goo blog サービス終了のお知らせ 

人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

新日本フィル「室内楽シリーズ」のチケットを取る / 中山七里著「騒がしい楽園」を読む ~ 幼稚園に迫る騒音クレーマー、親同士の確執、小動物の惨殺事件、そして遂に園児殺人事件が発生

2023年01月11日 07時03分03秒 | 日記

11日(水)。昨日、9月28日(木)に開催される新日本フィル「室内楽シリーズ 第160回 瀧本麻衣子プロデュース編」のチケットを取りました プログラムは①モーツアルト「ディヴェルティメント  K.563」、②ブラームス「弦楽五重奏曲第2番 ト長調 作品111」です   出演は伝田正秀(Vn)、ビルマン聡平(同)、瀧本麻衣子(Va)、長谷川彰子(Vc)です   このシリーズは4月、6月、7月にも公演があるのですが、既に他の公演の予定が入っているので諦めました

 

     

 

ということで、わが家に来てから今日で2921日目を迎え、ブラジルの首都ブラジリアでボルソナロ前大統領の支持者らが議会などを襲撃した事件でディノ法相は9日、事件に関与した疑いによる拘束者が1500人に達したと記者会見で明らかにしたが、ボルソナロ氏は同日、ツイッターへの投稿で腹痛により米フロリダ州で入院したと明らかにした  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     ボルソナロの腹痛は ルラ大統領に言わせれば "片腹痛し"(笑止千万)だろうなあ

 

         

 

昨日、夕食に「親子丼」「生野菜と生ハムのサラダ」「里芋の味噌汁」を作りました 親子丼は栗原はるみ先生のレシピで作りましたが、一人分ずつ作るのがコツのようです

 

     

 

         

 

中山七里著「騒がしい楽園」(朝日文庫)を読み終わりました 中山七里は1961年岐阜県生まれ。2009年「さよならドビュッシー」で第8回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞し、デビュー 「岬洋介」シリーズ、「御子柴礼司」シリーズ、「刑事犬養隼人」シリーズなどで人気を博す 「中山七里は七人いる」と言われるほどの多作家として有名

 

     

 

「騒がしい楽園」は中山七里のデビュー10周年新作単行本12か月連続刊行企画の第1弾として2020年1月に発表されたミステリーです 2015年10月に刊行された「闘う君の唄を」の姉妹編という位置づけになっています

主人公の神尾舞子は世田谷の閑静な住宅地に建つ「宗教法人喜徳会若葉幼稚園」の教諭をしている 教諭歴4年目で26歳になる舞子は埼玉県秩父郡の幼稚園から転任してきたばかり 田舎の幼稚園と違い、園児の発する騒音問題に関する苦情や、親同士の確執、待機児童など、様々な問題を抱えている そんな中、魚、ヘビ、アヒル、猫といった小動物が何者かに惨殺され園内に放置される事件が立て続けに起きる 教諭による深夜の見回りにも関わらず、遂に舞子が担任する年長組クラスの園児の一人が園の正門前で死体として発見される 誰が何の目的で殺したのか

中山七里のミステリーの大きな特徴は、主人公の職業に沿った社会問題を取り上げ、問題点を指摘していることです 本作で言えば、幼稚園における「待機児童問題」であり、「騒音問題」であり、教諭の「人手不足」「過重労働」「低賃金」「精神疾患」などブラック企業並みの諸問題です

一例を挙げれば、中山氏は舞子に心情を託して次のように書いてます

「現に小中学校では、仕事を満足に遂行できずに病んでしまった教員が山のように存在する 文科省の発表によれば、平成23年度では、公立の小学校で休職中の教師5274人のうち62%が精神疾患を休職の理由にしている。この数値はブラック企業に勤めている社員並みなのではないか

その一方、本作は「ストーリーの設定がちょっと強引すぎないか」と思うところがありました 現役の警察官が幼稚園の教諭に「警察の捜査情報を教えるから、その代わり、そちらで知り得た情報を教えてほしい」と持ちかける、なんていうことがあり得るだろうか さすがの中山七里氏にしても、1年間に12冊の単行本を連続して刊行するという信じ難い大事業の中では、こういう無理強いのようなストーリー展開もあるのかもしれない、とは思いますが、「第1弾」ということを考えるとちょっと残念な気持ちもします

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読売日響2023-2024シーズン定期会員変更手続き完了(定期 ⇒ 継続、名曲 = 新規) / バーバラ・ローデン監督「WANDA / ワンダ」を観る ~ 弱い女から強い女へ

2023年01月10日 07時04分05秒 | 日記

10日(火)。昨日、読売日響の2023ー2024シーズン定期会員変更手続きをしました サントリーホールでの「定期演奏会」を座席変更のうえ継続し、新たに同ホールでの「名曲シリーズ」の申し込みをしました 午前10時から受付開始だったのでWEBサイトからアクセスしましたが、比較的早めに繋がりました 定期演奏会は1階センターブロックの右通路側から左ブロックの右通路側に移動しました。名曲シリーズは1階左ブロック右から2つ目を押さえました。残念ながら通路側は取れませんでしたが、1年後に期待します

今回の申し込みにより、4月5日(定期)、6月28日(名曲)の公演が「新国立オペラ」(「アイーダ」「ラ・ボエーム」)とダブり、11月30日の公演(名曲)が「東京シティ・フィル」とダブります 4月と6月については「新国立オペラ」を他日公演に振り替え、11月については読響を10月22日の「日曜マチネー」に振り替えることにします

 

     

     

ということで、わが家に来てから今日で2920日目を迎え、北海道新聞は8日、2030年の札幌五輪招致を札幌市民の67%が「反対」とする世論調査結果を報じた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     電通と電通出身者が絡む五輪は巨額汚職が避けられないと判明した  まだ懲りない?

 

         

 

昨日、夕食に「サーロインステーキ」と「白舞茸の味噌汁」を作りました 相変わらず娘が朝4時起きで出勤しているので、体力を付けないと身体が持ちません どうしても肉食が多くなりがちです

 

     

 

デザートは苺とチョコレートですが、苺は写ってません

 

     

 

         

 

早稲田松竹でバーバラ・ローデン監督・脚本・主演による1970年製作アメリカ映画「WANDA/ワンダ」(103分)を観ました

ペンシルベニア州の とある炭鉱で、夫に離別されたワンダ(バーバラ・ローデン)は、子どもも職も失い、有り金も擦られてしまう   わずかなチャンスをすべて使い果たしてしまったワンダは、薄暗いバーでノーマン(マイケル・ヒギンズ)と名乗る男と知り合う ワンダはその傲慢な男と行動を共にし、いつの間にか銀行強盗の共犯者として逃避行を続けることになる

 

     

 

この映画はアメリカの底辺社会の片隅に取り残された女性が、崖っぷちの人生を懸命に生きる姿を描いたロードムービーですが、製作の約10年ほど前に実際に起きた男女による銀行強盗事件に着想を得て製作されたといいます

何の取柄もなく、一人で生きていく自信のないワンダは、最初は周囲の言いなりになって行動するしかない”弱い女性”でしたが、ノーマンの共犯者になったことをきっかけに、”自分にもできることがある”と自信を付けて、最後には強引に迫る男を振り払って逃れる”強い女”に成長します

この映画の監督と主演を務めたバーバラ・ローデンは「欲望という名の電車」や「エデンの東」などで知られるエリア・カザンの妻として名が知れていました 彼女は30歳を過ぎたころ、”妻”という従順な女性像に縛られることに反感を覚え、自ら監督を務めることによって彼女自身のアイデンティティを確立しようとしたのが、唯一の監督作である「WANDA」でした

