Dr.コトーの日々これ奮闘

離島診療所で勤務するドクターの日常を紹介します。

ここにいても変わらないから退院する!

2007-10-17 21:59:02 | Weblog
色々な症状・問題点を抱えた患者さんをどうサポートしていくか?

この言葉は入院中の50代の糖尿病もちの男性患者さんが発した言葉である。

彼は自己インスリン注射をしていた。1人暮らしで勿論食事は出来合いのパンやお弁当がメイン。時々往診に行ってそっと冷蔵庫をのぞくと、しょうゆが少し入った容器が見えるくらいで、腐りかかったものが鍋にこびりついて流しに置いてあったりした。以前はインスリン注射を打つのが不規則で、高血糖と低血糖を繰り返して外来を受診していた。

その彼は糖尿だけでなく、狭心症(三枝病変)、高脂血症、高血圧とあらゆる生活習慣病を持っていた。さらに慢性の頚部痛や肩関節の痛み、足の痛み、胸痛などで悩まされていた。因みに家族からの見放されていた。

彼は様々な病院に受診をしては「もう来なくていい」と言われ、とうとうこちらに辿りついた。入院中に勝手に外出し飲酒が見つかって強制退院になったこともあったが最近は比較的生活がまともになってきて、インスリンもきっちり打てコントロールも比較的よくなっていた。

ただどうしてもずっと自宅で生活していると不安が出てくるようで時々入院することがあった。今回もそんな経過の入院であった。

その彼が発した言葉である。

私は初めショックであった。我々の接遇がまずかったのか?なにか説明の言葉が足りなかったか?と考えたが彼のこれまでの経緯を考えれば良く分かる言葉であった。

確かに彼の抱える問題点は多く、そういいたくなる気持ちは分かる。しかしそれでは解決しない。1つ1つ症状を上げ、確かに良くなっていないところもあるが、以前と比べれば良くなっていることもあるじゃないかと彼に話した。彼もそう言われて納得してもらえたようで、再び入院生活を続けることになった。

我々の仕事は単に病気を治すことではない。その人の生活や社会性も踏まえなければ、このような患者さんに対し、「なんだこの患者は、もう来なくていい」ということを言ってしまう傾向がある。

逆に「色々な症状があって全て上手く医学的に治療が出来ないのだから、話でも聞いて気分だけでも楽になってもらおうか・・」と思うことも最近多くなった。それは医者としてではなく、1人の人間としてである。勿論医学的に出来ることはするがどうしようもないことは多く存在し、それに多くの患者さんが頭を抱えている。もしかしたらそこに病気の根もあるのかもしれない。

認知症とは気づかれにくいもの

2007-10-15 19:53:23 | Weblog
あんなしっかりしていた人が認知症だっただなんて・・・

よくある話だ。
「夫の介護を献身的に何年間もして自宅で看取ったのに、妻の方にまさか認知症が進んでいたなんて。」てことはよくある話。

よくも悪しくも手がかかる家族の介護をセコセコ毎日行うことで日課を自分の脳ミソに課していたのだ。その介護の仕事がなくなると、まさに脳ミソは仕事を失う。それ故に脳ミソは働かなくなり、「あーもう休憩しよう」と脳細胞同士の連絡網は失われて急速に脳細胞自体が衰退していく。

外来を受診する80代の女性にまさにこの傾向が強く、なかなか一般診察や忙しい外来看護師では気がつかない。

ただ何となく変な行動や言動をとる傾向が眼について初めて進行した認知症であると周囲が気づく。大抵近くにいる家族は何となく「物忘れがひどくなってきたな・・・」と感じているものの受診するときには本人のみが来るので相談の機会を逸している。

ひどいときには一緒に住んでいる家族でも気づいていない時があり、こちらがその事を説明して理解してもらえることがある。

また認知症が進行していると知っていて受診させず本人をしかるだけの老夫婦(特に妻が認知症で夫が介護者のパターンに多い)もいて、一種の高齢者虐待のこともある。

高齢化の波が日本に押し寄せているが、いかに認知機能を保持しつつ心配のない楽しい老後を送るかということが目標だと思う。

これまで頑張って働いてきた高齢者を粗末に扱わない、やさしい社会を期待している。

家庭の事情と小児の受診時間

2007-10-14 20:08:38 | Weblog
具合の悪くなった小児の受診時間は様々である。特に時間外の受診については実際親に色々聞いてみたい衝動に駆られるときがある。

