人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

ナディーン・ラパキー監督「存在のない子供たち」、アリーチェ・ロルヴァケル監督「幸福なラザロ」を観る ~ ベッリーニ「ノルマ」から「清らかな女神よ」、バッハ「平均律クラヴィーア曲集第1巻第8番」も流れる

2020年02月19日 07時19分00秒 | 日記

19日(水)。わが家に来てから今日で1968日目を迎え、米フロリダ大や北京大などのチームは、新型コロナウィルスによる肺炎は 喫煙者が重症になりやすい可能性にあり、中国で死亡した感染者の割合は男性で特に多く、喫煙率が高いこととの関係があるという論文を発表した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     もともと喫煙は肺炎になり易い  これを機会に喫煙者はタバコやめた方がよくね?

 

         

 

昨日の夕食は「すき焼き」にしました 娘と一緒に食事をとることは滅多にないので、たまにはいいかもね   でも、牛肉1人前300グラムは多すぎて少し残しました

 

     

 

         

 

昨日、ギンレイホールで「存在のない子供たち」と「幸福なラザロ」の2本立てを観ました

「存在のない子供たち」はレバノンの女性監督ナディーン・ラパキーによる2018年レバノン・フランス合作映画(125分)です

中東の貧民窟に生まれた12歳のゼインは、貧しい両親が出生届を出さなかったために、自分の誕生日も知らないし、法的には社会に存在すらしていない 学校へ通うこともなく、兄妹たちと路上で物を売るなど、朝から晩まで両親に働かされていた 唯一の心の支えだった大切な妹が11歳で強制結婚させられたことに対する怒りと悲しみからゼインは家を飛び出す 何とか職にありつこうとするゼインだったが、IDを持っていないためそれが出来ない 沿岸部のある町でエチオピア移民の女性と知り合い、彼女の赤ん坊を世話しながら一緒に暮らすことになる しかし、女性が違法滞在の罪で捕まってしまい、ゼインは一人で赤ん坊の世話をしなければならなくなる 国外に出ようとブローカーのところに行くと、出生証明書を持ってこいと言われる。それが家にあると思って自宅に戻ると、嫁いだ妹が夫のせいで死んだことを知らされる 彼は逆上しその男を刺す ゼインは裁判にかけられるが、法廷で両親を告訴する。裁判長から「何の罪で?」と聞かれた彼は、まっすぐ前を見つめて「僕を生んだ罪で」と答える

 

     

 

ナディーン・ラパキー監督は、この映画を撮るために、リサーチに3年をかけ、自身が目撃し経験したことを盛り込んでフィクションに仕上げたといいます 主人公ゼイン(ゼイン・アル=ラフィーア)をはじめ出演者のほとんどは、演じる役柄によく似た境遇にある素人を集めたそうです それが、リアリティーに満ちたストーリー展開を可能にしています

この映画は、中東における貧困の実態と、IDを持たない移民の置かれた苛酷な環境をドキュメンタリータッチで描いており、心を揺さぶります 現実の世界でもこれに近いことが起こっているのだろうな、と思わされます 最後の裁判シーンで、裁判官に「何か言う事はあるか?」と聞かれたゼインは「育てられないなら、子どもを産むな」と吐き捨てるように言います。この言葉は重いです

貧しさゆえに親からまともな愛情を受けることができずに生きる悲しそうなゼインの顔が忘れられない映画ですが、ID用の写真を撮るラストシーンで「死亡証明書の写真じゃないんだから、笑いなさい」と言われて、これ以上ない笑顔を見せるゼインの顔が、また忘れられません

 

         

 

「幸福なラザロ」はイタリアの女性監督アリーチェ・ロルヴァケルによる2018年イタリア映画(127分)です

時は20世紀後半。社会と隔絶したイタリア中部の小さな村で、素朴な青年ラザロと村人たちは領主の侯爵夫人から小作制度の廃止も知らされず、昔のままタダ働きをさせられていた ことろが、夫人の息子タンクレディが起こした狂言誘拐騒ぎを発端に、夫人の搾取の実態が村人たちに知られることになる これをきっかけに村人たちは外の世界へと出て行くのだが、ラザロだけは村に留まる。ラザロは領主の家から調度品を勝手に持ち出す2人組の男に出会うが、素朴な彼は彼らを信じて 彼らと行動を共にすることになる   トラックで彼らの根城に行くと、村で一緒だったアント二アがいた。彼女も泥棒の一味だった    その後、ひょんなことからタンクレディと再会するが、彼は落ちぶれてみじめな暮らしをしていた    彼がラザロに「銀行が融資してくれないのが悪い」と言うと、素朴な彼は信じてしまい、銀行に行って話をつけようとするが、銀行強盗と間違われて他の客に囲まれ袋叩きにあう

 

     

 

この映画は、死から蘇ったとされる聖人ラザロと同じ名を持ち、何も望まず、目立たず、単純に生きる、純粋な魂の持ち主の青年の姿を描いたドラマです

村人たちが外へ出た後、ラザロは崖から滑り落ちて気を失ってしまうのですが、気が付いた時は もう何年も経っているという設定になっています    後に再会するアント二アも、タンクレディも歳を取っているのに、ラザロだけが若いままです。聖人だからでしょう

この映画では、伯爵夫人の邸宅のシーンで、最初にピアノで、次にオルゴールで、ベッリーニのオペラ「ノルマ」のカヴァティーナ「清らかな女神」が流れます 小作人を搾取する伯爵夫人に「ノルマ」はあまり相応しくないと思うのですが、アリーチェ・ロルヴァケル監督はお気に入りなのでしょうか

また、アント二アとラザロたち一行が教会に入ってパイプオルガンを聴こうとすると「一般の人はだめ」と追い出されるシーンがあります。彼らが教会から外へ出ると、いくら演奏しても音は出なくなり、そのメロディーはラザロたちを追いかけるように流れていきます その時流れていたのはバッハの「平均律クラヴィーア曲集 第1巻 第8番 変ホ短調 BWV853 」の「プレリュード」でした ラザロにバッハはカレーライスに福神漬けだと思います

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下山進著「2050年のメディア」を読む ~ 読売、日経、ヤフーを中心に この20年間の巨大メディアの軌跡を調査し、これからの行く末を展望する / 松葉杖を持って走る人の本当の意図は?

2020年02月18日 07時45分27秒 | 日記

18日(火)。毎朝8時過ぎに、目白通りを横断して、手の腱鞘炎の治療のため北区の整骨院に通っているのですが、横断歩道の向こう側からこちらに向かってくる中年男性が気になります 右手に松葉杖を持ち、左手にレジ袋を提げて、信号が青になるや否やこちらに”走って”くるのです 松葉杖を持っていれば 足を怪我していて ゆっくり歩いてくると誰もが思うじゃないですか、奥さん  それが、”走ってくる”のです。それも毎日ですよ アータ 何か理由が、というか ”企み” があるに違いありません 私の推理はこうです

「朝の8時台といえば通勤時間帯で電車は超混んでいる 通勤時間が長いので何とか座席に座りたい。しかし地下鉄都営三田線は東急と直結して以降 なかなか座れない   なにかいい知恵はないか? そうだ、松葉杖をついていれば座っている人が同情して席を譲ってくれるかもしれない ためしに1度やってみたら旨くいった よし、明日から毎日この手でいってみよう

どうでしょうか私の推理は? 「少しでも要領よく、楽に生きていく知恵として取った行動」という解釈は? えっ、推理小説の読み過ぎですって

ということで、わが家に来てから今日で1967日目を迎え、安倍晋三首相は17日午前の衆院予算委員会の集中審議で、12日の立憲民主党の辻元清美幹事長代行の質問後に「意味のない質問だよ」とヤジを飛ばしたことを謝罪した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     意味のないヤジを飛ばすから謝罪することになる  国の代表者にしては情けない!

 

         

 

昨日は寒かったので夕食は「みそ鍋」にしました 材料はキャベツ、シメジ、モヤシ、鶏肉団子、豚バラ肉と「みそ鍋の素」です。鍋はあったまりますね

 

     

     

 

         

 

下山進著「2050年のメディア」(文芸春秋社・1800円+税)を読み終わりました 下山進氏は1986年 早稲田大学政治経済学部政治学科卒。同年から文芸春秋社に編集者として勤務(2019年3月まで)。1993年コロンビア大学ジャーナリズムスクール国際報道上級課程修了。2018年4月から慶應義塾大学総合政策学部特別招聘教授として講座「2050年のメディア」を立ち上げる。この講座を出発点として、インターネット後のメディアの巨大な変化を調査し、本作を上梓した。現在、上智大学文学部新聞学科非常勤講師も務めている。著書に「アメリカ・ジャーナリズム」、「勝負の分かれ目」がある

 

     

 

私が本書を読もうと思ったのは、1月23日に日本記者クラブ・レストランで開かれたK氏を囲む懇親会で「あの本、読んだ?」と話題になったからです どうやら、最近のメディア傾向から新聞協会事務局内におけるパワハラ問題までが扱われているとのことでした しばらく忘れていましたが、先日 書店で目に入ったので購入することにしました

下山氏は巻末の「謝辞」の中で、この本を上梓するに至った経緯を次のように述べています

「文芸春秋に編集者として勤務していた2017年6月、たまたま開いた日本新聞協会の調査データのウエブページで直近の10年間で日本の新聞の部数が約1000万部蒸発し、売上も5645億円失われていたことを知った 1999年に上梓した『勝負の分かれ目』のエピローグで『日本のマスコミに目を移せば、新聞や放送はそれぞれ再販制度、放送法などの規制に守られて業界内での格差はあるにせよ、とりあえず安泰であるかに見える しかし、この変化の波ーすでに70年代には日本の製造業は経験し、90年代に日本の金融業は経験しているーは、やがてこうした太平の惰眠を貪り、旧来の方法を墨守している新聞や放送界にもやってくるだろう』と書いた この20年の間にその『変化の波』は、日本の新聞界を直撃していたのだ この変化の波はどうして起きて、どこに行こうとしているのか。これは、人生のある部分をかけうるに足るテーマだとすぐに分かった このようにして、紙のメディアの破壊的縮小の原因と今後繁栄するメディアの条件を探る調査型の講座『2050年のメディア』が立ち上がったのだった

本書は ひと言でいえば、読売、日経、ヤフーの3社を中心に、インターネット後の20年の軌跡を調査し、メディアの巨大な変化を明らかにしたノンフィクションです

430ページを超えるハードカバーを読み終わってまず感じたのは、筆者・下山進氏の人脈の広さです 文芸春秋社に編集者として長年勤務していた実績からみれば良く理解できます しかも、人脈が広いばかりでなく、書こうとする人物との関係がかなりディープです。この本の中で一番多く登場するのは読売新聞グループ本社の代表取締役社長・山口寿一氏ですが、下山氏は彼の懐に飛び込んで本心を引き出しています これは徹底的な事前調査がなければできないことで、また、お互いの信頼関係がなければできないことです

新聞に絞って話を進めると、全国の加盟新聞社等からの分担金で事業を行う(社)日本新聞協会の会費分担金収入は、部数連動で上下する仕組みから、2001年度には22億6800万円あったのが、2017年度には18億2000万円にまで激減しています(第22章 疲弊する新聞)。その背景にあるのは、新聞各社の主な収入源である販売収入が激減しているという実態です その理由は、いわゆる「読者の新聞離れ」によるところが大きく、とくに若者たちを中心にスマホ・ケータイがあれば新聞はいらないという現象があります それに加え、新聞社の2大収入源の一つである広告収入も激減しているという実態もあります これは、販売部数が多いほど広告収入が多くなる仕組みになっているので、部数が減ればそれだけ広告収入も減るのです。新聞広告は かつて媒体別シェアでテレビ広告に抜かれたのと同じように、インターネット広告に抜かれたばかりか大きく離されているというのが実情です ちなみに電通「日本の広告費2018年」によると、総広告費6兆5300億円に占める新聞広告費のシェアはたったの7.3%で、これに対しインターネット広告費は26.9%で、テレビ広告費の29.3%に迫っています 全盛期の新聞広告とインターネット広告のシェアが逆転しているのが現状です

そうした中で、新聞各社は新聞の「電子版(デジタル新聞)」の発行に力を入れるようになっていることも本書で紹介されています 朝日新聞デジタル、読売新聞オンライン、デジタル毎日、日経電子版などですが、これらの中で最も経営的に順調にいっているのは「日経電子版」のようです 下山氏の著書から離れますが、今年1月17日付の日本経済新聞によると、日本経済新聞朝刊販売部数は223万6437部、電子版有料会員数は69万8627人となっています。これはかなり大きい数字です この背景には、2000年代の前半に、朝日、読売、産経、毎日などの全国紙が自社のウエブサイトやヤフーに自分たちの新聞の記事を ほぼ無料で出していた時に、日経(杉田亮毅社長)だけは「3割ルール」を定め、本紙に掲載された記事の3割しか無料では読ませないことにしており、これがデジタル有料版への重要な布石となったという事実があります(第7章  日経は出さない)

新聞協会事務局内のパワハラ問題については、第22章「疲弊する新聞」に書かれています。要するに新聞の部数激減に伴って会費分担金収入が減った新聞協会で、2013年頃から事務局上層部3人により大幅な人件費節減のための「急進的な成果主義」が着手され、不当な始末書をとり、恣意的な人事考課により降格をし、年収をダウンさせることによって、多くの職員が辞めていった・・・というものです 私は定年前の2009年に同協会を退職しNPCに転職したので詳細は知らなかったのですが、同協会が毎月発行(その後電子化・隔月刊)し、OBにも送られてくる「事務局報」の「事務局人事」欄を見て、中堅職員が次々と退職したり、降格人事が頻繁に行われていることを知り、「何かが変だ??」と思っていました そして2017年6月に朝日と日経の記事を見て初めて新聞協会でパワハラが横行していたことを知り ビックリすると同時に、やっぱりか、と思いました こんなことは新聞協会の歴史が始まって以来の不祥事です 驚くのは協会職員を通じてもたらされたパワハラ問題について、読売新聞グループ本社の山口寿一社長がほとんど一人で調査にあたったということです 当時の新聞協会会長は読売新聞グループ本社会長の白石興二郎氏でしたが、山口社長は白石会長に断ったうえで、協会の賃金台帳や始末書などを調査し、パワハラ被害者への事情聴取などを行ったうえで、加害者の3人を呼び出して真意を確かめたといいます あの忙しい山口社長がそこまでやったというのはちょっと信じられないですが、本当のようです 少なくない職員が心療内科に通っていた、と3人の処分の後で側聞しました。不本意ながら退職せざるを得なかった人たちは、今ごろどこでどうしているのだろう、と心配になります 現在の専務理事兼事務局長N氏は、新聞協会からNPCの監査役を経て専務取締役に就任し、さあこれから という時に、「後任は彼しかいない」として新聞協会に呼び戻された優秀な人物です   私は新聞協会でもNPCでも一緒に仕事をしたことがありますが、能力においても人柄においても、まさに彼しかいないと思います 現在、彼は多くの職員が退職した後の限られた人員で事務局を運営してるわけで、大変な苦労があると思いますが、彼なら協会事務局をしっかり立て直していけると思います OBはみんな応援しているので 頑張ってほしいと思います

なお、この第22章はあくまでも新聞協会事務局内部の出来事であり、本作の全体の流れの中では、本流を外れた異質なテーマであることを忘れてはならないと思います

以上、新聞媒体に関するテーマの一部をご紹介してきましたが、「紙のメディアはどうなるか」といった根本的な問題をはじめ、これからのメディアの方向性を考える上で避けて通れない問題が数多く提起されています メディア関係者に限らず広くお薦めします

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バッハ・コレギウム・ジャパン第136回東京定期演奏会「祈りのモテット」を聴く ~ 松井亜希、ベンノ・シャハトナー、櫻田亮、ドミニク・ヴェルナー、そして透明感のある合唱団

2020年02月17日 07時18分36秒 | 日記

17日(月)。わが家に来てから今日で1966日目を迎え、中国共産党の理論誌「求是」のウェブサイトは15日、3日に行われた党最高指導部会議で、習近平総書記が新型肺炎対策を巡り「1月7日に対応を要求した」と発言したと発表したというニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

       そんなに早く指示したのに 世界中に広まったのは 致命的な不備があったから?

     

         

 

昨日、東京オペラシティコンサートホールで「バッハ・コレギウム・ジャパン 第136回東京定期演奏会」を聴きました    プログラムはバッハ①ファンタジア ハ短調BWV562、②「われらの悩みの極みにありて」BWV641、③詩篇51篇「消してください、いと高き主よ、私の罪を」BWV1083~ペルコレージ「スターバト・マーテル」による、④カンタータ「わが片足すでにを墓穴に入りぬ」BWV156より「シンフォニア」、⑤モテット「御霊はわれらの弱きを支え助けたもう」BWV226、⑥モテット「来たれ、イエスよ、来たれ」BWV229、⑦モテット「歌え、主に向かい新しい歌を」BWV225です。演奏はソプラノ=松井亜希、アルト=ベンノ・シャハトナー、テノール=櫻田亮、バス=ドミニク・ヴェルナー、①②のオルガン独奏=鈴木優人、管弦楽・合唱=バッハ・コレギウム・ジャパン、指揮=鈴木雅明です

 

     

 

1曲目のバッハ「ファンタジア ハ短調」BWV562と2曲目の「われらの悩みの極みにありて」BWV641は鈴木優人のオルガン独奏により演奏されます バッハのオルガン曲を聴く時はいつも「にわかクリスティアン」になり敬虔な気持ちになります 「バッハがこの曲を作曲した時、どんな気持ちで書いたんだろうか」などと思いながら聴いていました

次は詩篇51篇「消してください、いと高き主よ、私の罪を」BWV1083~ペルコレージ「スターバト・マーテル」によるーです

拍手に迎えられてバッハ・コレギウム・ジャパンのメンバーがステージに登場します 立奏のヴァイオリンとヴィオラ5人と、チェロ、ヴィオローネ(コントラバスみたいな楽器)、オルガン、チェンバロ(弾きぶり)をバックに、ソプラノの松井亜希(東京藝大出身)とアルトのベンノ・シャハトナー(ドイツ・バイエルン州出身)が美しい二重唱を歌います ノン・ヴィブラートの透明感のある歌声が会場に響きました

 

     

 

プログラム後半の1曲目は、カンタータ「わが片足すでにを墓穴に入りぬ」BWV156より「シンフォニア」です ここで弦楽器、通奏低音に加えオーボエ、オーボエ・ダ・ガッチャ、ファゴットが入り、さらにB.C.J合唱団20名(ソリスト4人を含む)が加わります 馴染みのあるメロディーを三宮正満のオーボエがしみじみと奏でましたが、「このメロディーはカンタータの一部だったのか」と再発見しました

次のモテット「御霊はわれらの弱きを支え助けたもう」BWV226は、チェロとヴィオローネとオルガンだけが残り、合唱が歌いましが、正確なドイツ語と透明感のあるコーラスが素晴らしかった

続くモテット「来たれ、イエスよ、来たれ」BWV229とモテット「歌え、主に向かい新しい歌を」BWV225では、再び管楽器が加わり、ソリスト4人と合唱とのアンサンブルが美しく会場を満たしました

終演後、鈴木雅明氏がマイクを持って登場、「今日は今年度最後の公演ですが、アルトのベンノ・シャハトナーさんが参加されているので、アンコールで歌ってもらいたいと思います カンタータ第53番『いざ、打ちかし、願わしき時の鐘よ』から『アリア』です この曲は現在ではバッハの作品ではないことが分かっていますが、お聴きください」と解説し、演奏に入りました。ヴァイオリン、ヴィオラ、通奏低音、そして鈴木雅明氏が叩く鐘(大きさの異なる2つの鐘)をバックにシャハトナー氏が美しいアルトで歌い上げました 私はてっきり、大きい鐘の方が低い音で、小さい鐘の方が高い音が出ると思っていたら逆だったので意外に思いました 素材の厚さが違うのでしょうか? 鐘は叩き方を間違えると「カン・コーン はい、鐘2つです。頑張りましたが 残念でした。また いらっしゃい」の「NHKのど自慢」になってしまいますが、そこはB.C.J音楽監督の鈴木雅明です。バッチリ決めました

ところで、自席の前列の相撲取り級の中年男性が、オケのメンバーが入退場するたびに大きな音で拍手をするので、右隣のお婆さんは驚きの表情で のけ反っていました    音の大きさでいうと、普通の拍手のデシベルの10倍くらいのインパクトがありました しかも北朝鮮の議員がやるような熱狂的な拍手なので増々怪しげに見えました 演奏する側から見れば、熱狂的な拍手は大歓迎でしょうが、客席で近くにいる者としては、思わず引いてしまいます こういう人はどこの会場にもいますね これから季節を迎える”サクラ”じゃないだろうか、と一瞬思ったりしましたが、バッハ・コレギウム・ジャパンに限ってそれはないと思います

 

     

 

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パーヴォ・ヤルヴィ ✕ シュテファン・ドール ✕ N響でアブラハムセン「ホルン協奏曲」、ブルックナー「交響曲第7番」を聴く ~ N響2月度Aプロ

2020年02月16日 07時24分35秒 | 日記

16日(日)。わが家に来てから今日で1965日目を迎え、ウクライナ疑惑でトランプ大統領に不利な証言をした高官らに「報復人事」が行われていることが一部与党議員らの反発を招いている  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     米国はトランプの トランプによる トランプのための政治をいつまで許しておく?

 

         

 

昨夕、NHKホールでN響定期公演11月Aプログラムを聴きました   本日の「バッハ・コレギウム・ジャパン」の定期演奏会とダブったため、昨夕に振り替えたものです プログラムは①アブラハムセン「ホルン協奏曲」、②ブルックナー「交響曲第7番ホ長調」です 演奏は①のホルン独奏=シュテファン・ドール、指揮=N響首席指揮者パーヴォ・ヤルヴィです

振り替え後の座席は2階L4列3番、会場の左端に近い席です

 

     

 

オケは左奥にコントラバス、前に左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンという対向配置。コンマスはマロこと篠崎史紀、隣席は伊藤亮太郎です チェロの首席・藤森亮一の隣は辻本玲(元・日フィルのソロ チェロ)がスタンバイしています   名簿上は無印ですが、いずれ首席になるのではないか、と推測します

1曲目のアブラハムセン「ホルン協奏曲」は、デンマークの現代作曲家ハンス・アブラハムセン(1952~)がベルリン・フィルの首席ホルン奏者シュテファン・ドールのために書いた作品です N響、ベルリン・フィル、NTR土曜マチネ、シアトル響、オークランド・フィルによる共同委嘱作品です 今年1月29日にベルリンで、ドールの独奏、パーヴォ・ヤルヴィ指揮ベルリン・フィルによって初演されたばかりで、この日の演奏は日本初演です

ヤルヴィの指揮で演奏に入ります 全体は3つの楽章から成る20分程度の曲ですが、第1楽章は極めて静かな曲想で、詩的な雰囲気に満ちた音楽が展開しました シュテファン・ドールは息の長いフレーズを ものともせず、抜群のブレス・コントロールで演奏します 彼は第2楽章以降も確かな技術に裏づけられた演奏を展開し、聴衆の圧倒的な拍手とブラボーを呼びました カーテンコールが繰り返される中、会場にいた作曲者のアブラハムセンがステージ上に呼ばれ、ヤルヴィ、ドールとともに拍手に包まれました

 

     

 

プログラム後半はブルックナー「交響曲 第7番 ホ長調」です この曲はアントン・ブルックナー(1824-1896)が1881年から1883年にかけて作曲、1884年12月30日にライプツィヒでアルトゥール・ニキシュ指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団により初演されました 第1楽章「アレグロ・モデラート」、第2楽章「アダージョ:極めて荘重に、そして極めて緩やかに」、第3楽章「スケルツォ:極めて速く~トリオ:ややゆっくりと」、第4楽章「フィナーレ:動きをもって、しかし速すぎないように」の4楽章から成ります ブルックナーの交響曲の中では一番好きな作品です

ヤルヴィの指揮で第1楽章が、弦のトレモロに乗ってホルンとチェロにより雄大な音楽が奏でられます 大自然を思わせるような かなりゆったりしたテンポで進みますが、ヤルヴィの不思議なところは、いつしかテンポアップしていて われわれが気が付かないことです    つまり、音楽の流れが自然なのです    ヤルヴィは大きな動作で指揮をしますが、わざとらしさはまったくなく、演奏する側は演奏しやすいのではないかと思います   ホルン、トロンボーン、トランペット、テューバといった金管楽器が良く鳴っています     またフルートが素晴らしい    第2楽章は冒頭、舞台右にスタンバイしたワーグナー・テューバとテューバ、そしてヴィオラによって深みのあるメロディーが奏でられますが、このアンサンブルが素晴らしい ブルックナーはこの曲の第1、第3楽章の作曲を終え、第2楽章に取り組んでいた時、ワーグナーの訃報を聞き、哀悼の意を込めて葬送のコラールをこの楽章の終結部に加えました ワーグナー・テューバ、テューバ、ホルンによるコラールの演奏が感動的でした ヤルヴィは間を置かずに第3楽章「スケルツォ」に入ります。ヤルヴィは楽譜の指示通り快速テンポでサクサクと進めます メリハリの効いた明確な指揮ぶりを見ていると、ヤルヴィの統率力の高さを感じます 第4楽章へも間を置かずに移行しました。緊張感を持続させる意図があるのでしょうか 第4楽章では、咆哮する金管楽器、彩りを添える木管楽器、渾身の演奏を見せる弦楽器、ここぞというところで打ち込む打楽器が渾然一体になって、サグラダファミリアのような大伽藍を築き上げました スカッとする快演でした

ヤルヴィ&N響は2月22日から3月4日までヨーロッパへ演奏旅行に出かけますが、ブルックナーの「第7番」はその公演の演奏曲目に入っています この日のコンサートは遠征前の総仕上げという位置づけにあるのではないかと思います その意味では十分に手応えがあったのではないでしょうか

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読響アンサンブル・シリーズで ショーソン「ピアノ、ヴァイオリンと弦楽四重奏のためのコンセール」、フォーレ「ピアノ五重奏曲第2番」を聴く ~ 上岡敏之 ✕ 読響メンバー

2020年02月15日 07時25分54秒 | 日記

15日(土)。1週間前の8日、前日に開かれた髙木凛々子さんの「ヴァイオリン・リサイタル」に関する感想をブログとツイッターにアップしたところ、7人の方々から「いいね」をいただきましたが、髙木さんご本人から8日 ツイッターに返信が届きました そこには「素敵な記事をありがとうございます!これからも頑張ります」と書かれていました なぜ、このことを書こうと思ったのかというと、他の人のコメントと表現が違っていたからです 普通の人は「素敵なコメントをありがとうございます」と書くと思いますが、彼女は「記事」という言葉を使いました この言葉は図らずも私のブログの執筆スタイルを表していると思います 特定の人を除いて、他の人のブログやツイッターはあまり見ないのですが、コンサートの感想を書く場合は「美演だった」とか「〇〇さんの演奏は素晴らしかった」とか ごく簡単に書いているケースが多いのではないかと思います それに比べて私のブログは、交響曲や協奏曲のコンサートを例にとると、オーケストラの配置はどうなっているか(対向配置か)、コンマスは誰か、演奏される作品はいつ作曲され どういう楽章構成になっているか、といった客観的な事実を示した上で、演奏を聴いてどういう感想を抱いたかを書くようにしています こういうスタイルが「記事」のように思われるのだろうと思います。私があえてこのような執筆スタイルをとっているのは、そのコンサートを聴いた人はもちろんのこと、聴かなかった人にも、どんな雰囲気のコンサートだったのかが分かるようにしたいと思っているからです また、執筆の方針として、 余程のことがない限り演奏をこき下ろすことはしないようにしています。「そんなこと言うのなら自分でやってみろ」と言われても私には出来ないし、何より「そんなひどい演奏ならわざわざコンサートに行く価値はないな」と思われては、クラシック人口を減らすだけで 元も子もないからです   したがって、私はこれからも このスタイルを変えるつもりはありません

ということで、わが家に来てから今日で1964日目を迎え、英紙ガーディアンは13日、南極で観測史上初めて20度超えの20.75度を観測したと報じた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     大統領選挙に有利にならない地球温暖化問題なんて トランプは無視するだろうな

 

         

 

昨日の夕食は「ハラミ焼肉」と「生野菜サラダ」にしました ハラミは柔らかくて食べやすいですね

 

     

 

         

 

昨夕、よみうり大手町ホールで読響アンサンブルシリーズ「上岡敏之と読響メンバーによる室内楽」を聴きました プログラムは①ショーソン「ピアノ、ヴァイオリンと弦楽四重奏のためのコンセール   ニ長調 作品21」、②フォーレ「ピアノ五重奏曲 第2番 ハ短調 作品115」です 演奏はピアノ=上岡敏之、ヴァイオリン=伝田正秀、赤池瑞枝、杉本真弓、山田友子、ヴィオラ=長岡晶子、渡邉千春、チェロ=松葉春樹です

今シーズンの自席=13列19番とも今回でお別れです   次シーズンはかなり前方の席を押さえました

 

     

 

1曲目はショーソン「ピアノ、ヴァイオリンと弦楽四重奏のためのコンセール ニ長調 作品21」です この曲はエルネスト・ショーソン(1855-1899)が1889年から1891年にかけて作曲、1892年にブリュッセルで初演され、巨匠ヴァイオリニスト、イザイに献呈されました 第1楽章「決然と」、第2楽章「シシリエンヌ、速くなく」、第3楽章「荘重に」、第4楽章「極めて活発に」の4楽章から成ります 「コンセール」(仏語)は普通「コンチェルト=協奏曲」を意味しますが、この曲では17~18世紀のフランスで用いられた、様々な楽器の組み合わせによる多楽章の合奏を指します 本作品ではピアノとヴァイオリンがソロ楽器として活躍します

ピアノ=上岡敏之、ヴァイオリン・ソロ=伝田正秀、弦楽四重奏(ヴァイオリン=杉本真弓、山田友子、ヴィオラ=渡邉千春、チェロ=松葉春樹)がスタンバイし、演奏に入ります

上岡敏之のピアノで決然とした3つの和音が会場に響き渡り、かなりゆったりしたペースで音楽が進みます 上岡氏は指揮者ですが、ピアノはプロ並みです。いや、演奏技術と表現力から見ればプロのピアニストと言っても良いかも知れません これは彼がドイツの歌劇場でキャリアを積んでいた頃に身につけた実力です 本番前のプレトークでも、ピアノを弾きながらショーソンとフォーレの曲の違い等を解説していました ヴァイオリン・ソロを担う伝田正秀は、アシスタント・コンマスの時にヴィヴァルディだったか、ソロの演奏を聴いたことがありますが、ビブラートをかけ過ぎて、ちょっとどうかな?という演奏をしていました しかし、18年4月からコンマスに就任した実績からか、今回の演奏はそうしたことはなく、とくに第4楽章は美演で、立派にソリストを務めていました 「地位が人を創る」ということでしょうか

 

     

 

プログラム後半はフォーレ「ピアノ五重奏曲 第2番 ハ短調 作品115」です この曲はガブリエル・フォーレ(1845-1924)が1919年から1921年にかけて作曲、1921年5月21日にパリで初演されました この曲は第1楽章「アレグロ・モデラート」、第2楽章「アレグロ・ヴィーヴォ」、第3楽章「アンダンテ・モデラート」、第4楽章「アレグロ・モルト」の4楽章から成ります

演奏はピアノ=上岡敏之、ヴァイオリン=赤池瑞枝、山田友子、ヴィオラ=長岡晶子、チェロ=松葉春樹です

プログラムノートを音楽評論家の澤谷夏樹氏が書いていますが、この曲について「弦楽器群が組み紐を縒るように前に進み、ピアノがそこに素材の違う糸を紛れ込ませていく」と表現しています 第1楽章を聴いていて、これ以上の表現はないと思いました これこそプロの評論家でしょう 聴いていて何より音楽の推進力を感じます。第2楽章は超高速演奏です。第3楽章では弱音の美しさが際立っていました そして第4楽章では再び、前へ前へという推進力を感じました 全曲を通して、第1ヴァイオリンの赤池瑞枝とヴィオラの長岡晶子が素晴らしい表現力です 真ん中の第2ヴァイオリンの山田友子とチェロの松葉春樹が、彼らに勝るとも劣らない冴えた演奏を繰り広げます そして、弦楽の4人をピアノの上岡敏之がペースメーカーとしてしっかり支えます 素晴らしいコラボレーションでした。これこそ「読響アンサンブル」でしょう。名演奏の条件は、①あまり馴染みのない曲を好きにさせる演奏、②馴染みの曲の良さを再認識させる演奏、ではないかと思います その意味では、彼らの演奏は「あまり馴染みのない曲を好きにさせる」名演でした

演奏後 松葉氏が、シャイな上岡氏に代わりマイクを持って、「今日はバレンタインデーです 日本では女性が男性にチョコレートを贈る習慣がありますが、ドイツでは男性が女性に花を贈る習慣があります 今日の女性の出演者に上岡さんから花束を贈呈していただきます」とアナウンス、上岡氏が女性の演奏者一人ひとりに黄色の花束を手渡しました 譜めくりの女性とフロアにいたナビゲーターの鈴木美調さんにも渡されました こういう演出は良いですね さすがは資金力豊富な読響だと思います

本日、toraブログが2011年2月15日の開設から満9年を迎えました この間、身内の不幸があった数日間を除き、毎日休まず書き続けて参りました。その結果、本日現在のトータル閲覧数は5,345,182 P V 、トータル訪問者数は 1,420,975 I P となりました これもひとえに普段からご覧くださっている読者の皆さまのお陰と感謝申し上げます これからも毎日休むことなく根性で書き続けて参りますので、モコタロともどもよろしくお願いいたします

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山田和樹 ✕ イーヴォ・ポゴレリッチ ✕ 読売日響でシューマン「ピアノ協奏曲」、ドヴォルザーク「交響曲第7番」、グリーグ「2つの悲しき旋律」を聴く~第629回名曲コンサート

2020年02月14日 08時01分29秒 | 日記

14日(金)その2.よい子はその1も見てね。モコタロはそちらに出演しています

バレンタインデーです。娘からチョコレートをもらいました 普段から夕食作り・洗濯とアイロンがけ・掃除をはじめ、モコタロの世話に至るまで 家事全般を担っている私に対する感謝の気持ちからだろう、と 勝手に解釈して 有難くいただきました

 

     

 

         

 

昨夕、サントリーホールで読売日響第629回名曲コンサートを聴きました プログラムは①グリーグ「2つの悲しき旋律 作品34」、②シューマン「ピアノ協奏曲 イ短調 作品54」、ドヴォルザーク「交響曲 第7番 ニ短調 作品70」です 演奏は②のピアノ独奏=イーヴォ・ポゴレリッチ、指揮ー山田和樹です

 

     

 

開場時間の18時半にホールに入り、自席にコートとチラシの束を置きに行ったら、ステージからピアノの音が聴こえてきました よく見ると、舞台左サイドに置かれたピアノで、深緑色の帽子と衣装に赤いマフラーの一人の人物がシューマンの「ピアノ協奏曲」の第1楽章をおさらいしていました 間違いなく2曲目のソリスト、イーヴォ・ポゴレリッチです 結局彼は開演時間(19時)の3分前までずーっと弾いていました。こんなピアニストは初めてです その演奏姿から、同じ鬼才のグレン・グールドを思い浮かべましたが、音楽に対する姿勢は全く逆です グレン・グールドは公開のコンサートで演奏することを拒否していましたが、ポゴレリッチは本番でもないのに聴衆の前に姿を晒して”一人リハーサル”をやってのけたのです 会場案内係の女性が「場内は撮影禁止です」と盛んに叫んでいたのはポゴレリッチ対策だったのか、と納得しました

さて本番です。1曲目は弦楽合奏の作品のため管・打楽器は入りません オケは左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスといういつもの読響の編成。コンマスは長原幸太です

演奏するのはグリーグ「2つの悲しき旋律 作品34」です この曲はエドアルド・グリーグ(1843-1907)が1880年に作曲した歌曲「12の歌」第1集から第3曲「傷ついた心」と第2曲「春」を弦楽合奏用に編曲したものです

山田和樹が登場し、演奏に入ります。第1曲は北欧の静謐な冷たい空気を感じる悲しみに満ちた曲想でした 第2曲は、いくぶん希望が垣間見られるような明るさを感じます 両曲とも弱音が美しく響く作品でした

2曲目はシューマン「ピアノ協奏曲 イ短調 作品54」です この曲はロベルト・シューマン(1810-1856)が1841年に第1楽章を、1845年に第2、3楽章を作曲、1846年1月1日にライプツィヒ、ゲヴァントハウスでクララ・シューマンの独奏により初演されました 第1楽章「アレグロ・アフェットゥーソ」、第2楽章「インテルメッツォ:アンダンティーノ・グラツィオーソ」、第3楽章「アレグロ・ヴィヴァーチェ」の3楽章から成ります 

白髪・長身のポゴレリッチが登場しピアノに向かいます 彼の演奏を初めて聴いたのは2010年5月の「ラ・フォル・ジュルネ音楽祭」でショパンの「ピアノ協奏曲第2番」を弾いた時でした その後、2012年5月にショパンの「ピアノ協奏曲第1番と第2番」を聴いています。彼の姿を見るのはその時以来ですが、彼はこんなに背が高かったかな?と意外に思いました 彼はいつも通り譜面を見ながら演奏するようです。譜めくりもいます。椅子の位置や高さを念入りに調整して指揮者にOKを出します

山田和樹の指揮で第1楽章に入ります 予想通り、ポゴレリッチはテンポを自由自在に動かします とくにピアノのソロの場面では極端なスローテンポに落とし、一音一音を明確に弾き分けます そして、オケとの協奏部分になると山田の指揮に応じ テンポアップして”本来の”テンポで演奏します    ポゴレリッチにとって、この曲の主役はあくまでも自分であって、オケは自分に合わせなければならない存在です 山田✕読響から見れば、これほどやりにくいソリストはいないでしょう 第2楽章は、ポゴレリッチのことだから超スローテンポで始めるのだろうと思っていると、極めて速いテンポで開始し、驚かされます ポゴレリッチは人の予想を裏切るのを楽しんでいるかのようです 途切れることなく第3楽章に入り、やっと”普通の”テンポになったな、と思っていると、とんでもない やはり演奏スタイルは変わらずテンポを自在に揺らします。ミスタッチも平気のようです

演奏後は満場の拍手が会場を満たしブラボーが飛び交いましたが、正直に告白すると、「いま聴いたのはシューマンだったのだろうか」と疑問が残りました 私にはまったく別の曲に聴こえました。音楽の流れがソリストの演奏によって断ち切られてしまう、という印象です ポゴレリッチの演奏はいわゆる”オーソドックスな”演奏から見れば、極めてエクセントリック、別の言葉で言えば「やりたい放題」の演奏です 現代の何の特徴もない無個性の演奏と比べれば、超個性とも言うべき彼の演奏ほど面白い演奏はないでしょう しかし、肝心のシューマンがなくてポゴレリッチが残る演奏というのはどうなんでしょうか 今回の演奏は明らかにソリストとオーケストラとの「協奏曲」ではなく「競争曲」でした 2010年と2012年のショパン「ピアノ協奏曲第2番」の時も同じアプローチによる自在なテンポによる演奏でしたが、あの時は説得力があり、聴いていて感動を覚えました しかし、今回はそれが感じられませんでした あるいは私自身が保守的になったのだろうか?とも思いましたが、そもそも現代(=同時代)の音楽を聴かないで100年も200年も前の音楽を好んで聴いていること自体が保守的ではないのか、と思ったりします 今回の演奏では、むしろ、バックを務めた山田和樹指揮読響の健闘が光りました よくあの自由自在の演奏をフォローしていたと思います しかし、ポゴレリッチからあの個性を取り除いたらポゴレリッチではなくなります 彼はあのスタイルを続けるしかないのかも知れません

 

     

 

プログラム後半はドヴォルザーク「交響曲 第7番 ニ短調 作品70」です この曲はアントニン・ドヴォルザーク(1841-1904)が、名誉会員となったロンドン・フィルハーモニー協会からの委嘱により1884年から翌85年にかけて作曲、1885年4月22日にロンドンで初演されました 第1楽章「アレグロ・マエストーソ」、第2楽章「ポコ・アダージョ」、第3楽章「スケルツォ、ヴィヴァーチェ」、第4楽章「フィナーレ:アレグロ」の4楽章から成ります 

この第7番は第8番や第9番「新世界より」と比べると地味で聴く機会も圧倒的に少ない曲ですが、予習のためにジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団のCDで繰り返し聴いていたら、何とも素晴らしい曲であることに気が付きました 今回生演奏で聴いて、その感を強くしました ドヴォルザーク特有のボヘミア情緒が豊かで、民俗色溢れる音楽が展開します 第2楽章では倉田優のフルート、金子亜未のオーボエが冴えていました この曲の白眉は第3楽章のスケルツォだと思います ボヘミアの舞曲がリズム感良く演奏され、指揮者は指揮台で踊っていました オケ総動員によるフィナーレは圧巻でした

アンコールがありました 最初に長原幸太、瀧村依里、富岡廉太郎、鈴木康浩の弦楽四重奏により美しいメロディーが演奏され、次いで弦楽合奏が追いました アザラシヴィリの「無言歌」(弦楽合奏版)という曲でした グリーグのようでもあり、ドヴォルザークのようでもある しみじみ良い曲でした

 

     

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東京藝大モーニングコンサートで吉松隆「サイバーバード協奏曲」(Sax:五島知美)、ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」(P:鈴木優補)を聴く

2020年02月14日 06時36分40秒 | 日記

14日(金)その1.わが家に来てから今日で1963日目を迎え、トランプ米大統領は11日、ロシア疑惑を巡り偽証罪などで有罪判決を受けた盟友ロジャー・ストーン被告に関し、禁錮7~9年が相当とした検察官の意見を、誤ったもので厳しすぎると激しく批判、その直後に司法省が量刑の短縮を求めたところ、異例の政治介入に抗議して4人の検察官全員が担当を辞めると表明した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     トランプは弾劾裁判で無罪になったのをいいことに やりたい放題を繰り返してる

 

         

 

昨日、夕食に「肉野菜炒め」を作りました 久しぶりに作りましたが、美味しくできました

 

     

 

         

 

昨日、午前11時から上野の東京藝大奏楽堂で「藝大モーニングコンサート」を、午後7時からサントリーホールで「読売日響第629回名曲コンサート」を聴きました ここでは、第12回藝大モーニングコンサートについて書きます

プログラムは①吉松隆「サイバーバード協奏曲」、②ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番ハ短調作品18」です

入場はチケット記載の入場整理番号順で、私は36番なので 余裕で良い席が取れます 1階10列13番、センターブロック左通路側を押さえました    最近、クラブ・ツーリズムがこのモーニングコンサートを観光ツアーに組み込んでいるらしく、目印の旗のもと一塊のグループが入場していました。それもあってか、会場は文字通り満席です

 

     

 

1曲目は吉松隆「サイバーバード協奏曲」です この曲は吉松隆(1953~)がサクソフォン奏者の須川展也の委嘱により1994年に作曲した「サクソフォンとオーケストラのための協奏曲」です 演奏にはピアノとパーカッションもソリスト的に加わるので、さながらトリプルコンチェルトの様相を呈しています 「サイバーバード」とは電脳(サイバー)空間にいる架空の鳥を指しています。第1楽章「採の鳥~様々な色彩の断層をすり抜けて飛ぶ、いくぶん錯乱したアレグロ」、第2楽章「悲の鳥~悲しみの鳥の独白と、その横で夢を紡ぐように歌う鳥たちのアンダンテ」、第3楽章「風の鳥~風に乗ってひたすら一直線に飛翔するプレスト」の3楽章から成ります

オケは左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという いつもの藝大フィルハーモニア管弦楽団の並びですが、センターにはピアノの恩田佳奈さんが、その右サイドにはパーカッションの藤本隆文氏がスタンバイします この二人はプロのミュージシャンのようです。コンマスは植村太郎です

サクソフォン独奏は福岡県北九州市出身で現在東京藝大4年生の五島知美さんです

山下一史の指揮で第1楽章が強いインパクトで開始されます。五島さんの演奏はパワフルです そしてスイングしています ピアノとパーカッションとの、あるいはオケとの対話が見事です 第2楽章はまるでレクイエムです 五島さんの執筆によるプログラムノートによると、この楽章を作曲中、吉松氏は最愛の妹を癌で亡くしているそうです 五島さんの演奏は弱音が美しく、パワフルだけではないことを証明しています 第3楽章に入ると五島さんは、オケをバックにピアノ、パーカッションとのコラボにより、鳥が大空に羽ばたいていく様子が目に浮かぶようなスケールの大きな音楽を展開しました

会場は割れんばかりの拍手で満たされました 現在4年生ということは来月は藝大を卒業することになります。4月からは大学院へ進むのか、どうするのか分かりませんが、近い将来が楽しみな逸材だと思います

 

     

 

プログラム後半はラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」です この曲はセルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)が1900年~1901年に作曲した作品です この曲は先週の金曜日に花房晴美さんのピアノ聴いたばかりです 第1楽章「モデラート」、第2楽章「アダージョ・ソステヌート」、第3楽章「アレグロ・スケルツァンド」の3楽章から成ります

ピアノ独奏は京都府出身で、現在藝大3年生の鈴木優補君です

教会の鐘を模したピアノ独奏から第1楽章が開始されます 鈴木君のピアノは楽々と弾いているように見えますが、それは彼がこの曲に自信を持っているからでしょう 極めて自然な音楽作りで、演奏が素直だと思いました 特に高音部がとても綺麗です 第2楽章のアダージョにおいては、ロマンに溢れた叙情的な演奏が強く印象に残りました 第3楽章ではスケルツォ的な曲想と抒情的な曲想を交互に繰り返しながら、圧倒的なフィナーレに突入します

このコンサートは4年生の出場が圧倒的に多い中で、鈴木君は3年生として出場したわけですが、それだけの実力があると認めざるを得ません。素晴らしい演奏でした

コンサートが終わって、上野公園の噴水広場を横切る時、カンザクラが咲いていました。春はだんだん近づいています

 

     

 

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ラフマニノフ「ヴォカリーズ」、「2台のピアノのための組曲第1番」他を聴く ~ ヴィタリ・ユシュマノフ(Br)✕ 清水和音 ✕ 後上聡司 : 第23回芸劇ブランチコンサート「ラフマニノフに酔いしれて」

2020年02月13日 07時21分39秒 | 日記

13日(木)。昨日の朝日新聞夕刊の見開き企画「Next  Stage」でソプラノ歌手の林正子さんが取り上げられていました 林さんは東京都出身。東京藝大大学院、二期会オペラスタジオ、ジュネーブ音楽院をそれぞれ修了し、現在 欧州を拠点に活躍しています   2018年10月には新国立劇場のモーツアルト「魔笛」でパミーナを歌いました 今年6月には東京文化会館、新国立劇場などの共同制作によるワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」でヒロインのエーファを歌う予定です

インタビューの中で、林さんは6月のオペラ公演に向けての意気込みを語るとともに、母親の交通事故死、父親の看病による海外での活動の制限など、いくつもの試練があったことを明かし、次のように語っています

「人生、いろいろあります。でも、悲しみも悔しさも もちろん喜びも、全部心に刻みつけて生きてきました だからどんな役を演じる時も、ねえ、あの時私はどんな気持ちだった?と、いろんな感情の”引き出し”を開けてヒントにするんです

自身の経験に裏付けられたしっかりしたバックボーンがあるからこそ、聴く人々の心に訴える力があるのだと思います 林さんに限らず、特に女性の歌手の皆さんは、歌手である前に一人の人間として、支えるべき家族を持つ生活者として、乗り越えなければならない試練が少なくないのだと思います。そういう 頑張っている皆さんに 心から応援のエールを送ります

ということで、わが家に来てから今日で1962日目を迎え、日本の野球界で選手として、監督として大活躍してきた野村克也氏が11日、84歳で急逝した というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     長嶋監督がヒマワリなら 野村監督は月見草  安倍首相は桜だけは勘弁してほしい?

 

         

 

昨日、夕食に「チキンソテー」を作りました とても美味しかったです。赤ワインが良く合いました

 

     

 

         

 

昨日、池袋の東京芸術劇場コンサートホールで芸劇ブランチコンサート 第23回「ラフマニノフに酔いしれて」を聴きました プログラムは①ラフマニノフ(アール・ワイルド編)「ヴォカリーズ」(ピアノ)、②クライスラー(ラフマニノフ編)「愛の喜び」(ピアノ)、③ラフマニノフ「ヴォカリーズ」(バリトン+ピアノ)、④同:歌劇「アレコ」より「カヴァティーナ」(同)、⑤同「夜の神秘な静けさの中」(同)、⑥同「2台のピアノのための組曲 第1番 ”幻想的絵画” 」です 演奏は③~⑤のバリトン=ヴィタリ・ユシュマノフ、①③⑤⑥のピアノ=清水和音、②④⑥のピアノ=後上聡司です

 

     

 

1曲目はラフマニノフ「ヴォカリーズ」です   この曲はセルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)が1912年に作曲した「14の歌曲 作品34」の最終曲に当たりますが、昨今では単独の作品として歌や楽器のソロで演奏される機会が多くなっています   「ヴォカリーズ」とは歌詞ではなく、母音のだけで歌う歌唱法です    今回はアール・ワイルドのピアノ編曲版により清水和音がしみじみと演奏しました

2曲目はクライスラー「愛の喜び」です     この曲はフリッツ・クライスラー(1875-1962)がヴァイオリンのために作曲した小品です   今回はラフマニノフの編曲によるピアノ版により後上聡司(東京音大卒、桐朋学園大学院出身)が演奏しました ヴァイオリン版だと愉悦感に満ちた曲想ですが、ラフマニノフが手を加えると超絶技巧の重厚な作品に変貌します

3曲目は「ヴォカリーズ」の声楽版です 今回はロシア出身のバリトンで、日伊声楽コンコルソ第1位ほか受賞歴多数のヴィタリ・ユシュマノフが歌います 「」だけで歌う単純な曲だけに反って歌いにくそうな曲想でした 通常はソプラノで歌われるケースが多いようですが、バリトンは特に高音部が若干苦しそうでした

 

     

 

4曲目はラフマニノフ:歌劇「アレコ」より「カヴァティーナ」です 「アレコ」は1892年にモスクワ音楽院の卒業作品として作曲した1幕物オペラです プーシキン原作によるオペラの内容は、貴族の青年アレコが、浮気したゼムフィーラと相手の男を殺してしまうという悲劇です 今回歌われるカヴァティーナ「月は高く輝く」は、「あれほど自分を愛してくれていたゼムフィーラが冷たくなってしまった 彼女は私を裏切った」と嘆き歌う歌です。ヴィタリは「ヴォカリーズ」と違って、水を得た魚のように感情表現豊かにアレコの怒りと悲しみを歌い上げました

次いでラフマニノフが1890年に作曲した「6つの歌 作品4」の第3曲「夜の神秘な静けさの中」を情感豊かに歌いました

最後は「2台のピアノのための組曲 第1番” 幻想的絵画” 」です この曲はラフマニノフが1893年に作曲し、同年11月に死去したチャイコフスキーに捧げられた作品です 第1曲「バルカロール」、第2曲「夜と愛と」、第3曲「涙」、第4曲「復活祭」の4曲から成ります

2台のピアノが向かい合わせに配置されます 向かって左に清水和音、右に後上聡司がスタンバイし、さっそく演奏に入ります 第1曲「バルカロール」では波の煌めく様子が頭に浮かびました 第2曲「夜と愛と」では2台のピアノの会話が楽しめました 第3曲「涙」ではとめどもなく流れ落ちる涙を思い浮かべました 第4曲「復活祭」では、ラフマニノフが幼少時に聴いたであろう教会の鐘の音がピアノを通して聴こえてきました 初めて聴く曲でしたが、ラフマニノフらしいロマンに満ちた作品で、すっかり気に入りました

 

     

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METライブビューイングでプッチーニ「蝶々夫人」を観る ~ 蝶々夫人のホイ・へー、ピンカートンのブルース・スレッジ、シャープレスのパウロ・ジョット、スズキのエリザベス・ドゥショングにブラボー!

2020年02月12日 07時22分40秒 | 日記

12日(水)。わが家に来てから今日で1961日目を迎え、「桜を見る会」をめぐる公文書管理にからみ、北村誠吾地方創生相の不安定な答弁が10日の衆院予算委員会でも続き、野党側は一時退席した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     安倍首相は「適材適所の人事」と胸を張ってなかった?  これじゃ痴呆早世相だ!

 

         

 

昨日朝、娘がシンガポール旅行から無事に帰って来たので、夕食に「ハッシュド・ビーフ」と「生野菜サラダ」を作りました フランスパン「バタール」を焼いたのに写メに入れるのを忘れました どれも美味しかったから まあ いいか

 

     

 

         

 

昨日、新宿ピカデリーでMETライブビューイング、プッチーニ「蝶々夫人」を観ました これは2019年11月9日に米ニューヨーク、メトロポリタン歌劇場で上演されたオペラのライブ録画映像です

キャストは蝶々夫人=ホイ・へー、ピンカートン=ブルース・スレッジ、シャープレス=パウロ・ジョット、スズキ=エリザベス・ドゥショングほか。管弦楽・合唱=メトロポリタン歌劇場管弦楽団・合唱団、指揮=ピエール・ジョルジュ・モランディ、演出=アンソニー・ミンゲラです

 

     

 

舞台は明治時代の長崎。15歳の芸者・蝶々さんは斡旋人ゴローの紹介でアメリカ海軍士官ピンカートンと結婚する 蝶々さんがキリスト教に改宗したことを知った親戚一同は彼女との縁切りを宣言する しかし、蝶々さんは意に介せずピンカートンと愛を確かめ合う ピンカートンがアメリカに帰って3年が経った。蝶々さんは彼の帰りを信じてひたすら待っている 総領事シャープレスが彼女の元にやってきて、実はピンカートンはアメリカで正式な結婚をしたことを伝えようとするが なかなか言い出せない 蝶々さんはシャープレスにピンカートンとの間にできた息子を披露する。そこにアメリカ軍艦の入港を知らせる大砲が鳴る。夜が明けて蝶々さんが休んでいるところにシャープレスとピンカートンが現われる。ピンカートンは本妻ケイトを伴っていた すべてを察した蝶々さんは子どもをピンカートン夫妻に渡すことに同意し、息子に最後の別れを告げ、父親の形見の短刀で自害する

 

     

     

アンソニー・ミンゲラの演出でこのオペラを観るのは3度目くらいだと思いますが、舞台は日本を意識したもので、障子や提灯や扇子が有効に使われています シンプルな舞台ですが、赤を基調とする照明の演出が鮮やかです

ヒロインの蝶々さんを歌ったホイ・へーは中国・西安出身のソプラノですが、強靭でドラマティックな美声が心を震わせます アリア「ある晴れた日に」はもちろんのこと、第1幕終盤のピンカートンとの「愛の二重唱」が、素晴らしい演出と相まって強く印象に残りました

ピンカートンを歌ったブルース・スレッジは、降板となったアンドレア・カレに代わって急きょ登板することになった若手ですが、恵まれた身体を活かした輝くテノールで、見事に代役を果たしました 演技力はイマイチでしたが、これはしかたありません

今回ヒロイン役のホイ・へー以外で歌唱力・演技力ともに優れていると思ったのは、シャープレスを歌ったパウロ・ジョットです もともとプラシド・ドミンゴが歌う予定でしたが、例のセクハラ疑惑で降板したため彼の代演となりました 1969年ブラジル生まれのバリトンですが、2008年ミュージカル「南太平洋」でトニー賞を受賞しているレパートリーの広い実力者です 私が今まで観たシャープレスの中で一番素晴らしいと思った歌手です

そしてもう一人はスズキを歌ったエリザベス・ドゥショングです 深く魅力のあるメゾソプラノで、歌っていない時の演技を含めて歌唱力・演技力ともにずば抜けていました

タクトをとるピエール・ジョルジュ・モランディはミラノ生まれのベテラン指揮者です 2015年に新国立劇場で「マノン・レスコー」を指揮、2017年には「リゴレット」でMETデビューを果たしています メトロポリタン歌劇場管弦楽団は彼の指揮のもと、ドラマティックな演奏を展開しました

このプロダクションの大きな特徴は、蝶々さんの子供を人形に演じさせていることです 文楽にヒントを得たという人形を3人の黒子が、まるで生きているように操ります プッチーニのこのオペラは、19世紀末に流行っていた「ジャポニズム(日本趣味)」をきっかけに生まれたことを考えると、理に適った演出と言えるでしょう

プッチーニはこのオペラの作曲にあたり日本の風俗・習慣、宗教的な儀式などを入念に調べ、当時のイタリア公使夫人・大山久子からも日本の事情を聞き、歌謡を収集して作品に反映させています オペラの中で「宮さん宮さん」「さくらさくら」「お江戸日本橋」「君が代」「越後獅子」「かっぽれ」などのメロディーを聴くことが出来ます

第1幕=約56分、第2幕=約50分、第3幕=約34分、休憩や歌手へのインタビュー等を含めて合計3時間20分の上映です

全編を聴いて思うのは、ほぼ全編に登場する蝶々さんを歌う歌手は、強靭な歌唱力と、身体を張った演技力と、それを支える強い体力がないと、最後まで歌い切ることが出来ないのではないか、ということです

それにしても、この「蝶々夫人」を筆頭に、「ラ・ボエーム」にしても、「トスカ」にしても、プッチーニほど人を泣かせるのが巧いオペラ作曲家はいないと思います ちなみに、この3つのオペラの共通点はヒロインの女性が最後には死ぬということです 「蝶々夫人」は短刀で自害して、「ラ・ボエーム」のミミは肺炎で、「トスカ」は城から飛び降りて

果たして、プッチーニはオペラの中で何人の女性を殺しているんだろうか

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井岡瞬「桜の花が散る前に」を読む ~ フリーランス・カメラマンと美人占い師を巡る恋の物語 / 下山進「2050年のメディア」を買う

2020年02月11日 07時21分45秒 | 日記

11日(火・祝)。わが家に来てから今日で1960日目を迎え、全国のJR駅の自動発売機やみどりの窓口で、10日早朝から約4時間半にわたってクレジットカードが使えないトラブルが発生し、「またキャッシュレスの落とし穴」と言われている  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     ぼくはもともと現金を持ってないキャッシュレスだから  落とし穴には落ちないよ

 

         

 

下山進著「2050年のメディア」(文芸春秋社)を購入しました きっかけは1月23日に内幸町の日本記者クラブ・レストランで開かれたK氏を囲む懇親会の席上、「あの本読んだ?」と話題になったことです 現在、まだ読んでいない本が手元に5冊ありますが、忘れないうちに急きょ購入することにしました 普段、ハードカバーは買わないのですが、新聞関係の団体に35年勤めた私にとっては感心の高いテーマです パラパラとめくった感じでは、細かい文字で書かれ 435ページもある大作です 昨日、下にご紹介する本を読み終わったので、今日から 映画やコンサートの合い間をみて、表紙も内容もハードなこの本にチャレンジしようと思います

 

     

 

         

 

井岡瞬著「桜の花が散る前に」(講談社文庫)を読み終わりました 井岡瞬は1960年東京都生まれ。2005年「いつか、虹の向こうへ」で第25回横溝正史ミステリ大賞とテレビ東京賞を受賞しデビューしました

 

     

 

この作品は、大学の写真学科を卒業した後、大手出版社にカメラマンとして3年勤め、現在はフリーランスとして働く30歳の乾耕太郎と、亡くなった父の跡を継ぎ、住居を兼ねた古い平屋で「占い処  七ノ瀬」をひとりで営み2年が経つ美人占い師・七ノ瀬桜子を巡る5話の連作短編集です

第1話「守りたかった男」は、数日前に桜子のところに相談にやって来た男が妻を殺害し、2日後に自首したというニュースを読んだ耕太郎が、事件を未然に防げなかったと気落ちする桜子のために、事件を追及する物語です

第2話「翼のない天使」は、桜子から、父親である天山がかつて占った結果が一因で仲違いし、長く絶縁状態にある母娘の関係を修復したいと悩みを打ち明けられ、知恵をしぼり奮闘する物語です

第3話「ミツオの帰還」は、商店街で耳にした不穏な噂の男が桜子の店に現れたことから、12年前に起こった事件を振り返り、桜子の力になろうと考えをめぐらす物語です

第4話「水曜日の女難」は、耕太郎に好意を示す魅惑の女性が現われ、桜子を愛しながらも、つい気持ちが傾いていき、酒を飲んで油断した隙に、二人でホテルで過ごした写真をネタに責任を追及されるという物語です

第5話「桜の花が散る前に」は、桜子は廃業の危機に追い込まれる一方、将来有望な35歳の国会議員の誘いを受けることになり、耕太郎は敵方の占い師から「死相が出ている」と忠告されながらも、何とか桜子の気持ちを引き止めようと奮闘する物語です

上記のうちで一番印象に残ったのは第4話「水曜日の女難」です フリーのカメラマンとして取った1枚の写真が、本人の預かり知らないところで、予想もしない”事件”を引き起こしていたというストーリーです これはあり得ない話ではなく、実際にあるのではないかと思います 「個人情報」がうるさく言われる昨今、写真1枚撮るにも十分気をつけないと、後でとんでもないことになる、と思いました

この本を読む前に「悪寒」を読んでいたので、てっきり井岡瞬という小説家はシリアスな物語作家だと思っていました しかし、今回この作品を読んで、かなりユーモアのある作家だなと感じました 彼の作品は手許にあと4冊あります。どんな作家の顔を見せてくれるのか楽しみです

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