#取手・医科歯科通信 山本 嗣信 (やまもと つぐのぶ)

医学情報社編集顧問
フリージャーナリスト

<男女の友情>

2018年11月15日 14時16分07秒 | 創作欄

徹が25歳の時に出逢った朝賀麻実は既に結婚していたのであるが、皆が独身と想っていた。
一人住まいであり、「私の部屋へ来ない」と男性の徹も誘う。
話し込こんで終電がなくなり、泊めてもらう。
布団一つなので、一緒にも寝た。
でも深い関係ではない。
「男女の友情よ。分かってね」と言われる。
当時、当方も<男女の友情>はあると思っていた。
彼女の住まいは目黒駅からバス5分ほどの閑静な住宅街にあった。
大家さん夫妻は60代。
お子さんは同居していない。
母屋が木立の奥にあり、大きな門をくぐると右側の竹の林の中に離れの家屋に二部屋。
6畳一間の下宿で、隣の部屋は4畳半で目黒区役所に勤務する麻実と同じ年の女性が住んでいた。
彼女は徹の大学の先輩を「畠山」と呼び捨てにしているので、徹は違和感を抱く。
「畠山さんは、3歳も年上なのだから、さんというべきではないかな」と注意したが、彼女は無視する。
実は、彼女は畑山さんと別居結婚をしていたのだった。
彼女が、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの<信奉者とはね>徹は驚いたり、納得したり。
彼女はどこで、どのように畠山先輩と出逢ったのだろうか、と想像してみた。
畠山先輩は彫刻家であったので、モデルとして麻実と出逢ったのだろうか、などと・・・
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シモーヌ・ド・ボーヴォワール (Simone de Beauvoir; 1908年1月9日 - 1986年4月14日) は、フランスの哲学者、作家、批評家、フェミニスト理論家・活動家である。
20世紀西欧の女性解放思想の草分けとされる『第二の性』(1949)、ゴンクール賞を受賞した自伝小説『レ・マンダラン』(1954) など多くの著書を残した。
主要著書はほとんど邦訳されている。
1970年代に人工妊娠中絶の合法化を求める運動をはじめとする女性解放運動に加わり、『レ・タン・モデルヌ』、『フェミニズム問題』などを通して運動を牽引した。
在学中に出会ったジャン=ポール・サルトルとは、実存主義の立場から自由意思に基づく個人の選択を最重要視し、婚姻も子どもを持つことも拒否。
互いの性的自由を認めつつ終生の伴侶として生きた。
1954年にゴンクール賞、1975年にエルサレム賞、1978年にオーストリア国家賞を受賞。
2008年、「女性の自由のためのシモーヌ・ド・ボーヴォワール賞(フランス語版)(略称:シモーヌ・ド・ボーヴォワール賞)が設立され、アヤーン・ヒルシ・アリ、マララ・ユスフザイ、ミシェル・ペローらが受賞している。
必然的な愛 ― 終生の伴侶サルトル

パリ6区ラスパイユ大通り136番地にあるバルザック記念像前のボーヴォワールとサルトル (1920年代)
1929年(21歳)、哲学のアグレガシオン(一級教員資格)試験に合格。前年に落第したサルトルが主席、ボーヴォワールが次席であった。
21歳での合格は史上最年少であり、また女性全体としてもアグレガシオンが女性を受け入れ始めてから9人目の合格者だった。
志願者76人のうち、合格した女性は4人、男性は9人で、ニザンは5位、マウーは落第した。ダンフェール=ロシュロー通り91番地に越す。
サルトルから婚姻も子どもを持つこともなく、嘘をつくことも隠し立てをすることもなく、互いの性的自由を認めつつ終生の伴侶となることを提案される。
これ以前に、サルトルは、高等師範学校の同級生の従妹でリヨンに住む女性との結婚を望み、彼女の両親に正式に申し込んだが、アグレガシオンに落第したことを理由に反対されていた。
制度としての婚姻や母性を拒否し、自立と自由を求めていたボーヴォワールは最終的にこの申し出を受け入れた。二人のこの反体制順応的な関係は、しばしばサルトルの「私たちのあいだの愛は必然的なもの。
でも偶然の愛を知ってもいい」という言葉により表され、新たな男女関係のあり方として若い世代を魅了した。
なお、二人の関係はサルトルがボーヴォワールを「身分違いの妻 (épouse morganatique)」と呼んだことから[5]「貴賤結婚 (mariage