①心配性な親であれば、夜中であっても熱が上がると数時間のうちに外来へ駆けつけてくる。ただ超急性期には熱の原因は診断が難しい時が多く、風邪薬を処方して翌日の受診もお願いする。すると翌日も親がきちんと指定された時間通りに外来に来てくれるのでありがたい。

②日中外で仕事をしている母親であれば夕方から夜に受診することが多く、診察後にフォローの目的で翌日の受診もお願いすると大抵祖母が小児を連れてくるか、夕方の仕事帰りに受診することが多い。

③それ以外・・・朝から子供の具合が悪いことを分かっていながら、日中は自分の用事(買い物、お祭りなどの外出)に時間を費やし、残る家族の夕ご飯まで作った後にようやく病院を受診するパターン。このような親は勿論多くはない。しかし自分の事情で具合の悪い子供の受診が遅れているという現実に対し、どのように感じているのか理解できない。仕事をしていてどうしても手が離せなかったという母親なら理由は良く分かるから仕方がないねと思って診察できるのだが・・・。
 被害者の子供に非はないのは確かな事だ。

そういえば③のパターンで以前悲惨な結末を迎えた子を見たことがある。その子は朝からぐったりして嘔吐を繰り返し、熱が出ていた。水分も摂れない位であったが、その日は日曜日で母親は具合の悪いその子を連れ他の兄弟達と遊びに連れ出したのだという。夕方に外来を受診する頃には意識はⅢ桁となっていた。

その子は化膿性髄膜炎と敗血症で残念な結末であった。

具合が悪いからといって、すぐに受診できない事があるのは良く分かっている。だから「どうしてこんなに悪くなるまで放っといたんだ」なんて叱ったことはない。それは大体自分の腹を痛めて生んだ親なら良く噛み締めて外来を受診しているはずだから。

でも稀に「どうして今まで放っておいてこんな時間外に受診したの?」と質問したくなる親に出くわすが、直接質問したことはない。

癌の痛み-モルヒネへの誤解

2007-10-11 20:06:58 | Weblog
進行癌の痛みには色んな要素が絡んでくる。

それは大学の授業でも聞いた。「心理的な要因も絡んでいて、病状への不安や痛みへの不安、死に対する漠然とした不安」などがあるとレクチャーされたと思う。

実際の臨床に出てみると確かに色々な要因があるが、特に家族・社会的な要因が結構あるもんだと実感する。死に対して不安感を抱いているような症例はあまり多くない気がする。むしろ残される家族のことや遠い場所に住む子供らのことが気にかかっている人が多い。

あと面会の多い患者さんでは、痛みの訴えは強くない印象がある。これは我慢しているという意味ではないと思う。逆に日中殆ど1人で自宅内で過ごしている人ほど痛みの訴えが頻回となり、使用するオピオイド系鎮痛剤の使用量が増えているようだ。

これらをみると人間はつくづく社会的な生き物だなと関心させられる。社会と何らかの接点があるかどうかで痛みの出方も変わってくるのだ。

そういえば義理の祖母が亡くなる前に病院に入院した。進行癌で胸腹水も貯留しており、高齢でもあり当然延命行為をせず痛みのみのコントロールをすべき状態であった。しかし周囲の家族は麻薬への誤解が根強く驚かされた。
 「麻薬を使ったら、意識が無くなって早く死んでしまう」
 「麻薬を使ったら、どんどん効かなくなって、痛みが悪化してしまう」
 「麻薬を使ったら、骨が解けてしまい火葬場で骨が拾えなくなってしまう」

・・・「あーまだまだ日本はこんなもんなんだな。痛みは我慢しなきゃならない文化が根強くあり、死ぬ手前まで苦しむ文化なんだな」・・・と残念に思う反面、祖母の痛みをとってあげるためには、自分が意見するしかないと心に誓った。
 主治医にモルヒネ使用を十分量してもらえるようにお願いをし、周囲の家族に麻薬の誤解を解いてもらえるように説明を口頭と文章で行った。その日から亡くなるまでの2週間はしっかりモルヒネが効いていたようだった。

