tonosamarings blog

窓際COACHのドリ鰤物語

2010-09-29 15:35:52 | インポート
 新人戦も近づき、うちはあいかわらずまったりとDRIに励む
 COから、もっとこうしたらよいのではと提案があった
 提案=アイデアはとても良いことだと思う
 ただ、私はGOは出さなかった 理由はこうだ
 LONG LONG AGO 全日富山県代表で全国へ行けた
 前日までの壮行試合で県外の指導者から「強いよね」って言われた
 そのときは、意味を理解せず、その言葉に天狗になった 結果はBEST12に入り万々歳だった
 その次の年、同じようにTRYしたが叶わなかった
 数年後、全国へ行った選手たちがJYを辞めたという話に最初はそのクラブを疑った
 数年が立ち、たくさんの指導者との交流を深めるうちに、あの時の言葉の意味がわかった
 そして、その後、あの時なぜ選手たちが辞めたのかすべてはJYではないことにも気づいた
 勝利至上主義で、足元をおろそかにしてしまった(上を目指すがゆえに、足元をすくわれた)
 確かに勝つサッカーは、蹴ってゴールを目指したほうが手っ取り早い
 でも、そのときはそれで良いが、違うことを要求されると何もできない自分に気づく、そして挫折の方向へ
 それに気づいたとき指導者を辞めたくなった、俺はそんな指導をしていたのかって だから今は、ギリギリまで個を鍛え、外へ出してもやっていける選手をつくるべきという考えでやっているから個性のあるチームになった でもそんなチームだから、付き合ってくれる指導者も多い
 昔からよく聞く「Jのチームから何も教えないでも良い」っていう言葉
 なんにもしなくても良いってことでなく、止める、蹴る、運ぶっていう原点をってことですよね
 解釈が正しいかどうかは別として、正解だよね
 技術は身につく宝(財産)だから、なくなることはない(釜本もいまだにシュートはうまい)
 島田でもいろいろあった問題、変な癖(ファール)は、指導者から教わったのか、自分で見て覚えたのか、指導者が何も言わないからそうなったのか、知りませんが、それが質の問題であれば質屋でも買いません
 うちのCOの提案は、誠に良かったもの”動きの質「OFF」”に関してだった
 俺はまだ早い、子が個に自信を持ってやれるようになったら、そうしてやろうよって(1+1VS1+1ができてから)ことが、スラッとでなかったので申し訳なかった 俺がよく失敗する練習メニューを5つほど考えて、2つしかできず、後の3つは消えていく
 今が大事であり、今があるから将来がある
 前を向いて歩きたいが、たまには足元をみてごらん 1円ぐらいなら落ちているときもあるから、堤防沿いを歩くときは特に注意しないと○んこを踏んでしまうから、踏んでしまうと洗いに戻らなければならないし、だまってバスに乗るととんでもないことになるから気をつけて
 話が相当、それてしまった感があるが教訓だな
 俺は絶対に負けるのが嫌、だから勝負で負けても、いつも個の力だけは負けないようにしたい
 結果は後からついてくる 和也がJリーガーになったのは、大山が強かったわけでもなく、ひがしが強かったわけでもなく、一高が全国最強だったわけでもなく、彼自身が努力家で3歩進んで2歩さがる奴だったから、今があるのだと思うし、今も貪欲なんだと思う
 彼は、人にはものすごく優しい、でも自分には厳しすぎるほど厳しい  そんな奴だからなれたんだと思う
 うちが、彼がJリーガーになって変わった部分もある強い大山より、うまい大山になりたいという願
 彼が一流になったとき、胸をはって出身は一高ですでなくて、大山ですって言ってもらえるように、そして周りからは「個の力がすばらしい、あの大山の」って言われるクラブになりたいということです。(だから選手たちも自覚を持って挑戦してください)
 1年当たり7,8人のDRIブラーが巣立っていきます 彼らがどこで続けるかはわかりませんが一人ひとりが、種を持って巣立っていきます
 今はまだ少ないですが、そんな素人をもっと育てたいと思います。
 
 

コメント