TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その139 その3 『京都・紅葉の名所巡り、総本山光明寺-2』

2013年12月15日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
御影堂(みえどう)から回廊を通じて移動します。



蓮生閣を横に観ながら釈迦堂に向かいます。



釈迦堂から観た信楽庭です。
この白砂に模様をつくるため枯葉をのぞき、砂をならし模様をつけるそうですが、作業には熟練しても2時間はかかるようです。



左の大きな三つの岩は弥勒三尊の姿で、全部で18という石の数は阿弥陀如来さまが約束してる48の願いのうちの18番目、『念仏往生』を象徴しているそうです。



境内にはモミジとカエデの老樹が多く、見事な紅葉が楽しめます。



鮮やかな真紅に圧倒されます。



『モミジ参道』と呼ばれるゆるやかな坂道の参道は両側に楓が広がり、華やかで真紅の『モミジのトンネル」が続きます。





赤・黄・緑の絶妙な色合いが織りなす紅葉を楽しみながら歩くことができます。



薬医門直前の紅葉は別格で、深紅の森のようです。
足道脇に敷きつめられて輝きを増す『敷きモミジ』も見事で、モミジの絨毯が敷かれたようです。



すでに今日だけで2-3万歩以上歩き、階段の上り下りがたくさんあるので体力的にはギブアップ状態なのですが,今日の締めくくりが清水寺のライトアップと聞いては頑張らないわけにはいきません。

続く..................................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その139 その2 『京都・紅葉の名所巡り、総本山光明寺-1』

2013年12月14日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
西山浄土宗、総本山光明寺の総門です。



光明寺は京都の西南、西山連峰が穏やかな稜線を描く栗生の里にあります。
ここが法然上人が初めて『お念仏』の教えを説かれたところです。



参道を登って行きます。
『新撰組』というテレビ番組のロケがここで行われ、隊員に扮した俳優さんたちが、この階段を駆け上がるシーンが撮影されたそうです。



光明寺の中心的な建物が御影堂です。
通常の寺院様式では本堂と呼ばれる建物に相当します。
御影堂に向かって左手に立つのが『法然上人立教開宗の像』です。

『月影のいたらぬ里はなけれども、ながむる人のこころにぞすむ』
この歌は、法然上人が阿弥陀仏への信仰を歌に詠んだもので、阿弥陀仏を『月』に、阿弥陀仏の救いの光を『月影』に、十万世界を『里』に、 お念仏申す人を『ながむる人』に譬えています。

阿弥陀仏の慈悲の光が届いていない里はどこにもないが、 弥陀の慈悲はお念仏者の心にだけ住み着くという意味です。



京都随一と言われる紅葉は迫力があります。







御影堂の右側(写真の左前)の松は昭和天皇が皇太子の時にお手植えになったそうです。



紅葉がとても色彩豊かです。



御影堂正面を横から撮ってみました。



正面に、ご本尊である法然上人ご自身作の『張子の御影』が祀られています。
法然上人が75歳の時、建永の法難と呼ばれる弾圧により四国に流罪になった時、弟子の願いに応えて、大切にしていた母気味からの手紙を張り合わせて自らの姿を像に作り、形見として与えたものです。

その後、法然を慕い帰依した、弟子の蓮生(熊谷直実)が、建久9年(1198年)に当地に、念仏三昧堂を建立しました。
後にここで法然の遺骸を荼毘に付し、廟堂が建てられました。
光明寺の名前の由来は、法然の石棺からまばゆい光明が発せられたと聞いた四条天皇は、光明寺の勅額をあたえたと言われています。



続く.............................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その139 その1 『京都・紅葉の名所巡り、高尾山神護寺』

2013年12月13日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
高尾山神護寺を訪問しました。
駐車場から200階段前後を下り、参道入り口よりさらに400階段の上りと聞き、体力が持つのか少々不安になります。



神護寺は愛宕山山系の高雄山の中腹に位置する山岳寺院で、開基は和気清麻呂です。
清滝川に架かる高雄橋からの景色です。



ここが神護寺参道入口です。
渓流にかかる紅葉も奇麗ですが、かなり急な階段が続きますので写真撮影も余裕がありません。
この階段を見上げるだけで疲れますが、この地点ではまだまだ序盤です。



