遠隔輸送機

2012年11月12日 | ショートショート



気がつくと、窓のない白い部屋でベッドに寝かされていた。
覚醒を感知したのか、ベッドがゆっくりと起き上がり上半身を起こす。
自動ドアがせりあがり、エンジニアたちが入ってきた。
おや?パーフィット博士も。どうしてここに?
「博士・・・まさかあなたも火星に?」
博士の顔が曇る。何か、問題でもあったんだろうか?
博士がやっと重い口を開いた。
「ここは、地球なんだ」
地球?〈私〉は火星に移動したはずでは?
「遠隔輸送機が故障したんですか?火星には行けなかったと?」
「確かに故障した。だが、火星に行けなかったわけではなく」
壁のモニタに画像が映し出される。
この部屋とよく似た部屋の映像。ただし、背後の窓に赤い砂漠が広がっている。向こうは火星だ。
そして、向こうの〈私〉が笑いながら手を振っている!
「どういうことです?」
博士が説明した。
遠隔輸送機は、地球と火星の間で人間を輸送する装置だ。
地球の人間をスキャナーにかけて分子単位で解析し、その情報を光速で火星に送る。
火星では、その情報をもとに寸分違わぬ人間が再構成される。
同時に、地球上の人間は分子単位に分解される。
かくして遠隔輸送機による輸送が完成するわけだ。
分解されてできた『分子のスープ』は貯蔵され、次の転送の際に材料として使われる。
「・・・つまり、なんらかの不具合によって、分解だけできなかったわけなんだ」
博士は説明をしめくくった。
「じゃあ火星のコピーを分解して、もう一度遠隔輸送してください。オリジナルは〈私〉なんだから」
〈私〉の言葉に博士がため息をついた。
「あなたの理屈ではね。しかし、遠隔輸送機は輸送する装置なんだ。今や輸送先が本物ということになる」
「そんな・・・」
「本来、分解されたあなたは『分子のスープ』になってるはずなんだ。ここはあきらめてスープに・・・」
「イヤだ!本物は〈私〉だ。〈私〉が〈私〉なんだ!」
博士が悲しげな表情をした。
「分解をのがれる方法がひとつだけ、なくもないんだが」
博士がポケットから赤い玉を取り出した。まるでピエロの鼻。
「これはコピーの証みたいなもので一生はずせない。コピー人間として生きていくなら分解されずに済む・・・」
博士が〈私〉のてのひらに赤玉をのせた。
『分子のスープ』になる?それとも『コピー人間』になる?
〈私〉は赤玉をじっと見つめる。



(最後まで読んでいただいてありがとうございます。バナーをクリックしていただくと虎犇が喜びます) 


映画『アナザー・プラネット』

2012年11月12日 | 映画の感想



監督、撮影、編集 マイク・ケイヒル
脚本: マイク・ケイヒル、ブリット・マーリング
ブリット・マーリング ローダ
ウィリアム・メイポーザー ジョン
ロビン・ロード・テイラー
マシュー=リー・アルルバフ

2011年サンダンス映画祭審査員特別賞、アルフレッド・P・スローン賞のダブル受賞を果たした『アナザー・プラネット』。ごく控えめながらも非常に美しいVFX映像と、登場人物たちのアンビバレンツな揺れ動く心情を見事に描いた、低予算SF映画のお手本とも言うべき秀作である。
若干17歳でMIT(マサチューセッツ工科大学:全米屈指の名門)に合格したローダ(ブリット・マーリング)は、パーティ帰りに車で帰路へ。しかし不思議な惑星を夜空に見つけた彼女はそれに気を取られ、ある家族が乗る車に衝突、妊娠していた妻と幼い息子を死なせてしまう。それから4年後、交通刑務所を出所したローダは謝罪のため、生き残った夫ジョン(ウィリアム・メイポーザー)を訪ねる。しかし告白する勇気がなく身元を偽ってしまった彼女は、思いがけずジョンと惹かれうことに。真実を語ることが出来ず罪悪感に苛まれるローダだったが、あの夜に見た惑星が“もうひとつの地球”だったことを知り、ある行動を起こす……。

★★★★★
いや~この映画、半分くらいまで見たところで、大傑作の予感。おいおい、チープな終わり方だけはごめんだぜ!って気分で観てしまうくらい、肩入れしてしまった。全然マークしてなかっただけに、感激が大きい!もうひとつの地球が地球に近づいてくるという、惑星メランコリア的な映画なんだけど、あっちはあっちでイメージアートとしては傑作だったし憂鬱爆弾炸裂の衝撃作だったんだけど、ドラマとしてはやはりこっちだなあ。メロドラマっちゅう見方をすればそうなんだけど、とにかく作品のもつ雰囲気が琴線に触れた。SF映画なんだけど、SF部分は背景であって、ドラマを中心に展開するのもいいし、そのSF設定が、『ゆるし』という作品テーマに見事に絡んでくるラストの展開も秀逸。SFなのにきっと超低予算、でもそんなことまったく気にならない。そこが抑制が効いているってところになって作品自体を高めている。
もうひとつの地球が存在して、向こうにも自分が存在するらしいことがわかっている。そういう設定で作品を作ったら、十中八九シリアスぶってもコミカルなお話になると思う。ところが、この設定のうえで、描かれているのは、ひとりのインテリ女性の逃避や贖罪のドラマなのだ。もうひとつの地球があったら?もうひとりの自分がいたら?その自分が今の自分と同じ過ちを犯しているのか?そんな自分を許すことができるのか?こういう深刻なテーマと、SF設定がこんなに見事に融合できるなんて!
なんといっても、もうひとつの地球を知る前はふたつの地球はまったく同一であり、互いを知った瞬間から別々の存在となり、運命も変化しはじめるっていう発想がユニーク。交通事故なんてほんの一瞬の判断ミスで起きるもの。だからこそ、あの晩に何らかの違いが生まれてもおかしくないわけだ。そしてその後の人生が大きく変わったとしても。そしてこの映画がいいのは、ラストシーンの出色の出来。語りすぎず、抑制の効いた、この映画に相応しいエンディングにこっちまで心が救われた気持ちになる。いい終わり方だなあ。
いや~、この映画は今は有名じゃないけど、絶対にカルトになる。そして十年後、二十年後にも、この映画を「ラスト・コンサート」や「ある日どこかで」みたいに、心の中の宝物映画にしてしまう人がいる、そういうタイプの映画。必見の傑作!主演女優のブリッド・マーリングは役者としても脚本家としても今後、注目に値する。


にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへにほんブログ村 


映画『9日目~ヒトラーに捧げる祈り~』

2012年11月12日 | 映画の感想



監督 フォルカー・シュレンドルフ
原作 ジャン・ベルナール
ウルリッヒ・マテス
アウグスト・ディール
ヒルマール・ターテ
ビビアナ・ベグロー

1942年、ダッハウ収容所。ナチスに抵抗するカトリックの聖職者たちが集められた強制収容所で、神父のクレーマーもいつ殺されるとも知れない地獄の日々を過ごしていた。そんな時、突然彼に故郷ルクセンブルグへの帰国が許される。逃げるように帰郷するクレーマーだったが、実際に彼に認められていたのは、釈放ではなく九日間の一時帰国だった。そして面談したナチスの青年将校から下された命令は、ナチスへの協力を拒み続ける大司教を説得することだった。大司教の協力をとりつけ、バチカンをもナチスの言いなりにしていくのが狙いだったのだ。クレーマー自身、ナチスに反対しレジスタンスに加わったこともある人間なのに、である。もし説得に失敗すれば、9日後にはダッハウに戻らなければならないのはもちろん、ダッハウの聖職者仲間たちは皆殺しにされ、クレーマーの家族たちも今までのように暮らせなくなってしまう。クレーマー神父は大司教への謁見を申し出るが、ナチスの息がかかっていることを察知した大司教は神父と会うことを病気を理由に拒んだ。刻一刻と時は迫る・・・。