モルヒネをしっかり使用した後のお骨を家族はきちんと拾えただろうか?
例え本当にモルヒネを使用して骨が解けてしまい火葬場でお骨が拾いにくくなったとしても、やはりしっかりモルヒネは使用しなければならない。

死後のお骨を心配して、亡くなる直前まで痛みに悶え苦しむことが人生の最後であってはならない。

患者さんの意見を受容すること

2007-10-10 21:26:21 | Weblog
外来にはいろんな患者さんがくる。

特に高齢者は自分の意見を持っている方が多く、それを聞くかどうかが我々に課せられた使命である。

明らかに○○病でこの薬や治療が必要だろうと思われる時でも、一旦説明した後に患者さんや家族に同意を求める。この時「なんか受けが悪いな・・」と思う時がある。多くが説明の意味を理解出来ていないときで、その時にはもう少し分かりやすい表現で言い直せば理解してもらえることが多い。しかしそうでなく、「えーそうなの?私はこう思ってきたんだけど・・」と顔に表れているときがある。そういうときにはズバリどう思って、何をしてもらいたくて受診したのかを聞くことにしている。すると意見をきちんと言ってもらえることが多い。

そのような意見のなかで我々で出来ることと、出来ないことがあるのでその時には説明して「残念ながら出来ません」と伝え代わりの手段を選択してもらうことにしている。もしどうしてもそれをという方には、理解可能な範囲であれば他の病院を紹介している。

でもどうしようもない要求をしてくることがある。

・ご飯が美味しくなる点滴注射をしてくれ
・足の指が痛いから切って落としてくれ
・すぐ風邪がなおる点滴をしてくれ
・下痢を止める注射をしてくれ

期待されるのは分かるが、やっぱりできないものはできない。
一旦受け止めることは可能だが、そこまでだ。

高齢者の言うところの”風邪”

2007-10-07 20:01:16 | Weblog
風邪は万病の元とはよく言ったもの。

80代女性が外来を受診した。「風邪をひいた」とのことであった。
インタビューをしていると聴診していないのにどうやらヒューヒュー音がする。

「横になると苦しい」
のだという。さらに酸素の数字も悪い。

頻度で考えて心不全の増悪か喘息性気管支炎であろうと思われたが、理学所見では心不全を支持するものはない。レントゲンをとった所肺炎や肺うっ血の所見はなかった。結局喘息性気管支炎で入院となった。

高齢者のいう所の風邪にはさまざまなものが含まれる。時に命に関わるような心臓疾患や肺疾患などである。確かに患者さんの最初の訴えや初期症状は風邪であったかもしれないが、それが風邪に留まらないケースが多いのだろう。

風邪は万病の元とはよく言ったものだ。

下痢止め、解熱剤は乳幼児に必要か?

2007-10-06 17:35:57 | Weblog
外来にはよく熱や下痢を主訴に乳幼児を連れた母親が来る。

インタビューの後理学所見をとり、診断と治療、生活上の注意点などを話して診察を終えようとすると「熱さましは貰えますか?」「下痢止めはありますか?」とくる。

親は特に1人目の子供であれば心配が多く、幾ら「全身状態が良いしきちんとミルクも飲めているから必要ではありませんよ。」と説明しても欲しがることがある。

そういえば外来で、ある父親が子供の下痢があまりにも頻回なので

「肛門に蓋をしてください」

といっていた。気持ちは分からないでもないが、蓋をしても眼の前に出てこないから見なくて済むだけで実際は下痢便は出ている。それでは意味が無いし、お腹が張ってきてもし細菌感染だったら危険な行為である。

”親の心医者しらず”とならないようにしたいが、親の心配に答えるのは子供に害を与えない範疇ですべきだ。


ある抗生剤使用の一例

2007-10-05 19:40:11 | Weblog
間違った知識が広まったあとで正しい知識を再教育するのは難しい。

ある医学雑誌を読んでいて感じたこと。
「50代の男性が40度の発熱と頻脈、腰痛を主訴に救急車で受診。」
とここまでは良かった。しかし
「発症8時間後のデータでWBC10000、CRP1.0。何らかの細菌感染症を考えてABPC/SBT 3.0g/日で治療を開始した。」

・・・?

