ジョン・W・キャンベル・ジュニアは、苦悩していた。
1956年。トーマス・G・ヒエロニムスは、キャンベルが編集長を務める雑誌に特許広告掲載を許可したのだ。
「さあ。感じるかね?指先に」
ヒエロニムスが尋ねる。やがてキャンベルは大きく目を見開いた。
センサープレートにサンプルを置き、チューニングダイアルを調節、やがて指先にえも言われぬ粘着感を覚えたのだ。
こいつは本物だ。
物質の波動を受信、増幅して指先で感知する装置を前にキャンベルは震えた。
ヒエロニムスは、この装置を使って500キロ彼方のサクラの木にたかった毛虫を一匹残らず駆除したという。毛虫のサンプルと、木の写真、そしてヒエロニムスマシンを用いて。この原理を実際に農業に応用したユカコという会社すら存在したのだ。
この装置が人類にとっていかに危険な存在であるか、キャンベルには痛いほどわかった。
自らもSF作家であり、SF誌の編集長として、通俗的な御伽噺を絶やし、科学的プロットを重視する潮流を生み出したキャンベルである。
大戦当時、原子爆弾製法が克明に書かれた小説を企画し、オフィスをFBIに急襲されたことさえあった。
この装置は、人類にとって数世紀早すぎる。キャンベルはそう確信した。
この装置に至るまでに、目に見える形の、科学的な進歩が人類には必要なのだ。
では、現実に目の前に存在し、すでにアメリカで特許番号2482773を取得した、この装置を抹殺する方法があるだろうか?
「この装置を置いていきましょう。試せば試すほど、この装置の驚異的なパワーを確信するはずです。では」
ヒエロニムスがオフィスを立ち去った後、デスクに鎮座する装置を見つめ続けていたキャンベルは、最終的に決断した。
これからの人生は疑似科学を喧伝し、逆にこの装置を疑似科学として葬ることに費やそうと。
キャンベルは記者用のカメラでヒエロニムスマシンを撮影し、すぐに現像へと回した。
写真が仕上がると、ハサミでジョキジョキとマシンを切り抜いた。
そしてセンサープレートに写真を置き、チューニングダイアルを摘んだ。
毛虫のように、ヒエロニムスマシンの実体を消し去るように念じて。
マシンが実体を失えば、このマシンは限りなく胡散臭くなるはずなのだから。
再び指先にあの粘着感がよみがえった。
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すごいですね。そんな昔に、こんな発明が…。
ビックリしました。
実際のキャンベルは疑似科学にハマってたようで、かつて育てたSF作家たちから敬遠され、さびしい晩年だったらしいです。
ちなみに日本でもこの装置を信じて販売している方が今でもいらっしゃるそうです。ちなみに現代版ヒエロニムスマシン通販のお値段、68万2500円!!
本当にあった話が基なんですね。
まだまだ知らないことばかりです。
でも私はリンクされてるwikiで見た疑似科学に
興味を持っていかれましたぁ~。
毛虫が落ちるんなら毛が生えるってことも・・・
ナイナイ!
案外、そういうことを密かに現代でもやってるかもしれませんね。
ま、ボクがすぐに思いつくことといったら
・・・やっぱシモネタだからやめます。
リンク貼っておいた甲斐がありました。
なかなか興味深かったので、ついリンクを貼ってみました。
疑似科学なんて鼻毛の先ほども信じていないんですけど、興味は尽きません。
『水伝』の世界もなかなかです。御存知ですか?
キャンベルの子供は、そっちの世界にのめり込んでいるらしいですし、日本でもネットで装置を販売している団体もいるようです。
まあ、TVでも堂々とスピリチュアルなお話をしたり、パワースポットなんてのがあるみたいに言ったりしてるんですから・・・
水伝ですね。調べました。
波動がどうちゃらこうちゃらっていうのを前に読んだことが
ありますが、それと同じかな?
人間っておもしろいですね。
不可思議なものほど惹きつけられる。
それがファンタジーだったりサイコだったり。
これも一種のトレード・オフの法則ですかね。
それです、それです。
実際に水伝をもとに道徳教育をやっていた中学校を知っています。
実際にある市の水道局で、職員たちが水に感謝の言葉を話しかけさせられていたそうだし。
日本有数のたまごボーロの菓子を作ってる会社では、工場で子どもたちの感謝の言葉を流してるとか。
神秘的なもの、迷信的なものをもちこんではいけない場を解する理性って必要だよなあ。
というわけで、昔書いた『水伝談義』を再掲しときます。