この論稿も、正上常識人のカルト、アセスピ信者の方々はお読みにならないように。
AD自己承認欲求不満患者の妄想ですので。
転生しても、すぐにラピス、叡智の金剛石を見判られる魂の人との、転生の有り方の違いを少し書いておきます。
ここの読者は、叡智の結晶化した真理、金剛石、水銀、「ひふみ」原理を読んできた人です。
それと一緒にそれを書いているこの世の人間が、高慢な嫌み暴言ばかり多いADHD患者であることも記憶して、今後転生転生するわけです。
すると、転生した人生でどのようなことが起こるか、真理の記憶と虚飾エゴを刺激された記憶が同居して思い出されます。
中略して、このときに、自分のエゴを取り外して、現世の物事そのものを直視、観察できる、自分の魂の頭と足でまっすぐ歩ける心の姿勢が必要となってくるわけです。
その指針と知識のことを真理と言い、古代叡智です。
この両方の記憶に、何度転生してもその都度目覚める、自主自律の霊魂を、クリストス、弥勒菩薩と表現されていることです。
参考に舎利弗、観自在菩薩は、誰しもの現在意識と関係が有ります。
ですから私の嫌み暴言のお役は、そのお役で霊魂の自主自律の学びです。
これが卒業できない霊魂は、転生の都度、クハンダカルトの甘い餌に食いついて、<真>の<理>を蔑ろにします。