★★★★☆
ナチスを憎みヒトラーに祈りを捧げることは神の意志ではないという信念を抱きつつ、収容所の同胞や家族そしてルクセンブルグの民衆を守るためには仕方のないことなのか?仲間を助けずに自分だけがこっそりと水を飲んだ罪に苛まれ続け、収容所の飢えと渇きを恐れうなされる。そんなクレーマー神父の9日間一日一刻の苦悩と葛藤が描かれていく映画だ。
ルクセンブルグでは、クレーマー神父の母は亡くなり、兄と妹夫婦が待っていた。気丈に兄を守ろうとする献身的な妹。妹の夫は、これ以上日常が脅かされることを恐れ妥協してほしいという気持ちを隠せない。鉄鋼業を生業とする弟は、兄を救うために青年将校を懐柔しようと試み、それが無理だとわかると兄を逃亡させようとするなど、自らの姿勢を貫く行動的な人物である。
また、クレーマー神父が大司教との謁見の仲介を頼む神父は、民衆を守るためならナチスに協力するのもいたしかたないという考えだし、大司教は仮病であったことをその場で白状し、あくまでナチスへの協力を拒むという高潔な人物である。
この家族三人のそれぞれの思い、そして仲介の神父や大司教の思いは、クレーマー神父自身の心の中で葛藤している思いそのままと見ることができる。
この映画で、クレーマー神父と対峙するのは、青年将校ゲプハルト中尉だ。クレーマー神父に過酷な選択を迫る無慈悲な将校という立場だが、実はゲプハルト自身、神に仕えようとした時期がありながらナチスを選んだ過去があり、今回の懐柔作戦の発案には彼の苦悩が反映されていることが判明する。このへんが中尉と神父のユダをめぐる議論で描かれている。クレーマーの弟が賄賂で解決しようとしたときのゲプハルトの拒絶は、今回の任務が彼にとって特別な意味をもつことを意味している。
ラストでゲプハルトはクレーマー神父に銃口を向けるが、もうそのときにはクレーマーの勝利とゲプハルトの敗北は明らかになっていた。クレーマーはゲプハルトとは違う道を選び、神のもとにあるのだから。
宗教や信念について考えさせてくれる、派手さはないけれどずしりと重い手応えの映画だった。
う~む、それにしてもウルリッヒ・マテス、黒目が異様にでかい・・・。


にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへにほんブログ村 


映画『ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー』

2012年11月12日 | 映画の感想



監督 マイケル・マン
ジェームズ・カーン
チューズデイ・ウェルド
ウィリー・ネルソン
ジェームズ・ベルーシ
ロバート・プロスキー
トム・シニョレッリ
デニス・ファリナ
ウィリアム・L・ピーターセン
ジョン・サントゥッチ

シカゴで中古自動車の販売を営むフランク(ジェームズ・カーン)は裏の世界ではプロの金庫破りとして活躍しており刑務所に収監されている大泥棒のオークラ(ウィリー・ネルソン)を実の父の様に慕い教えを守り同じ仲間とともに仕事をこなしていた。しかしフランクはそんな生活に嫌気がさしてウェイトレスのジェシー(チューズディ・ウェルド)と新しい人生を始めようとしていたが犯罪組織のボスであるレオ(ロバート・プロスキー)がフランクの腕を買って仕事を依頼してくる。

★★★★☆
いや~、こいつは拾い物!
1981年、マイケル・マン初監督の、ジェームズ・カーン主演クライムサスペンス映画。
松田優作主演のハードボイルドアクション映画、『蘇る金狼』とか好きです?孤高のアンチヒーローが強大な組織を敵に回して自分の流儀を貫いて闘うみたいな映画。この映画はまさにそれ。アメリカ版の松田優作をジェームズ・カーンがみごとに演じている。・・・というか、ジェームズ・カーンって役者は紹介されるときに、ろくでもない悪ガキだったことが出てくるくらい、悪ガキだったことを売っていた俳優。この映画の役は、なんかもう素のまんまみたいな強盗役だ。自分の流儀をかたくなに守って、自分が思い描いたままの人生設計を周りに強要する、スジは通っているけど、誰にとってもやっかいな硬骨漢ぶりがまったくブレなくて惚れ惚れしてしまう。こんなにも高倉健や松田優作の映画を連想させる展開の洋画があったことにビックリしてしまう。それでいて、宝石強盗の金庫破りシーンがけっこうリアル。まるで地下鉄工事みたいな、スマートさのない、ある意味、正攻法な金庫の破り方が素敵だ。溶接機械の描写などのリアリティはたいしたもの。
加えて、タンジェリン・ドリームの音楽のダサさったらない。打ち込みのピコピコした音は、今の感覚からして恥ずかしい音なんだけど、さらに昔の邦画っぽい泣かせのメロディラインがさらにもって恥ずかしい。ホント、特異な時代だったんだよなあ、テクノなあの頃。
西洋版の松田優作映画なんてあんの?なんて思ったら、だまされたと思って観てほしい。B級の雰囲気、音楽の時代的雰囲気、なんか伝わってくる空気は同じだから!


にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへにほんブログ村 


映画『ツリー・オブ・ライフ』

2012年11月12日 | 映画の感想



監督 テレンス・マリック
ブラッド・ピット (Mr. O'Brien)
ショーン・ペン (Jack)
ジェシカ・チャステイン (Mrs. O'Brien)
フィオナ・ショウ (Grandmother)
ハンター・マクラケン (Young Jack)
ララミー・エップラー (R.L.)
タイ・シェリダン (Steve)

ジャック・オブライエン(ショーン・ペン)は実業家として成功していたが、人生の岐路に立つ。そして深い喪失感のなか、少年時代を回想する。1950年代半ばの中央テキサスの小さな田舎町で、幸せな結婚生活を送るオブライエン夫妻とジャック、2人の弟たち。一見平穏に見える家庭だったが、ジャックにとって心安らぐ場ではなかった。社会的な成功と富を求める父(ブラッド・ピット)は、力こそがすべてだと考える厳格な男で、母(ジェシカ・チャステイン)は自然を愛で、慈愛に満ちた心で子供たちを包み込む優しい女だった。11歳のジャックはそんな両親の狭間でふたつに引き裂かれ、葛藤していた。父に反感を抱きながら、父に似た成功への渇望や力への衝動を感じ、暗黒の淵に囚われそうになるジャック。そんな彼を光のさす場所にとどめたのはなんだったのか、数十年の時間を経て思いを巡らすとき、すべてを乗り越えつながり続ける家族の姿に、過去から未来へと受け継がれる生命の連鎖を見出す。

★★★☆☆
寡作のテレンス・マリック監督が78年に撮った『天国の日々』は日本で公開された当時、劇場に観に行った。貧しい季節労働者のリチャード・ギアと恋人、雇い人の男の愛憎のドラマなのだが、その圧倒的な映像美に驚いたのを今でも憶えている。時に事態の展開が見えないほどの薄明や靄が未だに忘れられないのだ。
そして今作。息を飲むほどに鮮明な映像の連続と、大胆な音楽の鳴らしようにまず驚いた。こんなにみずみずしい映像の作品だとは思っていなかったので衝撃が大きかった。しかもCGを多用した科学ドキュメンタリー番組並みに、生命の進化をじっくり見せられるなんて思いもよらなかった。
作品のテーマはズバリ、『何故私はいまここに私として存在するか?』だ。ジャック(ショーン・ペン)は、マリック監督の分身だ。彼の記憶の断片や思考、イメージが寄せ集まって映画が構成されている。生命の連鎖の一存在としての自分。自分のようになってほしくないという一念から厳格であろうとする父親を憎んでいた自分。母親への愛情に異性への欲望を感じ葛藤する自分。神に向かって呟き対話し続ける自分。そんな内面世界が映像の洪水によって明らかにされていく。その映像のほとんどが少年時代の日常生活のリアルな欠片であるからこそ、当時のアメリカの空気がリアルに感じられる。現代につながる、強さを求めるアメリカ、豊かさを求めるアメリカのリアルな空気を、『天国の日々』の麦畑の空気と同じように感じることができる。
映画作品にも、こういう純文学があってもいい。ただ、今のボクにとって『宗教映画』はちょっと合わなかった。後日見直してみたら★★★★★になるかもしれないし、☆☆☆☆☆になるかもしれない。そういう自分自身と対峙しながら味わう文学映画だ。


にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへにほんブログ村 


映画『君のためなら千回でも』

2012年11月12日 | 映画の感想



監督 マーク・フォースター
ハリド・アブダラ アミール
ホマユン・エルシャディ ババ
ゼキリア・エブラヒミ 少年時代のアミール
アフマド・ハーン・マフムードザダ 少年時代のハッサン
ショーン・トーブ ラヒム・ハーン
アトッサ・レオーニ ソラヤ
アリ・ダネシュ・バクティアリ ソーラブ

