田園酔狂曲

二人三脚の想い出と共に!!

沁みる夜汽車

2020-10-19 15:29:49 | ヒゲの毒舌
前ブログ 『 新聞ネタ 』 からの続きです。
先ずは、俳優・中原丈雄さんの自伝から ・・・
  東京との往復は毎回みずほだった。
  帰省時の自由席はいつも満席で、満員の中荷物を抱えて、
  立ちっぱなしで帰ったことが何度もある。
  トイレを我慢して、熊本に着いた時には血尿が出たことも。

    
中原さんとヒゲは一年違いで、ほぼ同じ時期の経験者です。
70年代、ヒゲ世代の交通手段は、ほとんどが列車。
それに、新幹線も九州まで来てない時代。
熊本〜京都間は、夜行急行寝台 “ 天草 ” 
熊本〜東京間は、特急 “ みずほ ” 等が人気でした。
中原さんの、この何気ないような四行の言葉。
この中には、沁みるような夜汽車のセピア色のストーリーズが隠れてる。
     ♬  僕は旅〜立つ ♪  東へと向かう列車で〜 ♫

          
  《 1963年:長距離列車に乗る客で混み合う新宿駅 》

今流行りのスーパー・ラグジュアリートレインとは180度違った世界があったのです。
優雅なシャンパンの香る客席なんてとんでもない、汗と涙と悪臭漂よう列車旅でした。

立ちっぱなしで帰ったことが ・・・ そう、以前のヒゲブログにもありましたね。
  夜行・天草で帰省する時です。
  チェス仲間のM吉君と遭遇したのは記録的な乗車率の時でした。
  四人掛け座席の足と足の間に立って、そのまま熊本駅まで!

       
その天草号での乗車時間は、約13時間。
で、みずほ号での乗車時間は、多分20時間位だったでしょう。
ヒゲの天草号での立ちっぱなしでも、とてつもなくシンドいのに、
みずほ号での立ちっぱなしは、想像を絶する大変さだったでしょう。
しかもヒゲの場合、熊本駅にはGフレンド(つまり現カァちゃん)が
出迎えてくれてましたから、なんとか耐えられた。
しかし、みずほ号で20時間の中原さんの大変さは如何ばかりか!?
その上、中原さんの実家までは、ローカル線に乗り換えが必要です。
同情を禁じえませんねぇ。

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2 コメント

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凄い密 (batten)
2020-10-20 19:42:15
この頃の鉄道事情なら新幹線・高速鉄道の整備はアリですね。
しかし、凄い密で20時間も乗車してたら全車両でクラスター発生しそうです。

7年前に東北に業務視察に行った時は仙台から大阪まで新幹線の約4時間半の旅。
さあ、酒もビールも弁当も笹かまぼこにホヤ燻製など仕入れて一人酒盛りだぁと乗り込んだら
東北三大祭りの重なった日で、乗車率が160%。
私の両隣が若いネーチャンで、東京まで両手に花ならぬ両手にキオスク袋。足元にキャリーバッグで身動き取れない情けないオジサンでした。
東京駅からはと思ったのですが、これがネーチャンが降車しないので、結局グリーンに移動したしだいです。

それでも、先輩方の苦労に比べたらと記事を拝見しました。
蜜? (ヒゲ)
2020-10-21 18:48:33
両脇若いネーチャンだとおお?💢。
わああ、それはヒゲからすると、
よだれが溢れるようなシュチュエーション!笑。

この頃は、一年毎に鉄道や社会に変化がありました。歳が1〜2年違うだけで、まるで違う世界を
見るようなところも。

それでも夜汽車の座席で、幕の内弁当肴に、
大関のカップ酒を楽しんだことが懐かしい。

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