色々な症状・問題点を抱えた患者さんをどうサポートしていくか?
この言葉は入院中の50代の糖尿病もちの男性患者さんが発した言葉である。
彼は自己インスリン注射をしていた。1人暮らしで勿論食事は出来合いのパンやお弁当がメイン。時々往診に行ってそっと冷蔵庫をのぞくと、しょうゆが少し入った容器が見えるくらいで、腐りかかったものが鍋にこびりついて流しに置いてあったりした。以前はインスリン注射を打つのが不規則で、高血糖と低血糖を繰り返して外来を受診していた。
その彼は糖尿だけでなく、狭心症(三枝病変)、高脂血症、高血圧とあらゆる生活習慣病を持っていた。さらに慢性の頚部痛や肩関節の痛み、足の痛み、胸痛などで悩まされていた。因みに家族からの見放されていた。
彼は様々な病院に受診をしては「もう来なくていい」と言われ、とうとうこちらに辿りついた。入院中に勝手に外出し飲酒が見つかって強制退院になったこともあったが最近は比較的生活がまともになってきて、インスリンもきっちり打てコントロールも比較的よくなっていた。
ただどうしてもずっと自宅で生活していると不安が出てくるようで時々入院することがあった。今回もそんな経過の入院であった。
その彼が発した言葉である。
私は初めショックであった。我々の接遇がまずかったのか?なにか説明の言葉が足りなかったか?と考えたが彼のこれまでの経緯を考えれば良く分かる言葉であった。
確かに彼の抱える問題点は多く、そういいたくなる気持ちは分かる。しかしそれでは解決しない。1つ1つ症状を上げ、確かに良くなっていないところもあるが、以前と比べれば良くなっていることもあるじゃないかと彼に話した。彼もそう言われて納得してもらえたようで、再び入院生活を続けることになった。
我々の仕事は単に病気を治すことではない。その人の生活や社会性も踏まえなければ、このような患者さんに対し、「なんだこの患者は、もう来なくていい」ということを言ってしまう傾向がある。
逆に「色々な症状があって全て上手く医学的に治療が出来ないのだから、話でも聞いて気分だけでも楽になってもらおうか・・」と思うことも最近多くなった。それは医者としてではなく、1人の人間としてである。勿論医学的に出来ることはするがどうしようもないことは多く存在し、それに多くの患者さんが頭を抱えている。もしかしたらそこに病気の根もあるのかもしれない。
この言葉は入院中の50代の糖尿病もちの男性患者さんが発した言葉である。
彼は自己インスリン注射をしていた。1人暮らしで勿論食事は出来合いのパンやお弁当がメイン。時々往診に行ってそっと冷蔵庫をのぞくと、しょうゆが少し入った容器が見えるくらいで、腐りかかったものが鍋にこびりついて流しに置いてあったりした。以前はインスリン注射を打つのが不規則で、高血糖と低血糖を繰り返して外来を受診していた。
その彼は糖尿だけでなく、狭心症(三枝病変)、高脂血症、高血圧とあらゆる生活習慣病を持っていた。さらに慢性の頚部痛や肩関節の痛み、足の痛み、胸痛などで悩まされていた。因みに家族からの見放されていた。
彼は様々な病院に受診をしては「もう来なくていい」と言われ、とうとうこちらに辿りついた。入院中に勝手に外出し飲酒が見つかって強制退院になったこともあったが最近は比較的生活がまともになってきて、インスリンもきっちり打てコントロールも比較的よくなっていた。
ただどうしてもずっと自宅で生活していると不安が出てくるようで時々入院することがあった。今回もそんな経過の入院であった。
その彼が発した言葉である。
私は初めショックであった。我々の接遇がまずかったのか?なにか説明の言葉が足りなかったか?と考えたが彼のこれまでの経緯を考えれば良く分かる言葉であった。
確かに彼の抱える問題点は多く、そういいたくなる気持ちは分かる。しかしそれでは解決しない。1つ1つ症状を上げ、確かに良くなっていないところもあるが、以前と比べれば良くなっていることもあるじゃないかと彼に話した。彼もそう言われて納得してもらえたようで、再び入院生活を続けることになった。
我々の仕事は単に病気を治すことではない。その人の生活や社会性も踏まえなければ、このような患者さんに対し、「なんだこの患者は、もう来なくていい」ということを言ってしまう傾向がある。
逆に「色々な症状があって全て上手く医学的に治療が出来ないのだから、話でも聞いて気分だけでも楽になってもらおうか・・」と思うことも最近多くなった。それは医者としてではなく、1人の人間としてである。勿論医学的に出来ることはするがどうしようもないことは多く存在し、それに多くの患者さんが頭を抱えている。もしかしたらそこに病気の根もあるのかもしれない。