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ウーマンリブの日(11月14日 記念

2018年11月15日 13時21分04秒 | 社会・文化・政治

1970年(昭和45年)のこの日、東京・渋谷で女性解放運動を高めるための日本初のウーマンリブの大会が開催された。

日本でのウーマンリブ運動

運動のきっかけは、1960年代後半の全共闘運動にある。

最もラジカルに既成秩序の打破を訴えた全共闘運動においてさえ、街頭デモに繰り出すのは男子学生、女子学生はキャンパスの中でおにぎり作りに従事させられたことから、「女性は男の奴隷ではない」との主張が生まれた。

また学園祭定番であるミス・コンテストを、の視点による美醜で女性を評価するのは女性差別に当たるとして、これを中止に追い込んだ。

ウーマン・リブとは、1960年代後半にアメリカ合衆国で起こり、その後世界的に広がった女性解放運動のことをいう。

戦争が引き起こした人手不足は女性の積極的労働参加を促し、「女性も男性と同じ仕事ができる」という、仕事における自信をもたらした。この女性の社会的自立が、のちのウーマンリブ運動の気運を高めたといえる。

そしてベトナム戦争反戦運動と共に、男社会に対する不満を抱えた女性たちによるウーマンリブ運動がアメリカ中を圧巻した。

伝統的な女性のイメージは根本から否定され、女性の労働が当たり前となり、それまで殆ど男子校同様だった大学で女子の入学が認められ、男性中心だった学問に女性学が導入された。

ウーマンリブは反キリスト教運動も兼ねており、それまで禁止されていた女性の堕胎を認める法律ができた。

アンチエイジングの日(11月14日 記念日)

特定非営利活動法人(NPO法人)アンチエイジングネットワークが制定。

日付は「いい(11)とし(14)」(良い歳)と読む語呂合わせから。

生活習慣病を予防する予防医学の定着と、年齢を重ねてもいききと活躍するための活力となる「見た目の若さ」を保ち続ける方法の認知拡大が目的。

自分自身の心と身体に向き合う日としての普及を目指している。

記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。

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16歳自殺「パワハラ」で遺族提

2018年11月15日 12時54分38秒 | 社会・文化・政治

 アイドル、過酷な現実 無給やセクハラ、訴え相次ぐ

 
松山市の地元アイドルグループに所属し、今年3月に亡くなった大本萌景さん=弁護団提供

 <access>

 松山市のアイドルグループの一員だった16歳の大本萌景(ほのか)さんが3月、自ら命を絶った。遺族が10月、当時の所属事務所に損害賠償を求める訴訟を起こし、未成年アイドルの実態に注目が集まっている。「夢」と引き換えに搾取される子供たちがいるのではないか。【宇多川はるか】

 大本さんは「Hプロジェクト」(松山市)に所属。アイドルグループ「愛(え)の葉(は)Girls」メンバーだった。遺族の訴えによると、未成年なのにイベントなどで長時間拘束され、同社に「脱退したい」と伝えるとスタッフから「次また寝ぼけた事言えばマジでブン殴る」「辞めるなら1億円払え」とパワハラを受けたという。同社は発言やパワハラを否定し、争う構えだ。

 このニュースに、東京の繁華街をさまよう少女たちの保護に取り組む一般社団法人「Colabo」の仁藤夢…

 
 
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姫君たちの明治維新

2018年11月15日 12時37分43秒 | 社会・文化・政治
 
 

