人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

高橋源一郎「『読む』って、どんなこと?」を読む / 柳美里「JR上野駅公園口」、中山七里「能面検事」、萩原浩「海馬の尻尾」、アーチャー「レンブラントを取り返せ」、ルメートル「監禁面接」を買う

2021年02月01日 07時26分47秒 | 日記

1日(月)。今日から「2月は逃げる」の2月です 先月ツキがなかった人は月が変わったので 良い方に変わるといいですね

ということで、わが家に来てから今日で2314日目を迎え、国家安全維持法で香港の自由が脅かされるなか、旧宗主国の英国政府が31日、香港からの移民を受け入れる特別ビザの申請受け付けを始める  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

      中国の傀儡政権による警察の監視が厳しくて 身の危険を感じる人が多いそうだよ

 

         

 

高橋源一郎著「『読む』って、どんなこと?」(NHK出版)を読み終わりました 高橋源一郎は1951年、広島県生まれ。1981年「さようなら、ギャングたち」で第4回群像新人長編小説賞を受賞しデビュー。1988年「優雅で感傷的な日本野球」で第1回三島由紀夫賞を受賞したのをはじめ数々の文学賞を受賞

 

     

 

本書は次のような構成になっています

はじめに:誰でも読むことはできる、って、ほんとうなんだろうか

1時間目:簡単な文章を読む

2時間目:もうひとつ簡単な文章を読む

3時間目:(絶対に)学校では教えない文章を読む

4時間目:(たぶん)学校では教えない文章を読む

5時間目:学校で教えてくれる(はずの)文章を読む

6時間目:個人の文章を読む

おわりに:最後に書かれた文章を最後に読む

この本(わずか116ページ)の大きな特徴は、著者がまるで小学生に語りかけるような平易な文体で「本を読むとはどんなことか」について書いていることです 「はじめに」の冒頭で高橋先生は次のように語りかけます

「みなさん、こんにちは。この本は『読む』って、どんなことなのかを、考える本です わたしがそう書くと、みなさんは、いや、『読む』っていうのは、要するに、いま、みなさんがやりつつあるこれ、『このこと』だといいたくなるかもしれません。考える必要なんかあるでしょうか 誰だって、とりあえず、『読む』ことくらいはできるわけなんですから。(中略)考えなくたって、誰だって『読む』ことはできる、のかな?  ほんとに。もちろん、字を『読む』ことができる能力は必要ですし、いくつかのことばの意味を知っている必要はあります。それだけでもう十分、『読む』ことはできる、のだって

そして、「わかりました。じゃあ、ちょっと、次の詩を『読む』ことに挑戦してください」と書いて、

「1891-1944」

というタイトルで、タイトルしかない詩を紹介します 高橋先生は「これをどう読めばいいのでしょう」と読者に問いかけます そして、実はこれは1891年に生まれて1944年に死んだロンメル将軍の生年と没年であり、墓碑銘であることを明かします。読者の私は、数値の並びとしては読めますが、その意味については読めていないことに気が付きます

次の「1時間目:簡単な文章を読む」では、高橋先生は何と小学校1年生で最初に「読む」、国語の教科書を紹介します 俎上にあげるのは「あたらしいこくご 1 上 」(東京書籍)です。先生は解説します

動物と子どもたちが描かれている表紙をめくると、最初のページに、6人の子どもたちが遊んでいる風景。それから、ちいさな文字で、

「みんなの せかい」

そして,おおきな文字で、

「おや なにかな」

次の現れるのは、

「みんな ともだち」

「さあ いこう」

なるほど。この、ほんとにみじかい文章を、みなさんは、どう読みましたか。わたしは、ニッポンの子どもたちは、いきなり「みんな」ということばを2回も読まされるんだ!って、びっくりしました 「ぼく」とか「わたし」じゃなく「みんな」なんですね っていうのが、子どもたちが読んでいる文章を、横から読んでみた、ぼくの感想です うーん、こんなに単純な文章なのに、いろいろ考えさせれられると思いませんか

先生にこういう風に指摘されると、私は文章を「読んでいる」ようで、実は何の疑問も感じないまま「読み飛ばしている」ことに気が付きます

次に「あたらしいこくご 1 下 」に出てくる長めの文章を紹介して、教科書では文章の後に「てびき」として「読み方」が書いてあることを指摘します それは、

「だれが、どんな ことを したかを かんがえて よむ」

「おはなしの すきな ところを 見つける」

「せつめいの 文しょうを よむ」

というような内容です 学年が上がるにしたがって教科書の「手引き」も「文章に対する自分の考えを持つ」「自分の考えを広げ、深める」などと高度になっていきます 高橋先生は、「このようにして、私たちは学校で『読む』ということを習うときに教えられてきた。こうしてきちんと習った上で、試験を受け、社会のことばを立派に使いこなせるようになる」と語ります。その上で、「ところが、学校で習ってくると、『読めない』ものが出てくる」と書きます。そして、やっと「1時間目:簡単な文章を読む」に入っていきます

1時間目以降、高橋先生は、オノ・ヨーコ「グレープフルーツ・ジュース」、鶴見俊輔「もうろく帖 後編」、坂口安吾「天皇陛下にささぐる言葉」、武田泰淳「審判」、藤井貞和「雪、nobody」などをテキストにしながら、それぞれ独特な文章の読み方を語っていきます

しかし、分かり易い言葉で丁寧に書いているからといって、油断していると途中で大きな落とし穴が待ち受けています それは「3時間目:(絶対に)学校では教えない文章を読む」に登場します ここに登場するのは、高橋先生が大学で教えている間ずっと教材として使っていたという永沢光雄(作家・インタビュアー)の「AV女優」(文春文庫)です あるAV女優の赤裸々な発言(いわゆる”放送禁止用語”)が文書として収められていますが、この授業のタイトル通り「(絶対に)学校では教えない文章」です この授業で重要なのは、「いい文章」に対する高橋先生の原則が披瀝されていることです 先生は書きます

「たくさん問題を産み出せば産み出すほど、別のいいかたをするなら、問題山積みの文章こそ、『いい文章』だ、ということです つまり、その文章は、問題山積みのために、それを読む読者をずっと考えつづけさせることができるのです (中略)誰だって、いいといいそうな文章ではなく、それを読んでいると、不安になったり、それを読んでいることを隠したくなったりする、つまり問題山積みで、できたら近づきたくないような文章、そういうものこそ、『いい文章』だ、とわたしは考えています 素晴らしい比喩がたくさん使われていても、ボキャブラリーが豊富でも、精密な論理で構築されていても、ワクワクドキドキするようなお話が満載でも、読んだことのない、聞いたことのない知識や情報がいっぱいあっても、そんな「文章」は、それを「読む」読者を、ほとんど変えないからです 問題山積みの文章だけが、『危険!近づくな!』と標識が出ているような文章だけが、それを「読む」読者、つまりわたしやあなたたちを変える力を持っている、わたしは、そうかんがえています。そして、残念なことですが、『学校で教える文章』には、そういうものは、ほとんどでてこないのです。その理由?簡単ですよね。それを『読む』読者、つまり、わたしやあなたたちを変えてしまうような力を持った『文章』は、教室に置いてはいけないからです だって、『変わって』しまった生徒たちは、どうなるか。『そこ』にはいられなくなる。だって、もう『変わって』しまったのだから。なにもかもちがって見えるし、なんだか落ちつかないはずです。だとするなら、彼らはどうするでしょうか。教室の『外』へ出て、なにか新しいものを発見しようとするに決まっているからです

読んだ後に「人を変える」文章こそ「いい文章」という理論は、理屈では解りますが、「言葉が力を持たない時代」といわれる現代において、「放送禁止用語」以外で「人を変える」文章を書くことは実際には難しいと思います しかし、文章を書く限りは、それを目標にしたいものです

 

          

 

手元の本をすべて読み終わったので新たに本を5冊買いました 1冊目は柳美里著「JR上野駅公園口」(河出文庫)です この作品は「全米図書賞」を受賞したことで話題を呼びました

 

     

 

2冊目は中山七里著「能面検事」(光文社文庫)です 当ブログの読者の方にはお馴染みの「中山七里は7人いる」と言われる多作家の最新文庫本です

 

     

 

3冊目は萩原浩著「海馬の尻尾」(光文社文庫)です この人の作品も文庫化するたびにご紹介してきました

 

     

 

4冊目はジェフリー・アーチャー著「レンブラントを取り返せ」(新潮文庫)です 彼の作品は文庫で発売されるたびに購入していますが、久しぶりの発売です

 

     

 

5冊目はピエール・ルメートル著「監禁面接」(新潮文庫)です 有名な「その女アレックス」以来、彼の作品はほとんど読んでいます

 

     

 

いずれも、読み終わり次第、当ブログでご紹介していきます

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする