野口敏夫プライベートブログ

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千人武者行列の旅

2016-05-19 21:48:45 | 旅行記

                千人武者行列の旅

 日光には、これまで10回以上行ったことがありますが、千人武者行列なるものは見たことがなく、一度は見たいと思っていたところ、馴染みのT旅行社の標記のツアーが、偶々透析日の合間に当たる5/18の水曜日であることに12日前になって気が付き、すでに締め切った後でしたが、何とか加えてもらい、滑り込みで参加できた次第です。

 当日は、いつものように、春日部で浅草からのツアー一行に合流し、8.03、特急スペーシアけごん1号にて東武日光駅に向かいました。

 9.25、東武日光駅に着きましたが、駅周辺にたむろする外国人の多さに驚きました。私が最後に当地を訪れてからもう10年以上経ちますが、その頃は外国人の姿はちらほら程度でしたのにーーーー

 添乗員の先導で、途中、日光郷土センターで休息をとりつつ、約1kmの道を東照宮に向かって歩き、神橋を横目に通りを突っ切り、急坂の階段を上ると、もう東照宮の境内です。更に10分余歩いて、武者行列の行われる表参道に着き、輪王寺の三仏堂前に設えられていた桟敷席(と言ってもパイブ椅子を並べてあるだけですが)に座り、11時からの行列開始を待つこととなりました。 さすがに400年祭のイベントとあって見物客の多かったこと! ここでも外国人の姿が多数みられました。

 午前11時、いよいよ武者行列の開始です。

 行列は正式には東照宮神輿渡御行列といい、徳川家康公を駿府久能山から日光へ改葬した時の行列をそのまま再現したもので、旧神領の産子千余人に及ぶ行列の供奉により行われることから、俗に百物揃千人武者行列と称され、神輿は二荒山神社を進発、上新道→石鳥居→表参道を経て、神橋のほとりにある御旅所に渡御されますので、表参道の両側が格好の見物場所になっているわけです。

 行列の概要は右図の通りです。

 以下に、桟敷席から撮った画像を順にご紹介しましょう。 

    
  先導武者        前駆幹事長ほか       兵士鉾持       獅子

   
   田楽法師        御神馬             御鉄砲持       御弓
                   

      
         御槍持                  鎧武者           稚児        掛面

    
   御さしば       御太刀禰宜ほか          斎鉾       祭旗

    
        神人          伶人                 鷹匠         禰宜

    
     御本社神輿       御幣&素袍著   御左神輿(秀吉公)    御右神輿(頼朝卿)

  
        宮司       後衛副幹事長ほか

 ざっと以上のような古式ゆかしい様々な行列が、約30分間で目の前を通り過ぎていきました。神輿が3体出てきましたが、これはそれぞれ武家の棟梁だった3名(家康・秀吉・頼朝)を祀ったものとか。その中で、家康公を御本社神輿としていますが、これは家康公こそご本尊で、他の二人の上位にあるとの権威づけなのでしょうか?

 日照りが強烈だったので、その温度でスマホのカメラが時々作動しなくなるなどハプニングがありましたが、何とか主要な部分はカメラに収めることができました。

 行列が去った後、五重塔に向かう道すがら、ふと見ると、警備本部が設けられ、警官らが打ち合わせしておりました。やはり家康公没後400年祭とあって、混雑が予想されることから特別な警備体制を敷いているのでしょう。

 

 さて、五重塔ですが、普段は高さ36m、極彩色のの日本一華麗な外観を眺めるだけで、内部を見ることは適いませんが、今回は、東照宮400年祭の一環として、初重(一層目)内部が特別公開されておりました。
 ただ、内部の撮影は禁止されており、写真でご披露できないのは残念ですが、初重軒下には十二支の彫刻があり、また、初重内部も、漆塗り・彩色・漆箔が煌びやかに施されており、金箔の仏像の後ろに塔を貫く金に彩られた太い心柱が見られました。

 この心柱は、事例の少ない懸垂式で、礎石には据えられず、四重から吊り下げられて浮いているとか。実際底部だけは撮影できましたので、その浮いてる状態をなんとか写真に収めることができました。
 このように、塔身と分離した心柱は、幾度もの大地震を乗り越えた免震の機能を果たしており、この免振原理は東京スカイツリーにも応用されているとのことですから、江戸時代の人の知恵には驚くばかりです。

  昼食は国道120号線沿いの磐梯日光店という所で摂りました。この店は屋上がドライブインになっている珍しい構造で、この辺りでは団体客を収容できる大きな店がほかにないため、ほとんどのツアー会社はここを利用しているようです。ちょうど柏の某小学校の修学旅行生とぶつかり、混雑しておりました。
 私が小学校の6年生の頃はまだ戦後間もない混乱期で、まだ修学旅行はなかったので、つくづく今の平和な時代の有難みを感じました。

 昼食は「栗おこわ葵御膳」と称するもので、味のほうはまずまずと言ったところでしたが、和食でありながら、おしぼりのサービスがなかったのには、この店の驕りを感じました。

 昼食後は一旦解散となり、東武日光駅に16時再集合ということになったので、あとはどう過ごすか、東照宮境内をくまなく見てまわるか、田保沢御用邸に行ってみるか、裏見の滝もしくは憾満ガ淵までウォーキングするか、と、選択肢はいろいろありましたが、いずれもかつて行ったところばかりであり、観光するにはこの混雑の中ではと気後れし、ウォーキングするには暑すぎるので、結局は、これまで度々ツアーで一緒になったことでお馴染みになったA氏と、ゆっくりと周りを観察しつつ、そのまま駅に向かこととし、途中、街道沿いの茶房に入って談笑するなどして、ゆったりとした時間を過ごしました。
 JR日光駅にも行ってみましたが、常に賑わう東武日光駅に比し、実に閑散としているのが印象的でした。 

 帰路は、16.25発の普通電車に乗り、下今市駅で特急スペーシアきぬ132号に乗り換え、以後は往路と同じルートを逆に辿って帰宅した次第です。

 今回は、千人武者行列を見たのは初めてである一方、また日光でこんなにものんびりと時を過ごしたのも初めての体験でした。

                              以上

 


 

 
       

 

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