彼女は1980年に乳がんにより48歳で亡くなりましたが、この作品は公開時の1970年にベネチア国際映画祭最優秀外国映画賞を受賞したにも関わらず、アメリカでは黙殺同然でした その後、2003年にイザベル・ユペールが配給権を買い取りフランスで上映されました 2007年にはオリジナルのネガフィルムが発見され、2010年にマーティン・スコセッシ監督が設立した映画保存運営組織ザ・フィルム・ファウンデーションとファッションブランドGUCCIの支援を受け、プリントが修復されました 日本では2022年に劇場初公開されました

 

     

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

DSCH弦楽四重奏団によるショスタコーヴィチ「弦楽四重奏曲第1番、第2番、第3番」を聴く ~ 崔文洙・ビルマン聡平・安達真理・植木昭雄 / 「Z世代」という幻想と希望 ~ 日経の記事から

2023年01月09日 07時01分03秒 | 日記

9日(月・祝)。昨日の日経朝刊「The  STYLE / Culture」ページに「『Z世代』という幻想と希望 」という見出しによる記事が載っていました 超略すると次の通りです

「Z世代論がかまびすしい 『Z世代』とは1996年~2014年に生まれた人々を意味する。ちなみに米国の基準では1977年~95年を『ミレ二アル(Y)世代』、1965年~76年を『X世代』、1945年~64年を『ベビーブーマー世代』と位置付けている 日本の場合だと1940年代以降は、50年代から60年代前半までの『しらけ世代』、70年代初めまでの『バブル世代』、その後の『団塊ジュニア世代』、そして80年代後半からの『ゆとり世代』と区切られている マーケティング論としてZ世代戦略が叫ばれるが、実は最もマーケティング効果の薄い世代である なぜなら人口が少ないからだ。20~24歳の人口は約624万人。30代前半と比べて3%少なく、40代前半と比べると21%も少ない しかもコストパフォーマンス志向は強いうえに、多様化が進んでいる 経済効果としては期待値が低い。それでもZ世代に期待したい”何か”がある マーケティングの話ではなく、新しい価値観としてのZ世代だ。明らかに昭和生まれが築いてきた日本経済・社会は行き詰まり、閉塞感が漂う そこで自分たちも苦しんできた年功序列、上司・先輩への忖度、環境破壊型の経済などをZ世代に否定してほしいとの願望もあるのだ そのせいか、年配者のZ世代への態度は優しい。生まれながらの『デジタル人』であるZ世代を前に、自らの常識の終わりを自覚するからだろう もちろんZ世代をひとくくりで考えるのはあまりにステレオタイプすぎる。あくまでZ世代を環境や人に優しい社会をつくるための価値観として捉えることが重要だ

今日は「成人の日」。Z世代ど真ん中の若者たちが「大人」の仲間入りします 民法が改正されて2022年4月から18歳が成人になりました そのため、全国の市町村では「成人式」を何歳でやるのかで対応が分かれているようです 多くの自治体は「成人の日が受験シーズンと重なる」などを理由に従来通り20歳で実施するようで、名称も「20歳の集い」「20歳を祝う式」などに変えるようです ところで、今からン十年前の20歳の時は大学生で、地元の成人式に出席したのを覚えています 式の内容はまったく覚えていませんが、記念品として国語辞典を貰ったのを覚えています。「語彙力の乏しい若者よ、もっと言葉の勉強をしなさい」ということでしょうか 今どきの「成人式」では何を記念品にプレゼントしてくれるのでしょうか

ということで、わが家に来てから今日で2919日目を迎え、静岡県掛川市で8日に始まった第72期ALSOK杯王将戦第7番勝負第1局は、午後3時におやつが配膳されたが、藤井聡太は茶畑をイメージしたケーキ「CHABATAKE」と「フレッシュジュース(イチゴ)」、羽生善治は「火の羊羹3種(ゆず蜂蜜・掛川茶・本練)」と「抹茶」を頼んだ  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     頭を使う将棋には 糖分の補給が大切だということが分かる しかし勝負は甘くない 

 

         

 

昨日、すみだトリフォニーホール(小)でDSCH弦楽四重奏団によるショスタコーヴィチ「弦楽四重奏曲全曲演奏会」の第1弾「第1番、第2番、第3番」を聴きました 私にとって今年の初コンサートです 「DSCH」は「ドミトリー・ショスタコーヴィチ」の名前から採られています メンバーは第1ヴァイオリン=崔文洙(新日本フィル・コンマス)、第2ヴァイオリン=ビルマン聡平(同・第2ヴァイオリン首席)、ヴィオラ=安達真理(日本フィル客員首席奏者)、チェロ=植木昭雄です 安達、植木の両名は新日本フィルのコンサートにしばしば客演しています

DSCH弦楽四重奏団は2021年5月に結成されましたが、ロシアによるウクライナ侵攻という現在の世界情勢を憂いながらも「今だからこそ演奏する価値がある」との強い思いのもと、ショスタコーヴィチの全15曲の弦楽四重奏曲を5年間かけて演奏する決意を表明しています

自席は6列16番、右通路側席です

 

     

 

1曲目はショスタコーヴィチ「弦楽四重奏曲第1番 ハ長調 作品49」です この曲はドミトリー・ショスタコーヴィチ(1906ー1975)が1938年に作曲、同年10月10日にレニングラードでグラズノフ弦楽四重奏団により初演されました 第1楽章「モデラート」、第2楽章「モデラート」、第3楽章「アレグロ・モルト」、第4楽章「アレグロ」の4楽章から成ります

4人の奏者が配置に着きます 左から崔、ビルマン、植木、安達という並びです。音楽評論家・寺西基之氏のプログラム・ノートによると、この曲は「ショスタコーヴィチ自身が『春』とでも題したいと述べているように、厳しい時期から脱した彼の気分を反映したかのような明るい作品」です

第1ヴァイオリンの崔のリードで第1楽章の演奏に入りますが、伸び伸びとした演奏が展開します 第2楽章は冒頭の安達のヴィオラが冴えています 第3楽章を経て、第4楽章は愉悦感に満ちた演奏が繰り広げられました

2曲目は「弦楽四重奏曲第2番 イ長調 作品68」です この曲は1944年に作曲、同年11月14日にレニングラードでベートーヴェン弦楽四重奏団により初演されました 第1楽章「前奏曲:モデラート・コン・モート」、第2楽章「レチタティーヴォ&ロマンス:アダージョ」、第3楽章「ワルツ:アレグロ」、第4楽章「テーマ&ヴァリエーション:アダージョ ~ モデラート・コン・モート ~ アレグロ・ノン・トロッポ ~ アダージョ」の4楽章から成ります

第1楽章が崔のソロにより力強く開始されますが、第1番から大きく飛躍したように感じます 曲のスケールが大きく、4人ともエネルギッシュな演奏を展開します 第2楽章は第1ヴァイオリン・崔の独壇場です。「魂を揺さぶる演奏」というのはこういう演奏を言うのだろう、と言いたくなるような崔の渾身の演奏が展開します 第3楽章では第2ヴァイオリンのビルマン聡平のソロが哀愁に満ちていて素晴らしかった 第4楽章の主題と変奏は、まさに4人の奏者の丁々発止の演奏がアレグレッシブに展開します

 

     

 

休憩後は「弦楽四重奏曲第3番へ長調 作品73」です この曲は1946年に作曲、同年12月16日にモスクワでベートーヴェン弦楽四重奏団により初演されました 第1楽章「アレグレット」、第2楽章「モデラート・コン・モート」、第3楽章「アレグロ・ノン・トロッポ」、第4楽章「アダージョ」、第5楽章「モデラート ~ アダージョ」の5楽章から成ります

