野口敏夫プライベートブログ

私の周りで起こった出来事や日頃思ったことなど個人的で気ままなブログとなっています。

南九州・屋久島観光

2009-11-29 14:00:27 | 旅行記

   去る11月26日から昨日の28日にかけて、南九州と屋久島を巡る旅に出かけてきました。

 南九州は、昨年10月にも訪れており、一部重なる部分はありましたが、今回は妻の希望もあり、屋久島をメインに一番気候に恵まれる確率の高い11月を選びPhoto、久方のH社のツアーに参加した次第です。

  もう少し若い時であれば、山奥深くにある縄文杉を目指し、屋久島だけのツアー2泊3日のも考えましたが、もはやその体力は残っていませんので、南九州との抱き合わせの日程を選んだわけです。

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 第1日目

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 9時30分発のANA621便で羽田空港を出発、11時25分、鹿児島空港に降り立ちましたが、昨年10月以来の久しぶりのフライトだったためか、2時間弱と短い飛行にもかかわらず、降下時の耳の痛さは相当なものでした。耳栓を忘れてきたら豪いことになるところでした。

 ともあれ、空港で現地添乗員と観光ガイドに迎えられ、ツアーバスに乗車、車内で昼食をとりつつ、まずは最初の観光スポット霧島神宮へと向かいました。

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 霧島神宮

 ここは、昨年は大鳥居の前を通り過ぎただけでしたPhoto_2 が、今回はここを潜って境内に入り、私にとって実に40余年ぶりの訪問となりました。

 ちなみにこの大鳥居は、高さ22.6m、重さが79トンもあり、これは九州一の大きさだそうです。

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 ご存知のようにこの霧島神宮は、天照大神の孫で、Photo_4 天孫降臨の神話で知られるニニギノミコトを祭神とする日本で最も由緒ある神社のひとつで、6世紀に造られたのが始まりといわれていますが、現在の社殿は1715年に島津藩主の島津吉貴が建立したものとか。

 社殿はいずれも朱塗りの華麗なもので、「西の日光」といわれるのも宣なるかと感じました。

Photo_5  社殿に向かう階段下の右には、ご覧のように大杉がありますが、これがご神木で、樹齢約800年と推定され、高さ37m、幹囲(胸高)7.3mの大きなもので、これは南九州における杉の祖先とも言われているそうです。

 Photo_6 そのほか、駐車場から登ってすぐのところに招霊木(オガタマの木)と呼ばれる無数に枝分かれしている細長い木が立っていますが、これも霧島の神々が宿られるご神木だそうで、木を囲む柵の内側には沢山の小銭が投げ込まれていました。 四方八方に枝が伸びているのが特徴で、その実は巫女が持つ神楽鈴の原型とのこと。

.Photo

 なお、境内は紅葉の名所でもあり、ちょうど11月下旬 が見ごろとあって目を楽しませてくれました。

 写真奥の朱塗りの鳥居は冠木門とも呼ばれる三の鳥居で、ここから拝殿への参道が続いています。

.Photo_2

 霧島神宮を後に加治木から高速道を行き、姶良(あ いら)からは国道10号線を錦江湾沿いに南下し、窓越しに桜島を観賞しつつ、次の観光スポット・仙巌園に向かいました。

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 仙巌園 

 ここ仙巌園は、昨年10月に来ています(「南九州周遊旅行」編参照)ので、今回はあえて入園せず、代わりに隣接の尚古集成館を見学することにしました。昨年は時間が足りず見られなかった所です。

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 尚古集成館

 ここ尚古集成館は、1923(大正12)年に開設した永い歴史をもつ博物館です。

 1 幕末、時の薩摩藩主であった島津斉彬は、アジアに進出して植民地化を図る西欧列強の動きにいち早く対応するため、製鉄、造船、紡績などの産業を興し、写真、電信、ガス灯の実験、ガラス、陶器の製造など、集成館事業として日本の近代化をリードする工業生産拠点を作り上げました。その中心だったのが、1865(慶応元)年竣工の機械工場(現博物館)で、操業当時の面影をとどめるものとして、国指定重要文化財に指定されているとか。

 館内には、集成館事業を象徴する反射炉を発掘生家な2 どをもとに再現した模型、海を介して薩摩の歴史を物語る琉球船の模型や、機械工場操業時の雰囲気を醸し出す展示コーナーのほか、島津家伝来の史料を中心に文書や書画をはじめ歴代の当主らの鎧、薩摩切子や薩摩焼などの工芸品の展示など見どころに溢れ、有意義なひと時でした。

 戊辰戦争で、兵の数では圧倒的に劣る官軍が徳川の大軍を打ち破ることができたのも、ここで造られた薩摩の近代兵器によるものといっても過言ではなく、改めて島津斉彬の先見性・進取の志とその実行力に感嘆した次第です。

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 磯工芸館

   次いで、近くにある磯工芸館に入ってみました。ここ1 は、薩摩切子を中心に薩摩焼、薩摩錫器などの薩摩の伝統と匠の技を展示する3ギャラ2 リーで、いい目の保養になりました。 中でも300万円以上もする大型の煌びやかな製品には、その光彩の妙に目を奪われました。

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 鶴嶺神社

 集合場所の駐車場に戻る途中、神社があるのに気がつきました。Photo

 説明板によると、これは、鶴嶺神社と言い、島津家歴代の当主とその家族等を祭る神社として、明治2年(1869)に創建された神社であるとか。同6年には県社に列せられ、更には昭和10年(1935)に天皇陛下の地方行幸に際し、幣帛料を賜った由緒ある神社で、現在その境内地は、国指定史跡集成館の一部になっているそうです。

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 島津家庭学校跡

 鶴嶺神社の傍にはこんな史跡もありました。

 ここには、明治26年(1893)、30代島津忠重(1886年生まれ)のために島津家庭尋常小学校がつくられ、市内の大竜小学校から30名の生徒が選抜されてともに学んだとか。

 Photo 後に高等小学校となり、忠重の弟達が全員卒業した2 明治34年には廃校となったそうですが、当時はこの木造平屋建ての本舎のほか、別棟に剣術道場があり、後に理化学実験器具や標本用の一室もつくられたとか。

 このように特定の家族のための学校が存在したのは、やはり、この時代までは旧藩主の威光が生きていたということでしょうか。

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  本日の下車観光は以上で終わり、鹿児島市の中心Photo 部を縦断して抜け、錦江湾沿いに225号線を南下すること約1時間半、指宿温泉の指宿シーサイドホテルに着きました。

 夕食前に昨年は敬遠した砂蒸し風呂に、今回はホテPhoto_2 ル内に設備がありましたので、入ってみました。実に数十年ぶりでしたが、7分ほどで程よく熱くなった段階で起き上がり、砂を落として、隣接の大浴場に向かいました。一般的には15分程度とのことですが、私は血圧が高いため、用心した次第です。

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 第2日目

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 さぁ、いよいよ本日は本命の屋久島へのデイツアーの日です。Photo

 7時30分、指宿港を鹿児島商船運航のジェットフォイ ル「トッピー」にて出発、1階座席で過ごすこと135分、屋久島北端の宮之浦港には9時45分に着きました。

 ちなみに「トッピー」とは、鹿児島の方言で「飛魚」とのこと。 時速80キロで亜熱帯の海を船体を浮かせて飛ぶように走ることからその名がつけられたとか。

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 下船後、直ちにガイドさんに迎えられ、10時ちょうどにバスにて出発、まずは本日の観光の目玉である紀元杉のある地点を目指しました。

 天気は絶好、ガイドさんによると、こんなに天気がいいのは、実に珍しいとのこと。屋久島は1年のうち400日も雨が降るといわれるほど日本一の多雨地帯だけに、幸先や良し、大当たりと意を強くしたしだいです。

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  ここ屋久島は、九州本土の南端、佐多岬の60k2mほ ど南にあり、淡路島より少し小さい島ですが、花崗岩が隆起して誕生した、九州一高い1936mの宮之浦岳が聳える山の島で、海岸からそそり立つ山々は杉を中心に、様々な樹木に覆われており、島の90%が森林の由。

 ちなみに現在の人口は14000弱だそうですPhoto_2

  今回は、一日行程なので、時間的な制約はあるが、屋久島の中でも人気の高いヤクスギランドを中心にトローキの滝、屋久島自然舘、千尋の滝、紀元杉の5箇所を巡るとのこと。

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 そんな説明を聞きながら、海岸線を南に30分ほど走1 2 った後、右折して山道にかかり、両側にぎっしりと生い茂る杉林を見ながら、ひたすら登っていきました。

 杉は、その成長過程により、樹齢100年未満の杉を地杉、100~1000年を小杉、そして屋久杉と呼ばれるのは樹齢1000年以上のもので、現在およそ2000本くらい生存しているとか。Photo_2

  突然、右側に野生の子鹿が一匹いるのが見えました。車が通っても逃げ出そうとしないのは、害を加えられる恐れがないことを知っているからでしょうか。子鹿が母鹿と離れて行動するのは極めてまれであるとか。そう言えば、この子鹿の表情には、何となく寂しげな感じがありました。

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 紀元杉

 更に曲がりくねった山道を登り続け、11時25分、ようやくお目当ての紀元杉が生息する、標高1230mの地点に着きました。

 まさに「この歳で やっと会えたよ 紀元杉」

 この紀元杉は樹高19.5m、胸高周囲8.1mの、車1_2

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