商品の説明

内容紹介

明治150年に贈る、幕末維新をきっかけに思いしなかった苦労に見舞われた大名・華族の姫君たちの物語。

深窓の令嬢どころか、堅固なお城の大奥で育った、正真正銘のお姫様たちも、維新の大波には翻弄されます。

しかし、決してそれにめげることなく、それぞれの運命を逞しく生き抜いてもいきました。
徳川家では、最後の将軍、慶喜の義理の祖母でありながら、淡い恋心を交わした一橋直子、また、そのとばっちりを受けた形の、正妻の徳川美賀。
加賀百万石の前田家では、東大の赤門を作るきっかけとなった、将軍家から嫁入りした溶姫のさみしい晩年。
九州の大藩、鍋島家では、新政府の外交官になった夫とともに、ヨーロッパに赴き、社交界の華とうたわれた鍋島胤子。
篤姫や和宮など、メジャーどころはもちろん、歴史教科書には出てこない、お姫様たちの生涯は興味津々。
とくに落城の憂き目にあった姫君たちの運命には、思わず涙します。
なかでも、もっとも数奇な運命をたどったのが、四賢侯の一人、松平春嶽の側室の子である池田絲。

維新後の混乱で彼女は松平家の庇護を受けられず、なんと芸者に。

そこで、お雇い外国人であったフランス人の軍人と知り合い結婚。二人の間に出来た子が、明治の歌舞伎界の大スターである十五世市村羽左衛門! まるで小説のような物語がそこにあります。
20人を超える姫君たちの物語にご期待ください。

内容(「BOOK」データベースより)

百五十年前、お城やお屋敷の奥深くで蝶よ花よと育てられた姫君たちを時代の大波が襲った!引き裂かれた初恋、破綻した政略結婚、嫁姑の争い、落城、逃避行、我が子との別れ…。悲しく、儚く、しかし、どこか逞しい女性たち三十一人の明治維新物語。

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地域とのかかわり

2018年11月15日 12時27分21秒 | 沼田利根の言いたい放題

日ごろから町内会、自治会、商店会、老人会、PTA、消防団等の一員として活躍している人がいる。
当時の取手雇用促進住宅ほど、自治会の活動が活発な例は、まずないだろう。
月1回のイベントの開催、そのための打ち合わせ、反省会というか役員・運営員の慰労会。
各階段の責任者(8部屋の輪番制)、4棟の各棟長、会長、副会長。
野球部があり、ママさんバレーボール部があった。
住宅の並び1号棟の脇に居酒屋、3号棟の裏にラーメン店。
スナックも4号棟の裏側に2軒あった。
そこで懇親会や慰労会。
単なるる飲み会も。
当方のムード歌謡でチークダンスを踊る新婚さんも居たな。
囲碁・将棋部、マージャン同好会もあった。
あれほど、<濃い人間関係>は稀だろう。
子どもが実に多かった。
住宅は築2年で新婚さんも多い。
当時の家賃はわずか9800円。
2DK(6畳、4畳半、台所)。
子どもは遊びに来るし、子どもが隣、近所の部屋へ遊びに行く。
子どもを預けたり、預かったり関係も。
老人が住む世帯は3、4軒だっただろうか。
管理人が率先してイベントを企画していた。
まず新年会1月、2月ドッチボール、3月バレーボール、4月カラオケ大会、5月バザー、6月子ども会のイベント、7月夏祭りで盆踊り・子ども神輿、8月ソフトボール大会、9月運動会、10月台宿町内会の運動会に参加(取手小学校のグラウンドで)、11月台宿町内会と井野自治会との協議会(参加は役員のみ)、12月防災訓練。
その年によっては、他のイベントもあった。
地域とのかかわりを持っているほど健康状態<よい>と感じている人が多いそうだ。
子どもたちの絵や書道の展示(集会場で)もあった。

 

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「クローン文化財」が担う役割

2018年11月15日 11時21分29秒 | 社会・文化・政治

文化財の新しいかたち。 
「クローン文化財」だけの展覧会、藝大美術館で開催

実物と見まがうばかりの「クローン文化財」。

それを一堂に集めた展覧会「素心伝心」が東京藝術大学大学美術館で開かれた。

「クローン文化財」が担う役割とはいったい何か?