崔のリードで第1楽章が開始されます ショスタコーヴィチ特有の軽快ながらアイロニカルな第1主題が奏でられます 第2楽章は緊張感のあるヴィオラ独奏から開始されますが、全体的に不穏な雰囲気を醸し出しています 第3楽章は実質的にスケルツォで、激しい音楽が疾走します 安達のヴィオラ・ソロ、植木のチェロ・ソロが素晴らしい 第4楽章では弱音の魅力が発揮されます 弱音器によりすすり泣きのような音楽が繰り広げられます。冒頭の音楽はまるでベートーヴェン後期の弦楽四重奏曲のように重々しく響きました 第5楽章では、4人の奏者による緊迫感に満ちたやり取りによりアグレッシブな演奏が展開し、最後は第1主題が勢いを減じて奏でられる中、静かに曲を閉じました

この日の演奏は、全曲演奏会の第1回目に相応しい集中力に満ちた素晴らしい演奏でした 第2回目(第4、5,6番)の公演は7月28日に開催すると崔氏からアナウンスがありました 是非聴きたいと思います。小ホールでもスマホによるカーテンコール時の撮影が可能となりました 私の今年初コンサートの記念に1枚撮りました

 

     

 

ところで、本公演を聴くにあたりアメリカの弦楽四重奏団「パシフィカ・クァルテット」のCDで予習しました どこまでもクリアで切れ味鋭い演奏です

 

     

 

1994年結成のこのクァルテットを初めて聴いたのは、2011年に始まった「サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン」でベートーヴェン「弦楽四重奏曲 全曲演奏会」を弾いた時です   演奏にすっかり魅了され、大好きなメンデルスゾーンの「弦楽四重奏曲全集」のCDを買い求めました

 

     

 

【訂正】1月9日17時30分

崔氏のツイッターによると、次回の公演は7月28日ではなく来年の1月28日(日)です。1と7を聞き間違えました。訂正します

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シャンタル・アケルマン監督「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080,コメルス河畔通り23番地」を観る ~ 主婦の3日間の日常生活を淡々と描くが、最後に驚きの結末が待っている

2023年01月08日 07時14分53秒 | 日記

8日(日)。わが家に来てから今日で2918日目を迎え、ロシアのプーチン大統領が一方的に自国軍に命じた36時間の「停戦」が始まった6日、ウクライナ側によると、各地でミサイルなどによるロシア軍による攻撃があった  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     プーチンの停戦命令なんて 自国軍立て直しの時間稼ぎに過ぎない 誰が信用するか

 

         

 

早稲田松竹でシャンタル・アケルマン監督による1975年製作ベルギー・フランス合作映画「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080,コメルス河畔通り23番地」(3時間21分)を観ました

未亡人のジャンヌ・ディエルマン(デルフィーヌ・セリッグ)は、思春期の息子(ヤン・デコルテ)と共に、ブリュッセルのアパートメントで暮らしている 彼女は朝起きて顔を洗い、お湯を沸かして朝食の用意をし、息子の靴を磨く 息子を起こして一緒に朝食を取り、息子を学校に送り出す。息子と自分のベッドメイキングをして、隣人の赤ん坊を預かり、隣人が引き取りに来てから街へ買い物へ出かける そして、自宅に戻ってから客を受け入れる。彼女は自宅で売春をしている その後、風呂に入り、夕食の支度をして学校から帰った息子を受け入れ、一緒に夕食を取る。食後は息子と必ず散歩に出る。帰って来てからベッドで読書をしている息子に早く寝るよう催促し、自分もベッドに入る・・・ルーティンとも言える そんな単調な日常生活を送っている しかし、規則正しかった彼女の生活は少しずつ秩序を失っていく 3日目、彼女はベッド上の男性客を刺殺する

 

     

 

この映画は未亡人の3日間のごく普通の日常生活をクローズアップ撮影などを避けて淡々と描いていますが、あらゆるものが少ないのが特徴と言えます 第一に登場人物が少ない。主人公のジャンヌと息子、赤ん坊を預けに来る隣人、ジャンヌの客(3人)、ジャンヌが買い物の時に相手をするお店の人たちなどです 第二に、登場人物がセリフを言うシーンが少ない。したがって3時間21分の全体的な印象は「静かな映画」と言えます その反面、ジャンヌの動きは雄弁です。特に印象に残るのは、キッチンで料理をしていて、次の行動に移る時は必ず部屋の電気を消します。そして次の部屋に行くとスイッチを入れて電気を点けます その部屋を出る時はスイッチを消す・・・というように、電気を点けたり消したりという行動が頻繁に行われます これは主婦としての節約志向とともにジャンヌの几帳面な性格を表しているかのようです

ジャンヌの日常生活が少しずつ狂っていく兆候はいくつもあります 靴磨きのシーンで、靴ブラシを手を滑らせて落としてしまう また、ナイフやスプーンやフォークを1本1本 布巾で拭いて片づけるシーンでは、ナイフを落としてしまう   ジャガイモを茹ですぎて焦がしてしまい作り直す また、いつの間にかコートのボタンが1つ取れていて、同じものを買いに行くが、どこにも売っていない 行きつけのカフェでは、お気に入りの席が見知らぬ女性に占められていて、注文したコーヒーを飲まずに帰ってくる 極め付きは3日目の客を取った時のシーンです。初めてベッド上の男とジャンヌの姿が映し出されますが、彼女の顔には 男から肉体的にも精神的にも屈辱を受けたような苦痛に満ちた表情が浮かんでいました これらの小さな出来事の積み重ねがラストの悲劇の前兆になっているように思います

映画のラストシーンは、男性客を刺殺した後、薄暗い居間で椅子に座り呆然自失のジャンヌを、カメラが長回しで映し出します 「私はなぜ男を殺してしまったのか? 帰ってくる息子にどう説明しようか? これからどうやって生きていこうか?」と自問しているように見えます

アケルマン監督は本作のタイトル「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080,コメルス河畔通り23番地」のように長い3時間21分の中で何を言いたかったのか? 「毎日の単調な家事や育児は女性が負わなければならない」という世相に対する抗議か?  ルーティンのような日常生活が乱される出来事が続くと、人間は衝動的に何をするか分からない、という警告か? 残念ながら私にはよく分かりません

さて、音楽です 1日目にジャンヌと息子がラジオから流れてくる音楽に耳を傾けるシーンがありますが、アナウンスのテロップが次のように出ていました

「ベートーヴェンの小品をお届けします。『エリーゼのために』。イ単調です

思わず(内緒で)笑ってしまいました 言うまでもなく『エリーゼのために』はイ単調ではなくイ短調です 翻訳が異端調でした

ところで、ジャンヌを演じたデルフィーヌ・セリッグはアラン・レネ監督「去年マリエンバードで」(1961年)やルイス・ブニュエル監督「ブルジョワジーの密かな愉しみ」(1972年)にも出演していますが、後者を是非観たいと思っています ブルジョワジーたちが食卓を囲んでいると、突然後ろの幕が開き、自分たちが観客に観られている、といったシュールな映画です 2回ほど観ましたが、是非また観たいと思います

 

     

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ステージ展望 クラシック」を読んで ~ 日経の記事から / 「デヴィッド・レターマン 今日のゲストはヴォロドミル・ゼレンスキー」を観る ~ 大統領への最新インタビュー:Netflix