「その6時間後には血圧の低下があり敗血症性ショックと診断しMEPM1.0g/日へ変更した所解熱した。・・・腎盂腎炎であった。」

・・・??

うーん悩ましかな!
最初に何らかの細菌感染を考えたのはいいが、なぜペニシリンを使用しようとおもったのだろうか?しかも1日2回投与という薬理学的知識のなさを暴露する投与法である。

さらに追い討ちをかける様に、重症化してしまったその時でさえカルバペネムのMEPMを1日2回投与するという使い方をしてしまっている。

突っ込みどころが多いのだが、やはり抗生剤は種類を問わず「1日2回投与法」が日本の医者の常識なのだろう。勿論ニューキノロンやアミノグリコシドも2回もしくは丁寧に3回に分けて投与するということを殆どの医者が先輩方から学ぶし、多くの教科書にも同じような投与法が記されている。

幸いにもこの症例は救命できたが運が良かった一例として報告すべきである。

「誤まった抗生剤の使用方法でも救命できた一症例」

とでもタートルをつけようか?

慢性中耳炎?

2007-10-03 20:41:43 | Weblog
耳垂れが出ていれば中耳炎

通常子供で耳漏が出ていれば母親は病院にそれなりに(1、2日以内位で)受診することが多い。しかしある母親は1歳児の耳漏を発症してから1ヵ月後に初診で受診した。他に病院には行っていないという。本当は他院に行っていたんじゃないかと疑ったが、やはり行っていないという。

耳漏が出たり出なくなったりで、熱はなく元気だったからとの理由。耳を見てみれば確かに鼓膜直前に耳漏が存在し、鼓膜には穴が開いている。

さあこれを慢性中耳炎というのだろうか?慢性中耳炎というには
・鼓膜に常に穴が開いていること
・耳漏が出たり改善したりして通常発熱はない
・これらが慢性に経過していること

なのだと。

慢性中耳炎は鼓膜~中耳機能を廃絶に追い込む可能性がある。しかもこれから言葉をどんどん吸収し、発語が増えて社会を体験する未来ある子供に今その問題が起こっているのである。子供の耳の機能が低下しては非常に困るのだ。

次の問題は1ヶ月を慢性というかどうか?一般に医学の常識として慢性とは6ヶ月以上経過したものをいうと医学部の講義で聞いた覚えがある。だからここでは慢性中耳炎というよりも、急性中耳炎が未治療で長引いていると考えることにした。

抗生剤と点耳液を処方し帰宅とした。
数日後あの母親はきちんと受診してくれるだろうか??

「将来耳が聞こえなくなるし言葉も不自由するかもしれないよ」と脅して?話したほうが良かったのだろうか??

抜爪

2007-10-01 20:51:16 | Weblog
最近やけに抜爪処置をしている気がする・・・

陥入爪、簡単に言えば巻き爪がひどくなったヤツ。見た目は痛そうである。特に両足の親指がやられやすい。体重がよくかかりやすいことと爪が大きくて太いためなのか?

処置自体は伝達麻酔(Oberst法)で指の付け根をブロックすれば痛みを感じることなく処置できる。この麻酔法はなんと100年以上も前から知られている。痛みとの闘いはずっと昔からあったし、100年たっても変わらない位いいものなのだろう。

陥入爪の爪の特徴としては
 ・白癬に感染している爪が起こりやすい。
 ・爪を隅っこまで丁寧に切りそろえようとする人に起こりやすい。

である。特に2つ目はほぼ全例に言えることである。几帳面に切りそろえようとする人ほど陥りやすいといえる。ただ生活指導をしてもどうしても陥入爪から抜け出せない人もいて、そういう人の言い訳は「気になってどうしても切ってしまう」のだという。

こう人達に必要なのは爪切りよりも、認知行動療法なのだろうか?

なんでも言えることだが、「適当なことが良いこと」である。