紅葉の落ち葉を踏みしめながら登る延々と続く階段は結構足に来ますね。



バスの待機時間の関係で1時間半で登って降りて写真も撮らなければと、老体に鞭うちながら頑張ります。
高尾山神護寺は京都市内ではもっとも早く紅葉が始まると言われているので、紅葉も平野部に比べて早く、そろそろ終わりごろのようです。



途中で引き返そうかと思ったのですが、ようやく楼門が見えてきました。



石段の参道を上りつめた先に建つ正門です。



両脇に二天像を安置し、1623年の建立です。



楼門を潜ると広場のようになっています。



境内には、他に五大堂、毘沙門堂などがあります。



最後の階段を登り切ると金堂です。
金堂には、本尊の薬師如来立像(国宝)が祀られています。
トッポパパなんとか登り切り、思わずバンザイです。
神護寺は空海が東寺や高野山の経営に当たる前に一時住した寺で、最澄もここで法華経の講義をしたことがあるなど、日本仏教史上重要な寺院です。



唐から帰朝した空海が、真言密教布教のため14年間暮したと伝えられています。
ゆっくりできる時間がないので、急ぎ下山?です。



写真をゆっくり撮る余裕がないので、せめてトッポママの写真はとパチリです。



ここを降りると参道入り口なのですが、駐車場までは逆にまた登り階段になります。



結構体力を消耗した階段の上り下りでした。



次は西山浄土宗総本山光明寺へ向かいます。
今回はツアーパッケージの旅行ですが、結構タフな日程だと驚いています。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その138 その5 『紅葉の嵯峨野散策、大本山天竜寺-2』

2013年12月12日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
約700年前の夢窓国師作庭当時の面影をとどめいる、わが国最初の史跡・特別名勝指定の曹源池です。
臨済宗天龍寺派大本山の寺院で、山号は霊亀山です。
寺の正式名称は天龍資聖禅寺です。本尊は釈迦如来、開基は足利尊氏、開山は夢窓疎石で、京都五山の第一位です。



中央の曹源池を巡る池泉回遊式庭園で、大堰川を隔てた嵐山や庭園西に位置する亀山を取り込んだ借景式庭園です。



曹源池の中央にある縦長の石が並んでいるところは、龍が昇天するところとされ、禅の精神が表現されているそうです。
曹源池の名称は国師が池の泥をあげたとき池中から「曹源一滴」と記した石碑が現れたところから名付けられたそうです。



周辺の紅葉も今が一番の見ごろです。
後嵯峨天皇とその皇子である亀山天皇はここに仙洞御所を造営し、『亀山殿』と称しました。
亀山とは、天龍寺の西方にあり紅葉の名所として知られた小倉山のことで、山の姿が亀の甲に似ていることから、名付けられたそうです。



紅葉ばかり見ていると松が目に映えます。
後ろの建物は説法堂である『法堂』を背後から観たものです。



天竜寺も紅葉の名所と言われていますが、一番見頃の時期に訪問できて満足です。



南天も真っ赤です。



天竜寺を出ると渡月橋はもう目の前です。



渡月橋を渡って北へ向かう観光客で賑やかな通りです。



渡月橋です。
洪水による被害の修復はすでに終わったようです。
観光名所の渡月橋や天龍寺北側の亀山公園なども、かつては天龍寺の境内地であったそうです。



これから高尾山・神護寺に向かいます。
歩きすぎてもう足はパンパンなんですが、次は大変な階段が待ち受けているようです。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その138 その4 『紅葉の嵯峨野散策、大本山天竜寺-1』

2013年12月11日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
京都五山の一位として栄えた名刹、大本山天竜寺に来ました。



後嵯峨天皇の亀山離宮があったところに、1339年足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、夢窓国師を開山として創建した禅寺です。



多宝殿はもともとは後嵯峨天皇と亀山天皇が離宮を造営した場所とも言われ、また後醍醐天皇が幼少の頃にここで勉学に勤しんだともいわれるところで、現在では後醍醐天皇の聖廟として像が安置されています。



多宝殿へは小方丈から長い渡り廊下を歩いて行きます。



ここの深紅の紅葉も見頃です。



方丈裏の庭園は往時の面影を今に伝えています。



大方丈です。
大方丈は天龍寺最大の建物で、正面と背面に幅広い広縁をもち、さらにその外に落縁をめぐらせています。
大方丈の本尊は重要文化財の釈迦如来坐像で、平安時代後期の作とされ天龍寺の造営よりもはるかに古いそうです。(写真撮影は不可)