2023年01月07日 07時03分42秒 | 日記

7日(土)。昨日の日経夕刊文化欄に「ステージ展望 クラシック」という記事が掲載されていました 超略すると次の通りです

「今年は大規模音楽祭が本格的に復活する予定だ 新型コロナ禍が始まってから規模を縮小、あるいは中止していた『東京・春・音楽祭』と『ラ・フォル・ジュルネ・音楽祭』だ 3~4月の『東京・春・音楽祭』では、リッカルド・ムーティ指揮による『仮面舞踏会』や、マレク・ヤノフスキ指揮による『ニュルンベルクのマイスタージンガー』が上演される 5月4~6日には東京・丸の内地域で『ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2023』がある。テーマは『ベートーヴェン』だ 生誕250年にあたる2020年に開催予定だったが、コロナ禍で中止になった。そのリベンジともいえる オペラでは、新しい演出によるイタリアオペラの名作上演が続く。宝塚歌劇団で人気作を生み出してきた演出家の上田久美子が『道化師』と『カヴァレリア・ルスティカーナ』に挑む 二期会はジュネーブ大劇場との共同制作による『トゥーランドット』を上演する 新国立劇場はフランコ・ゼッフィレッリ演出による『アイーダ』を開場25周年として上演する

東京春祭のムーティ指揮による『仮面舞踏会』とマレク・ヤノフスキ指揮による『ニュルンベルクのマイスタージンガー』はとても楽しみです 『ラ・フォル・ジュルネ音楽祭』はフランスのナントで1995年に創設・開催されましたが、日本では2005年に初めて開催され、その時のテーマは「ベートーヴェンと仲間たち」でした その意味では、今回は原点回帰とでも言うべき音楽祭となります フランコ・ゼッフィレッリ演出によるヴェルディ『アイーダ』は1997年秋にオープンした新国立劇場の開場記念公演の一環として98年1月に初めて上演されて以来、節目ごとに上演され続けてきました ゼフィレッリ演出によるリアリティを追求した絢爛豪華な演出・舞台はプッチーニ「ラ・ボエーム」、同「トゥーランドット」とともに一度観たら忘れられません 今年の公演も とても楽しみです

ということで、わが家に来てから今日で2917日目を迎え、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党総書記が4日、同国の少年組織「朝鮮少年団」に新年のプレゼントとして日本の SEIKO と、同社のサブブランド ALBA の時計を贈呈した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     ミサイルを日本海に向けて撃ってる割には日本が大好きみたいだ  撃つの止めたら?

 

         

 

昨日、夕食に「肉じゃが」「生野菜とヒジキのサラダ」「大根の味噌汁」を作りました 肉じゃがは、前回醤油を多く入れ過ぎてしょっぱかったので、今回は気を付けて作りました

 

     

 

         

 

Netflixでマイケル・スティード監督「デヴィッド・レターマン 今日のゲストはヴォロドミル・ゼレンスキー」(44分)を観ました デヴィッド・レターマン(1947~)はアメリカ・インディアナ州出身のコメディアン・司会者・プロデューサーで、現在「デヴィッド・レターマン 今日のゲストは大スター」というテレビ番組(シリーズ)の司会者を務めています この回のゲストはウクライナのヴォロドミル・ゼレンスキー大統領です

 

     

 

デヴィッドはアメリカからポーランドに飛び、そこから14時間かけて列車でウクライナのキーウに入ったことを伝えます そして、エスカレーターで地下90メートルにある地下鉄構内に向かいます そこでインタビューが行われるのです 身の安全を確保するためにはそこしかないからです 2人の握手から、同時通訳を介してのインタビューが始まりますが、地下鉄構内ということで、インタビューの最中もすぐ近くを電車が音を立てて走っていきます また、避難のためのサイレンが聞えてきて、今この瞬間にも戦争が続いているリアリティを感じさせます その時、デヴィッドが「サイレンが鳴っています。どうしますか?」と訊くと、ゼレンスキーは「何もしません。よいことではありませんが、サイレンには慣れてしまっています」と、戦争が日常化している実態について語ります さらに、「戦争によって本当に愛するものが明らかになりました。子ども、日常、朝。サイレンの鳴らない静寂です」と語っています

ロシアのプーチン大統領については、「残念なことですが、多くの国民がプーチンの言うことを信じています プーチンは情報統制によって国民をうまく取り込んでいる。ウクライナなど取るに足らない存在だと思い込ませています そして、多くの国民は現実から目を背けている」と語ります。「何らかの理由でプーチンが死んだとしたら、戦争は終わると思いますか?」との問いには、「終わります。独裁政権では一人の独裁者の力が大きすぎてリスクが大きい。もしプーチンが死んだら、外交問題よりも内政問題の方が大変なことになると思います」と語ります

「戦争はいつ終わると思いますか?」との問いには「誰もがそれを知りたいと思っていますが、簡単に言うことはできません 我々にとっては、すべての領土を完全に取り戻した時に終わるでしょう」と語ります。ゼレンスキー夫人がアメリカに渡り、議会で支援を訴えたことについては、「妻が母親の立場で、ウクライナへの支援を訴えたことから、欧米諸国からの支援が増えました その意味では大きな役割を果たしてくれました」と語っています

デヴィッドはコメディアンであることから、同じコメディアン出身のゼレンスキーに「戦時下でも冗談を言うことができますか?」と挑発します すると、ゼレンスキーは「普段笑うことがなくなってしまった現在では、嬉しい質問です 厳しい情勢下だからこそユーモア精神を失ってはならないと思います」として、一つのジョークを紹介します

「オデーサ出身の2人のユダヤ人が出会い、一人が聞きました 『今の状況は?  みんな何と言ってる?』。もう一人が答えます。『戦争だと言ってる』。『何の戦争?』『ロシアとNATOが戦ってる』『どうなってる?』『7万人のロシア兵が戦死した。ミサイルの備蓄はもうじき底をつく。戦車や戦闘機の大半が破壊尽くされた』『NATOは?』『まだ来ていない』」

この辺のユーモアはその辺の大統領や首相ではとても太刀打ちできません こういう人でなければ戦時下の大統領は務まらないのだと思います

画像やインタビューの内容から、この映像はロシアの侵略が始まって9か月経った時点(11月頃)でのインタビューだということが判ります あと2か月弱でロシアの侵略から1年経とうとする現在もなお、ウクライナでの戦争は続いています プーチン大統領は一時的な停戦を提案しているようですが、ゼレンスキー大統領の言葉からすれば、全領土を取り戻すまでは全国民を挙げての戦いを止めないでしょう

ゼレンスキー大統領が何を考えているかを知るための貴重なインタビューです 一人でも多くの人に観てほしいと思います

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三宅唱監督「ケイコ 目を澄ませて」を観る ~ 岸井ゆきのが演じる聴覚障碍ボクサーのドラマ:単なるスポ根ドラマにあらず / 岸井ゆきのへのインタビューも紹介

2023年01月06日 07時06分11秒 | 日記

6日(金)。わが家に来てから今日で2916日目を迎え、米連邦議会下院で3~4日に計6回実施した議長選挙で、どの候補も当選に必要な過半数を得られない異常事態に陥ったが、共和党のトランプ前大統領に近い議員が、本命視されていたマッカーシー院内総務の議長就任に造反したことが原因である  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     トランプが説得に乗り出したが 全く効果がなかった もはやトランプ党の面影なし

 

         

 

昨日、夕食に「もやし巻き豚肉生姜焼き」「生野菜とプチヴェールのサラダ」「舞茸の味噌汁」を作りました プチヴェールは息子が山形から持参した野菜で、キャベツを小さくしたような形をしています 残念ながらサッポロCLASSICは売り切れで、キリン一番搾りにしました

 

     

 

         

 

昨日、渋谷のユーロスペースで三宅唱監督による2022年製作映画「ケイコ  目を澄ませて」(99分)を観ました

生まれつき聴覚障碍で両耳とも聴こえないケイコ(岸井ゆきの)は、再開発が進む下町で弟と共に暮らし、ホテルの室内清掃係として働く傍らで、地元の小さなボクシングジムで鍛錬を重ねる。故郷の母はいつまで続けるのかと心配するが、プロボクサーとしてリングに立ち続ける ジムの会長(三浦友和)やトレーナーはケイコを特別扱いせず厳しい練習を課す 嘘がつけず愛想笑いも苦手な彼女には悩みが尽きず、言葉に出来ない思いが心の中に溜まっていく 会長あてに「すこし休みたい」と手紙を綴るが出すことができない そんなある日、ケイコはジムが閉鎖されることを知る 不安と不満が重なる中、彼女は満を持して次の試合に臨む

 

     

 

この映画は、耳が聞こえない元プロボクサー・小笠原恵子の自伝「負けないで!」を原案として描いたヒューマンドラマです

女性のボクサーを主人公とした映画では、安藤サクラが主役を務め「第39回日本アカデミー賞」最優秀女優賞を受賞した「百円の恋」(2014年)を思い出しますが、テイストはまったく違います

 

     

 

正直に言うと、岸井ゆきのという俳優の映画は「前田建設ファンタジー営業部」「空に住む」(いずれも2020年)しか観たことがありません あの有名な「愛がなんだ」も観ていません 「何となくふわっとした雰囲気をまとった俳優さんだなぁ」という印象しかありませんでした しかし、今回のボクサーを演じる彼女を見て、イメージがガラッと変わりました 彼女はこの役柄で俳優として大きな飛躍をしたのではないか、と思います

トレーナーを相手にケイコがスパーリングをするシーンが凄い 岸井ゆきのの目の鋭さと素晴らしい身体能力を通して、ボクサーの集中力や本気度が伝わってきます

「字幕スーパー」付きなので、例えば、遠くから車の走る音が聴こえてくれば「遠くから車の走る音が聴こえる」と字幕スーパーが出ます それは、聴覚障碍者にもこの映画を観てほしい、という興行的な目的もあるでしょうが、健常者のわれわれにケイコと同じ立場に立たせているとも考えられます

 

     

 

昨年12月23日付の朝日新聞夕刊に、岸井ゆきののインタビュー記事が載っていました 彼女は語ります

「(最初は)企画とプロデューサーと私(岸井)しか決まっていなかった 自分に何ができるのか。その責任を一人で背負わされないといけない気がして本当に怖かった

ケイコの本質がつかめたのは撮影前の約3か月に及ぶボクシングの練習を始めてしばらく経ってからだったようです

「週5で始めたのですが、最初は『人を殴るんだ』と前向きになれない自分がいた でも、フックが決まる瞬間や繰り出すコンビネーションが速くなるのが分かって、『自分との戦い』だと感じた 自宅でも糖質制限に取り組んで、ずっとケイコと一緒。自分にも勇気が蓄えられていった 今思えば、撮影に向かう自分と試合に向かうケイコは重なっていましたね

本作は大きな財産になったのではないか、との問いかけに岸井は次のように語っています

「そうですね。私の人生は豊かになったと思います 映画がもっと好きになりました 自分が俳優を始める前から、その作品を観ていた映画監督のM.ナイト・シャマランやフランソワ・オゾンらがいた(今年の)ベルリン国際映画祭で『ケイコ』を上映できて、まったく自分には関係ないところだと思っていた場所で、俳優としての自分の映画が上映されるということ 生まれた場所も年代も違うけれど、感じてもらえることがある。映画が海を渡る貴重さを感じました

「ケイコの撮影が終わって『何もない。また自分がゼロになってしまった』という不安が今もあるんです でも、ある年上の友人から『ゼロ地点に戻ったと思うかもしれないけど、実はその標高は確実に高くなっている 高さが上がっているということは今まで見ていなかったことが見えている。あなたが上がっていると思わなくても、下から押し上げられていくものだから、それでいいんじゃない?』って。すごくホッとしたんです その高さをグンと上げてくれた映画が、ケイコです

映画は、最後の試合に臨んだケイコが、相手に足を踏まれて転倒したのをダウンと判定されて感情的になり、冷静さを失ってガードが甘くなり、ノックアウトされてしまうという結末で終わりますが、これで良かったのだと思います これが「聴覚障碍者が厳しい練習に耐えて試合に勝った 会長も喜んだ ジムの閉鎖に華を添えた」というのでは単なるスポ根ドラマです これはそういう映画ではありません

地道に生きているごく普通の人々に勇気を与えてくれる作品としてお薦めします

 

     

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

橘玲著「バカと無知 人間、この不合理な生きもの」を読む ~ バカは自分がバカであることに気づいていないという大問題

2023年01月05日 07時05分22秒 | 日記

5日(木)。わが家に来てから今日で2915日目を迎え、EU欧州委員会は3日、新型コロナウイルス感染者が急増している中国にワクチンの寄付など支援を申し出たが、中国外務省の毛寧副報道局長は同日の記者会見で「中国は世界最大級の新型コロナワクチンの生産能力がある。必要な人に接種する能力はある」と述べ、支援は必要ないとの立場を示した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     中国製ワクチンが効かないから感染拡大が止まらないんじゃね? メンツの問題だね

 

         

 

今年初めて作った料理は「ビーフカレー」と「生野菜とアボカドのサラダ」でした わが家のビーフカレーは、牛バラ肉を使います。まるで牛丼屋のカレーのようですが、そのまんまです 赤ワインを開けました

 

     

 

         

 

橘玲著「バカと無知 人間、この不合理な生きもの」(新潮新書)を読み終わりました これで2023年は元日から1日1冊3日間連続で読んだことになります 著者の橘玲(たちばな あきら)は1959年生まれ。作家。2002年に金融小説「マネーロンダリング」でデビュー 「お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方」が30万部超のベストセラーとなる 「言ってはいけない 残酷すぎる真実」で2017年新書大賞を受賞

 

     

 

本書は「週刊新潮」の連載「人間、この不都合な生きもの」(2021年8月~22年6月)を加筆・修正したうえ、付論2編を加えた新書です

本書は大きく次の5つのパートから構成されています

PARTⅠ「正義は最大の娯楽である」・・自分より優れた者は「損失」、劣った者は「報酬」、ほか。

PARTⅡ「バカと無知」・・バカは自分がバカであることに気づいていない、ほか。

PARTⅢ「やっかいな自尊心」・・いつも相手より有利でいたい、ほか。

PARTⅣ「差別と偏見」・・誰もが偏見を持っている、ほか。

PARTⅤ「すべての記憶は『偽物』である」・・トラウマとPTSDのやっかいな関係、ほか。

著者はPARTⅡ「バカと無知」の中で次のようなエピソードを紹介しています

「心理学者デビッド・ダニングと博士課程のジャスティン・クルーガーは、『能力の低い者は、自分の能力が低いことを正しく認識できているのか』を確かめるため、学生たちを対象に調査を行った。その結果出た結論は『バカの問題は、自分がバカであることに気づいていないということだ』というものだった

これについて橘氏は次のようにコメントします

「自分の能力についての客観的な事実を提示されても、バカはその事実を正しく理解できないので(なぜならバカだから)自分の評価を修正しないばかりか、ますます自分の能力に自信を持つようになる。まさに『バカにつける薬はない』のだ

次に、日本人の無知に関する意外な実態について衝撃的な事実を突きつけます

「OECD加盟の先進国を中心に、24か国・地域の16歳~65歳の約15万7000人を対象に2011~12年に実施されたPIAAC(国際成人力調査=学習到達度調査の大人版)によると、①日本人のおよそ3分の1は『日本語』が読めない ②日本人の3分の1以上が小学校3~4年生以下の数的思考力しかない ③パソコンを使った基本的な仕事ができる日本人は1割以下しかいない というものだった。しかし、もっと驚くのは、この成績は先進国で1位だったことだ 調査では①先進国の成人の約半分は簡単な文章が読めない、②先進国の成人の半分以上が小学校3~4年生以下の数的思考力しかない、③先進国の成人のうち、パソコンを使った基本的な仕事ができるのは20人に1人しかいないことが判った これは一般には知られていないだけで、専門家には周知の事実だったはずだ

この数値は約10年前のものであり、調査サンプル自体が少ないのではないか、という疑問もありますが、それを差し引いても衝撃的な数値です 日本人はこれほど無知の人が多いのか。さらに世界はこれほど酷いのかという衝撃です

また「バカ」と「無知」の違いについて次のように解説します

「バカと無知はちがう。バカは能力の問題だが、無知は問題解決に必要な知識を欠いていることだ あなたがどれほど賢くても無知な可能性があるし、実際にはほとんどのことで無知だろう。私たちが無知なのは、現代社会がものすごく複雑だからだ。日常のあらゆる疑問(飛行機はなぜ飛べるのか?)に対して厳密な知識を得ようと思えば、2つか3つで人生が終わってしまう・・・研究者というのは、たった一つの疑問を生涯考え続ける人のことだ。もちろん、すべてのことに無知だと生きていくことができない そのため私たちは、厳しい制約(1日は24時間で、睡眠時間を除けば16時間程度しかない)のなかで、なんとか必要最低限の知識を手に入れようと四苦八苦している

PARTⅤ「すべての記憶は『偽物』である」の中で著者は、記憶研究の大家エリザベス・ロフタスの学生の一人が実施した「ショッピングセンターの迷子記憶実験」を紹介しています

「学生は14歳の弟に子どもの時に起きた出来事を4つ示し、それについて思い出したことを毎日、日記に書くように求めた そのなかに、5歳の時にショッピングセンターで迷子になったという作り話を紛れ込ませておいた すると弟は、早くも1日目の日記で『親切なおじさん』を思い出し、数週間後には、そのおじさんが青いフランネルのシャツを着ていたことや、頭がすこし禿げて眼鏡をかけていたことなど、細部を説明するまでになった 兄から、ショッピングセンターで迷子になった記憶が偽りだと告げられても、弟は信じようとしなかった。それに対して、実際に起きた出来事の1つは、最後までまったく思い出せなかった

これに対し著者は次のように解説します

「なぜこんなことになるのか。それは記憶が、パソコンのハードディスクに保存されているようなものではなく、流動的でつねに書き換え可能だからだ 誰でも子どもの時代に迷子になって不安に思ったことや、家族と一緒にショッピングセンターに行った思い出があるだろう。すると、実際に起きていない出来事であっても、ちょっとしたきっかけで、こうした記憶の断片が簡単に結びついてしまう。だが被験者は、この過程を『忘れていた記憶が蘇った』と体験するため、捏造された記憶が”事実”になってしまうのだ

これについては、経験があります  「高校時代の雪が降る日の音楽の授業のとき、クラスの男子生徒だけで授業をボイコットして音楽教室から抜け出して雪で遊んでいた」という記憶がありました

数年前に高校時代のクラス会が開かれた際、授業のボイコットの話が出た時に私が上記の話をすると、複数のクラスメイトが次のように言ったのです

「それは音楽の授業ではなく世界史の授業だった

なぜ私だけが勘違いしていたのか? と後で振り返ってみて、次のような結論に達しました

私は吹奏楽部(部活)所属の生徒ばかりを”えこ贔屓”する高齢の男性音楽教師が大嫌いでした 中学の頃は音楽が大好きだったのに、嫌いになったのはあの教師のせいでした 一方、世界史は教育実習を終えて学校に赴任したばかりの女性教師でした。なぜか、男子生徒の一部はその教師が気に入らず、授業中に騒いだり、チョークを投げたりして、今で言う「いじめ」の対象にしていました 教師は泣いて教室を出ていくことが何度かありました 私は彼らの仲間に加わっているわけではなかったのですが、一緒にボイコットしたので共犯だったことになります

つまり、ボイコットの対象を世界史の授業ではなく嫌いな音楽の授業に書き換えて保存していたのです 意識したわけではないのに「記憶を自分の都合のよいように書き換える」という経験から、「すべての記憶は『偽物』である」という著者の指摘はよく理解できます

本書では、「キャンセルカルチャーという快感」「過剰敬語『よろしかったでしょうか』の秘密」「善意の名を借りたマウンティング」など、興味深いテーマで興味を引き付けて止みません お薦めします

toraブログのトータル閲覧数が750万PVを超えました( 7,502,392 P V 。トータル訪問者数は 2,319,133 I P )。これもひとえに普段からご覧いただいている読者の皆さまのお陰と感謝しております これからもド根性で毎日書き続けて参りますので、モコタロともどもよろしくお願いいたします

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

林真理子著「成熟スイッチ」を読む ~ 暴走老人にならないための4つの成熟=「人間関係の心得」「世間を渡る作法」「面白がって生きる」「人生を俯瞰する」

2023年01月04日 07時00分25秒 | 日記

4日(水)。昨日は、息子と2人で品川の義父の家に年始の挨拶に行ってきました   娘が仕事の都合で行けなかったので義父はガックリですが、息子が行けたので何とか気を持ち直してくれたようです たくさんご馳走になってきたので夕食はいりませんでした

ということで、わが家に来てから今日で2914日目を迎え、3日に開会する米国の新議会で、下院多数派となる共和党を率いるケビン・マッカーシー院内総務が議長就任を狙うが、共和党議員の一部が造反を公言し、過半数の支持獲得にてこずっている  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     これも 共和党内部のトランプ離れの大きな潮流の一部なんだろうな  無理もないよ

 

         

 

林真理子著「成熟スイッチ」(講談社現代新書)を読み終わりました 林真理子は1954年山梨県生まれ。日本大学芸術学部を卒業後、コピーライターとして活躍 1982年にエッセイ集「ルンルンを買っておうちに帰ろう」がベストセラーとなる 1986年「最終便に間に合えば」「京都まで」で第94回直木賞を受賞 以後、数々の文学賞を受賞。2020年に、週刊文春での連載エッセイが「同一雑誌におけるエッセイの最多掲載回数」としてギネス世界記録に認定される 2022年7月に日本大学理事長に就任し全国的に話題となる

 

     

 

著者は「まえがき」の中で次のように書いています

「人は年をとると外見だけでなく内面も変化していきます。よい方に変わっていくと、精神や人間性が成熟へと向かいます」「年齢を重ねたからといって、人は自然に成熟に向かっているわけではありません。『老害』という言葉には肌寒い思いがしますが、ご存じのように『暴走老人』やその予備軍になってしまう人もたくさんいます」「年をとって、後輩に成熟の素晴らしさを教えてくれる人と、老いの醜さを見せつける人がいます    若い頃には、それほど違いがなかったかもしれない人たちが、歳月を経ると、まるで別世界の住人のように振り分けられていきます。成熟にも格差が生じてくるのです」「『さあ成熟しよう』と思って成熟できるわけではありません   長い年月をかけて当人も気付かないような小さな変化を重ねていった結果、人は大きく変わっていきます