アフガニスタン出身のカーレド・ホッセイニ原作ベストセラー『君のためなら千回でも』(旧題『カイト・ランナー』)を「ネバーランド」「主人公は僕だった」のマーク・フォースター監督で映画化した感動ヒューマン・ドラマ。ソ連のアフガニスタン侵攻の際にアメリカに亡命し作家になる夢を実現させた主人公が、今なお深い心の傷となっている少年時代に犯した罪と向き合い、それを償うためタリバン独裁政権下のアフガニスタンに帰郷するさまを感動的かつスリリングに綴る。
 ソ連侵攻前のまだ平和だったアフガニスタン。裕福な家庭の少年アミールと、彼の家に仕える召使いの息子ハッサンは、境遇の違いを越えて強い絆で結ばれた親友同士だった。ところが12歳の冬の日、恒例のケンカ凧大会の最中にある事件が起きる。以来、アミールは少年ゆえの潔癖さと後ろめたさからハッサンを遠ざけてしまう。そこへソ連軍が侵攻、アミールは後悔と罪の意識を抱えたままアメリカへ亡命、再びハッサンと会うことなく月日は流れてしまう。20年後、苦労の末にアメリカで念願の作家デビューを果たしたアミールのもとに、アフガニスタンの恩人から1本の電話が入る。“まだやり直す道はある”との言葉に、アミールは意を決して危険なタリバン独裁政権下の故郷へと向かうのだったが…。

★★★☆☆
中近東の一国を舞台にした少年の友情物語・・・そんな映画だろうと思って観始めたのだが、思っていたよりもずっとエンタテイメント映画なのにビックリしてしまった。終りのほうのハッサンの息子救出劇なんてアクション映画のノリだし、車の疾走場面が『慰めの報酬』っぽいアングルがあって興味深かった。つまりなるほど007監督に起用されるはずだな、という感じ。友情で結ばれていたアミールとハッサンだが、事件をきっかけにアミールの嘘によって別れ別れになる。大人になったアミールが、ゆるしのために勇気ある行動でハッサンの息子を救出しようとするといった展開の、友情あり冒険あり魂の救済ありのドラマチックな展開である。
だがしかし、ちょっと待て。主人公アミールのとった行動、ハッサンが悪童たちに陵辱されるのを見て見ぬふりをしたり、ハッサンが近くにいることが耐えられなくなって父親の嫌う盗みの犯人に仕立てたり・・・それってやはりひどいと思う。ハッサンの息子ソーラブを生命がけで救出するのも甥っ子であると判明してからの話で、純粋に親友ハッサンへの贖罪行為ではなくて弟の息子を助ける話になっているわけだし。
そもそもこの映画の視点がアミールの立場からの一方的な見方なのが気になった。イスラム教スンナ派のパシュトゥーン人によってシーア派のハザラ人は支配され、社会の最下層と見なされ使用人などに雇われていた時代。パシュトゥーン人のアミールとハザラ人のハッサンとの関係は友情で結ばれつつもどこかイビツだし。のちにアメリカに亡命して作家として暮らしを立てているアミールだけに、悪者として描かれているのはロシア人でありタリバンであり。ロシアに対して嫌悪を露わにする父親、その息子アミールの視点だから仕方がないといえばそうだけど、内省のない善悪のつけ方に興醒めしてしまった。
アフガニスタンの内情を知るきっかけにはなるけれど、あくまでアメリカ映画だということを心して鑑賞したい映画だ。


にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへにほんブログ村 


映画『ユメ十夜』

2012年11月12日 | 映画の感想



監督 
実相寺昭雄「第一夜」、市川崑「第二夜」、清水崇「第三夜」、清水厚「第四夜」OP&ED、豊島圭介「第五夜」、松尾スズキ「第六夜」、天野喜孝・河原真明「第七夜」、山下敦弘「第八夜」、西川美和「第九夜」、山口雄大「第十夜」
原作 夏目漱石『夢十夜』
脚本
久世光彦「第一夜」、柳谷治「第二夜」、清水崇「第三夜」、猪爪慎一「第四夜」、豊島圭介「第五夜」、松尾スズキ「第六夜」、山下敦弘「第八夜」、長尾謙一郎「第八夜」、西川美和「第九夜」、山口雄大・加藤淳也「第十夜」(脚色 漫☆画太郎)
出演 
小泉今日子、松尾スズキ、うじきつよし、中村梅之助、堀部圭亮、香椎由宇、山本耕史、菅野莉央、市川実日子、大倉孝二、阿部サダヲ、TOZAWA、石原良純、藤岡弘、、山本浩司、緒川たまき、ピエール瀧、松山ケンイチ、本上まなみ、石坂浩二、戸田恵梨香
声の出演 
Sascha、秀島史香

文豪・夏目漱石の幻想短編集『夢十夜』を豪華にして多彩なスタッフ・キャスト陣で映画化したオムニバス・ムービー。漱石が描く不条理で幻想的な夢の世界を10人の監督がそれぞれの個性を存分に発揮して映像化を試みる。

★★★★☆
夏目漱石の『夢十夜』のそれぞれを、いろんな映画監督が短編映画として撮りあげたもののオムニバスなので評価しにくい作品に仕上がっている。

第一夜
監督:実相寺昭雄、脚本:久世光彦
出演:小泉今日子(ツグミ)、松尾スズキ(百)、寺田農、堀内正美
大胆なカメラワーク、レトロな幻視風景、実相寺の演出は嫌いじゃないけれど、セットすらはみ出す演出に失笑。こりゃもう実相寺ワールドに過ぎない。白百合のエロスを映像化しないなんてなあ。
 

第二夜 [編集]
監督:市川崑、脚本:柳谷治
出演:うじきつよし(男)、中村梅之助(和尚)
字幕つきの白黒映画(赤い短刀だけは別だけど) でレトロに描いたところが逆に新しい。が、最も忠実に映像化している。らしいといえばらしいけれど、十作品の中にあっては主旨が違うかも。

第三夜 [編集]
監督・脚本:清水崇
出演:堀部圭亮(夏目漱石)、香椎由宇(夏目鏡子)、櫻井詩月(愛子)
ホラーVシネマ風というか。でも意外と忠実に作られていて、しかも神経を逆撫でする怖さも映像化できている。だが原作の業への深みはないかな。香椎由宇の左右対称の美しさはホラーで映える。 

第四夜 [編集]
監督:清水厚、脚本:猪爪慎一
出演:山本耕史(夏目漱石)、菅野莉央(日向はるか)、品川徹、小関裕太、浅見千代子、市川夏江、渡辺悠、鶴屋紅子、佐久間なつみ、日笠山亜美
原作を解体して、ノスタルジックなファンタジーとして再構築したもの。幼年時代のなんともせつない想いやらが描かれている。ただ、さすがに「漱石く~ん」には、違和感を感じる。 

第五夜 [編集]
監督・脚本:豊島圭介
出演:市川実日子(真砂子)、大倉孝二(庄太郎)、三浦誠己、辻修
原作のいつとは知れぬ戦国の時代の空気を、現代社会や家庭の閉塞した空気に置き換えたところは見事。でも包帯妖怪天邪鬼(勝手に命名)がゾンビ的にコミカルで、映像的には不満。市川実日子の眼はいいなあ。

第六夜 [編集]
監督・脚本:松尾スズキ
出演:阿部サダヲ(わたし)、TOZAWA(運慶)、石原良純
2チャンネル言語やらいまどきダンスやら、すぐに古くさくなっちゃいそうな当世カルチャーで、原作を換骨奪胎、オリジナリティを生み出している。これは面白い!画面上で変換されていく文字と阿部サダヲのおとぼけ演技が最高。

第七夜 [編集]
監督:天野喜孝、河原真明
出演:sascha(ソウセキ(声))、秀島史香(ウツロ(声))
原作をそのまんま異世界のジャパニメーションにしましたって感じの世界。言葉はすべて英語、日本語もなんだか呪文のように聞こえ、異邦人が抱く孤独への不安をより募らせる。異次元映像を楽しむ一遍。 

第八夜 [編集]
監督:山下敦弘 脚本:長尾謙一郎
出演:藤岡弘、(夏目漱石、正造)山本浩司、大家由祐子、土屋匠、森康子
原作の鏡の向こうに覗き見る異世界のシュールな趣を、赤塚不二夫のナンセンスギャグに。 原作どおりは動かない金魚売りくらいかな。ここまでヤッちゃうと、果たして原作として位置づけていいのかどうか。やっぱチクワだな!

第九夜 [編集]
監督・脚本:西川美和
出演:緒川たまき(母)、ピエール瀧(父)、渡邉奏人
太平洋戦争に時を移して正解。原作どおりの設定ながら、お百度を重ねながら、ひたむきな妻の純粋さやら直情さやら執念深さやらが見えきて厚みが増していく展開が秀逸。それにしても濡れた緒川たまきが妖艶だ。

第十夜 [編集]
監督・脚本:山口雄大、脚本:加藤淳也、脚色:漫☆画太郎
出演:松山ケンイチ(庄太郎)、本上まなみ(よし乃)、石坂浩二(平賀源内)、安田大サーカス、井上佳子
漫☆画太郎のグロ漫画をまんま映像にした悪ふざけ暴走モードが気にならなければ面白い作品。いやツボにはまれば最高に面白いかも。ボクとしては、原作の、豚の群れをステッキで撃退するシーンの実写が見たかった。

