出口のない長いトンネルを歩いている。
もう何日も歩き続けているが、いっこうに出口は見えない。
いつからこうしているのか、さっぱり思い出せない。
果てしなく続くトンネルなんて、何らかのメタファーなんだろうか?
人生なんてトンネルを歩いているにすぎないんだぞ、みたいな?
少なくともこんなことを「思う」わけだから、「自分」が存在するのだけは確かなのだろう。
「我思う、ゆえに我あり!」
声はトンネル内に延々と反響しながらフェードアウトしていく。
今の状況を把握して歩を進めていくために、私はひとつのルールを作っている。
必ず右手で右側の壁に触れておくというルールだ。休むときも眠るときも必ず右側だ。
こうすることで、知らぬうちに逆行してしまう危険を防いでるわけだ。
しかし、もし何者かが、眠っている私をつまみあげて壁の左側に逆向きに置いたとしたら、目を覚ました私は、気づかぬまま逆行してしまうだろう。
そういうこともまた、人生にはありがちだけれど。
ある日、ふと目の前にピンで刺したような白い点が見えるような気がしてくる。
期待のあまり幻覚を見ているのかも?と、葛藤すること数日。
ついに、それが光の点である確証を抱いた。
出口だ!
その先に何が待っているのか?期待に応えるものなのか?
そんなことはどうでもいい。あの出口に到着することが目的だ。
目標が見える、それがこんなに幸せなことだったなんて。
出口が近づくにつれて期待とともに不安が膨らんで息苦しくさえなる。
歩くペースを落とそうと努めるが、それでも足が勝手に急いでしまう。
そしてついにその日がやってくる。
光の世界に飛び込んだ途端。
何百何千のクラッカーが炸裂し、耳鳴りがした。
カメラのフラッシュに包まれ、目も眩んだ。
そして拍手、拍手の大喝采。全員の目が感激に潤んでいる。
鼓笛隊の演奏!象のいななき!軽飛行機のプロペラ音!
紙吹雪の舞う中、握手を求められ、キスをせがまれる。
みんな、ありがとう!
ありがとう、みんな!
それが、ほんの一瞬のことだったらよかったのに。毎日、毎日、毎日、毎日。
果てしなく続く祝福が退屈になり、苦痛になってくる。
ある日、私はトンネルに戻っていく。
悲嘆に暮れる人々を背に、決してふりむかずに。
後戻りしないように右手で右側の壁に触れながら歩み続ける。
そして、すべてを忘れようと努める。
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