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『にじ』を考える

2011年04月05日 | ショートショート

『にじ』(新沢としひこ作詞・中川ひろたか作曲)

庭のシャベルが一日濡れて 雨があがってクシャミをひとつ
雲が流れて光が差して 見上げてみれば ラララ
虹が虹が空にかかって 君の君の気分も晴れて
きっと明日はいい天気 きっと明日はいい天気

洗濯物が一日濡れて 風に吹かれてクシャミをひとつ
雲が流れて光が差して 見上げてみれば ラララ
虹が虹が空にかかって 君の君の気分も晴れて
きっと明日はいい天気 きっと明日はいい天気

あの子の遠足一日延びて 涙乾いてクシャミをひとつ
雲が流れて光が差して 見上げてみれば ラララ
虹が虹が空にかかって 君の君の気分も晴れて
きっと明日はいい天気 きっと明日はいい天気
虹が虹が空にかかって 君の君の気分も晴れて
きっと明日はいい天気 きっと明日はいい天気


やれやれ今日も遅くなってしまいました。娘の寝顔を見てからダイニングへ。
キッチンでは妻が歌いながら煮物を温め直しています。
「なんだか嬉しそうだなぁ」
「あの子、最近、保育園で教わった歌。お風呂でもずっと歌いっぱなし。私もなんかハマっちゃって」
妻がグラスにビールを注いでくれました。
「こりゃ耳にタコができるくらい聞かされるな」
「この『にじ』って歌、東日本大震災のネットチャリティに出演した、つるの剛士さんもカバーしてるのよ」
妻が巻き寿司のお皿を置きました。ボクの好物の穴子入り巻き寿司です。
「歌っていると嬉しくなったり切なくなったり。泣けちゃうのよね。なんでだろう」
「どんな歌詞?」
妻がネットからプリントアウトした歌詞を見せてくれました。
「ほとんど繰り返しなんだ」
「そう。雨が一日ザァザァ降って、シャベルが濡れたり洗濯物が濡れたり遠足が一日延びたり。それ以外の歌詞全部、空が晴れて虹が出て気持ちも晴れた、明日もいい天気の繰り返し。なんで心が洗われちゃうのかな。メロディかな」
「メロディ?」
「ラララの後の、のびのびした曲調が、大きな虹が空いっぱいに広がる感じだから。うん、きっとそう」
確かに、いい曲です。幼い子どもが明るく歌えば心晴れやかになるし、大人がしっとり歌えば涙腺が緩んでくるし。
でも、この歌詞、シンプルにして実はスゴイんじゃないでしょうか。
ボクは妻に、ビール片手に『にじ』の考察を語りました。

まず、「て」という接続の繰り返し。
庭のシャベルが一日濡れて→雨があがって→(クシャミをひとつ)→雲が流れて→光が差して→(見上げてみれば→)
虹が虹が空にかかって→君の君の気分も晴れて→きっと明日はいい天気きっと明日はいい天気
部分部分が順送りになっていることがわかる。言い換えれば、
一日中濡れる、雨があがる、クシャミをする、雲が流れる、光が差す、見上げてみる、虹が空にかかっている、気分も晴れる、明日はきっといい天気だと思う
以上がよどみなく順番に起きていることがわかる。さらに心にたとえるなら、辛くて切なくて泣く、泣きやむ、泣いていた自分を意識する、心の暗闇が消える、光を感じる、前向きな気持ちになる、希望が広がる、再び歩みだそうと思う
そんな挫折から再生までの心のありさまとも解釈できる。
この歌の魅力は、虹をシンプルに歌っていながら、誰しもが経験したはずの挫折と再生のドラマを無意識にシンクロさせてしまうところではないか。

次に、シャベルと洗濯物。
一日中雨に濡れ続けたシャベルは、合成樹脂の小さな赤いシャベルか。庭に転がり水滴をまとっている。ただ単に忘れただけ?ケンカして投げ捨てた?大急ぎの用事でも起きた?
一日中濡れたままの洗濯物は、庭の物干しの白いシャツか。なぜ取り込まれなかったのか?親が不在?多忙?洗濯物どころでないことが家で起きたのか?
忘れられて一日中ずっと寂しい思いをしたシャベルと洗濯物ということ以外は憶測の域を出ない。大切にしていた何かを置いてけぼりにしてしまった経験を重ねて切なく感じる人もいるだろう。大切にしていたオモチャ・・・大切にしていた人・・・大切にしていた思い・・・

あの子の遠足一日延びて。
遠足が一日延びたくらい、たいした悲しいできごとではないとも言える。それは大人の視点であって、子どもの頃は心底悲しいし辛いのだ。遠足の前日の興奮を思い出せばわかる。リュックの菓子を何度も出し入れしたり、フトンに入っても眠れなかったり。人には人それぞれの喜びがあり悲しみがあり、その深浅を測る定規などない。

クシャミをひとつ。
身もフタもない言い方をすれば、シャベルも洗濯物もクシャミはしない。でも、クシャミをした、あるいはクシャミをしたと感じるのはなぜか?
「クシュン」
泣きやんで心が空っぽになったとき、ふと自分自身がクシャミをした音に耳を澄ましてしまう。そのときに初めて今までずっと泣き続けていた自分、泣きやんだ自分に気がつく。そんな心の動きを感じさせるクシャミだろうか。
ただし、クシャミをしたと感じているのは観察者である。雫をまとうシャベルや風に揺れる洗濯物にも、泣きやんだあの子のクシャミと同じように、そこに心の機微を感じとって愛おしい眼差しを送っているのだ。