内部は六間取り(表3室、裏3室)の方丈形式で、中央の「室中」は釈迦尊像を祀る48畳敷き、左右の部屋はともに24畳敷きで3室を通して使うこともできます。
東側が正面で曹源池側が裏となる。



カエルの親子?の顔が可愛かったです。



ここの庭園は大きなモミジ(カエデ)の木がたくさんあり、紅葉も見事です。



続く..................................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その138 その3 『紅葉の嵯峨野散策、大河内山荘-2』

2013年12月10日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
季節や気候のよい日は、野鳥の声を聞きながら、静かに過ごせる山荘です。



まさにモミジの絨毯です。



保津峡を挟んだ嵐山と小倉山のパノラマ展望です。



嵐山は古くから名所として知られ、国の史跡及び名勝にも指定されていますが、大河内山荘はその醍醐味を味わえる数少ない場所となっています。



大河内傳次郎もこんな感じで展望台(月香亭)より京都を一望していたのでしょう。



茶室、滴水庵に寄りました



大河内山荘の最中です。



作法も知らないので、品の無い飲み方で申し訳ありません。



大河内傳次郎氏(1898~1962)は、大正から昭和初期の間に活躍した時代劇俳優で、映画出演料の大半を注ぎ込み、30年間の歳月をかけて、こつこつと造った山荘は本能に素晴らしいの一言です。



山荘を後にすると、嵯峨野の有名な竹林です。



この後、紅葉で有名な天竜寺に向かいます。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その138 その2 『紅葉の嵯峨野散策、大河内山荘-1』 

2013年12月09日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
以前は素通りしてしまった大河内山荘ですが、今回は嵯峨駅で下車したのでゆっくり散策してみます。



大河内山荘は映画俳優、大河内傳次郎が残した敷地2万坪の別荘です。
丹下左膳で一世を風靡した大河内傳次郎ですが、無声映画時代からの有名な映画俳優ですのでご存じの方は少なくなってきているのでしょう。
ここの紅葉も素晴らしいです。



木漏れ日を浴びながら進むと傳次郎氏が最も愛した『大乗閣』です。
大乗閣は、寝殿造、書院造、数寄屋造に日本の伝統的な民家の様式を複合させた独特の意匠の建物です。



大乗閣前は、山荘内で最も広い空間で往時は傳次郎氏も大乗閣より見事な紅葉を眺めていたのでしょう。



ススキと紅葉の合わせも見事です。



大乗閣前からは遠く東山や比叡山が眺められ、写真前方に嵐山がそびえ立ちます。



園路を進むと、白砂が敷かれ低いマツが植えられた枯山水のような空間の中に、仏像を安置した持仏堂があります。



この大河内山荘は、名優・大河内傳次郎が古都の霊峰に魅せられて、生涯をかけてこつこつと築き上げたものです。
34歳(1931年)から64歳で逝去するまで30年の歳月に渡り、映画出演料の大半をこの庭の創造に注ぎ込みました。



平成14年には、国の登録文化財に指定されています。



四季を通じて楽しめる山荘ですが、やはり秋のこの時期が色鮮やかです



続く................................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その138 その1 『紅葉の嵯峨野散策、トロッコ電車』 

2013年12月08日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
湖東三山の階段の上り下りで、足腰が疲れたので昨夜は睡眠を十分にとり、今日の散策の始まりはトロッコ電車からです。
トロッコ電車は嵯峨駅をスタートして嵐山駅、保津峡駅、そして終点のトロッコ亀岡駅まで7.3㎞を約25分で走ります。



今回は亀岡駅から嵯峨駅を目指します。



駅周辺も紅葉が見頃です。



亀岡駅にはたくさんの狸の置物が並べられ、トロッコ電車の出迎え(見送り)をしています。



狸の置物はよくお蕎麦屋さんに置かれていますが、ネット情報に狸の置物についての記載がありましたので転載します。

”タヌキは古来より縁起の好いモノとされています。 『(他)の者より(抜き)に出る』と言う意味で、他者より優れているの意味です。
タヌキの置物を置く事にはそれ程深い意味はないそうです。



