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トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その144 『北海道横断・定山渓温泉』

2014年06月14日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
小樽を離れ定山渓温泉で宿泊です。



定山渓温泉には『かっぱ伝説』があります。
かっぱは定山渓のマスコットになっていて、街路や遊歩道に多数の河童の像が置かれています。



古くはアイヌに知られた定山渓です。
1815(文化11)年に岡山県の寺院で生まれた、後の美泉定山がアイヌから山奥の渓谷に温泉が湧き出るところがあることを聞き、アイヌの案内で山を越えて源泉へと辿り着きます。
そこに小屋を建てて湯治湯を開くことにしたのが定山渓温泉の始まりです。



温泉が流れる湯の滝です。
定山は繁栄していた小樽から湯治にこれるようにするため、距離にして40km弱の険しい山道の測量を続けましたが、こころざし半ばで、1877(明治10)年、小樽で62年の生涯を閉じることになりました。



遊歩道脇に咲いていた花です、スズランでいいのかな?



ネット情報によるかっぱ伝説を転載します;

かっぱ豊平川は、明治42年銚子の口発電所のダムが出来るまでは、この奥から胴木(柾の原木)を流送する程、流れも多く、 至るところの深淵には大きな川魚類が沢山棲息していた。その頃道路工事に従事していた青年、瀬山某がこの淵で魚取りしていた時、 足すべらせた訳でもないのに、急に引込まれるように、川底に沈んでいった。
これを附近にいて目撃していた胴木流送中の人達がすぐに飛込んだが、 淵が深くて救助する事が出来なかっ たばかりでなく、この青年の姿は遂に発見する事なく日が過ぎた。そして一年、一周忌の当夜、件の青年が故郷の父の夢枕に立って、 「私は今かっぱの妻と子供と一緒に幸せに暮らしている」と語った。
きっての美男子だったこの青年、ここに住んでいるかっぱに魅入られたのだろう………… ということで、以来ここをかっぱの淵と称するようになったが、その後は此処で遭難する者は全く無くなったという。



ひょうきんなかっぱの像です。



『かっぱ家族の願かけ手湯』があり、子かっぱの口から流れる湯で手を清め、呪文をとなえると願い事がかなうそうです。
子かっぱの皿に湯を溜め、口から出てきた湯で手を清めてから『オンカッパヤウンケンソワカ』という呪文を唱えると、願いがかなうということです。



こちらは『ミスかっぱ』です。



ゆっくり温泉に入り、明日は富良野を散策します。