取手・医科歯科通信 山本 嗣信 (やまもと つぐのぶ)

医学情報社編集顧問
フリージャーナリスト

創作欄 真田と栄子 4)

2018年03月20日 22時30分55秒 | 医科・歯科・介護
2013年12 月12日 (木曜日)

若い倉持由紀江ととりとめのない話をしていたが、真田は突然、メランコリーな気分となる。
尿意をもようしたのでトイレへ向かう。
そして戻ってくる間に異変が起こった。
右足がつるような感じがした。
トイレから戻ってくるまでおしぼりを手に由紀江が立ったまま真田を待っていた。
その笑顔が揺れているように見えた。
ボックス席に着いた真田は受け取ったはずのおしぼりをテーブルにおとした。
右手がまるで骨折したようにだらりと重く垂れ下がった。
そして手首に痺れが走った。
それは電流が走ったような軽い痛みであったが、脱力感で手首の辺りが重くなっていた。
酒を飲めば収まるだろうと盃を右手でつかんだが、それを床に落とした。
「真田さん、どうかしましたか」 由紀江は真田の顔を覗き込むよに見詰めた。
「大丈夫、疲れが溜まったたんだ。徹夜麻雀もしたしね」
頭を何度も振りながらボックス席に背中をもたげると、真田の意識が遠のいていく。
結局、真田は取手駅前の通りに面した取手協同病院に運ばれた。
「俺は、いったいどうしたんだ」 ベッドに横たわっている自分の姿に真田は愕然とした。
「ここはどこだ?」真田は豆電球が灯る天井を見上げながら身を起こした。
古い部屋であり木製のガラス窓の外は闇に包まれていていた。
腕時計を見ると午前2時であった。
実はこの病院に戦前のことであるが、作家の坂口安吾が住んでいたのである。
真田は翌朝、看護婦から脳梗塞を起こしたことを聞かされた。
「真田さん、運がよかったですよ。比較的軽い脳梗塞だったのよ」
40代と思われる小太りの看護婦は、検温をしながら言う。
「脳梗塞だったんだ。気を失って何も覚えていない」
「この病院が、駅前でよかったのよ」
「病院は取手駅前にあるのか」
「そうね。駅まで1分ほどよ」
午後2時ころ、元女子競輪選手だった大田栄子が真田のことを心配して病室にやってきた。
「真田さん、昨夜は驚いたわ。倒れた時はどうなるかと思って・・・」
「俺は倒れたんだ」
「席から床に転げ落ちたのよ」
「そうだったのか」
栄子は何時ものように午前2時に店を閉めて、起きてからすぐに銭湯の朝湯に入り、掃除、洗濯をしてから真田の見舞いに来たのである。
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<参考>

茨城県厚生農業協同組合連合会総合病院取手協同病院 (旧・茨城県厚生農業協同組合連合会総合病院取手協同病院
1976年 9月 旧取手協同病院と旧龍ヶ崎協同病院とが合併 現在地に新築移転し取手協同病院となる

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坂口安吾(小説家)1938年から2年間、取手病院に住み込む。
1940年には取手の寒さに悲鳴をあげ、詩人の三好達治の誘いで小田原に移住する。

2013年12 月12日 (木曜日)
創作欄 真田と栄子3)

「居酒屋では、日本酒を飲んでいましたね。やはり日本酒ですね」
栄子はおしぼりを出しながら尋ねた。
「取手の地酒があれば、それがいいな」
「それなら、田中酒造の君萬代ですね」
「ユキちゃん、君萬代をお願い」と大田栄子は立ち上がってカウンター内の倉持由紀江に声をかけた。
間もなく由紀江が日本酒を運んできた。
20代と思われた由紀江はまだ18歳であった。
男好きのする顔立ちであり愛想が良くて由紀江を目当てにバー「ジャン」に通ってくる客の多かった。
髪をアップにしているので大人びて見えた。
「ユキちゃんお願いね。私は向こうへ行くから」と栄子はカウンター内へ入った。
常連客はみんなかつての栄子の競輪ファンたちであった。
「お客さんは、どこからいらしたんですか?」
真田は濃紺のスーツを着ていて、地元取手の人間には見えなかったようだ。
「東京の自由が丘から」真田は日本酒を一口飲んで答えた。
口あたりはまろやかで思いのほか美味しい地酒であった。
「日本酒を美味しそうに飲むですね」
由紀江が微笑むと幼さが漂った。
「君はまだ、高校生みたいに見えるね」
「来月、19歳になるの」
「若くていいな」
「お名前、お聞きしていいですか?」
「真田、生まれは長野県の松本だけど、残念ながら真田幸村の子孫ではない」
由紀江には真田幸村が何者であるか知識がなかったので、話が通じなかった。
「真田さんは取手競輪に来たのですね」
「そう、往年のスター選手だった松本勝明が出ていたのでね」
由紀江は競輪の知識がないので、松本勝明の名前を出しても反応がない。
「ママが元女子競輪の選手だなんて、すごいことようね。お風呂に一緒に入って太腿を見てびっくりしたの」
由紀江は両手で輪を作りながら、「ママの太腿は、私のウエストくらいあるのよ」と無邪気な笑顔となる。
真田は栄子の太腿を見てみた衝動にかられた。
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<参考>
真田 信繁 / 真田 幸村 は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。
真田昌幸の次男。

江戸時代初期の大坂の陣で活躍し、特に大坂夏の陣では、寡兵3500を持って徳川家康の本陣まで攻め込み家康を追いつめた。
戦国乱世最後の英雄であり、大坂の陣を契機に、この合戦に参陣・参戦した将兵による記録・証言が基となって、江戸幕府・諸大名家の各種史料にその戦将振りが記録された。
さらにはその史実を基に講談や小説などに翻案、創作されるなどして、ついには真田十勇士を従え宿敵・徳川家康に果敢に挑む英雄的武将・真田幸村(さなだ ゆきむら)として扱われ、国民の間に流布するに至った。
そのため幕府・諸大名のみならず広く一般庶民にも知られる存在となった人物である。
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