狸の置物に関して、 八相縁起と言い下記のように説明されています。
笠:思わざるは悪事災難を避けるため、用心常に身をまもる笠
通帳:世渡りは先ず信用が第一ぞ、活動常に四通八達
目:何事にも前後左右に気を配り、正しく見つめることをわすれめ
腹:物事は常に落ちつきさりながら、決断力の大胆をもて
顔:背は広く互いに愛想を良く暮し道を以って務め励まん
金玉袋:金銭の宝は自由自在なる、運用をなせ運用をなせ
徳利:恵まれし飲食のみにこと足りて、徳はひそかに我につけん
尾:何事も終わりは大きくしっかりと、身を立てること真の幸福

とのことです。なにはともあれ縁起の良い置物ということなのでしょう。



トロッコ電車が到着しました。
路線は、旧山陰線を利用して、平成元年に山陰線が複線電化した際、嵯峨嵐山・亀岡(馬堀)駅間が新ルートに切り替えられ、廃線となった旧ルートをトロッコ列車として復活させたそうです。



車窓の景色はまさに山あり川あり渓谷ありの一大パノラマです。
次から次に雄大な景観が広がります。



動く電車の中からの撮影なので、ちょっとボケてしまいましたが、保津川下りの船です。
亀岡駅近くの乗船場から京都の嵐山まで、約16Kmの渓流を下る舟下りです。



船に乗っての保津峡の眺めも素晴らしいのでしょう。
旧?山陰線の鉄橋です。
トロッコ電車は平均時速約25km前後で、ゆっくり景色楽しみながら乗ってくださいという配慮のようです。



嵯峨駅に到着しました。



この後、大河内山荘に向かいます。

続く...........................................................................。

トッポパパ、なんとか68歳の誕生日を元気で迎えられました!

2013年12月07日 | その他
先月末にトッポパパ68歳の誕生日を皆さんのお陰で、深刻な体調問題は依然抱えてはいますが無事誕生日を迎えることができました。
これもトッポママはじめ家族のお陰だと思っています。
娘と初孫と一緒に記念撮影ができるのも嬉しいことです。



トッポパパの誕生日の前日が結婚記念日で、トッポママへの感謝の気持ちで湖東三山と京都の紅葉巡りになったわけです。(まだブログでの紹介は途中ですが)



2度も死線をさまよったトッポも(トッポパパも同じですけど)、トッポパパがさみしがるだろうと奇跡的な回復ぶりで、一緒にのんびり毎日を過ごしています。



初孫と平日はほぼ毎日顔を合わせることができ、ようやくジージも家族だと認識してきたようです。



最近姫が歩きはじめましたので、一緒に遊ぶのも大変です。



孫の成長を見守ることなどできないと思っていた時期もありましたが、こうして姫の笑顔と成長を見守れるだけ幸せだと思っています。



昔の同僚も忙しい中お付き合いしてくれて楽しく過ごしました。
ひとりだけ顔が大きく写ってしまい申し訳ありませんがカメラマンに文句を言ってください。
皆さんありがとうございます。
(ママのお面を忘れましたが、勘弁してくれるでしょう。)



トッポも16歳を過ぎて、今の調子ならもう一度新年を迎えられそうです。
トッポ、『もう老犬なんだから、僕にもお面を考えてもいいよ』
トッポパパ、『そしたら全員、お面が必要になってしまうだろ



すっかり白髪顔になったトッポですが、食欲もあり、食餌の催促で吠える状態です。
こうなったらトッポパパは来年の古希(数え年?)まで頑張る!ことと、退職後健康を兼ねての運動と思い再開したゴルフもなんとかスコアがまとまるようになってきたので、よし!80台で回ろう!を目標にしていきたいと思います。



トッポパパ、いつひっくり返るかわかりませんが、それまでは前向きに頑張りますので、今後ともよろしくお願いします。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その137 その6 『秋の湖東三山紅葉めぐり、百済寺-2』 

2013年12月06日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
喜見院の庭園に寄り道しました。



この庭は東の山を借景に山腹を利用し、大きな池と変化に富む巨岩を配した豪華な池泉回遊式・鑑賞式庭園となっています。



池泉廻遊式のパノラマ庭園です。



もともとは「千手坊」と称していたそうですが江戸時代初期に天海僧正の高弟の亮算が入り、喜見院と改めたそうです



巨石を組み合わせて作庭され、書院正面中央に置かれた石を拝石としています。







回遊式の庭園の借景にもなっている山の頂きには、西を広く展望できる広場があり、『天下遠望の名園』と言われ、手前に湖東平野、琵琶湖、総本山の比叡山や比良山地が眺められます。



散策路も夕陽を浴びて輝いてます。





湖東三山の紅葉巡りはこれで終わりにして、明日は京都に移動します。


トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その137 その5 『秋の湖東三山紅葉めぐり、百済寺-1』 

2013年12月05日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
湖東三山の最後は百済寺(ひゃくさいじ)訪問です。



またまた長い参道を登っていきます。



長い参道の本堂近くに立つ仁王門です。
その正面につり下げられた一対の大草鞋に触れると、身体健康・無病長寿のご利益がある言い伝えられています。



『百寺巡礼』で有名な五木寛之氏が第35番目の百済寺参拝時に、この大草鞋に触れて、百済寺満願を達成されて以来、脚光を浴びています。



本堂です。
本堂は室町時代の1498年に火災にあい、さらに織田信長によって1573年に全山焼失しました。
江戸時代の1650年に現在の本堂が竣工されました。



現在の本堂は、一重、五間六間、入母屋造で正面中央に軒唐破風が付せられております。



ネット情報からの抜粋ですが、百済寺は、606年に創建された近江の最古級寺院です。
日本に暦・天文・地理・遁甲(兵術)・方術(仙人術)を伝えた朝鮮の百済僧『観勒』(日本最初の僧正)は、602年に来日し、百済寺創建のための選地・方位決定し、百済寺の供養僧としても長く滞留しました。

湖東のこの地域は、有史以前の弥生時代から開かれていたといわれています。
とくに百済系の多くの渡来人が朝鮮半島先端から日本海流に乗り若狭に漂着し、冬場の豪雪を避けて近江へと南下し、当時の先端技術(製鉄、潅概、土木、建築 etc)や先進文化を近江にもたらし定着させたと伝えられています。

百済は、BC18年に高句麗から分離独立し、現在のソウル近辺に成立し、当初は『伯済』と書いて 『ハクサイ』と呼ばれていました。
5世紀代の国王が、『伯』の文字は左右非対称で弱弱しいため、『イ(にんべん)』を跳ね上げて左右対称の安定した『百』の文宇にすることで国家も安定するだろうとの願いを込めて『百済』に改名したといわれています。
(発音は同じく『ハクサイ』)実は、朝鮮の長い歴史の中で、『百済』の発音として『くだら』と呼ばれたことは一度もありません。
日本人のみが『くだら』と発音していたようです。



その後、百済国王は万一の有事事態(亡国)に、国民を安全な場所に避難させる必要があると考え、その受入れ国として日本が妥当であるかを調査するために、百済博士「慧慈」(百済へ亡命した高句麗僧)を派遣します。
6世紀に聖徳太子と慧慈の劇的な出会いがあり、慧慈は『この怜悧な皇子(聖徳太子)が将来天子(天皇)になるならば、亡国時に難民となった百済人を温かく招き入れて呉れるであろう』と本国の国王に返信したと言われています。
国王は、『それは有難いことだが、念には念を入れて確実ならしめるため、慧慈の持っている仏教をはじめとする全知識を惜しみなく太子に教える家庭教師としての教育係を申し出てみよ』との指令があり、慧慈と太子の間には緊密な師弟関係が生まれました。(以上、ネット情報の概略です)



なにかご利益があるかと思い、鐘楼の鐘をつかせていただきました。



この後、天下遠望の名園と言われる喜見院の庭園に寄ってみます。



続く..............................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その137 その4 『秋の湖東三山紅葉めぐり、金剛輪寺-2』 

2013年12月04日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
金剛輪寺脇のモミジ赤は実に見事です。



金剛輪寺三重塔は鎌倉時代の1246年に建てられ、高さ22.15mで現在重要文化財とされています。



織田信長の百済寺焼討ちに際し当寺も焼き払われるが、辛うじて本堂・三重塔・ニ天門のみは類焼を免れ現在に伝わる。





この鐘楼も歴史あるものなのでしょう。



千体地蔵です。



千体地蔵尊には風車が添えられています。
よだれかけは信者の寄進によるもので、年に3回かけ変えるそうです。



茶室・水雲閣に寄ってみました。



池泉回遊式庭園は桃山、江戸初期、中期の3庭園からなる名園古庭です。





急階段を足元に注意しながら次の百済寺に向かいます。
ちょっとお遍路さんのような気がしてきています。



続く..............................................................................。


トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その137 その3 『秋の湖東三山紅葉めぐり、金剛輪寺-1』 

2013年12月03日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
金剛輪寺に到着です。
金剛輪寺は湖東三山の中程のお寺で、聖武天皇の祈祷寺として行基菩薩が741年に開山した歴史あるお寺です。
こちらは黒門です。



ほとんどのお寺がそうであるように、金剛輪寺も階段状の長い参道を登っていきます。



重要文化財の二天門が見えてきました。



大きなわらじが架けてあるのは七難即滅を願うもので、もとは楼門だったそうです。



青空にモミジが映えます。



国宝の本堂です。
本堂には秘仏本尊観音、阿弥陀如来像、十一面観音立像など十体の重要文化財指定の仏像が安置されています。
(仏像のほとんどがは写真撮影禁止なのであしからず)



モミジの季節ならではの写真になります。



本尊は行基菩薩が一刀三礼で刻みましたが、ある日赤い血を流していたとか、あたかもその血で染められたように鮮やかに紅葉することから、血染めの紅葉と言われ有名です。



本堂と三重塔までの空間は深遠な空気に包まれています。



暫し休憩を取りながら、モミジを眺めていました。



続く................................................................................。



トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その137 その2 『秋の湖東三山紅葉めぐり、西明寺-2』 

2013年12月02日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
紅葉を全景にいれた三重塔です。
初層内部に極彩色で金剛界の三十二菩薩など鎌倉時代の極楽浄土が描かれています。
本堂と同じく釘を一本も使わない純和風建築で、国宝に指定されています。



境内の紅葉も色鮮やかです。







参道脇には大きなモミジの木が並んでいます。



中には赤くならずに黄色のままのモミジもあるようです。



二天門手前右側の霊木で幹が途中で二又に分かれていることから夫婦杉と呼ばれています。
(ちょっと写真の角度が悪いので、二又に分かれているのがわかりませんけど



コケに覆われた倒木の根も風情があります。



池に散った水面の紅葉も、まるで絵のような模様を描いています。



他の人には何をしているのだと怪訝な顔をされますが、こんな写真もいいですね。



これから金剛輪寺へ向います。



階段の上り下りは、運動不足の老人には堪えます。

続く...................................................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その137 その1 『秋の湖東三山紅葉めぐり、西明寺-1』 

2013年12月01日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
トッポパパは一ヵ月ほど風邪が長引いたのとネタ切れで、またまた久しぶりの更新になってしまいました。
お陰さまでトッポともども小康状態を保ち、なんとか生き延びています。(笑)
トッポママと一緒に秋の紅葉巡りをしてきましたので、写真を整理しながら紹介します。

今回はまず琵琶湖の東、鈴鹿山脈の西山腹に位置する湖東三山と呼ばれる、紅葉の名所として知られる西明寺、金剛輪寺、百済寺の三つの天台宗寺院を廻ってみました。



最初に訪問したのが西明寺です。



寺院のほとんどが山の中腹にあり、まずは軽い山登りの感じです。



この時期は初雪もあり、結構気温が下がりますので厚着をして完全武装です。



紅葉の名所だけに見ごたえのある紅葉がたくさんあります。



西明寺の縁起は古く平安時代や飛鳥時代までさかのぼり、建築物や仏像、絵図などは、国宝や重要文化財に数多く指定されているそうです。



西明寺は滋賀県犬上郡甲良町池寺にある天台宗の寺で、竜応山(りゅうおうざん)と号し、西に大きな池があるので池寺とも呼ばれているそうです。



室町時代に僧兵を抱えていたそうですが、織田信長の攻撃を受けて大半を焼失しましたが本堂、三重塔、二天門が現在に残ったそうです。



いろいろなモミジ(カエデ)の種類があるのか、色合いも微妙に違います。



入母屋造り檜皮葺きの本堂です。



一本の木に赤や黄色が交じり、その交じり具合で色彩が豊かに感じられます。



続く........................................................................。