「クローン文化財」は、東京藝術大学が開発した特許にもとづき制作された、文化財の超高精細復元/複製作品。

 

最先端のデジタル技術を活用し、オリジナルの精細な画像データを取得し、三次元計測や科学分析を行って、空間・形状・素材・質感・色を忠実に再現したものだ。

また、このデジタル技術に加え、藝大ならではの手仕事による彩色や研磨などを経て、質感や文化的背景などを忠実に再現しており、文化財を後生に伝承することを目指している。

 東京藝術大学藝大美術館で始まった「素心伝心ークローン文化財 失われた刻の再生」展では、この技術を活用したクローン文化財の数々を展覧。

国宝に指定されており、門外不出の《法隆寺釈迦三尊像》(飛鳥時代)では、3Dスキャニングと鋳造、研磨などを経て、欠落した螺髪(らほつ)や大光背周縁に存在したとされる飛天をも復元した。実物以上に本来の姿に近い状態で鑑賞することができる。

また釈迦三尊像を囲む金堂壁画は、1949年の火災で焼損しているが、その焼損前の姿もあわせて見ることができ、同作は本展のハイライトの一つと言っていいだろう。

 また、今回の展覧会では、シルクロードの文化財にも焦点を当てて紹介している。

2001年にイスラム原理主義を掲げるタリバンによって破壊されたアフガニスタン・バーミヤンの東大仏は、その天井に描かれていた壁画《天翔る太陽神》を復元。

鮮やかな青=ラピスラズリをはじめとする同素材の顔料で彩色し、文化財破壊へのカウンターメッセージともなっている。

クローン文化財《バーミヤン東大仏天井壁画復元》

 現地に行かなくては見ることのできない文化財や、いまは失われた文化財。これらを最新の技術で蘇らせる「クローン文化財」は、文化財が持つ価値を、より身近に、より多くの人々に伝えていくという意味において、今後さらに重要なものとなっていくだろう。

クローン文化財《高句麗古墳群江西大墓》

Information

 

 

――文化財を保存する最も効果的な方法は「非公開」といわれます。

宮廻 これまで、文化財の大きな課題は“保存”と“公開”というジレンマへの対応でした。保存に最も有効な方法は公開しないことです。
これからはクローン文化財により、このジレンマを解決することができます。また、大きな特徴の1つでもある「触れられる」点により、それまで美術館などから遠のいていた目の見えない人も訪れることが可能になります。つまり、今後は展示する側、美術館側も、情報の公開方法を考えるべきだと思います。文化財が壊れたり、傷んだりすることに注意するだけではなく、もっと新しい方法で、文化財を楽しんでもらう方法があるのではないかということを考えてほしい。
クローン文化財が持つ利点は、単に再生産ができるという点には留まりません。

宮廻正明(みやさこ・まさあき)

日本画家、東京藝術大学名誉教授
1951年島根県松江市生まれ。東京藝術大学美術学部デザイン科卒業。

同大学院文化財保存修復技術(日本画)修了、平山郁夫に師事。

1995年に東京藝術大学助教授、2000年教授。同大学学長特命、社会連携センター長、同学COI拠点研究リーダーなどを経て、2018年4月から同大名誉教授。

日本美術院同人・常務執行理事、文化財保護・芸術研究助成財団理事長。足立美術館評議員長、山種美術館理事、シルクロード美術館副理事長。
「クローン文化財」の功績により21世紀発明奨励賞、平成30年度科学技術分野の文部科学大臣表彰科学技術賞(科学技術振興部門)受賞。

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紅葉の写真とリンゴの写真

2018年11月15日 06時12分51秒 | 日記・断片

先日、中田さんが「隣の家からタヌキが出てきた。落ちている柿でも食べにきたのかね」と言う。
隣の家と裏の家2軒が空き家である。
その家に昔の昭和年代のゴミ箱があった。
どこにも見かけない懐かしさを覚えるゴミ箱である。
また、今朝の散歩で会った西川さんが「イタチがこの路から走って逃げていったよ」と言うのだ。
ハクビもいるそうで、「猫のタマが姿を見て怯えていた」と笑う。
タマは犬も怖がり姿を隠す。
鈴木さんが紅葉の写真を見たいと言うので見せる。
「リンゴ、映した」と西川さんが聞くのリンゴの写真も見せた。
お二人とも「きれいに撮れているね」と覗きこむ。
鈴木さんは昨日はゴルフ、今日は勤務で水道橋まで行くそ


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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11月14日(水)のつぶやき

2018年11月15日 03時16分50秒 | 医科・歯科・介護
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