視点人物。
「君の」「あの子の」という表現から視点人物の存在がわかる。親?保育士?単なる観察者?とにかく視点人物が「君を励ましたい存在」であることは確かだ。「さあ、見上げてごらん。前向きになってごらん。そうすれば心に希望が広がるから。きっと未来が開けるから」そう言って肩に手を添えているのだ。「あの子」に代表される子どもたち、挫折していた人たちに。
虹が存在していることを伝えたい衝動というのがある。空に見事な虹が架かっているのを見つけたとき、知らない人にも伝えたくなるあの気持ち。
「ラララ虹が虹が空に架かって」と歌うとき、まさに心に大きな虹が架かって、あの虹を共有したいという思いが満たされるのかもしれない。
『虹』という歌に、希望だの勇気だの頑張れだのいう言葉はない。
雨降りから虹を見上げたときの感動や衝動までがとびきりの言葉で描かれている。
だからこそ、言葉から本物の虹や本物の希望を受けとることができるのだ。

ボクが『にじ』の考察を話し終えると、妻が巻き寿司のお皿を指さします。
ア・・・
『にじ』を細かく分析しながら、ボクは無意識のうちに巻き寿司を全部分解しちゃっていました。お皿に海苔と酢飯のベルトをべろんと横に広げ、穴子やらカンピョウやらホウレンソウやらタマゴやらが小分けに。
「ネ?そうやって食べて美味しい?」
妻がイタズラっぽく見つめます。きまっています!美味しいものは美味しいのです!
「食べるときにはこうするだけさ」
ボクは具を箸でベルトに載せ、手巻きして巻き寿司を復元、口に放り込んでモグモグモグ。最高です。
「やっぱりいいものはいい?」
「もちろん!とりわけ、新沢さんがソロコンサートでアカペラを挟んで歌うバージョンが最高だよ」
妻が吹いちゃいました。




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7 コメント

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もしもヤビシトラビシが巻き寿司を食べたら (ヴァッキーノ)
2011-04-06 09:35:48
またまたケータイからで、どういう曲なのか想像するしかないんですけど
ボクは自分自身がけっこう充実しているためか
あるいはのんきなせいか
あんまり生きてることがツライって感じないんです。
どんなに悲しい場面でも、薄らハゲのオッサンが正座しすぎて、足を痺れさせてたりすると
笑っちゃうんです。
そういう人間なので、励まされたりしたら照れます。
歌で元気になるとか癒されるって人がいますが、音楽はもっと過激に聴いてもらいたいし、作る方も反抗的で激烈なものを作ってもらいたいですね。
癒すって文字はとても複雑な形じゃないですか。つまり、癒しってのは本来、そんなに手軽に手に入るもんじゃないんですよね。
芸術家はぽやんぽやんしてないで、傷口に塩を塗るようなものを作るべきだと、その辺でうたい泣きしてる、ミュージシャンに言いたいです。
うそなう
考察 (tatsu)
2011-04-06 23:16:32
歌の考察はともかくとして
ホノボノとした矢菱家の団欒が暖かくて
”ほっ”としますね。
ヴァッキーノさんへ (矢菱虎犇)
2011-04-06 23:48:32
懷かしの歌謡曲もじりが続かない!(汗)

コメントの最後の「うそなう」に思わず、
「うそなうってうそなう!」ってツッコミ入れてしまいました。
だってその前の部分、ヴァッキーノさんらしさ100%ですもん。そういうごまかしのないところがいいんだよなぁ、リアルで。
ボクは身近な人が亡くなって日常を過ごしているとつい、『ハードロッカーはエレキギターを叩き壊す』を思い出すんですよ。
tatsuさんへ (矢菱虎犇)
2011-04-06 23:53:56
ヴァッキーノさんとtatsuさんのコメントが並んでいると懐かしさがこみあげてきますねぇ!
コメント、ありがとうございます。
さっき湯船に浸かって、
「tatsuさん、元気にしてるかなぁ」なんて思ってたんです。
テレパスィーですかねぇ。
すっかりご無沙汰してスミマセン。だいぶ以前のリズムになってきたのでそのうちにお伺いさせてくださいませませ。
なるほど (ちろりん)
2013-03-20 12:29:46
はじめまして。
まさしく昨日娘の卒園式で、以前から泣けて仕方のない「虹」に、さらに泣かされてしまい、この単純な歌詞に、なぜこんなに心が揺さぶられるのか、ネットをさまよっていたところ、こちらにたどりつきました。
 
すっきりです。
素晴らしい考察です。
自分の中にある、挫折から立ち直りまでのプロセスの記憶が重なりあう、まさしくそれなんだと思いました。
すっきりして、うれしくなり古い記事なのにコメントさせていただきました。
ありがとうございました。
ちろりんさんへ (矢菱虎犇)
2013-03-21 00:29:06
娘さんのご卒園、おめでとうございます。
そして、私の拙い考察を熟読いただきまして、まことにありがとうございます。
ボクは、新沢さんのコンサートが地元に来るたびに行くんですけど、やっぱり『虹』がないと、さびしいです。
ちなみにボクが好きな新沢さんの歌は、『虹』のほか、
キャベツになりたい
おまじない
みちくさ
などなど。歌詞、泣けてきます。
お遊戯会で (あやしか)
2013-12-08 00:21:03
子供が手話ソングを披露していて、すっかり自分も口ずさむようになりました。
すばらしい考察をありがとうございます。

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