6号車指定席が元グリーン車の526 7200番台なので、自由席でも十分座れるとは思いましたが6号車の指定席を奢ることにしました。
6号車の車内はフットレストこそ撤去されているものの、ゆったりした座席やシートピッチは元のグリーン車のままで、非常に快適に快適な時間を過ごすことが出来ました。
 
広島駅に入線する500系こだま スピード感溢れるデザインは今でも目を引く
 
500系独特な円筒形の車内 6号車の指定席は元はグリーン車 
 
新岩国で下車し、新幹線高架下の連絡通路を5分程歩いて、清流線の愛称もある錦川鉄道に乗り換えます。
錦川鉄道国鉄岩日線として岩国と山口線の日原(津和野の北東約9km)を結ぶ目的で建設され、1963年に今の錦町で開通したものの、ご多分に漏れずその目的は果たせず、特定地方交通線の第二次廃止対象路線に指定されたところを、1987年に第三セクター錦川鉄道として存続することになりました。清流線の愛称のとおり、全線ほぼ錦川と並行しており、錦町行の場合は車窓右側に錦川の流れを見ながら乗車を楽しめます。
 
錦川鉄道全線フリー切符(左下)は車内で購入できる(2000円) 
この切符を終点錦町の窓口で見せると、絵葉書と乗車記念カードが貰える
 
もちろん錦川鉄道の全線に乗車したかったので、先ずは清流新岩国から岩国方面の列車に乗車しますが、同線の起点の川西駅ではなく一つ先のJR岩徳線西岩国駅まで足を延ばして駅舎を見ておくことにします。
この西岩国駅は1929年に岩国駅として開業しますが、その後現在の岩国駅がある麻里布地区が発展し、1942年に当時の麻里布駅を岩国駅命名すると同時に西岩国駅となったという歴史があり、岩国駅だった当時は錦帯橋観光の乗客などで賑わったようです。
 
入口のアーチなど錦帯橋に因んだデザインとなっている西岩国駅舎 駅舎は立派でも現在は無人
 
西岩国駅見学の後は再び岩国駅で折り返してきた錦川鉄道の列車に乗車、錦川の清流を眺めながら終点の錦町をめざします。進行方向右側のクロスシートに席も確保できて万全の体制?で臨んだのですが、錦町が近づくにつれて車窓は暗くなり雨模様に。。。
 
錦川は良く見えたが、錦町が近づくと雨も降りだして昼なのに薄暗くなってきた。。。
 
終点錦町で下車。少雨だったのでとりあえず傘をさして撮影予定地点の錦川を渡る橋梁まで行ってみたのですが、そのうち雨が激しくなり、おまけに雷まで鳴り出すという事態になって、「無謀撮り鉄、カメラに落雷して意識不明の重体」なんてことになっては元も子もないので、これこそ神様のご加護、近くの廃ガソリンスタンドの屋根下に避難して雨をしのぎながらもとりあえずシャッターだけは押したのが冒頭の写真です。
とりあえず雷にも打たれることも無く、そうこうするうちに雨も上がったので、「まちぐるみ博物館」となっている錦町駅周辺をぶらついたり、岩日線の未成線区間の路盤を走る「とことこトレイン」や、駅隣接の鉄道記念館などをみておきます。
 
錦川鉄道本社もある錦町駅 ホームは駅舎後ろの土手の上にあり階段で上がる
 
岩日線未成区間を雙津峡(そうづきょう)温泉駅まで走る「とことこトレイン」
残念ながら基本土日祝の運転で乗車できなかった
 
全長1796mの「きらら夢とんねる」 蛍光色で装飾され、「とことこトレイン」から楽しめるそうだ
 
鉄道記念館 国鉄岩日線として開業した当時の新聞記事なども展示されている
 
錦町駅構内に停車していたキハ40 団体列車などに使われる様だがこの日は使用されていなかった
 
帰路の列車は2両編成で、これは団体列車の折り返し運用。とはいえ錦町で降りても特に有名な観光スポットがある訳でも無く、所在なく駅付近にたむろしていた団体列車の乗客の多くはそのままこの普通列車で折り返すことになり、すっかり出来上がった団体客に交じって新岩国に戻ることになりました。
新岩国からは再び500系こだま6号車に乗車して小倉へ、さらに日豊線で行橋まで行ってこの日の予定は終了です。
 
行橋は高架ホームの駅 乗車した813系はクロスシートが1/3ほど撤去されていた