ご婦人はとても素敵な声をしていた。
応接室の片隅にピアノがあることに気づいたので徹は聞いてみた。
「奥さんは、音楽関係の方ですか?」
「私は声楽家で、ソプラノの東山紀子です」と微笑む。
徹にとって、声楽は全く無縁の世界であった。
「この学習辞典はとても良くできていますね。娘ばかりではなく、娘の親しいお友達にも紹介したいと思います。連絡をしておきますので、ぜひ、訪ねてみてください」
結局、初対面であったのに、ご婦人から娘さんの学友7名を紹介された。
それは、思いもかけない好意であった。
学習院の学友であることを知らされ、「学校の方から来ました」とのセールトークを言わずに良かったと胸を撫で下ろす。
「あなたは、おいくつですの」
「22歳です」
「お若いのね。恋愛はしていますか」
「いいえ」
「これから、恋愛をなさるのね。でも、恋愛と結婚は違いますよ」
徹はその意味を理解しかねた。
そして、「この人は、恋愛結婚はしていないのか?」と思ってみた。
金木犀が香る季節は、なぜか徹をせつない気持ちにした。
大きな屋敷が建ち並ぶ目白の住宅街は、非日常的で別世界にも映じていた。
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