というわけで、特にお気に入りは、第九夜そして第六夜。


にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへにほんブログ村 


映画『アーティスト』

2012年11月12日 | 映画の感想



監督 ミシェル・アザナヴィシウス
ジャン・デュジャルダン (George Valentin)
ベレニス・ベジョ (Peppy Miller)
ジョン・グッドマン (Al Zimmer)
ジェームズ・クロムウェル (Clifton)
ペネロープ・アン・ミラー (Doris)
ミッシー・パイル (Constance)
ベス・グラント (Peppy's Maid)
ジョエル・マーレイ (Policeman Fire)
マルコム・マクダウェル (The Butler)
エド・ローター (The Butler)
ケン・ダビティアン (Pawnbroker)

1927年、サイレント映画全盛のハリウッド。大スター、ジョージ・ヴァレンティン(ジャン・デュジャルダン)は、共演した愛犬とともに新作の舞台挨拶で拍手喝采を浴びていた。熱狂する観客たちで映画館前は大混乱となり、若い女性ファンがジョージを突き飛ばしてしまう。それでも優しく微笑むジョージに感激した彼女は、大胆にも憧れの大スターの頬にキス。その瞬間を捉えた写真は、翌日の新聞の一面を飾る。写真の彼女の名前はペピー・ミラー(ベレニス・ベジョ)、未来のスターを目指す新人女優だった。映画会社キノグラフでオーディションを受けた彼女は、愛らしい笑顔とキュートなダンスで、ジョージ主演作のエキストラ役を獲得。撮影後、楽屋を訪ねてきたペピーに、ジョージは“女優を目指すのなら、目立つ特徴がないと”と、アイライナーで唇の上にほくろを描く。その日を境に、ペピーの快進撃が始まる。踊り子、メイド、名前のある役、そして遂にヒロインに。1929年、セリフのあるトーキー映画が登場すると、過去の栄光に固執し、“サイレント映画こそ芸術”と主張するジョージは、キノグラフ社の社長(ジョン・グッドマン)と決別する。しかし数か月後、自ら初監督と主演を務めたサイレント映画は大コケ。心を閉ざしたジョージは、心配して訪ねてきたペピーすら追い返してしまう。それから1年。今やペピーはトーキー映画の新進スターとして人気を獲得していた。一方、妻に追い出されたジョージは、運転手クリフトン(ジェームズ・クロムウェル)すら雇えなくなり、オークションで想い出の品々を売り払う。執事にその全てを買い取らせたペピーは、ジョージの孤独な背中に涙を流す。酒に溺れるジョージは自分に絶望し、唯一の財産であるフィルムに放火する・・・

★★★★☆
エー!これがアカデミー賞だって?!
だって、これはっきり言ってただのコメディ映画だよ。『OSS 117 私を愛したカフェオーレ』なんていう007のパロディをもろに60年代テイストのボンド映画のツボをグイグイ突いてくるエスプリで作っちゃう監督と役者が手を組んで、モノクロ映画時代の面白さを思いっきり詰め込んで楽しんじゃおうって作ったコメディ映画だよ、これは。アリメカでマジに受けとめられたのかもしれないけど、細かいくすぐりで楽しむフランスらしいセンスのコメディ映画。まあ、コメディがアカデミー賞を獲っちゃいけないなんて法はないけれど、けっこうマジメな映画と思って観始めたボクは、面白くて仕方なかった。
説明的なカットで先の読める展開しかり、心情をそのまんま画面上の小道具大道具に語らせるような絵作りしかり。懐かし~い丸抜きの画面転換とか、鏡面の反射を使った凝った画面などなど。そして、昔の映画にこんなのあったよなぁ~ていう王道中の王道を突っ走る展開。そういうオマージュというか、パロディでくりぐりまくってくれる。
しかもストーリーは、『サンセット大通り』の男バージョン、ハッピーバージョンと来たもんだ。運転手の扮装なんてもうそのまんまシュトロハイムのパクリ。主演のジャン・デュジャルダンなんて持ち前の、往年のショーン・コネリーのまがいものっぽさに加えて、クラーク・ゲーブルやらジョン・バリモアを彷彿とさせるポマード臭~い男の色気がムンムン。
もちろん、凝ったサイレントの使い方、効果音の出し方の凝り方も素敵なんだけど、これもまた楽しんでやってるわけで。
フランスの感性で作ったコメディ映画が、アカデミー賞で作品として評価されるっていうコメディが、ボクにとっては最高に楽しかったのかもしれない。


にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへにほんブログ村 


映画『黒い家』

2012年11月12日 | 映画の感想



監督 森田芳光
内野聖陽 (若槻慎二)
大竹しのぶ (菰田幸子)
西村雅彦 (菰田重徳)
田中美里 (黒沢恵)
石橋蓮司 (葛西好夫)
町田康 (松井刑事)
小林薫 (三善茂)
桂憲一 (金石克己)
伊藤克信 (角藤)
菅原大吉 (大迫外務次長)
佐藤恒治 (木谷内務次長)
小林トシ江 (橋本教諭)
友里千賀子 (大西光代)
鷲尾真知子 (波多野医師)
貴志祐介 (営業マン)
山崎まさよし (出前持ち)
黒谷清水 (守衛)

金沢にある昭和生命保険北陸支社に勤務する若槻は、真面目で有能な総務主任として、日夜、仕事に心血を注いでいた。ある日、菰田重徳という契約者からの呼び出しを受け家に赴いた彼は、そこで重徳の継子・和也の首吊り死体を発見。和也が若槻の会社の保険に加入していたことから、和也の実母である幸子や重徳に保険金の催促を受けるようになる。本社の査定が待たれる中、日参する重徳の異常さに息子殺しの疑惑を抱き始めた若槻は、ふたりの調査を独自に開始。重徳が障害給付金を得る為なら指をも落とす指狩り族と呼ばれる札付きであることなど、彼らの数々の黒い過去を知るのであった。そんな折、若槻の恋人である恵の勤務する大学の研究室の心理学助教授・金石が、菰田夫妻をプロファイリングし、ふたりは情性欠如者、つまり心がない人間=サイコパスであるとの判断を下した。ところが、その金石が惨殺され、若槻にも悪戯ファックスが送られてくるようになる。それから暫く後、警察が和也の死を自殺と判断し、菰田夫妻に保険金が支払われることとなった。これであの夫婦から解放される。ホッと胸を撫で下ろす若槻であったが、今度は重徳が勤務中の事故で両腕を切断したとの連絡が入り、障害保険の請求をされてしまう。これには若槻も黙っている訳にもいかず、悪質なケースの対処に出向く潰し屋・三善を差し向ける。ところが、効果がみられないばかりか、これに激怒した幸子が若槻の留守中にマンションに押し入り、部屋を滅茶苦茶に荒らす暴挙に出た。その様子を電話でモニターした若槻は、恵が幸子の家に監禁されていることを知り、彼女を救出すべく幸子の家に侵入する・・・

★★☆☆☆
森田芳光監督のホラー映画。観終わって一言、あ~しんど!な映画だ。なんといっても大竹しのぶのブチキレ演技が凄まじい。幽霊やら妖怪やらが出てくる映画よりも生身の人間の狂気を描いた映画のほうがはるかに怖いよなあって、改めて感じた。演出の面白さで言えば、前半の不自然にスライドしたり切り替わったりするカメラの動きがなんとも居心地が悪くさせる。また、太陽が雲間に隠れて画面が急に暗くなるといった光の変化が執拗に繰り返される。日常ってのがいかに不安定で脆く崩れてしまうのかを暗示していて、不安を募らせる演出と見た。
しかし、評価できるのはそのあたりまで。保険屋という辛い稼業をコミカルに描いた前半と、後半のホラーとの落差が変化球の面白さになっておらず違和感がある。子どもが自殺し、しかも保険金殺人の疑いありとなれば警察も詳しく捜査するだろうに、同じ家の床下にあんなに無造作に腐乱死体が転がっていたらバレないはずがない。また、中盤に大学の男が殺されるのだが彼だけ殺し方や遺棄の仕方を変えてしかも主人公の保険屋に警告するかのような手がかりを残すのか、まったく意図不明。まずもってこの映画の殺人犯は金のためなら手段を選ばないマシンであって、そういうタイプの殺人犯じゃないだろうし。
タイトル音楽に始まる打ち込み音楽もなんだかチープで作品に合っていないように感じた。打ち込み音楽でも、クローネンバーグ監督映画のハワード・ショアの音楽のように逆撫でして不安を募らせるタイプの音楽が合っていたような・・・。


にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへにほんブログ村