昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

2日目 橿原神宮お参り

2018-01-06 15:36:07 | 神社・仏閣
橿原神宮という名前を知ったのは、高校時代のことです。
正直の所、伊勢神宮やら出雲大社といった有名神社ではないですよね。
初詣で賑わう、明治神宮・成田山新勝寺そして川崎大師が有名ですものね。
ですがね、橿原神宮は、非常に大切な一面を持つ神宮なのですよ。
それでは久しぶりにお勉強しましょうか。
――――――――――――――――――――――――
橿原神宮(かしはらじんぐう)は、奈良県橿原市の畝傍山(うねびやま)の東麓、久米町に所在する神社である。
記紀(古事記と日本書紀の総称)において初代天皇とされている神武天皇と皇后の媛蹈鞴五十鈴媛命を祀るため、神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされるこの地に、橿原神宮創建の民間有志の請願に感銘を受けた明治天皇により、1890年(明治23年)4月2日に官幣大社として創建された。

1940年(昭和15年)には昭和天皇が同神社に行幸し、秋には日本各地で紀元2600年奉祝式典が挙行された。
この年の参拝者は約1000万人に達したという。現在でも皇族の参拝がある。
近代の創建ではあるものの、奈良県内では春日大社と並んで初詣の参拝者数が多い神社である。
他にも、勅使参向のもと紀元祭が行われる2月11日建国記念の日)や、神武天皇祭が行われる4月3日および奉祝行事「春の神武祭」の開催期間にも多くの参拝者が訪れる。
平成28年(西暦2016年・皇紀2676年にあたる)には神武天皇二千六百年大祭が行われた。

橿原神宮を描く切手
前述のように1940年(昭和15年)には紀元二千六百年記念行事が大々的に行われたが、当時の逓信省(現在の日本郵政グループ)は「紀元二千六百年記念」の切手として同年の11月10日に20銭切手を発行した。
この額面は当時の国際郵便書状基本料金のための高額切手であった。

畝傍山東麓は北側が神武天皇御陵、南側が橿原神宮となっている。
付近には多数の陵墓が存在する。社務所に当たる組織は橿原神宮庁と呼ぶ。
―――――――――――――――――――――――― Wikipedia より

もうずいぶんと前になりますが、「ブルーの住人」という短編集における、蒼い友情 ~ブルー・まぁだらぁ~ の中に出てきます。
minakoという女性が勤務する kashiwara 総合病院の在る市ということで。
当時付き合っていた女性が、本当に橿原市内の病院勤務をしちゃったんです。
メランコリーな思い出として、今も忘れられないことのひとつです。

さてさて、本文に入りましょうか。
駐車場から見上げた空ですが、方向によってまるで違います。

東西南北が分からないのですが、上下の写真は大体つながっていると考えてくださいね。


駐車場から参道の横手に出て行きました。

すごい数の出店が並んでいます。

大鳥居です。

拝殿入り口全景です。

日本独自の、紀元(紀元とは、ある出来事が起こった年を始点として、それから何年経過したかで時間を測定する、無限の紀年法である。―― Wikipedia より)です。
神武天皇が即位した年からの年数ということですか。ですので、とりもなおさず日本が建国されてからの年となります。


拝殿入り口横の大絵馬です。
順番待ちしてからの写真撮影でした。

本殿入り口に対している壁です。

壁の前にある、橿原神宮前年神札納め場所です。
奥にチラリと見えているのが拝殿口です。

奥に見えるのが本殿です。

小さな神社ではありますが、日本国にとって大事な神社なわけですね。
わたしも、橿原市に訪れたいと願いつつも、50年近く後にやっと叶ったと言うことです。
もしも二十歳だったあのときに来ていたら、ひょっとしてあの minakoさんとOOになっていたかも…。
感慨深い、この地でした。

以上で、久しぶりの車旅行でした。
次回は、2018年一月半ばに長野県東御市の梅野記念絵画館と山梨県の富士山世界遺産センターそして箱根のポーラ美術館に、また1泊2日で出かける予定です。
2月に入ると、未定予定(変な熟語ですかね)ですが、東京の漱石山房記念館および林芙美子記念館を訪ねることになると思います。
そして3月にはまた……

そうそう、「ごめんね…」の再開は、1月9日(火)です。
是非また来てくださいね。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