そして「序章」の中で、「心がければすぐにスイッチを探せそうで、なおかつ最も大事だと思う『4つの成熟』について」次のように説明しています

①人間関係の心得・・・「人間力のある人には、人望がついてきます。いざという時に自分のために喜んで力を貸してくれる人がいるか。人間関係は成熟にとって、最大の財産です

②世間を渡る作法・・・「とりわけ大切な作法といえば、感謝の気持ちを忘れないこと、そして常に相手の気持ちに立って考えること マナー本には載っていないマナーでこそ、人と差がつくのです」

③面白がって生きる・・・「いろいろなことを面白がって生きている人の姿というのは、後塵を拝する者を何よりも勇気づけてくれるものです 年をとっても好奇心を漲らせていられる人生の幸福度を決定づける仕事は、できるだけ面白がりたい

④人生を俯瞰する・・・「人生という長い時間の中で現在を俯瞰して考えると、見えてくるものがあります 客観的に現在の自分を見極めることも、俯瞰する力、すなわち『俯瞰力』です

そして上記①~④を第1章以降で著者自身の経験を交えながら解説していきます

私が本書を読んで「その通りだ」と思った”成熟スイッチ”の一つは「感謝の気持ちを忘れないこと、そして常に相手の気持ちに立って考えること」です 人が自分のために何かをしてくれて、それが回数を重ねると、それが当たり前にように思ってしまいがちです しかし、相手は自分のためにわざわざ時間を割き、ある時は経済的な負担をしてくれているのだということを、その都度認識すべきだと思います これは親子の関係でも言えることです。「親が子のために何かをしてくれるのは当然だ」と考えている人が少なくないと思いますが、それは間違いです 親がどんなに大変な思いをして育ててきたかを認識すべきです。親しき中にも礼儀あり。わが家では「ありがとう」の言葉を忘れません

もう一つは、「客観的に現在の自分を見極める『俯瞰力』」を持つことの大切さです 「自分のことは自分が一番よく知っている」と思いがちですが、実は他人から見たら「鼻持ちならない奴」と思われているかもしれません(ン、俺のことか) 自分では当たり前だと思っていることが、世間では当たり前ではなく、自分だけが例外だということもあり得ます 他人様のブログを拝見していると、中には「自分で自分の書いていることが分かっているのか?」と思うような支離滅裂なことを書いて、一人悦に入っている人がいますが、笑止千万です

「面白がって生きる」というのも良く分かります。「年をとっても好奇心を失わずに生きる」と言い換えても良いと思います 私の場合はクラシック・コンサートと映画鑑賞と読書を趣味にしているので、この3つについては日ごろからアンテナを張って情報を収集し、これからの行動に活かしています その点、新聞は情報の宝庫です またツイッターは最新情報を得るための最適のツールです 蛇足ですが、趣味が一つだけだといずれ行き詰まる恐れがありますが、複数あると「面白がって生きる」可能性が広がります この3年間のコロナ禍で、私の場合、百数十回のコンサートが中止となり、払い戻しとなりました また映画館は閉館し映画も観られない状況も続きました その間、私には読書という選択肢が残っていました。読みたい本をまとめ買いして、片っ端から読んでいきました

本書は暴走老人にならず、人間として成熟するにはどうしたら良いかについて具体的に解説を加えています これからどう生きていったらよいかを模索している方々に、特にお薦めします

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パウル・ベッカー著「西洋音楽史」を読む ~ 音楽史のキーワードは「形式」と「変容」 / ショパン・コンクール 第2位と第4位のご結婚おめでとうございます!

2023年01月03日 07時00分12秒 | 日記

3日(火)。新年早々の反田恭平さんと小林愛実さんの結婚発表には驚きと同時に、「やっぱりそうだよね」という当然の帰結みたいな安心感がありました 幼なじみのお二人の増々のご活躍をお祈りしております。面識はありませんが

昨日は息子と2人で埼玉県S氏の実家に年始参りに行ってきました コロナ禍のため、妹の孫たち3人にお年玉をあげてさっさと帰ってきました

ということで、わが家に来てから今日で2913日目を迎え、ウクライナのダニロフ国家安全保障・国防会議書記は1日の地元テレビで、中国を念頭に、ロシアが「植民地になる可能性がある」と主張、兵器不足に陥り思うようにウクライナ侵攻を進められないロシアが「隣国」の支援を受け、やがて支配下に置かれるシナリオに言及した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     プーチンの目指す「偉大なるロシア」は「意外なるロシア」となり 中国は大国に?

 

         

 

昨日の夕食は、息子が「スペアリブ」「トマトとキノコのスープ」「レタスとミニトマトのサラダ」を作ってくれました どれもがとても美味しかったです

 

     

     

         

 

パウル・ベッカー著「西洋音楽史」(河出文庫)を読み終わりました パウル・ベッカーは1882年、ベルリン生まれ。幼少時からピアノとヴァイオリンを学ぶ。1901年からベルリン宮廷歌劇場(現在の国立歌劇場)で、後にベルリン・フィルでもヴァイオリンをエキストラで弾く 1902年、03年には地方劇場で指揮活動を行い、1905年に音楽評論家に転身した 著書に「ベートーヴェン」「グスタフ・マーラーの交響曲」「ドイツの音楽生活」などがある 1937年没。なお、川上徹太郎(1902~1980)が翻訳を担当している

 

     

 

本書は1924年から25年の冬にかけて、「音楽史上の変遷」(原題「音楽形式の変容史としての音楽史」)という題目のもとに、フランクフルトの南西ドイツ放送で行った講演放送(30分✕20回)をまとめたものです

本書は次の20章から構成されています

第1章「音楽考察への前提」

第2章「形式の発端 ~ ギリシャ人」

第3章「グレゴリオ音楽」

第4章「多声音楽と新芸術」

第5章「ネーデルランド学派」

第6章「多声音楽と和声音楽」

第7章「器楽的和声音楽」

第8章「イタリアの音楽家・オペラとオラトリオ」

第9章「バッハ及びヘンデル Ⅰ」

第10章「バッハ及びヘンデル Ⅱ」

第11章「バッハ・ヘンデルの後継」

第12章「ハイドン」

第13章「グルック」

第14章「モーツアルト」

第15章「ベートーヴェン」

第16章「初期ロマン派 ~ ウェーバーとシューベルト」

第17章「演奏会と歌劇における国民的ロマン主義」

第18章「ワーグナー・ヴェルディ・ビゼー」

第19章「演奏会と歌劇における後期ロマン派」

第20章「新しい転換」

本書の中でベッカーが一貫して主張しているキーワードは「形式」と「変容」です 「形式」とは「ソナタ形式」とか「ロンド形式」とかいったものではなく、時代や文化ごとにある「音楽の聴き方の枠」のことを意味しており、「音楽を聴く形式」は個人/天才の独創の産物ではなく、社会の中で集合的に形成されていくものである、としています

もう一つのキーワード「変容(メタモルフォーゼ)」は、当時の音楽史における「発達」という概念に対するアンチテーゼとして使われています ベッカーは次のように説明しています

「今日 世にある音楽史を開けてみると、至るところで発達という言葉にぶつかる   あらゆるものには発達がある。初期キリスト教音楽はルネッサンス多声音楽に、声楽は器楽に、交響楽はマンハイム学派からハイドン、モーツアルトを経てベートーヴェンに、また歌曲はシューベルトからフーゴー・ヴォルフへといったふうにだ    以上は単純なものは複雑なものの先駆であり、複雑なものは幼稚なものの向上したものであるという因襲的な見方からきている    この概念は、今日の音楽理論が19世紀の所産であるということから説明がつくのだ。19世紀は、あらゆるものの見方がダーウィンの進化論に支配されていた時代である。しかしこの進化論の適用には、明らかに一つの幸福な過ちが潜んでいる 一つの現象の発展の各段階には、それぞれ因果関係があり、したがって各段階は前の段階の有機的な連鎖として発展するものであることは明瞭である 一見大雑把に根本的に違ったように見える事象の間の関係を釈明したことは、自然科学としての進化論の希有の業績であった。しかし、この学説は、ある事象が、前の事象の発展であり、その絶対的な進歩であるという理由で、より高いものであると考える時に誤謬を犯すのである この点に、この学説の誤った解釈があるのだ。根源を形成する力が常に同等のものであるとしたら、その結果に現れた価値もまた同等のものであるはずだ すなわち、外貌はもちろん変わる。しかし発達するのではなくて、変化するのである 進化論の思想を最初に把握したゲーテは、植物の変形、すなわち植物組織の変化を論じてはいるが進化を論じはしなかった。この進化論に対立する変形の理論を、歴史一般、特に芸術史を論じる根拠としなければならない

分かりやすく言えば、音楽は「グレゴリオ聖歌よりもバッハの方が発達している」とか、「ヘンデルよりもベートーヴェンの方が発達している」とか言うのは間違いである、音楽は「発達している」のではなく「変化(変容)している」のだということです 

「形式」と「変容」についてベッカーは次のようにまとめています

「音楽の形式は変化こそしてきたが、それを進化と呼ぶわけにはいかない あらゆる音楽は、絶対的な意味で、芸術的に等しいものであった すなわち音楽は常にそれを生んだ人間の本質の反映であること、またそれゆえ、幾世紀か前の人間の精神的並びに芸術的な能力が、我々よりいやしくも低いなどと考える資格は、我々にはない

本書はたったの260ページですが、細かい文字でビシッと埋められ、しかも内容が固い本なので半端ない手強さを感じます バッハ・ヘンデルが出てくるのはやっと100ページ目のところです その理由は、著者がバッハ以前の音楽史もそれ以降の音楽史も”音楽の変遷”として等しく扱っているからです クラシック愛好家にとってはバイブル的な存在です お薦めします

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年のCDの聴き初めはヴェルディ「仮面舞踏会」 / 今年も定期演奏会を中心にコンサートを聴きます / 「ロシア人を獣にしたのはテレビ」 ~ スベトラーナ・アレクシエービッチさん

2023年01月02日 07時13分42秒 | 日記

2日(月・振休)。昨日から新年を迎えましたが、娘は仕事の関係で1日から3日まで出勤です 朝4時半に起きて朝食を取り、5時半には家を出て、6時から働き夕方5時ごろ帰ってきます。幸い、夕食だけは息子と3人で取れるのでまだ良い方かなと思うようにしています 休む人の陰には働く人がいることを忘れないようにしたいですね

さて、2023年のCDの聴き初めはヴェルディ「仮面舞踏会」です マリア・カラスがアメリアを歌っているCDで、1956年9月の録音です 3月30日に東京文化会館で開かれる東京・春・音楽祭の「イタリア・オペラ・アカデミー in 東京 ~ ムーティー指揮『仮面舞踏会』(演奏会形式)」の予習です   今から予習して、メロディーを頭に叩き込んでおこうと思います

 

     

     

 

ということで、わが家に来てから今日で2912日目を迎え、ロシアのプーチン大統領は31日、極東でテレビ放送された新年メッセージで、ロシアは今「歴史的領土の住民保護のために闘っている」と述べ、併合を宣言したウクライナ東部・南部4州を自国領として統治していく考えを強調した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     プーチンの誤った歴史認識によりロシアは無謀な戦争を仕掛け、歴史的敗北が目前

 

         

 

昨日の夕食は、息子が「アクアコッタ」と「鶏のキノコ詰め焼き」を作ってくれました はっきり言って両方ともプロ級の味です

 

     

 

         

 

昨日の朝日朝刊第1面トップに2015年に「ノーベル文学賞」を受賞したベラルーシの作家、スベトラーナ・アレクシエービッチさん(74)のインタビュー記事が載っていました 彼女はウクライナ人の母とベラルーシ人の父のもと、旧ソ連時代のウクライナ西部に生まれました 女性兵士の声を集めて戦場の生々しい現実を描いた代表作「戦争は女の顔をしていない」などで知られ、現在はベルリンで事実上の亡命生活を送っています

ロシアの侵略により、ウクライナのブチャなどで残虐な行為が繰り返されたことについて、彼女は次のように語っています

「ドストエフスキーやトルストイは、人間がなぜ獣に変貌するのか理解しようとしてきました 私はロシア人を獣にしたのはテレビだと思います プーチンはこの数年、戦争の準備をしてきた。テレビはウクライナを敵として描き、人々を、ウクライナを憎む獣にするために働きかけてきました 多くのロシア人はテレビを信じています あるウクライナ兵が、(侵攻後に)捕虜にしたロシア兵に『母親に電話して実情を伝えれば解放してやる』と言いました。電話で『ママ、ここにはナチはいない』と話したロシア兵に、母親は『何を言ってるの。誰に吹き込まれたの』と叫んだ。母親が口にしたのはテレビが流す内容でした テレビの力を、私たちは甘く見ていました

「プーチンのプロパガンダ」に徹したテレビしか観るべき手段がない多くのロシア人は不幸です ロシアがウクライナ戦争で負けるのは時間の問題であり歴史の必然ですが、敗北の瞬間からロシアは、独立国家ウクライナの領土を破壊し尽くし、何の罪のない一般市民を殺害したことについて、心からの謝罪と多大な損害賠償をしなければなりません 当然ロシアのメディアにも責任があります。「あれはプーチンがやったことで、私には関係ない」は通用しない ウクライナや世界が許すはずがありません 個人的にはプーチンの蛮行を止められるのはロシア国民しかいないのではないか、と思います 戦争が長引けば長引くほど双方の国の死者は増え、ロシアの負担する損害賠償額は増大します ロシア国民には1日も早く自国の危機的状況に気が付いて、プーチンの蛮行を止める努力をしてほしいと思います

 

         

 

今年もクラシック・コンサートは定期演奏会中心に聴きます 現在、私は下記のオーケストラ・歌劇場の定期会員になっています

①NHK交響楽団 Aプログラム・2日目(NHKホール:全9回)

②  同    Bプログラム・2日目(サントリーホール:全9回)

③読売日本交響楽団 定期演奏会(サントリーホール:全10回)

④   同     名曲シリーズ(   同   :全10回)※2023シーズンから会員登録

⑤新日本フィル すみだクラシックへの扉・1日目(すみだトリフォニーホール:全8回)

⑥東京都交響楽団 定期演奏会Bシリーズ(サントリーホール:全8回)

⑦東京交響楽団 定期演奏会(サントリーホール:全10回)

⑧東京フィル 定期演奏会(サントリーホール:全8回)

⑨東京シティ・フィル 定期演奏会(東京オペラシティコンサートホール:全9回)

⑩    同     ティアラこうとう定期演奏会(ティアラこうとう:全4回)※2023シーズンから会員登録

⑪新国立劇場(オペラ) 定期公演プルミエ=初日公演(新国立劇場「オペラパレス」:全10回)    

単純計算でいくと、上記①~⑪合計で95公演聴くことになります このほか、毎年開催される「都民芸術フェスティバル」(1~3月)、「ラ・フォル・ジュルネ音楽祭」(5月4~6日:テーマは「ベートーヴェン」)、「サントリーホール  チェンバーミュージック・ガーデン」(6月3~18日)、「フェスタ・サマーミューザKAWASAKI」(7~8月)といった音楽祭が加わるので、150公演は超えるかもしれないと予想しています

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする