私たちは、生命の「ごく一部」しか知らない
英国の生化学者ノーマン・ピリー(1907〜1997)は「生命という言葉の無意味さ」という論文の中で、生命と非生命は連続的なものであり、境界線を引くことはできない、としています。ノーベル化学賞を受賞したライナス・ポーリング(1901〜1994)も「生命は定義するより研究するほうがやさしい」と述べています。
なぜ、生命の定義がこれほど難しいのでしょうか。それは、私たちが1種類の生命しか知らないからです。たしかに地球上には、既知のものだけで175万種(環境省ウェブサイトより)、未知のものも考えればおそらく1億種をはるかに超える生物がいるのですが、これらはすべて、共通の祖先から進化してきたものであることがわかっています。
つまり、すべてはタンパク質と核酸(DNA、RNA)、そしてリン脂質の膜を使う生命形態であり、私たちはほかの形態の生命を知らないのです。
もし、私たちが第2、第3の生命を他の惑星あるいは地球深部などで見つけることができれば、私たちの生命に関する知識は大幅に増すことでしょう。
ガチに定義する前に「特徴」を整理してみよう
ここで、これから生命について議論していくために、とりあえず「定義」にはこだわらず、私たちの知っている地球生命の「特徴」を述べておくことにしましょう。
- 地球生命は水と有機物に依存したものです。これが大前提です。
- 地球生命は外界と区別する「細胞膜」を持っています。細胞膜はおもにリン脂質でつくられています。
- 地球生命は細胞膜の中で化学反応を行います。これは「代謝」とよばれます。代謝は、酵素というタンパク質が触媒となって、コントロールされています。
- 第四に、地球生命は「自己複製」を行うことにより、増殖します。
- 地球生命は環境の変動に応じて「進化」(変異)します。
※参考文献、長文ですがめんどうくさいので全文コピペです。
よく読んでみると、なんともなんとしても五感現実知能物理科学的範囲で、どうしても答えを得たいとする、西洋人の思考感性しか感じない無いのですが。
西洋の哲学思想でも、
「我、思うがゆえに、我有り」
ちょっと言い換えて、生命あり。
私のみの仮説として、命=意識エナジーの流動、カバラ的にウロボロス、生命意識エナジーの次元循環。
この後の、自分の解釈は、書いてきたとおりというしかありません。
ですから、この<形而下―形而上を通した櫛団子>無形の理念の把握は、古代叡智、杖、剣の、「思考の基準」が解らければ、次元の十理も、神々のバック、スフィンクスの、謎の問いかけも永遠に理解不可能です。
と言いましても、物理科学の進歩も必要不可欠、それが「聖なる結婚」
どちらかの理知意識の質量が、極端に過剰、または過少になったとき、純粋エナジー、アークは、濁り愚邪になり、天地の間、アイダの人、精霊、神々は愚鈍邪悪になります。
繰り返して、人類の理知意識が、水銀、中庸の聖なる結婚、素戔嗚と櫛稲田姫、夫婦神、八重垣神社にたどり着くまでは、レムリア、地上エデンはおろか、宇宙文明未来が勝手にお膳立てされることは、在りえません。
起こるとして、お決まりのイミテーションン平和未来。